琵琶湖のアオサギ
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
画面左下のグレーのスクロールバーをクリックしたまま
右にスライドさせてご覧ください。
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013 (1) 大雪 shiga Lake Biwa
大先輩「西嶋保介」氏 「大阪光芸クラブ」・指導は「岩宮武二(巨匠)」。
1964年から琵琶湖の撮影に時々連れて行って貰ったが西嶋さんは鳥が主題では無く心象風景とスナップが多かった、
鳥の撮影は私の方がどちらかと云えば多い・・・その後、私は鳥が専門みたいになった。
森成雄氏と知り合い益々、鳥の撮影が多くなった、このアオサギのギャラリーは52年間の私のアオサギの歴史である。
冬になると琵琶湖は大雪が続いたがそれ以後、雪景色が徐々に少なくなった。野鳥撮影では白鷺が主であったが鳥なら何でも撮影した、
このギャラリーも永年撮影した中からピックアップした作品群です・・・あくまで私の好きな作品です(1965年撮影)。
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013 (2) 飛び立つ shiga Lake Biwa
琵琶湖周辺で撮影する時は風景を主体にし・・・人物のスナップ・湖岸の花・昆虫類・野鳥と「何でも来い」と云う・・・
それぞれ琵琶湖に関連すれば何でもよかった。
私は琵琶湖を周回しながら鳥を見たら最初はやたらシャッターを押していた、年数と共に鳥の習性・形・動き等に慣れてきた。
誰からも教えて貰う訳でなく体で覚えていったアオサギは鳥の中でも大きいので発見もしやすく私にとって作品が沢山生まれました(1986年撮影)。
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013 (3) ラブ shiga Lake Biwa
1973年当初、竹生島の山頂で撮影、当時サギ類が約1万羽?その中でアオサギも多数見れた。
アオサギは全国の繁殖地として82ヶ所(1977年)と野鳥の会が記している。
竹生島は白鷺の方が多かったが?私は初日からアオサギ・鵜も撮影した。1983年「学研」発行の「初夏の鳥」で
白鷺を表紙に採用され記事の中でも竹生島の「アオサギ」も発表している。
学研の写真通の編集人「白木靖美」氏は日本写真界の中から多くの写真集を出版、名編集人と言われていた。
その中に、多くのカメラマンより私の作品を多数使用して頂き光栄と思っている。
1978年と1981年、ニコンサロン(東京)で個展、個展の中で白鷺やアオサギを多数出展した(1976年撮影)。
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013 (4) 夫婦 shiga Lake Biwa
サギ類の中で一番大型だと聞く、白鷺は「ダイサギ」より少し大きいと思っていた。
繁殖地の竹生島では私達の撮影を鳥達は気付いていたが?アオサギは逃げる事は無かった。
子作りに一生懸命と云う感じだった(1975年撮影)。
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013 (5) 枝をくわえて shiga Lake Biwa
巣作りである、枯木だった。竹生島では写友「森成雄」氏と何時も同じ・・・彼もアオサギを撮影していた。
竹生島のアオサギは写真界で私が最初に発表しました、羽根がグレーなので作品を撮る人は当時少なかった(1975年撮影)。
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013 (6) 樹の上 shiga Lake Biwa
竹生島です、アオサギは琵琶湖周辺では30mに近づくと必ず逃げられる。臆病なのか?人間を怖がる!!・・・とは云え、
京都の加茂川や神社の池等では人間に近い所で生息している鳥は怖がるとは思えない・・・人間に慣れてるだろうか?
大自然(琵琶湖)の中ではアオサギは人間を警戒していると思っている(1974年撮影)。
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013 (7) 竹生島の中 shiga Lake Biwa
森の中、山頂を歩くとアオサギが顔を出していた素早くシャッターを押した。
繁殖の時期は雛を育てる為、普通は逃げるのだがこの時はジットしていた。
写友「森」さんと竹生島では常に一緒だったが、山頂約50mの中、それぞれ被写体を見つけシャッターを押していた。
お互い作品は全く違っていた、作品を見せる時は全部では無く、自信作を見せ合っていた(1974年撮影)。
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013 (8) プロフィール(横顔) shiga Lake Biwa
竹生島で撮影、横目で私を見ていた、通常なら逃げるが繁殖の為、我慢しているのだと思った!!
