? 2025 思い  琵琶湖の写真家マツシマススム




2025 思い



※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
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右にスライドさせてご覧ください。



         


065 (1)    下山(カメラ毎日)
1975年私がアマチュア時代(1964~1977)当時カメラ毎日(毎日新聞社)カラーの部年度賞受賞。
景品はニコンF2フォトミックボデー高級品でした。黒ボデーに氏名を頂き嬉しかった。
20年は使用し忘れられない記念品でした。(最高のカメラ)


065 (2)    毎日新聞
毎日新聞に掲載された。近所の人達からお祝いの言葉を頂き新聞に掲載される事はTVも同じだが信用が人格に付くと思う。


065 (3)    毎日新聞社 本社ビル 表彰される。

2025年正月私の娘達の元へ。東京にはほとんどこの10年は一目会いに行っている。
その途中、皇居近くに車で通過する時、50年前を思い出した。


065 (4)    お正月2025年
富士山から周辺を移動する中、連凧を発見。先方方の許しを得てスナップした。
晴天で富士山もここ数年お正月は晴天で良い出会いだった。


065 (5)    日本カメラ
アマチュア時代1974年日本カメラ、当時は人気カメラ誌だった。
審査員は第一回二科賞を受賞した緑川洋一先生(岡山)。
8月号迄トップだったが12月号終了すると4位、東京の藤田和宣さんと同位だった。
藤田さんは東京女性研究会を主催してヌード等力作を発表されていた。


065 (6)    アサヒカメラ
私のアマチュア時代、個人的考えですが?アサヒカメラの月例コンテストが一番難しいと思っている?
当時カメラ誌は5社(アサヒカメラ、カメラ毎日、日本カメラ、フォトアート、フォトコンテスト)誌があり、
私は中々アサヒカメラに入選が少なくこの作品は3位です。
京都花背峠で撮影。7、8年前訪れるとかやぶきは無かったが、女性は元気でした。(40年ぶり)


065 (7)    東松照明 写真集
1964年私は大阪の写真専門学校(日本写真専門学校)と二科会青木君夫先生の所で学んでいた。
どのカメラ誌でも東松さん、どれも私から見て良い作品を常に発表され私はあこがれていた。
その後太陽賞、JPS金賞でお会いした。


065 (8)    JPS会報誌から
1975~76年頃、私がアマチュアとしても活躍した時代、プロでは東松照明さんが一番だと思っている。
1978年太陽賞表彰式で私が挨拶しようと演壇に登った所、眼の前に東松さんが正面にいて、びっくり。
挨拶どころではなくポッと血がのぼり頭真白で(前日、あいさつを考えていたが)全部すっ飛んだ。
又、恥の人生で一番悪い出来事だった!!なお東松さん毎日芸術賞と日本写真協会年度賞を取る等大活躍でした。


065 (9)    たそがれ(1977年)
ニッコールコンテストは私の中で当時一番人気でした。それは今も変わっていないと思っています。
大阪伊丹空港に琵琶湖の合間に通っていました。会社が早く引けると豊中まで一走りこの場所でコンテスト良く入選しました。
コダックPCFフィルムISO25で低感度を増感50にしてストロボ発光した作画でした。準特選でした。


065 (10)   ニッコールコンテスト(1977年)
ニコン発表の頃、まだかまだかと心待ちの時代、来たら仲間に自慢の嵐、アマチュアとして最高に楽しい時代でした。
審査は三木淳、伊奈信男、土門拳、亀倉雄策、稲村隆正、佐藤明、奈良原一高、
細江英公、三堀家義、森永純と今では考えられない一流の人達。ニコンも全盛時代だった。


065 (11)   ベストセブン 黄色賞
カメラ毎日が全国から虹の作品を募集。私は余呉湖の早朝、日の出の頃、得意のレンズに息をかけて作画。
みごと的中、編集長はカメラ毎日佐白格玉郎さんだと思っている。


