? 2026 48回個展&グループ展




2026 48回個展&グループ展



※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
画面左下のグレーのスクロールバーをクリックしたまま
右にスライドさせてご覧ください。



         


067 (51)   富士イメージ(富士山、河口湖)
「葛飾北斎」に全く対抗する気は有りませんが…かれこれ富士山撮影に
50回は行っている。毎年東京にいる娘達と孫に一目会いたいと。その時、
東京より少し手前の富士で宿をとり、一応富士山にカメラを向けているが…
天候、他あまり良いと思った事ここ10年ない。何とか考えたのが多重でした。
北斎の波のイメージを重ねてみました。(撮影2023年12月30日)


067 (52)   ダイサギ(琵琶湖)
竹生島のダイサギ通常ダイサギをこんなに大きく撮影は不可能(当時)でした。
私は竹生島(琵琶湖の鳥)当時コロニーだったが(1971~1984年頃)
白鷺は追われて来なくなった。(日本科学協会ワイドライフすばらしい
野生の世界日本語版)世界的雑誌です。6ページ竹生島のサギ達が
特集された野鳥写真家達から羨ましがられた思い出。


067 (53)   余呉湖の朝(豊臣兄弟で大人気)
琵琶湖のとなり小さな湖です。賤ヶ岳を越え約1.5キロほどです。
湖は歩いても30~40分ぐらい水上勉の湖の琴や「羽衣の舞」
としても有名。私も粟津潔さんデザインのポスターの名作
琵琶湖天女の舞いに作品提供して有名になりました。


067 (54)   白鷺の舞 琵琶湖(写真集「琵琶湖幻想白鷺」発表)
この作品は私の中で大作です。2度と撮れないです。この様な作品は
他で見た事も有りません。それもその通りレンズ魚眼(フィッシュアイ)
15ミリ白鷺との距離わずか10cm~30cmの間、奇跡としか言い様が
ありません。しかもストロボ光(フラッシュ)も使用、私の超名作です。


067 (55)   竹生島にて(竹生島 ワイルドライフ発表)
作品も名作、何故かと云うと白鷺を真上から撮り、水面(琵琶湖)を
後方に置くのは滅多にないチャンスだから私が竹生島に通い
約13年で1度だけの第チャンスでした。この作品もワイルドライフ
すばらしい野生の世界1984年、6月号でした。写真は日本人カメラマン私だけ。
他のページはオール外国人カメラマン世界的有名でした。
鎌倉市マイク、アオキさんのギャラリー展示します。


067 (56)   逆光撮影(琵琶湖高島市)
早朝の竹生島の日の出を狙っていた。時々ユリカモメが舞い、
太陽を背にシャッターチャンスが。うまく行きました。(1981年)
当時アナログのフィルムISO100難しい時代。今はどうだろう。
連写1秒間に20数枚‥今なら簡単で、誰でも撮れます。


067 (57)   朝霧(竹生島 東京新聞)
朝霧(あさもや)。立ち込める薄いもや、霧を言います。この作品も条件次第、
何百回も通い早朝大変でしたが‥ようやく。東京新聞日曜版に大きく
1ページに渡り取り上げて頂き、私の中で一生の思い出になっている。1995年発表


067 (58)   雷の夕暮れ(余呉湖 1971年)
雷(カミナリ)作品は1971年、写真学校入学で父に買っていただいた
マミヤ6×6カメラと三脚。シャッターB(バルブ)にレリーズを使用した。
シャッターは適当で10秒、15秒とフィルム2本程使用。出来上がりは、わずか2点。
雷は少なかったり露出がオーバーだったり、失敗の中の作品。忘れられない作品です。


067 (59)   植田正治先生に技法を教えて!!(1975年ミノルタロツコールクラブにて)
1975年当時大阪にミノルタロツコールクラブが有名でした。
カメラメーカー自体直に写真家ゲスト(植田正治、林忠彦、
大竹省二、中村正也、岩宮武二、緑川洋一、秋山庄太郎、
堀内初太郎、棚島紫水)です。超有力メンバーをゲストに呼び、
当時アマチュア関西の有力メンバーが勉強会に来ていた。
その中で植田正治先生が私の作品にどうしてこの作品が!!私は合成と
答えると先生がその技法教えてと皆さんの前で言ったのが印象的でした。