晴天で光も順光線で美しく撮影出来た。ピントも良く撮影も気持ちが良かった。
私の場合、竹生島の作品ではコンテストに一度も応募しなかった。先輩「川上緑桜」氏のグループが応募していたので遠慮した。
その後プロ(1978年)になってからは遠慮なく、個展や雑誌の編集人の方々には見せていました。
京都「シーグ社」増田氏は私の第一集の写真集制作の時、白鷺やアオサギを見て是非、次回写真集にしたいと
常々仰っていたが2016年他界された(1977年撮影)。
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013 (9) 大きく撮影 shiga Lake Biwa
作品はこの様に滅多に大きく撮影出来なかったが、やはり竹生島は最高でした。
私にとって「アオサギ」は名作だと思っています、立派なアオサギだと?
また竹生島以外の琵琶湖岸に時々見るが、車を止めて私の場合アオサギをジット見ながら観察します、
向こうもこちらを見ています。私は「対決」と呼んでいます、それでも私が少し動くだけで90%位逃げられます!!
殆んど私の負けです(1977年撮影)。
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013 (10) コロニーの中 shiga Lake
竹生島のコロニー森の中です、サギの繁殖地を「学研・初夏の鳥」の中、「サギの世界を訪ねて」の文「小杉昭光」氏に寄ると、
大きな繁殖地は「群馬県高崎市岩鼻町」・『千葉県館山市城山公園」・「滋賀県竹生島」・近江八幡市加茂町」・
富山市・岩国市・宇部市・下関市・大分市と書いている(1974年撮影)。
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013 (11) アオサギと卵 A shiga Lake Biwa
竹生島で、卵は5個が見える。白鷺は4個だったが? 「アオサギ」は私を見て立ち上がる、危険と思ったのであろう?
ジットしていたら直ぐ座り暖めた。 竹生島の山頂からだったので卵が良く見えた、私はこの様なアングルは最高だと思っている。
竹生島での撮影は1983〜1984年で終了した、環境省が鳥を追い払わなかったら現在でも私は撮影を続けていたと思う。
作品の様なシーンにはそれ以後、一度も出会っていない(1979年撮影)。
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013 (12) アオサギと卵 B shiga Lake Biwa
竹生島では主に白鷺の撮影が多くを占めていたが? 時折「アオサギ」の撮影はこの様に眼に見える時、撮影した。
2016年現在、過去の作品を整理した中で作品が出て来た
「アオサギ」・「白鷺」・「水辺の鳥」・「ゴイサギ・アマサギ・その他」、色々と出て来ました・・・
全作品中では無いが、整理も現在途中.です、大変です・・・アナログフイルムをラボに出して「CD」にしてこのネット上に選び出す、
かえって手間ですが・・・ネットの時代、多くの人に見てもらう為に、このギャラリーを制作しています。
私のこのギャラリーを世界中の方々が見ています、嬉しく思っています(1979年撮影)。
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013 (13) アオサギと卵 C shiga Lake Biwa
私も北海道撮影ツアーを毎年実施しています。2016年現在「74回」に及びます、道東が多いのですが・・・
網走湖・風連湖・尾袋沼・能取湖・サロマ湖周辺でアオサギを見かけます。
湿地・池沼・河川・海岸で良く見られます、風連湖では丹頂と同時に撮れたのは良き思い出になっています(1979年撮影)。
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013 (14) アオサギと卵 D shiga Lake Biwa
竹生島は私にとって、鳥達の撮影で最高でした。
知内浜も良かったが!!竹生島の方がより自然体だった、餌で演出する訳でもなく全く自然で撮影した。
12年間に30〜40回島に上陸、最大なる思い出となっている。
巨匠「田中徳太郎」氏も野田のコロニーが消えた為でしょうか?一度訪れました。
皮肉にも竹生島が同様の運命を感じる。 もう一度竹生島の撮影をと思っても鳥達は二度と来ないのです。
竹生島は野鳥より歴史・文化・景勝と失ってはならない、名所旧跡なのです、分ります複雑です(1979年撮影)。
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013 (15) 雛誕生 shiga Lake Biwa
樹の間から雛の声、元気に育っているが!! 卵は6個だったのに3羽しか見えなかった。
自然の繁殖地、竹生島は日本でも有数のコロニーだった。
然し皆さん分かっていても島への上陸が簡単ではなかった、余分な経費(船代)と自由にならない所なので、
多くのカメラマンは諦めていた。私は幸運にも写友「森成雄」大先輩に出会い助けられた。
森さんに感謝だけでは済まされない位だと思っている(1979年撮影)。
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013 (16) 森の中 shiga Lake Biwa
サギ達も年を追う毎に撮影がやりにくくなった。 森の中、深くに巣を作る、やっと樹の間から撮影した。
森の中なので薄暗く、絞りは開放、シャッターも遅くスローだった、カメラブレが多く失敗の連続だった、
三脚を使用したかったが? 山頂に登るには重すぎて持っていかなかった。
現在ならデジタル時代、ISO感度が1000〜1600が使える、シャッター1/125以上になり失敗は少ないと思う(1980年撮影)。
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013 (17) 雛の成長 shiga Lake Biwa
「ニコンレフレックス500ミリ」で撮影、F8・1/250、明るい所だった。
竹生島のサギ達は樹の上や森の中と様々・・・アオサギは白鷺と違って色合いがブルーの灰色、
モチーフとしては余り良くなかったが?記録として撮影した。
「6個の卵」の所が2羽だったので・・・心配しながら撮影、おそらく落下したのか?