065 (12)   JPS金賞賞状
1981年JPS展で金賞受賞「湖北冬日記」4枚組写真でした。私はすでにプロになって4年目、
JPSの会員になりたくて、JPSに応募して金賞を取り会員になるのだと決心して応募した。
JPS会員の展示会委員長の望月剛さんから電話を頂き飛び上がり喜んだ思い出。45年前の出来事。


065 (13)   渡辺義雄会長(1907~2000年)
中央が渡辺先生、左が入江泰吉氏、右隣が枚方の田中幸太郎先生、3人とも巨匠です。
渡辺先生は太陽賞も審査員、私琵琶湖私景写真集でも序文を書いて頂き写真界の大御所、
伊勢神宮の撮影でも有名です。文化功労賞受賞されています。


065 (14)   写真ブーム
81’カメラ写真用品ショーが心斎橋そごうで開催されていた。この会場のゲスト写真家になるのも夢でした。
中村正也氏(APA会長・二科会員)、坂本樹勇氏(大阪芸大学科長)、私と共によみうり文化センターを協力した、
中村吉之介先生、他に高田誠三、山本健三、川上緑桜さんらと名を連ね、やっとプロとして色々な所に呼ばれる様になりました。


065 (15)   今西彗 コピーライター
私が太陽賞受賞して京都新聞の人と云うらんに紹介された。それに今西さんは太陽と云う雑誌を購入されていたのか?
突然手紙が来て作品を見て感想と何か私と一緒に仕事をしたいと書いて有りびっくりした経験、1983年だった。
次に電話が来て滋賀県の観光ポスターを制作する事になったのでポスター用の写真を見せてほしいとの事だった。
当時KBSラジオのパーソナリティーもされ有名人でした。私も1度ゲストに…


065 (16)   グラフィック年鑑
1984年頃広告の世界ではビックな雑誌です。デザイン関係コピーライターをはじめ企業の宣伝部、マスコミ向けの大型本です。
私も広告写真APA会員ですので、この様な雑誌は読む様にしていましたが、高いのでたまにでした。
アートディレクターは粟津潔氏、コピーライターは今西彗さんです。デザイナーは久谷政樹氏でした。


065 (17)   大阪日日賞
大阪の夕刊で大阪日日新聞は当時は良く話題の新聞でした。編集局長から
電話で日日賞の(奉公牌)を受けて頂けますか?私はびっくりしながら受けました。
淀川の水都際、水の祭典に呼ばれ花火を見ながら大阪工業大学の上階で料理ごちそうになりながら拝見した。
その縁で西川きよしさんの参議院選挙のポスターを撮影した。
40数年前の思い出です。西川さんは100万以上の票を集めました。


065 (18)   1984年 湖沼会議ポスター
滋賀県環境室の当時江崎さんが担当でした。江崎さんが湖西高島市で行われる
関西学生気球連盟の気球大会に少年が気球に向かって右手を希望のイメージだったと思う。
「いま新しい波紋が滋賀から世界へ」がテーマ


065 (19) 芳名帳
右から森井禎紹さん 私の友人(元二科会理事長)。
二代目月刊フォトコンテスト編集長 板見浩史さん、私の琵琶湖作品を良くフォトコングラビアに採用して頂きました。
奈良の中村明巳さん(鹿の名人)、岡井耀毅さん アサヒカメラ名編集長。
左は田村彰英さん 私と同年代、彼の作品はニューヨーク近代美術館はじめ作品は永久保存等で大活躍でした。


065 (20)   斎藤康一氏(JPS会員)
超有名写真家、林忠彦の助手から秋山庄太郎の助手から月刊誌週刊誌の人物、ルポライターで有名。
コダックでモデル撮影会を大阪城で講師として私も参加。数年前、京都で写真展されており拝見、後日わざわざおハガキ頂き、
又私の生徒さん高島成光さんが2025年写真集を出版、斎藤先生のツアーに良く参加されていました。(中国、モロッコ等)


