琵琶湖慕情 1
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
画面左下のグレーのスクロールバーをクリックしたまま
右にスライドさせてご覧ください。
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006 (1) 気球 shiga Omihachiman
気球と菜の花の組合せ、私は撮影に関して主役と脇役とカメラ誌の中で多く語られていた(1960年代)。
カメラ誌を読むのは情報と撮影のアドバイスが有り参考になるもの?、教室の生徒さんを見ていると
カメラ誌を読んでいる方は1/3 程? 私は発売されているカメラ誌は全部愛読していた、
中学生から読んでいた(1972年撮影)。
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006 (2) 湖北の春 shiga Takatsukicho
中判カメラも、マミヤ6×6・マミヤRB6×7・トプコンホースマンプレス・アサヒペンタックス6×7、6×4.5・ハッセルブラッド
大型カメラではトヨビュー4×5等 写真業(スタジオ)とAPA会員になって(1978)CM広告撮影も(1973〜2000)
色々と仕事をしていた作品は広告用に撮影(1979年撮影)。
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006 (3) 雨日 shiga Nagahama
バスツアーの日、雨日だったが竹生島を配して広角レンズで撮影、菜の花が季節感を出した(1998年撮影)
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006 (4) 湖北 shiga Takatoki River
滋賀と福井の県境の山に残雪が残っていた。高時川の畔の菜の花を撮影・CM用(1986年撮影)
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006 (5) 春日 shiga Kosei
私の写真集「琵琶湖逍遥」を東方出版、当時の社長「今東成人」氏が選考した。 写真展では女子に人気があり
美しい写真は一般的に人気だった(1984年撮影)。
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006 (6) 模様 shiga Hinoshi
春の田園地帯、日野から野洲にかけて車で走っていると、田園の中でひときわ目立つ、望遠レンズ300mm・F16で
撮影、三脚無し、私の場合90%三脚を使わない主義だ。「琵琶湖逍遥」で発表(1986年撮影)。
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006 (7) セスナより shiga Hikone
学校アルバムで有名な「枚方・ダイコロ」のセスナ機から撮影、企画部に友人「大田健嗣郎」さんから
今大阪にセスナが来てるから・・・どうか・・・と電話を受け、琵琶湖を一周した。
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006 (8) 船上から shiga Takashimashi
船上より撮影。友人の漁師、松岡さんが湖上タクシーを営業している。 海津大崎の桜を早くから湖上より撮影、
ツアーも過去8回に及ぶ、近年デジタルを使用しているが天候が曇りで発色がどうも気に入らない(2009年撮影)。
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006 (9) 海津の桜 ? shiga Takashimashi
桜のシーズン必ず海津には行って見る。必ず撮影をする訳でなく、その年の桜の状態を知りたいのです。
この作品も船上より撮影、桜は満開だったが、天候は曇りだった桜は光線で作品が別れる、
あまり満足出来なかった(2012年撮影)。
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006 (10) 海津の桜 ? shiga Takashimashi 道路より
光線は良かったが・・・アナログフイルム(コダック)使用、色合いが良く満足した作品・・・私は今だにデジタルが好きになれない、
パソコン上で色のバランスが取れないからである、この作品はフイルム上に全く差の無い色合いで撮影出来た会心作(1983年撮影)。
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006 (11) 深堂の桜 shiga Shigaraki
甲賀郡信楽町の山合の里に枝垂桜の名所、ツアー(1986年)で初めて・・・その頃はあまり知られて無くて関西では最初の方だと思っている?