餌が上手く配分されなかったのか? カラス等、他の生物で失ったのか!!原因は分からない(1974年撮影)。
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013 (18) 有望!! Shiga Lake Biwa
アオサギの名前、学名「Ardea Cinrea」です。 灰色のサギと云う意味、鳴き声は「ギャー」が多い。
アオサギは世界的に約60種が記録されている、日本中でその内19種類らしい?
日本のサギの中で一番大きく全長90〜95cm、羽を広げると160cm。 魚・両生類・昆虫・甲殻類を食べる。
時々ネズミなど小型哺乳類を食べるらしい? 作品は竹生島での雛の名作です。
同じ作品を「アンビジョン・ギャラリー」フレームマンに納めています、日本最大の写真展のパネル張・マット・額縁の会社です。
私は先代の社長からのお付き合いしています(1974年撮影)。
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013 (19) 岩の上 shiga Lake Biwa
作品は竹生島山頂より撮影、竹生島に岩を通じて小さな小島が有ります、
その岩場にチャーターした漁船を着けて私達は竹生島に登ります。
白鷺の場所は港や船着場から遠い為、白鷺やアオサギに近い岩場を利用し、
岩とアオサギの作品は私は山頂から下る時に発見、上から撮影しました。
この場所で他に作品の発表も無く、おそらく私だけだと思っています(1975年撮影)。
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013 (20) 川の流れの中 shiga Lake Biwa
当初(1969年頃)から琵琶湖の川で撮影していました、その中で水の流れをスローシャッターで撮影すると面白いと
早くから知っていて秘かな私のテクニックにしていました。
「千里よみうり文化センター」が1980年中頃「中村吉之介」先生によって開講しました。
私が太陽賞・JPS金賞を受賞し、先生は日本の中で二つのタイトルは君だけだと注目されていました、
カルチャー開講に合わせて私に相談されました。 協力する事になり約20数年講師として勤めました、
その教室の生徒さんに「三坂康一」さんがいました、弟子にしてくれと頼まれ個人レッスンとして琵琶湖に案内しました。
9年間、能登・信州・特に関西のあらゆる各地を案内しました、その中でこの作品と同様の「アオサギと水の流れ」を教え、
富士ネイチャーコンテストにもアドバイス・・・銅賞になったのは良い思い出になっています(1988年撮影)。
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013 (21) 琵琶湖に注ぐ川 shiga Lake Biwa
川を遡上する鮎を狙っていた、鳥達の餌場です。
距離は30m〜50m、望遠レンズを使用、主に600ミリでした更に大きく撮影したい時、テレコンバーターを使用、1.4倍と2倍です。
F8オート・1/250のシャッターです、水の流れを強調する時はシャッター速度を遅くしました。
1/30・1/15・1/8・1/4・1/2とシャッタースピードを変えて撮影しました(1988年撮影)。
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013 (22) 餌を待つ shiga Lake Biwa
時々足元でも餌を見つけます。鳥類は相当眼が良いと聞いています、北海道・道東へ撮影に行きますが、
オオワシ・オジロワシは雪の日でも1kmが見えると漁師さんに聞きました。
道東の宿は「まるみ」さんが私の定宿、ひげのご主人と出会って30年近くなります。
羅臼では一番綺麗で大きなホテルになりました、食事も海の幸が一杯でツアーの生徒さんも喜んでいます。
作品は多くの名作が生まれJPS展や二科展他、多数入選しています(1974年撮影)。
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013 (23) エリの上 shiga Lake Biwa
600ミリレンズを使用、逆光線ですが綺麗に写りました。
鳥達は常に人間との距離(安全)を保っています、あまり近ずくと餌場でも離れます。
レンズの特性で良いボケ効果になりました、湖の輝きがレンズのボケになりました。
作品の様に良いボケ効果は琵琶湖だから良かったのです・・・私は今でも琵琶湖が大好きです、
良い作品が生まれる事と安らぎを感じるからです、家に帰ると胸の中がすっきりします
多分、ストレスが取れたのでしょう?(1989年撮影)。
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013 (24) 近くで shiga Lake Biwa
手前に障害物があって近くから撮影出来ました。
餌に夢中の時は撮影チャンス!!ジットこちらを見てる時は絶対に動いたら駄目です。
多くの失敗経験があります、ツアーで生徒さん達は我先にと慌てて撮影します・・・殆んど上手に撮れません!!