065 (21)   芳名帳 木村恵一氏
右から平井忍氏 写真学校の大先輩(シュピーゲルの)会員、良い作品を発表されていました。
馬主であり、シュザンエイト等持馬活躍し私も競馬ファンになりました。
キーストン中野さん 当時私もキーストンに作品を預けていました。石崎幸さんはアマチュアです。
又、うすい一光さんおアマチュアでありながら当時活躍。JPSの小松建一さんはバリバリ、
木村恵一さんは週刊誌でグラビアを数十年と誰もが知るカメラマン、私がJPS金賞の1981年も審査員でした。


065 (22)   野上透氏
週刊誌カメラマンとして先の木村恵一さんと斎藤康一さん3人の作家は誰もが知る一流カメラマン。
週刊誌全盛時代、五木寛之氏のポートレートは有名。その他多くの有名作家達はほとんど野上さんのカメラに収まっている。


065 (23)   個展
1982年日本橋エキサイト日本橋店(上新電機)で25回の個展。びわ湖の自然6Fギャラリーで開催。
私は現在まで46回開催していますが自分でギャラリー代金はその中で2回のみ、
ほとんどが先方からの依頼でした。当時上新電機の社長(浄弘)さんとも親しくなり
京阪百貨店ギャラリーでは発起人にもなって頂き今なお上新で買物をしている。


065 (24)   藤本四八先生
日本写真家協会の4代目会長をされた写真界の巨匠。
JPSの前進「青年報道写真研究会」土門拳、浜屋浩、田村茂、林忠彦、杉山吉良、他8名で結成。
私が太陽賞受賞後、平凡社の祝賀パーティーに参加した時、長靴姿で
マイクを持ちあいさつされたのが忘れられない。紫綬褒章も受賞されています。


065 (25)   関西の写真家達 1980年代
私は1978寝ん太陽賞受賞後プロ写真家になりました。
1985年前後ナガセフォトサロン(当時コダック社)で関西で活躍してる写真家です。
当時はコダックのフィルムはプロが8割使用していた時代。今は富士オンリーみたいですね?


065 (26)   芳名帳
右から楓太介氏、おしゃべりがうまくて良くTVでも出演された。
4番目の山本博之氏は大阪光芸クラブ岩宮さんの所で勉強され二科会員で活躍。
8番目の田中幸太郎さんは枚方一の巨匠、花火の撮影では世界一だと思う。
プレザントの西山隆さんは日本の写真史で100年以上歴史1921年(大正10年)に創立した。息子さん?
ラスト山村善太郎さんは私と同じ写真学校の同級生1964年入学、1965年卒業学科は別でした。


065 (27)   芳名帳
右は川本武司氏、私と同じ写真学校卒業で馬のカメラマンとして有名。
二科会員、4人目永廻賢二さん、アマチュアとして大活躍、フォトコンの月例でも現在活躍中。
日本フォトコンテスト4代目藤森邦晃さん編集長。7番目APA友田富造さん、副会長もされ
以前APAの仲間として写真研究会も一緒でした。三井文一さんは富士山をテーマに良く作品を発表されました。


065 (28)   芳名帳
(4番高田誠三さん)大阪芸大写真学科学科長され関西では1980年〜2005年位まで一番の活躍でした。
私と知り合った頃はサンフォトクラブと浪速クラブの会員で一生懸命努力されプロを目指していた。
カネボウハリスに勤めておられ全盛はカメラ誌を(竹内敏信)さん
(前田真三)作品を発表。超有名カメラマンです。三氏はカメラ誌を独占されていた。


065 (29)   芳名帳 井上博道氏
右から中村明巳氏、私の友人でした。1974年アマチュア写真クラブ蟲で勉強、
奈良の鹿をテーマに写真集を数多く出版、東方出版を私に紹介して頂き、さらに私の名作「浮雲」は
二人で湖北彦根で撮影した。井上博道さんは入江泰吉一門で入江さんに次ぐ大物、
大阪芸大教授され現在奥様が奈良でギャラリーを開設。井上さんと一緒に何度か仕事をしました。