067 (60)   ウーベイン橋(ミャンマー)
ミャンマーマンダレー近く私は撮影ツアーに海外80回に及ぶ
一番多いのはモンゴル18回、中国、インド、その様な中、
ミャンマー3~4回、大好きな国です。人々がやさしく一番人間が
良いとその時は思いました。木造の歩道橋ツアーで10回以上、
この橋で皆さん入選し、私の中でミャンマーのウーベイン橋が
大好きです。夕暮の中、光は私が自作自演で歩き作りました。


067 (61)   赤い砂丘(ナミビア)
ナミビア共和国砂漠、エトシャ国立公園、他写真撮影に適した被写体地です。
モデルはその時のガイドさんに黒い服でアクセントをつけました。
自然は誰でも撮影出来ますが…作品になるとアイデアが必要
ツアーの中から3人二科展に入選した思い出の地です。


067 (62)   たそがれ(琵琶湖写真集より草津)
昭和の時代、私は琵琶湖をぐるぐる湖岸は撮影した中で老船に夕陽が差した。
私景写真集に東方出版社長が気に入り編集された。私の写真集No.1、No2は
東方出版社長が選びました。編集を学びました、ありがとうございます。


067 (63)   波立つ彦根ー花水木出品ー
琵琶湖は風が強い時、10mを越えると白波が出る。漁師は船を出すのを止める
と聞いた。琵琶湖を62年追っているがこの様に波立つのはめずらしい。


067 (64)   余呉湖の朝(長浜市)ー花水木出品ー
湖上から賤ヶ岳を撮影。1990年前後滋賀銀行パンフレットに採用された。
余呉湖に宿は何軒かあるが、民宿文文右エ門さんと徳山鮓が知られている。
徳山鮓さんはかなり前から予約が必要。高島成光さんから数回招待された思い出。


067 (65)   比良と虹(大津市)ー花水木出品ー
相変わらず琵琶湖をぐるぐると撮影していた。何時も良い被写体に
会う訳ではなく、時々雨の後に虹が…。作品良い方です。アナログフィルム時代、
私の作品の80%はフィルムです。昭和、平成、そして令和になるとデジタル。
私はデジタルが好きでなく、ここのギャラリーほとんどフィルムです。


067 (66)   冬 夕照(彦根)ー花水木出品ー
L&G当時新幹線のグリーン席の雑誌、有名でした。私の作品に
下重暁子先生が湖北厳冬、影の世界と云うエッセイ文を書いて
くださいました。1995年2月号、2回L&Gに発表した嬉しい思い出。


067 (67)   L&G(湖西の旅)
琵琶湖望見L&G8月号です。竹生島と白鷺を取り上げて頂いた。
どこでもそうだが編集者に気に入ってもらえるのが理想。
良い悪いは別、雑誌社と編集人に決まって行く…私の人生は
マアマアだったと80才になり振り返って考えてみた。


067 (68)   海外パンフレット(滋賀県)
私も何度か!!海外から注文があったり、提供した経験が有ります。
作品は滋賀県の海外用だったと思う。ユリカモメが良かった。


067 (69)   白鷺(高島市)
1981~1982年、私の生徒さんと森成雄氏が知内浜の白鷺を発見、撮影した。
当日私の所に帰りに寄り、私は直ぐ追った。人の真似出来ないアイデア、
花を沢山買い演出。アマチュア中ぐらい作となった。花を大量に購入した。


067 (70)   夜(森口市 1981)
1981年滋賀県は81’彫刻展を開催していた。夜雨天に行き1人で彫刻に
ストロボを10回くらい発光。三脚、レリーズ、時間は5分~10分程、
数枚の中の1点。常に被写体を考え実行していた、今もそうだが?