生徒さんはあまり言う事を聞きません?早くシャッターを押したいのでしょう・・・分かりますが・・・
私はいきなりシャッターは押さない主義!!少し余裕を持って落ち着いてからです。
この作品はアオサギとの間に樹があってアオサギも知ってはいたが上手く撮影出来ました(1990年撮影)。
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013 (25) 餌を取る shiga Lake Biwa
アオサギも時々、くちばしより大きい魚を獲る、横に掴み、次に立てにして飲み込む、ビックリした事が何度も、
この大きさだと3匹〜4匹飲み込むと一休みで去っていくと、また別のアオサギが来る。
ツアーでアラスカの熊の聖地に行き同様な事がありました。 琵琶湖も同じ様に力のあるアオサギが
一番獲れる場所で待っている、全く同じ様な光景だった(1991年撮影)。
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013 (26) 待つ shiga Lake Biwa
餌が中々簡単には獲れない、1時間、2時間と待っている、その内私が待つのが嫌になって来る。
連続的にシャッターが押せれば楽しいが?1時間待って一度もシャッターチャンスが無いと
私はどちらか?と云うと「イラチ」関西弁で待ってはおれないタイプです。
竹生島では船の時間が決まっているので仕方なしですが?(1992年撮影)。
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013 (27) 竹の上 shiga Lake Biwa
エリの材料、竹材に偶然アオサギが・・・珍しいと思ってシャッターを・・・
アオサギも水の中ばかりは嫌なのでは?樹の上が一番良い所だと思う。
人間で云えばソファーで休むのが一番リラックス出来ます、アオサギも同様だと思います(1988年撮影)。
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013 (28) 着陸 shiga Lake Biwa
アオサギが羽を広げると1m60cmであると聞く、コウノトリが一回り大きいと思う。
アオサギはサギ類で一番大きいとか、水辺の影が美しく撮影出来た、着陸の良いチャンスだった。
アオサギだけでなく鳥類や動物も同じで瞬間の動きが良いのです「内村航平」選手は私と同じ故郷の諫早です。
彼は体操界のアイドル、故郷が同じだったので早くから注目していました。
鉄棒の時の着地の瞬間と同じで、鳥や動物も最後の着地の決まりで良いか悪いかが決まります、撮影も同じです(1987年撮影)。
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013 (29) プロフイル shiga Lake Biwa
琵琶湖周辺での撮影ではアオサギが大きく撮れています、自然体では滅多にこの様に大きく撮影する事は少ないです。
私の場合の話、経験での・・・コメントを書いています、人によって違います。 日本中、鳥の好きなカメラマンは多いです、
私以上に撮影した方もいると思います?。 カメラ誌ではあまり見かけませんが?鳥関係のグラビアではあると思います、
1984年「鳥の歳時記」で編集人は私の竹生島のアオサギの作品を選んでいます。 その本の中に写真提供した作家は「大崎聡明」・
川崎利昭」・行田哲夫」・桜井淳史」・「志賀芳彦」・「嶋田忠」・菅原光二」・谷津富雄」・「三宅修」氏・松島進(マツシマススム)。
時々、雑誌社は私の名前を漢字にして困った、漢字にするとまるで別人になる。作家の中で嶋田忠さんは私の後の第16回「太陽賞」を受賞している。
嶋田忠さんの写真集「カワセミ清流に飛ぶ」私も買いました、カワセミの最高傑作だと思います。菅原光二さんは歌手の菅原都々子さんの弟です、
月がとっても青いからの名曲があります(1991年撮影)。
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013 (30) スローシャッター shiga Lake Biwa
水の流れのアオサギです、私はアマチュア時代より作品の中に「動感」が表現されているのが、
写真の可能性として「表現形式」が良いと思い続けている。
全く勝手ですが?写真は「カメラ」と云う道具を使って表現する訳ですので・・・そこにシャッター速度が有ります。
絞りの効果、シャッターの効果は写真上に必要な重要所です。
富士のネイチャーフォトコンテスト1988年に「三坂康一」氏に教え、出品を促し効果的中、
それ迄スローシャッターの表現は少なかったからです(1988年撮影)。
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013 (31) ひとりぼっち shiga Lake Biwa
アナログフイルム(フジ64T)を使用、スローシャッター色々と速度を変えて撮影、