065 (30)   芳名帳 木村仲久氏
右から丸山さんとは永い間年賀状を交換した。4番目の雪松覚さんは東京の写真クラブ「いし」で活躍。
若目田行平さんと同じ指導者、日本カメラ梶原高男さんと聞いていた。
木村仲久さんは二科、他カメラ誌で大活躍、有野永霧さんは岩宮武二門下生で
大阪芸大副学長され、川上緑桜さんは白鷺で私が後発ですがライバルになった。


065 (31)   芳名帳 APAの仲間
APA芹川明義さん、私がAPA入会の頃リーダーでした。三村幸一さんは日報連で活躍、
福田清さんとは50年来の友人関係が続いています。
堺雄二さん、福本正明さん、小川逸夫さん、APAで一緒に勉強し話題の多い方達でした。


065 (32)   芳名帳 中森三弥氏
春田佳幸さん、神戸の弁の達人。石井信夫氏は全日写連で、植田正治らとも競った。
後藤公明さんは私の母校の校長を永い間され、中森三弥さんは大阪写真材料商の役員と
浪速クラブの重鎮として活躍、写真集は東方出版を私が紹介した。


065 (33)   津田洋甫氏
3番目の津田洋甫さんは日本で一番古い写真クラブ浪速写真クラブの大御所。
風景写真では関西ベスト3に入る写真家。読売新聞の﨏真美さん、当時写真部長。
私の写真展では記事を頂いた。写真記者としてその後大学教授になられた。


065 (34)   読売新聞
1989年1月7日(土曜日)天皇陛下崩御87才だった。
三木淳先生から1月7日撮影せよと連絡が有り、私は当日琵琶湖に向かい県庁はじめ大津市内を撮影。
読売新聞大津支局で新聞を見つめる老婦人を撮影した「昭和の終わった日」家庭画報社から出版された。


065 (35)   三木淳氏
日本で超有名な報道写真家(1919〜1992年)。私がアマチュアの頃、ライカクラブ・
ニッコールクラブ会長、土門拳に師事、ライフに吉田茂を発表。紫綬褒章、勲三等瑞宝章、写真界の大御所。
私がJPS金賞の時、三木さんが次の会長、三木さんに可愛がられた。
後にJPA(日本写真作家協会)発足、私も誘われたがJPS会員ですので断りました。
1981年京都JPS展で2人で講演。私の作品80点を映写しながら講演した思い出。


065 (36)   ‘90花博 1990年
1990年「大阪で花と緑と自然」花博が行われた。その中に現代写真作家展が写真美術館で開催。
私が日本の作家36名に選ばれた。一流な作家の仲間入りしたと自己満足した年だった。


065 (37)   山村雅昭 ニコン審査員
左の山村雅昭さんは私が好きな写真家のひとり。作風が良く似ていた。
コダック低感度フィルムISO25のPCFを日中ストロボで作画、ほとんど誰も真似出来ない
世界を作り上げた。1976年第1回伊奈信男賞(ニコン主催)植物がテーマだった。
山村さんはカメラ毎日年度賞を受賞。私が追いかけた感じで
山村さんは私の個展でも来て頂き話もつきない方だった。


065 (38)   ポスター 京阪百貨店
1992年大阪京阪百貨店で9月25日〜10月7日まで写真展開催、私にとってピークだったかも!!
入場者6,200名と朝日新聞で取り上げて頂き写真集や作品合わせて売上200万相当だったのを忘れられない。


065 (39)   芳名帳
右、前田章次さん、森井禎紹さん昔の師匠さん。彼がAPA入会で保証人になり友好関係が続いた。
中央の梶原高男さんは大変お世話になった。日本カメラの編集長、京阪百貨店ではスピーチして頂いた。
日本カメラのグラビアに6ページ作品を発表して頂き写真人生で一番嬉しい限りでした。