それから20年目の作品がこの桜、桜の「ささえ」が目立つ(2006年撮影)。
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006 (12) 桜散る城下町 shiga Otsushi
坂本の池に桜の花びらが浮いていた。 私は一人で大津市坂本の桜を撮影中、土門拳さんの助手でもあり「太陽・家庭画報」等で有名だった
「牧直視」氏に偶然出会った、雑誌等で顔写真を知っていたので・・・桜の良い所を教えた、男前で白髪が印象的だった(1992年撮影)。
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006 (13) ポプラと伊吹山 shiga Minamihama
現在長浜市、当時南浜はポプラの樹が数本あった、夕陽の伊吹山と合わせて撮影、個展で発表、またフォトコンテスト(2005・8)
類似作品発表する等、一般的に人気の作だった(1994年撮影)。
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006 (14) 蜘蛛 shiga Otsushi
私はアナログ時代に多重撮影を初期から利用していた。 フイルムの巻き上げが一コマづつ、今と違って自動送りが
無い頃から・・・大変難しい(1972年撮影)。
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006 (15) 竹生島 shiga Takashimashi
多重撮影は日頃から練習しないと上手になれない!! 教室の「森敏子」さんは常日頃、多重を良くされている。
撮影に行ったら必ず一日の中で数回、繰り返し練習をしたら上手になりますよ・・・と・・・(1969年撮影)。
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006 (16) 朽木村 shiga Takashimashi
琵琶湖をテーマにした頃から新しい発見をしたいと、琵琶湖の周辺ギリギリの道まで追いかけた・・・現在でもその考えは変わる事無く、
道無き道に入って行く・・・行き止り迄、納得する迄、アマチュア時代 第22回サンフォトグルッペフォトコンテスト3席(1973年撮影)。
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006 (17) 湖上の樹 shiga Kohoku
湖上の樹は琵琶湖周辺で数多く見られる。私も写真展や写真集で多く発表している「しがぎん経済文化センター」の
写真教室で生徒さんを案内した(2000年撮影)。
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006 (18) 初夏 shiga Kohoku
琵琶湖を隈なく歩き廻っていた頃の作品、若さゆえ朝早くから夜10時過ぎ迄撮影して帰宅した。 琵琶湖を知るならとことん
湖の廻りを調べて、被写体になるものなら必ず撮影した、「琵琶湖私景」で発表(1978年撮影)。
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006 (19) 湖畔 shiga Kosei
人家の畔、湖に近い所では家庭菜園の中にひっそりと好みの花が植えられていた・・・湖を背景に撮影、写真展では花と湖の作品が人気で!!
何処で撮影したかを良く聞かれたが・・・この花も散ると何も無い!!それと場所は特定しにくい・・・それぞれ私と同じように
探して貰わないと!!(1986年撮影)。
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006 (20) 春好日 shiga Hinoshi
琵琶湖周辺だけでなく、滋賀県も同じくテーマです、鎌掛のシャクナゲを撮影の途中、田園のレンゲがピンク色で染まっていた。
遠くから見て美しい風景だった、しかし近年この姿をあまり見ることが少なくなって来ている。PLフイルターを使用
「琵琶湖逍遥」で発表(1993年撮影)。
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006 (21) シャクナゲの山 shiga Hinoshi
蒲生郡日野、鎌掛の谷合いにある。5月の初旬が目安です、土門拳さんの室生寺のシャクナゲも名作、花だけなら何回も
行く必要はないかも? 室生寺は五重の塔と石段、まして雪でもあれば最高(1996年撮影)。
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006 (22) 正法寺の藤 shiga Hinoshi
シャクナゲは鎌掛にある、正法寺のフジは少し遅れて5月中旬。 朝日カルチャー写真教室でも案内した、教室では「琵琶湖を撮ろう」の企画で
6年余り、最近は近畿と云う事で琵琶湖も入れながら関西色々案内しています、参加して下さい(2008年撮影)。
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006 (23) 箱館山 shiga Takasimashi
冬はスキー場だが・・・その季節、色々な場所に花で観光客を呼んでいる、全国的に遊ばせるには土地が勿体ないと私も思う、
その他びわこバレイのスイセン・箱館山のユリとそれぞれ大人気だ、遠景に竹生島が見える(2014年撮影)。
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006 (24) ひまわり shiga Omihachimannshi
休田を利用して向日葵畑が何年か続いた、夕暮れ時ストロボ(外付)のガイドNo40で撮影。
レンズは広角、F16 空の色が出る様に調整した(1999年撮影)。
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006 (25) ひまわり人間 shiga Omihachimannshi
向日葵に手鏡を使用、この技法は40年前から生徒さんに教えている。 守口市美術展に入賞された思いでが・・・