067 (71)   浮御堂工事中 堅田「さざなみ」公団発行
田中角栄氏の日本列島改造論で琵琶湖も計画の中、白髭神社は1981年完成、
浮御堂は1982年10月完成、昭和48年(1973年)に琵琶湖開発スタート
1992年に終了。私はその間誰も撮影していないシーンを数万枚撮影。
私の人生そのものでした。水資源開発公園の1991年(平成5年3月31日発行)
さざなみ20年の記録に、私の作品14点発表し大変感謝しています。


067 (72)   夏の宵(大津市)
夏の地蔵盆の頃、堅田の街をスナップしていた提灯がぶら下がり、
縁側ー庭と板敷きの空間、おばあちゃんが涼んでいた。ネコが見える
チャンスだと思って待っていた。関西の超有名な岩宮武二さんのポスター
貼らせて頂き、作品に。岩宮さんは関西のトップ写真家、現在まで
彼を越える作家出ていない。おそらく100年は出ないと思っている。
1970年代光芸倶楽部に私は太陽賞受賞する迄見学に。
時々会費払わずに勉強していた、反省している!!


067 (73)   鷲見集落(1976年長浜市)
長浜市(旧伊香郡余呉町)1995年ダム計画で全員離村し廃村になっている。他にもなく
森になっています。私は1973年位から1988年迄通って撮影。特に大島渚映画監督
(愛の亡霊)1978年のロケ頃熱心に村を撮影、いつまでも私の心に残っている。


067 (74)   牛乳配達(近江八幡市 1974)
(昭和)1970年頃私は1964年~1977年迄、琵琶湖をモノクロ(白黒フィルム)
でボチボチ撮影、主にカラーフィルムだったが2割がモノクロ
(2023年昭和の琵琶湖と湖畔の人々)白黒で自費出版した。
アマチュア時代です。1978年からモノクロ中止してカラーで今迄撮影。


067 (75)   私の父(茂)
私が写真学校入学の折、マミヤ6×6判の中型カメラを購入してプレゼントしてくれた。
私は直ぐ結婚(1966年12月)20才早婚一応父に教えたが…2人だけの式、
大阪天満の高砂殿でした。同級生がカメラマンで安くして頂いた、父は医関係
長崎原爆に手伝いに行き、被曝して手帳を持っていた。大好きな父でした。


067 (76)   さっちゃん 荒木のぶよし(第1回太陽賞)
第一回太陽賞(平凡社)写真学校の教室仲間がこの本を開き取り囲んでいた。
私は隙間から見ていつか?応募しようと決心したのです。同じテーマで30枚迄の
組写真ドキュメンタリー。しかも新しい発想と応募に書いてあった。
作品見て決心して、以後1978年に応募しようと準備、35ミリフィルム140枚
インターネガ(4×5)に拡大①320,000円、4×5からキャビネ②35,000円、
③4切140枚336,000円色々経費80万円近く。賞金50万円。勿論承知してチャレンジした。
お金ではなく勝負したのです。人生の賭けでした。皆さん笑うかも知れない!!


067 (77)   パーティ(新宿バッカスにて)
平凡社は当時元気良かった。百科事典はおそらく日本一だったと思う!!
パーティはタクシーで並んだ岡本太郎氏、コシノジュンコ氏、写真家は
東松照明、杵島隆、野町和嘉、渡辺義雄、中島建蔵各氏と東西の
有名写真家に作家等豪華でした。一生の思い出、太陽編集部撮影。


067 (78)   福富太郎(美人画百年)
福富太郎(美人画百年) 平凡社太陽賞で知り合ったパーティでは100名近くの名刺で相手も
誰だか知らないまま…。後日ニコンサロンで私の1回目の個展に
福富太郎さんが来てこの本をプレゼントして頂き、又東京に来ない?と…
後にTVのゲストコメンテーター他知名度は凄かった。
長者番付日本一に14年余りと聞いた!!良い人に出会った。


