? 琵琶湖慕情 2 マツシマススム




琵琶湖慕情 2



※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
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006 (51)    魞の上 shiga Kusatsushi
私の場合、若い頃は夕暮れは何とも無かったので必ず一人の時、帰宅は10〜11時、当時高速は使わなかった。
現在は琵琶湖までだと高速を利用、3千円〜4千円使う(1985年撮影)。


006 (52)    アオサギ shiga Otsushi
琵琶湖は野鳥が多い、自然と野鳥にカメラを向けていた、琵琶湖に足を運んで直ぐ知らぬ内に鳥が好きになったそれも田中徳太郎氏の
白鷺を見たからだと思う。写友森さんが特に白鷺が好きで、それも感化されたのも事実、森さんは白鷺で主に日本カメラで年度賞しかも、
大家の秋山庄太郎さんの審査だから白鷺の名人と思う(1977年撮影)。


006 (53)    夕陽の中 shiga Hokoneshi
琵琶湖で初めて白鳥を見た時は感動したものでした。撮影が終わって京都新聞社に持ち込んだ、珍しくも無く当時60羽来ているとの返事だった。
私は長崎出身、白鳥は初めて大変珍しく思えた、また滋賀県を回っても当時カメラマンに殆ど会わない為に、まるで
一人舞台と思えたからである(1968年撮影)。


006 (54)    夕照の中 shiga Nagahamashi
この場所は私のオハコの場所、生徒さんにも公開していない。必ず野鳥の撮影ができる場所、TV東京イブキの番組で
テーマがシラサギだった、必ず白鷺が居る場所に案内しなければTVの取材は経費も高くなる。東京より2人、関西から3人のスタッフ、
日帰りでの取材だった。全国34局のネットでした、シラサギでTV局が私を一番に選んで頂いたのも嬉しかった(1996年撮影)。


006 (55)    夕陽の湖 shiga Nagahamashi
鳥の撮影はフイルムの使用が多過ぎて現像料が高くついた。1日野鳥撮影すると20本〜30本、経費等を入れると6〜7万円だった。
しかしシャッターを押すと満足感はある、写真撮影したと云う充実感は当時あった、奥さんは文句等ひとつ云う事は無く、私は我儘で
自分の自我を今もなお通し続けているが!!そろそろ・・・その報いが来そうで!!怖い(1986年撮影)。


006 (56)    鳥の声 shiga Omihachimanshi
近江八幡の西の湖も野鳥が多い、野鳥のさえずりを聞くと何んとなく清々しい気分になれる、自然っていいなあー 生きていることを実感する。
人間いつかは死する、昨日、大橋巨泉さんのTVニュースを見て、11PMはらたいらさんらのクイズダービー等を見ながら、
なんで あんなに知識があるのだろうと不思議だった(1980年撮影)。


006 (57)    夕陽にひとり shiga Hikoneshi
湖にポツリと一羽の鳥がいた、一人の時だとシャッターを切るが?生徒さん達とは、シャッターを切っても直ぐ逃げられる。
皆慌てているからだ!!分っているけど!! 一応皆にカメラを向ける様に言うけど・・・殆ど失敗の連続、仕方がない
私は日頃から対決と言っているが?(1977年撮影)。


006 (58)    夕陽の中 shiga Yogo Lake
作品は私がアマチュア時代、フォトコンの月例に入選した。何回も記入していますが、1978年2月 太陽賞の発表を期に
コンテストも一応終止符、写真クラブ蟲・秀影クラブも撤退した、クラブは員は退会で快く思っていなかった。
それは太陽賞そのものを知らなかったからだ(1971年撮影)。


006 (59)    カイツブリ shiga Otsushi
カイツブリは滋賀県の県鳥である、早くからカイツブリは県の鳥として撮影は良くしたが・・・全長26センチ丸っこい体型をしており
尾羽が無いように見える。 潜っては小魚を食べる、長い間撮影しているが他の鳥に比べて地味な為に
良い作品に中々成りづらい(1981年撮影)。


006 (60)    キッス(合成) shiga Yogo Lake
1974年 緑川洋一氏の日本カメラ月例に応募、8月号で得点トップに立ち、私は年度賞を受けるものと思い込んだ!!
その後半年間毎月60点(スライド・アナログ)を送った、勝負に入ったが空振りで4位(藤田和宣氏)と同卒だった。得点は12点で合計6回入賞した、
景品はキャビン賞でスライドの映写機。同じ年モノクロは保坂兼司さん(1位)、B部2位の永廻賢二さんらは現在でもコンテストで入選され頑張っている。
40年以上経過しても楽しんでいるのにはびっくりしているが!! 皆さん頑張っているのに敬服する(1970年撮影)。