100円ショップで丸い手鏡がありますので一度確かめて下さい(1994年撮影)。
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006 (26) 蓮 shiga Kusatsushi
色が全く想像を超える色彩です。Kodak社から赤外リバーサルフイルムがあった、一部の写真家から愛用されていたが高額の
フイルム代2000円・現像料が2000円、合せて36枚撮影して5000円近くになる為に一般の方の使用は殆ど無かった。
ラボのコダック現像所から情報を貰っていた、私はラボ1978年4月迄勤めていたのでコダックと密接な関係でもあった。
ラボに聞くと日本で一番多い利用者だと言っていた(1972年撮影)。
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006 (27) リングボケ shiga Kosei
ニコンのレンズでレフレックスレンズがあった、私は1000ミリと500ミリの両方を持っていた。 1000ミリは改造して後日ブロニカ用にした。
500ミリは現在迄3個買ったが?落下したり、人に譲ったりして現在は持っていない(1975年撮影)。
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006 (28) 印象 shiga Otsushi
「田中幸太郎先生」の影響で素直な花火の撮影は止めている、思うがまま、シャッターを切り遊んでいます。三脚は使用していません・・・
カメラを途中で動かしたり・ブラしたり・フォーカスを動かしたりと・・・カメラ誌に発表した(1988年撮影)。
| 006 (29) 幻想 shiga Otsushi
大津市びわ湖花火大会は毎年8月8日、雨日以外なら行われている。 たまたま台風に出会った事も・・・
風向きによってカメラに煙が近づき、殆ど失敗の時も・・・気象条件も大切(1992年撮影)。
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006 (30) 花火の中 shiga Takashimashi
高島市に古い灯台がある。
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006 (31) 長浜大仏 shiga Nagahamash
平安山良畴寺にある。 現在二代目ですですので、この作品は初代(1933年〜1992年迄)の大仏です(1971年撮影)。
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006 (32) 風車村 shiga Tkashimashi
私が琵琶湖をテーマに湖岸を歩く時、風車村は無かった、どちらかと云うとジャングルの森だった。 殺人事件が起きても
発見される迄、相当時間が?みたいに思った程、何回もチャレンジしたが足止めした。 湖岸道路が完成して湖の森も
整備された、観光地として有名になった(1988年撮影)。
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006 (33) 初夏の頃 shiga Takashimashi
「琵琶湖私景」写真集 1992年10月20日発行、東方出版・編集は京都シーグ社(増田さん)。 風車は完成して余り日数が経てない頃に撮影、
風車の周辺では色々な花を栽培して観光化している、2016年にはリニューアルするとか!!(1988年撮影)。
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006 (34) 夜の白髭神社 shiga Takashimashi
撮影は夜間、車のライトを照射した。現在は車の往来が多過ぎて危険です、だから真似しないで下さい。
当時は僅かしか車は通らず問題は無かったのですが・・・現在、毎回通過しますが、車の往来が多くて危険です(1984年撮影)。
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006 (35) 月夜の輝き shiga Takashimashi
車のライトが危険ですのでビデオライト(LPL社)を買いました(24万)、バッテリーが重く(24kg)40分程使用出来ます。
私は写真業界で初めて(スチール撮影)に使用し、他の人が真似出来ない程大量の作品が生まれました。
まさしく秘密兵器と云う所でした(1982年撮影)。
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006 (36) 虹 shiga Takashimashi
琵琶湖で有名な湖中に朱塗りの鳥居、161号線沿いに車で走ると右手に見える、琵琶湖の湖西方面では?浮見堂・?琵琶湖大橋
?白髭神社だと思う。虹が良かった、52年間で約14〜15回は鳥居と虹を見たが、良い方です。光線も良くこの作品も
色々な所で人気作に成りました(1984年撮影)。
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006 (37) 白髭神社 shiga Takashimashi
歴史的に謡曲「白髭」垂仁天皇の頃創建、1900年の歴史がある。大陸からの渡来人の祖神を祭って建てられた!!とも・・・
本殿は豊臣秀頼と淀君が建てた事は、はっきりしている(1989年撮影)。
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006 (38) 比良と虹 shiga Wahama
比良山系方面は雨になれば虹が良く見える、虹の名作が数十点出来た。写真展では皆さんびっくりされた、何時でも出る訳でなく、
長年のテーマの中で良い作品が生まれたのです。努力は誰よりも自身があります(1978年撮影)。
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006 (39) 魞(エリ)網と比叡山 shiga Manohama