065 (40)   20世紀に活躍した作家
写真も時代と共に動きます。私が写真始めた頃は土門拳さん、木村伊兵衛さん、
浜屋浩さんが。時代は東松照明さん、奈良原一高さんからここに出ている作家、そして今に…


065 (41)   白鳥真太郎さん
APA日本広告写真家協会の会長さん。私もAPA会員ですので会長と云えば最高峰の方です。
20世紀に残りさらに今後も歴史上の写真家として名が残る方です。
広告界の賞を総ナメ、写真コンテストも色々な所で審査員もされています。


065 (42)   土田ヒロミさん
大先輩太陽賞1971年ですので。その後も大活躍、伊奈信男賞、土門拳賞、
他写真界の頂点にいると思っています。私の写真集送ったらハガキが届きました。
写真を休む事なく精進せよ!!と先輩の意見を参考にします。


065 (43)   1971年太陽賞
土田ヒロミさん(自閉空間)自身の心の中までをテーマにする高度な写真作品。
私は太陽賞を研究して拝見していました。私には出来ない素晴らしい感性の持ち主、すごいと思いました。
京都駅が完成した頃取材されている折ばったり出会い、4×5判の大型カメラで撮影されていました。


065 (44)   初夏の鳥
学習研究社の「鳥シリーズ」に私も何点か採用して頂きました。
表誌の白鷺は竹生島、私の作品です。今は白鷺も竹生島を追われていません。


065 (45)   鳥の写真家達 学研
松島進は実は私の名前ですが同名の写真家(大先輩)がおられるので
私は(カタカナ)マツシマススムにした。学研編集部はその事を知らないので、
間違って本になった。志賀芳彦さんは北海道の写真家で一番名の通ったベテランでした。
私とお会いした当時、ダイコロ印刷の北海道飛行場の場長で数回お会いして食事もしました。
嶋田忠さんは野鳥の写真家で私から見て第一人者だと思っています。


065 (46)   シマフクロウ 嶋田忠氏から
嶋田忠さん名作、正面から撮影されています。私も白鷺が得意でしたし、
野鳥数多く撮影しましたが中々正面から撮れません。特にシマフクロウは
北海道だけ生息し数少なく夜間に行動、本州にはおりません。又、カワセミ、
赤ショウビンの撮影は世界一。TVのニュース番組ニュースステーションに良く出演されていました。


065 (47)   高島成光
私の生徒の中で一番古い40年の親友です。生徒さんを親友とは失礼。
私より永く会社を経営され多くの従業員をかかえながら立派に経営されて来ました。
その間わずかな時間をさき、好きな写真を撮影され、この度写真集を出版されます。
アナログ、カラーリバーサルフィルムを段ボール箱から10箱1点1点ルーペで点検して
編集とレイアウトしました。タイトルは高島成光写真集(世界の街と笑顔の人々)。
世界約20カ国の作品集です。6ヶ月必要でした。


065 (48)   記念写真
2024年私が写真活動60年を記念して大阪富士フォトサロンで記念写真展グループ展を開催。
生徒さんや写真仲間に声をかけ100点近く発表。最後の日、写真家「テラウチマサト」さんが駆け付け
記念写真を、中央黄色の服の方がテラウチさん。富山市の参与もして富山及び写真界の発展に
寄与されています。ニューヨークヤンキーズのジャジやイチロー、五木ひろしも撮影されたとか…すごい。


065 (49)   JPS開催有志展
2025JPS会員、関西のメンバーの有志展が毎年富士フォトサロン大阪で開催、私も毎年参加しています。
今年は2点出品、ポルトガルの田舎で出会った村の男性とインドの印象的な老人を出品。


065 (50)   JPS展 2025
日本写真家協会JPS展が毎年東京、京都、他で開催。私も出来る限り出展するようにしています。
ケニアの人々、運動神経はすごいジャンプと視力、私達よりメチャクチャはるか上です。

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