1秒・1/2・1/4・1/8とシャッター速度を・・・その間、鳥が動いたら失敗です。
この作品に当時20枚程撮影しました、鳥が動かず成功しました。
川の流れは強くなく・・・ムードがあり時に、この様な作品を考えていました(1984年撮影)。
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013 (32) 残月 shiga Lake Biwa
夕暮れ時、樹の上にアオサギが休んでいた、アオサギは夜行性、暗くなって川面に降りて来る。
そして餌の魚を獲る、PM8時過ぎはアオサギ・ゴイサギ・他の夜行性は多い、
川に向かってシャッターを切り眼の光を確認する、夜間撮影はそれから始めます(1985年撮影)。
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013 (33) 風格 shiga Lake Biwa
アオサギが首を胴に巻き休んでいた、大きい成長のアオサギでした。
私は撮影で琵琶湖の湖岸道路を車で走っていました、アオサギが目に飛込みました。
アオサギを見ると風格がありました、港の防波堤の上でした。 港では船・漁師等、被写体になりますが
この日は全く人に出会わなかった・・・何時でも被写体があるわけではない。
アオサギを狙った、何時ものアオサギとは違い何となくアオサギの中でも父親みたいな風格を感じました。
私はアオサギに感動しました、然し写真とは見る人にとって感動が違います、そこがまた写真の面白いところでもあります(1979年撮影)。
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013 (34) アオサギの動き shiga Lake Biwa
この作品は私の得意分野、車のライトを使用、また同時にストロボ撮影、シャッターは1秒です。
三脚使用、車のライトの光でアオサギが動きます。首の3本中2本は車のライトでリアルがストロボ・・・
一歩か二歩その間ストロボを発光と云ってもテストボタンで発光して撮影します、高度なテクニックです。
よみうり文化センター千里時代、生徒の「三坂康一」氏を案内して撮影しました(1993年撮影)。
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013 (35) 葦の中 shiga Lake Biwa
湖西、近江舞子の内湖で撮影、この時も車のライトでアオサギと葦にピントを合わせ、車のライトを消してストロボ光のみで撮影した。
ストロボ光は大型の「スーパーミニカムジャイアンツ」報道用・大人数撮影用、ガイドNO180です、50mの撮影が出来ました。
私は「写真店も営業」していましたので出張撮影用として1868年に「ミニカムストロボ」を買っていました。
その後ガイドNO180を買って周りの人達に20数台販売しました、あくまでこの作品の様に野鳥または桜の木全体の撮影が殆んど・・・
ストロボの利用を皆さん上手く使えず、全員が現在も使用しているとは聞いていません。使い方が難しいのです、現在はカメラ側で
ISO感度G800〜1600、更に写るだけなら6000迄変化できます。 全紙のプリント迄なら1600位迄が限度だと思う(1994年撮影)。
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013 (36) 闇の中 A shiga Lake Biwa
アオサギが夜間飛び立つのを計算に入れて撮影、この様な撮影法は日本中でも珍しい撮影でした。
関西では他で聞いた事が有りません・・・作品も見た事有りませんでした、当時、私の周りの人達だけだと言えます。
私はこのストロボも「技法のひとつ」と教えていました、レンズの長いのや魚眼レンズも同じ、あまり他人が使用していないのは
作品が少ないので!! 競争に勝てるチャンスは少なくありません。 夜、空中に飛ぶアオサギ、ガイドNO180の撮影
丸くなったゴーストは雨が降っていました、レンズから近い雨粒がストロボ光でこの様になり、また これも面白いかと思います(1994年撮影)。
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013 (37) 闇の中 B shiga Lake Biwa
この作品は夜のアオサギがどの様になっているのか!! 説明の意味を含めてこのギャラリーに入れました。
川に6羽程見えます、小雨が降っていました。この様な作品を撮るのに苦労も多いです、私の場合傘を使うのが大嫌いです、
現在も傘は持たない主義です。 カッパは使いますが? これも滅多に使用しません。
場所は湖北ですので撮影が終わるのは9時から10時、家に帰宅は真夜中の12時です。
56才位は平気でしたが!! 近年体力が無くなってここ数年この様な撮影の翌日は疲れます。