067 (79)   少林寺拳法(宗由貴さん)
嵐山光三郎編集長から「武術健康法」と云う特集が企画された。太陽賞から
いきなりプロカメラマンに。あらゆるテーマの撮影にとまどいながら失敗の連続だった。
1980年太陽209、9月号、顔写真も載り、私の好きな作家池波正太郎さんの
日本の宿山中温泉が取り上げられていた。鬼平犯科帳。剣客商売等。


067 (80)   三木淳(大作家)
三木淳さんを知らなければ?写真の歴史もその方何も知らないと思う
(1919~1992年)日本で唯一「ライフ」の正規スタッフカメラマン
(報道写真家)私の時代ニッコールクラブ会長、吉田茂氏のポートレートは
ライフの表紙と戦後の東京裁判も記録、私がJPS金賞の時、日本写真家協会の
会長に。私と仲良くなり「昭和の終わった日」を依頼、私も特写した。


067 (81)   新聞(読売新聞)
JPS金賞50万円賞金の一部を寄付した。その後
写真展の売り上げを中国残留孤児に10万円寄付。
私の人生で大きいのはこの2件、少しは良い事をしたと思う。


067 (82)   JPS展(N01 1981年)
日本写真家協会JPS展に応募して金賞。4枚組の1番目「湖北冬日記」
と云う作品。物語を考えました。1975年APA展に「私の愛の日記より」
を3枚組で入選。私は日記と云う言葉が好きでした。


067 (83)   JPS展(No2 1981年)
組写真の一部、漁師さん、湖北尾上の松岡さんの父です。暗く沈んだ作品、
琵琶湖も当時社会問題、環境と云う言葉が飛び交っていました。


067 (84)   撮影会(写団寝屋川)
私は地元寝屋川市で写真クラブを結成していた。約20年皆さん上達して
コンテストも上位の方続出。ヤマザキタケオさん、三宅信男さん、
他個展も5~6人大活躍でした。私がアマチュア時代アサヒカメラで3等の
花背京都の元料理店でした。クラブ員皆さんどうしているのでしょう?


067 (85)   マイクアオキ(1992年 私景記念写真 京阪百貨店にて)
写真寝屋川時代一風変わった生徒だったマイクアオキ氏。
クラブ時代通訳していると聞いた。コーヒーや野菜にも精通。
海外にも行っていた。イタリア料理にも案内御自分で創って
私の写真パーティでも振舞い美味しかった、
ありがとう。アオキさん元気でお過ごし下さい。


067 (86)   山歩き 日本の自然(マイクアオキさん紹介)
朝日新聞社の写真コンテストで私は勝手にランク付けしています。
①国際サロン②日本の自然③全日本写真展だと。カルチャー他教室にて教えています。
日本の自然で佐々木崑賞で上位、群馬県から私の元に生徒さんを案内したのがアオキさんでした。


067 (87)   富士山(JPS日本写真家協会 1945~1995年)
私は(1964~1978年)2月迄、休日は全部撮影。女房の店も
無休と全力で写真に…1978年太陽賞後、家庭サービスにも目を向け、
富士山に案内。娘が教えてくれた窓から「今日富士山きれい」と。
家族で車走って良いポイント探したけど中々うまく行かないが!
雲が消える前にシャッターを押した。JPS50年の歴史写真集に選ばれた。


067 (88)   富士山ツアー(ミノルタパンフレット)
富士山ツアー人気で①高田誠三②森井禎紹③マツシマススム
各回80名づつ240名のツアー2泊3日。後日写真コンテストで
私のコースから堀田朝子さんがグランプリに輝いた。堀田朝子さんは
コダックで大賞、二科展でも賞、JPS奨励賞他大活躍でした。


067 (89)   ポスター(粟津潔 滋賀県)
アートディレクター粟津潔さんは有名だった。会う前から氏名は知っていた。
京都芸術短大(白川)粟津潔教室を訪ねた。昼間に先生ビール飲んでいた。
湖上に光る湖を選び印刷の時、先生は下に紫色を使った。先生は自分から
紫が好きだと…上下の小さい写真は久谷政樹先生が選びました。
(久谷先生京都で有名なデザイナー)