006 (61)    夢(合成) shiga Nagahamashi
秀影クラブは森本義次さんがリーダーだった、私は先生のいるクラブは青木君夫先生で十分、次に入会する時は先生のいないクラブと
決めていた。1965年に秀影クラブへ入会して直ぐ止めた、それは結婚するからだった。次に入会したのは6年程経ってから(秀影クラブ)に
再入会したと思っている。右の人物は櫛田理雄さん、モデルになって貰った、西嶋保介さんと3人で琵琶湖に、櫛田さんは
子供でマミヤ金賞を受賞、私の作品はオリンパスペンのハーフサイズカメラで撮影、合成をした(二人には内緒だった)。
1978年 2月で秀影クラブを退会。秀影クラブでは1977年にカラーの部で私が年度賞(589点)2位が
山崎武男(ヤマザキタケオ)氏(456点)、モノクロは西嶋保介氏が年度賞だった。
歳月と歴史は変動する事をつくづく思う、走馬燈の様に思い出される(1965年撮影)。 


006 (62)    2人(合成) shiga M Ibuki
合成作品、私の得意とする技術、ラボに勤めていたので写真の裏の世界はお手のもの、早くから合成をしていた。
青木先生のクラブでも1965年合成で1席頂いたのも思い出、また先生も合成されていた。娘さんのチューインガムは
私が田舎に居る時からフォトアート法を見ていた、作品は伊吹山でカップルを撮影、得意の向日葵を合成した。
当時プロでもこの技法は知らない人が多かった(1974年撮影)。


006 (63)    二人(合成) shiga Notogawa
会員の生徒さんらに教える為の作品、プロになってから本来合成は嫌いになっていたが、合成作品を続けていると
写真の評価は下がる思うから、やはり写真は本来ありのまま良い作品を創るべき、ただしコンテストに勝つ為には仕方ないと
悲しい気持ちで了解しているが?(2008年撮影)。


006 (64)    雨日 shiga M Ibuki
この作品も合成、しかし当時は自分だけ秘密の世界だった。カップルの左側は先輩の西嶋保介氏と二人で伊吹山へ
雨等はなく霧だった。西嶋氏には作品の時は殆ど合成や技法は他の人には語っていない、その当時はお互い皆そんな時代だった。
私は下山の途中カメラ毎日の年度賞を受賞、1975年の事だった。表彰式でゲストのプロ写真家岩合徳光氏・動物写真家の草分け
NHKTVで猫の岩合徳光さんのお父様、当時は田中光常さんと二人は動物写真家の大家だった(1975年撮影)。


006 (65)    山頂 shiga M Ibuki
霧の伊吹山駐車場、伊吹山も現在15回は登っているが・・・割と霧に出会う・・・カップルを太陽と撮影。月例コンテストに入選した、
月例は大阪に来て(1964年)フォトコンテスト、現在のフォトコンテスト(石井聖也社長)で無く初代の笠屋みつ子さんの時代
1年程だったがさっぱり、予選通過が殆ど一度も入選に及ばず、こうすれば良くなるの方で・・・フォトコンに掲載された、その後
1969年〜1977年迄、月例を中心に熱心に応募、7年間で月例は100回以上入選だった(1975年撮影)。


006 (66)    竹生島と2人 shiga Onoue
現在の長浜市ですが、尾上と云えば竹生島の見える一番のスポット、そして野鳥水鳥センターもある様に色々な野鳥が多い。
夕陽も素晴しい最高の被写体地、1964年初めて西嶋保介氏に案内して貰って大好きになりました、大阪へ来て奈良・京都の
神社仏閣しか分らず大阪市内は・大阪駅・道頓堀・通天閣・大阪城と観光地巡り、月例に応募しても予選通過ばかりだった。
琵琶湖に足を延ばして来たら入選が増えて来た(1971年撮影)。


006 (67)    湖上 shiga Shiga
青い色はタングステンタイプ(フジ64T)、青色が好きで良く使用していた。撮影に出かける時は必ず3〜5本用意、
必ず1〜2本は毎回使用、ただし成功するのは数少なく、審査員の好みと色の作品がマッチしなくてはならない。
やや価格も通常のフイルムより1〜2割高だった(1976年撮影)。