虹の撮影もその当時簡単ではなかった、色々と工夫したが?フイルターを使ってみたり、露出をアンダーにしたり、結果は
素直に自然に撮る方法しかなかった。ただひたすら虹の出るチャンスを自然に待つ他は私には見つからなかった(1981年撮影)。
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006 (40) 大きな虹 shiga Otushi
或る日湖岸を車で走っていると普通より大きな虹を発見、まず私の撮影法は虹を見たら、まずシャッターを押す、その次は
虹に似合う場所を出来るだけ早く探す、虹が消えない間がポイント、その場合殆ど時間を取り過ぎて過去失敗していた。
虹を発見後その日1分位で湖岸の樹を発見、スケールが分ると思い50枚程シャッターを押した、大成功だった。
この私のギャラリーで虹が多いのは、数多く琵琶湖に通った事が第一ですが・・・虹の撮り方も熟知しているからです。
経験しているが失敗も多いのです(1986年撮影)。
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006 (41) ヨットと虹 shiga Otsushi
またこの作品も実にタイミングが良かった。その頃この様な経験は全くありません、忘れられない名作だと自分でも惚れ惚れします。
私のネットを見て私を知っている方は、その努力と経験を改めて見直してくれると思います(1978年撮影)。
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006 (42) 虹と白鷺 shiga Takashimashi
私は今まで早くから作品の販売を手掛けて来た、写真展の度に作品が増えて困ったのが最初、高くしないで手頃の価格にしました。
大阪駅セルヴィスギャラリーでは23点、京阪百貨店では37点、写真展の度に過去47回大きいギャラリーでは常に販売
「プロフイル」に入っていないミニギャラリーを合わせると100回に及びます。今までに約600点を越えたのだけは覚えて自慢しています。
悪口を言う人もいますが?自分に自信を与えてくれます、白髭神社が左の隅に見えます(1972年撮影)。
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006 (43) 街の虹 shiga Otsushi
虹は自然現象ですので見た時にシャッターを切るだけ、高速道路等で見てもシャッターは押せない(1991年撮影)。
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006 (44) 街の灯り shiga Otsushi
家族旅行で撮影、子供たちが大きくなる迄と云うより?結婚する迄、年2回 日本中を旅した。旅の最終は琵琶湖を通り、この時帰り道は大津だった。
まだ「なぎさ街道」か開通していなく所々、道路がある頃、大津市内に向けてシャッターを押し、ただし稲光は何処に出るのか?分らない。
ただ適当にシャッターを押す、20枚撮影して1〜2枚撮れるだけ、デジタルは本当に便利、直ぐその場で確認が出来る。
アナログは当時フイルム現像をする迄、2〜3日必要だった(1982年撮影)。
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006 (45) 稲光 shiga Otsushi
旅行は遠くは北海道・沖縄と家族で行ったが、4人家族の正月、お盆の料金はびっくりする位高く、費用がかさむ。
車の利用だと半分以下、近年殆ど車で・・・2016年のお盆休みは東北に夫婦2人で10日間の予定です。
このギャラリーの原稿を書くのは7月末、私のネットのギャラリーに入るのは多分10月頃でしょうか!!(1982年撮影)。
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006 (46) 彦根城の夜 shiga Hikoneshi
たまに彦根城へ・・・城の周りは良く通過しますが?撮影迄は中々です、この日はお城の照明もあり三脚していると!!
夜行性のゴイサギだと思いますが?飛び立つのを見ました。フイルムのISO感度を1600にし、絞りは開けて、
シャッタースピードを上げました。何匹か飛立ち、1枚成功しました(1983年撮影)。
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006 (47) 長浜城 shiga Nagahamashi
長浜城が完成したと聞き夜間撮影をしました。当時、大阪倶楽部の「岩出義三」さんを個人指導していた、岩出さんは
三井化学の副社長もされた人と聞いた事も・・・守口市長賞を受賞する等、活躍されました(1983年撮影)。
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006 (48) 夏の終り shiga Otsushi
太陽賞「夏の終り」の作品で伊奈信男氏(当時評論家で第一人者)が私の作品で、」ひまわりを見て太陽賞を決定したと聞き、
現在でも夏になると「ひまわり」は必ず撮影している(1982年撮影)。
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006 (49) 湖の日の出 shiga Kosei
写友「森成雄」さんと夜から出発、コーヒーで時間を取り過ぎ、志賀辺りで日の出だった。湖と太陽では普通なので竹材に
前日降った雨の雫で変化を付けた。写真専門学校のネットの初期に発表、私は今でも気に入っている(1981年撮影)。
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006 (50) ひとりぼっち shiga Nagahamashi
湖北の夕暮れだった、魞の上に夜行性のゴイサギを発見、三脚はしたものの慌ててシャッターを1/2秒〜1秒、
スローシャッターだったのでカメラブレを起こした(1977年撮影)。
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