067 (90)   マイたうん撮影ツアー(写真ライフ (日本写真企画))
カメラ雑誌フォトコンテストの姉妹誌写真ライフが今でも有ります。
撮影ツアーが繁盛している頃広告出していました。
金賞と上位3〜4名年間賞迄出して、時にカメラも景品も良き時代。
ツアーも1,000回程です。恐らく数としたら日本一だと思う。海外80回、
北海道97回元気だったら来年(2027年)98回目の北海道を企画しています。


067 (91)   キタキツネ(北海道ツアー)
2026年2月で97回目でした。97回の中、この作品の様に
毎回キタキツネに会いますが、このシーンは今だに出会わないです。
朝日新聞のわれら地球人コンテストで上位、秋山庄太郎先生が審査でした。


067 (92)   AMSコンテスト(チュニジ、海外ツアー)
京都にラボでAMSが有ります。AMSのイメージ恐らく
知名度上げるコンテストでは
なかったか?賞金も高かったと思う。
吉永明美さん二科会員(当時)のグランプリ作品はアフリカ、
チュニジアでした。私が映画のシーンの様に演出しました。何もない所に
地元民を来て頂きました。私の事を「黒沢明」みたいと言った人も!!


067 (93)   雄大な夕陽(マダガスカル)
アフリカ大陸から離れた島(マダガスカル島)。バオバブの木撮影中、
雄大な雲と夕陽見た瞬間、これは写真コンテスト間違いなしと思いました。
長野県から常に参加の井口寛次さんに出品うながしキャノン上位になりました。
私の中でこの雄大な夕陽雲は類なき名作になりました。


067 (94)   雲海光(越畑、京都)
この作品も大作です。霧が立ち込み私は車のライト照らしました。
トヨタサーフSSR、私の自慢の車でした。ライトを特別オプションで付けて
上下にずらしてみごと大賞でした。40年も同じ所に撮影に行ってますが
2度とないチャンスでした。作品は常にアイデアと作画意識が必要です。


067 (95)   榛原(奈良 又兵衛桜)
関西の桜の名所と云えば奈良又兵衛桜は日本で一本桜として有数と思う。
まだあまり知られてない時代1985年前後撮影ツアーを良くしていた
二科展やコダック、ニコンの上位にもなった。


067 (96)   南浜(1986年 長浜市)
琵琶湖の中で当時南浜は好きだった。ポプラの樹が数本あり、琵琶湖畔の中
ひときわ光る被写体だったが?いつのまにか消え魅力がなくなった。


067 (97)   丹後千枚田 京都伊根新井(富士フォトコンテスト銀賞)
私は1964年初めて千枚田に行き感動して現在迄棚田をテーマに追い続けている。
伊根の千枚田は一時廃れたが観光の為にやや復活している。この作品は1990年頃の冬、
車のライトで雪を撮影、富士フォトコンテストで銀賞に審査員の竹内敏信氏と
海外ハンガリーで偶然出会い、その件話したら作品は良かったと答えられた。
(ニシムラユージ氏銀賞)


067 (98)   二科展入選(マツシマススム)
私のアマチュア時代、連続5回入選した。当時全国から350名の時代、
入選だったが評論家、田中雅夫氏が雑誌に私の記事書いていた。
濱谷浩氏は実弟、親友福田清氏に協力して頂いた。


067 (99)   シマフクロウ(北海道)
北海道ツアー97回の中、シマフクロウは過去10回ほとんど失敗の連続。
現在はストロボ禁止されており、この作品は二度と撮れない名作です。
北海道在住の嶋田忠氏は日本一の野鳥の写真家。私はわずか1点です。


067 (100)   三重県(あらぎ島 円田)
この作品も初めては1964年です。円田を見て感動しました。62年今年も行きました。
作品は1989年頃、夜間撮影。3回チャレンジその中でこの分は一番良かったです。
ISO25のタングステンタイプ三脚レリーズ約30分です。生徒の三坂康一さんがJPS金賞に
私は日本写真映像専門学校70周年記念(2026年)にOBとして出品。

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