今は平均8時の帰宅になりました。 夕食はそれから・・・NHKの大河ドラマを見れるのが嬉しいです(2016真田丸)。
このギャラリーの原稿を10月上旬に書いています、信州上田城にもいきました、九度山・・・高野山にも・・・撮影は本当に楽しい・・・
色々な所に出掛けられて・・・見学出来て・・・(1995年撮影)。
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013 (38) 樹の上 shiga Lake Biwa
大型ストロボ使用、レンズは「ニコンレフレックス500ミリ」手持ちで撮影、鳥が動くのを予想して撮影したが? この時は動かなかった。
リングボケが右上に少し出ている、白鷺たちは夕暮れにはコロニーのねぐらへ帰りますが・・・アオサギは夜行性、
夕暮れから早朝近く迄、川辺・池等で良く見られます(1973年撮影)。
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013 (39) 夕暮れ A shiga Lake Biwa
大型ストロボ使用、夕暮れ日没後、琵琶湖湖北辺りでは必ずアオサギが出没して来る事を予想して、
ストロボをカメラの上に取り付け用意をします。出ていなかったらストロボを外すだけ!!
作品は樹の上に偶然止まっていました、眼光が目に入り美しく撮影出来ました。 アナログフイルムですから・・・
仕上りは1日〜3日後です・・・不安もあります失敗していたら・・・がっかりです。 この様な気持ちは毎回常にありました、
現在はどうだろう!! その場でデジタルの画面が見られ本当に便利な世の中になりました。 その場で分るのでまた、
撮り直しも効きます・・・諦めも早い。世の中、写真は便利になりました(1996年撮影)。
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013 (40) 夕暮れ B shiga Lake Biwa
アオサギが近くにいました、夕暮れで太陽が沈んだ直後で美しくまるで日本画を見ている様で感動しました。
フイルムはアナログの100を400に増感しました。増感するとコントラストが2〜3割強くなりました、
その頃、殆んどの人は知りませんでした、プロでも知っている人は少なかった。 コントラストが強いので他者との差が出て
生徒さんのコンテストでは数多く入選しました、但し欠点は直射光の太陽光が強い時は反対にコントラストが強すぎる欠点も有りました。
私はそれでも皆さんに勧めました80%が良くなると思ったからです・・・カメラブレも少なくなりました、
被写界深度も深くなりピントも良くなりました、私は良いと思ったら無理やり生徒さんに押し付けていました(1996年撮影)。
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013 (41) 橋の上から shiga Lake Biwa
湖北、橋の上から撮影、勿論 大型ストロボです。 ISOは200を使用、三脚の代わりにカメラを橋の手すりに乗せて撮影、上手く行きました。
アオサギも私は作品になると思っています、白鷺の先輩写真家「川上緑桜」氏はアオサギは絶対に撮りたくないと言っていたその「言葉」が永く残っている。
私の人生で影響を受けたのは?青木君夫先生(二科会会員)・?西嶋保介先輩(元大阪光芸クラブ)・?森成雄先輩(日本カメラ74・年度賞2位)・
?川上緑桜氏(先輩白鷺の写真家)・?中村吉之介先生(JPS、APA会員、グループAPAで写真研究会を4〜5年)APA入会1978年推薦人・
藤本俊一氏(関西のプロの重鎮)JPS入会の推薦人・?前田幸生氏(APA入会の推薦人)写真学校の先輩・?森井禎紹氏(二科会理事長)
アマチュア時代からの友人・?渋谷利雄氏(石川県能登の写真家)・?中村明己氏(JPS会員、奈良の鹿の写真家)・?テラウチマサト氏(私の近所、
香里園在住で日本実業出版社のカメラマン、当時は日本の社長のポートレートの作品が多かった又、船井幸雄(船井総研)氏とのコラボ「癒しの島々」の
写真集は沖縄を舞台に伸び伸びとした心優しい作品の写真集でした、JPSのプロになって関東に移住して現在大活躍中)・その他?一時関西の写真家メンバーで研究会を・・
・藤田浩・アンダ知宏・有野永霧・山本博之・関岡昭介・吉田一夫・春田佳章・児島洋浩氏ら関西で大活躍の写真作家も現在では半分になりました。
私の生徒さん、山本久右衛門(96才)さんはフォトコンの一生懸命フォトグラファーにも登場、関西TVの「人間国宝」にも出演、現在でも年2回、
北海道に参加されています、凄いですね、私達周りの人達から尊敬されています(1991年撮影)。
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013 (42) 湖の光の中 shiga Lake Biwa
作品は竹生島だった、アオサギを撮影、朝陽が昇り湖の中に反映した光を利用した、滅多にこの枝には止まらない!!
撮影で竹生島に渡って、約10時間、島にいる中で僅か2〜3回だけだった。
この枝で待ち続ければ!! もっと多くの良い作品が生まれたかも? 同じ場所にジットして居られない性格です・・・
関西弁で「イラチ」、やる事する事を早くしないと居れない性格、奥さんは困っています。
生徒の皆さんは仕方なく我慢しているのでは?・・・
竹生島の作品の中このアオサギは良い方です(1976年撮影)。
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013 (43) 光の中 shiga Lake Biwa
この作品は多重撮影です。 手が込んでいます、私は勿論ストレートが一番だと思っています。 「意外性」・「発想」・「研究」、写真の持つカメラ・レンズ、
フイルム(アナログ時代)、私は色々と考えていました。 1964頃の写真学校で学びました、大阪日本写真専門学校時代、青木君夫先生(関西二科会の重鎮)、
1964〜1966(大阪白百合会) 写真学校卒業後「現像所・ラボ」勤務、写真の現像・焼き付けの専門会社(主にカラー)、その中で技術を覚え、
アマチュア活動の中、作品創りに精を出していました。 作品はアオサギの夜間ストロボ撮影しました・・・現像仕上げ後にニコンより「スライド複写装置」を買いました。
スライドをレンズの前に置き、家のスタジオを利用して写真電球を撮影、(多重)、左の青い色はブルー球です。 私は当時自宅で写真業(スタジオの撮影)も営業
その時の機材です、お分かりの如く普通のアマチュアの方の発想では考えにくく「手」が込んでいます、アマチュア時代です。 当時写真クラブの人の考えは
ある意味皆さん・・・ストレートしか何事も見ていなかった!! だから私にとってはやり易い入選作品(私の中で)150点程ありましたが、特殊テクニックで4割が
色々な技法を使っての入選でした。 1978年太陽賞作品で「篠山紀信審査員」は私の作品群で応募は236点(全て30枚以内の組写真)、選考は「クラブ関東」で
一次予選39点が並んでいた。 審査員(8人)の一人が推したら最終審査に残る、篠山氏の言葉、作品の制作意図が読み上げられる。 「マツシマススムの作品、
力作に違いない、他の審査員の評判もいい、琵琶湖の湖を私は力でねじ伏せて写真にしてやろうと云う技があれこれ目について困った」 篠山紀信氏の感想、最終的に
投票で決まったが? 勿論、篠山氏は反対だったに違いない?。 私は確かに1964〜1978年アマチュア時代はテクニックの山を多く使用した・・・
その後プロになってから、そのテクニックを生徒さんに教え、私はストレート派に変化した(1988年撮影)。
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013 (44) アオサギ幻想 shiga Lake Biwa
アオサギと背景のボケを強調した作品、私はかなり好きな作品です。
このギャラリーではアオサギですが主にシラサギの撮影をしている中、時々、アオサギを見つけいいなーと思った時に撮影したシリーズです。
私の場合、琵琶湖に始まってその中にシラサギがいてアオサギやアマサギ・ゴイサギ等、野鳥に出会い湖畔の人々にも
その様な事で写真撮影して来ました。 40年、50年と月日が流れて自然に作品が集まっています、
是非、皆さんも続けて撮影される事を願っています。 私は同じ様に北海道に75回行きました、
ツアーで全国の桜や棚田も数多く作品になっています(1977年撮影)。
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013 (45) 琵琶湖の畔 shiga Lake Biwa
エリ漁の杭の間を飛んでいた琵琶湖の風景に中、美しいと思った。
羽を広げると2m近くになる、日本のサギ類の中で一番大きい、次にダイサギです。
竹生島では繁殖地だった(〜1984)迄は近くで撮影したが・・・その後、滅多に近くで撮れない、
20m以内で撮影できる可能性は、私の場合年に1〜2度です。
琵琶湖に撮影に行くとお分かりになると思います(1974年撮影)。
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013 (46) 花火とアオサギの多重 shiga Lake Biwa
私は或る日ふと思い付きました、花火の中にアオサギを入れてみると? どの様になるだろうか?
まず初めにアオサギを36枚撮影し、アナログフイルムをカメラから取り出し撮影したフイルムをまたカメラに入れなおして花火を撮影した。
心配だったのはアオサギと花火のバランスでした、結果は作品の様にアオサギと花火が出来ました。
決して良いとは思いませんが実験作です、私は常に撮影しながら色々考えます。
勿論、殆んどが失敗です、然し思わず意外性の作品が生まれる事もあります。
是非、皆さんも考えてみては如何でしょうか・・・(1984年撮影)。
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013 (47) アオサギの食事 shiga Lake Biwa
琵琶湖にそそぐ川で撮影、アオサギ以外にもシラサギ・鵜・カラスも餌を待っていました、
その中でアオサギが上手く餌をとらえて飛び立ちました、横にいたアオサギも追いかけています、
アオサギだけではなくシラサギのこの様な場面が良く見られます。
北海道のオオワシやオジロワシも全く同じように良く追いかけています、
私が思うのには横取りをしたいのか、落ちこぼれを貰いたいのか分かりませんが?
それがまた落とす場面も見かけます、時々カラスやカモメが横取りするのも見ます。
その様な時、感動してシャッターを押します、そのチャンスの時、私は嬉しいのです(1976年撮影)。
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013 (48) 佇む shiga Lake Biwa
雨日後、青天になった、虹がアオサギの横にあった、逃げない様に「恐る恐る」葦の影からシャッターを押した。
アオサギはこの時も実は横目で私を見ていた、私が少しでも動くと飛んで行った。 その様な経験は山ほど多い、
約80%〜90%は失敗しています。 欲張って更に大きく良いアングルから撮りたいと思って動くと直ぐ飛んで行きます。
長い間の失敗の連続から鳥達の撮影を身に付けました、私は「対決」と呼んでいます。 成功した時の喜びは
その日の撮影が凄く気分良く晴れやかになります、アナログフイルム使用(2003年撮影)。
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013 (49) 食事が取れた!! Shiga Lake Biwa
大津市の池で撮影、杭の上で魚を待っていた、池の表面は水草で覆われ・・・時々魚が顔を出す。
アオサギは首を下げ、水草あたりで近づく魚を捕えていた。逆光線が美しく私はこの作品が大好きです、
かって大津市の池の横がコロニーだった。 多い時は500羽程撮影した時も・・・夜、鳴き声がうるさく鳥達の糞で住宅地が増える中、
住民から迷惑がられる。 鳥達の生活圏もだんだん狭くなり追われて行く・・・琵琶湖の自然が失われて行く、
私にとっての「自然派」は残念でならない。 この池のコロニーはその後、姿が消えて行きました(1994年撮影)。
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013 (50) 夕暮れの中 shiga Lake Biwa
琵琶湖の夕暮れ、湖の色が黄金色になって浅瀬の湖の中で餌を探している。
望遠600ミリにテレコン2倍で撮影、足を上げ良い作品になった。
ストロボは「ミニカムスーパージャイアンツ」 ガイドNO180、私の得意の撮影です。
「アオサギシリーズ」、このギャラリーの作品は他に発表していません、未発表です。
私のホームページのギャラリー作品も合せて、過去の作品は殆んど開封していません。
過去の作品を見る・調べると云うのは簡単な様で大変な作業です、気が遠くなります。
気分が良い時、そして時間の余裕が取れたら「ボチボチ」、過去のフイルム(アナログ)を見てまた
このギャラリーに発表したいと思っています(1999年撮影)。
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