006 (68)    雪の中 shiga Chinaihama
白鷺やユリカモメが1m位で撮影出来た時代(現在は来なくなった)。魚眼レンズニコン16ミリ使用、ストロボはガイドNo180を使用し
露出オーバーで失敗作ですが雪の量が激しく写り込んでいるので私は好きだす、知内浜は高島市(1988年撮影)。


006 (69)    流し撮り shiga Onoue
船頭の松岡さんの船上より餌で呼び寄せて撮影、船の速度に合わせて、スローシャッターで撮影、松岡さんの父の時代
竹生島に無理を言って送って頂いた。桜・竹生島、船の利用の時は年に1〜2度利用している(1993年撮影)。


006 (70)    鳥と竹生島 shiga Chinaihama
何十回、何百回と同じ所に撮影に行くと工夫しなければ良い作品は生まれない。必ずマル秘でスローシャッターを使った、
三脚使用、鳥が飛び立つのを予想、一羽だけ反対方向に・・・この作品を得る迄、何百本もフイルムの失敗がありました。
私にとってこの作品は大作です、簡単に真似出来ないと思っています(1992年撮影)。


006 (71)    朝霧 shiga Chinaihama
鳥達は冬場の6時過ぎにやって来ます、最初にユリカモメ、次が白鷺、時折アオサギ、餌で乱舞する頃にトビ、カメラマンは
感動してシャッターの山、それはまだ前菜なのです。30分〜1時間後ユリカモメは写真家にとって邪魔な存在なのです、
去るのを待つのです?去らない時はユリカモメに沢山餌を与えて満足させる、これは困りもの!!餌代が高くなります。
私は鳥だけでなく風景としてもシャッターを押します、朝霧が昇りました。殆どのアマチュアの方は鳥だけ夢中になり
風景を忘れている様でした!!(1986年撮影)。


006 (72)    伊吹山 shiga Maibarashi
52年間琵琶湖に通って、このシーンは一回切りでした。多分ムク鳥の群だったかも!!鳥達の方向へ車を走らせて追いかけました。
伊吹山の方向、虹もあって大チャンスでした。写真展で発表、多くの人から素晴らしいね!!と言われて・・・私自身、これは
中々撮れない作品だと心の奥で自慢の作となっています(1981年撮影)。


006 (73)    葦原 shiga Omihachiman
西の湖の夕暮れ、夏の日PM7:30〜8:00薄暗くなって来た、予想してフイルムはフジの400を1600に増感(ツアーや生徒さん達にも
教えていた)、何とか作品になりました。この当時は一般的、アマチュアもプロも夕日が沈んだ辺りで70%のカメラマンは帰っていた。
私は生徒さんにはこれからがチャンスだと教えていた。ヨシのねぐらに入る前の鳥達の儀式です!!鳥のリーダーがその場所を決める。
2〜3分後に鳥は消えた(1989年撮影)。


006 (74)    竹生島暮色 shiga Onoue
近畿は美しく ―毎日新聞社・毎日放送(MBS)編の本― が1995年8月30日発行された。近畿の美しい風景写真集の大型豪華版、
販売は1万円、その中に私の作品4点採用された、執筆者は梅原猛・岡部伊都子・安藤忠雄・上村淳之・榊莫山氏の超有名人、
写真家は津田洋甫・小川光三・照井四郎・永坂嘉光・中村明己・西岡伸太・水野克比古・清緑ひろし・森田敏隆・森井禎紹・山本健三氏ら
一流写真家だった、多重露光(1992年撮影)。


006 (75)    落陽 shiga Hikone
多重撮影は前にも述べた様に相当数練習しなければ上手になれない、またアイデア、発想も必要(1973年撮影)。


006 (76)    反映 shiga Takashimashi
ニコンの600ミリにテレコン2倍で撮影、野鳥撮影で600ミリを15年程使用。太陽が湖面に反映したのを狙った、たまに違った
アングルも必要、近年レンズと三脚が重くて使わなくなった(1994年撮影)。


006 (77)    光の中 shiga Moriyamashi
太陽が湖面に光輝く頃、船が来たシャッターチャンス、600ミリで撮影(YA3)のオレンジフイルターを使用した(1988年撮影)。


006 (78)    ねぐらへ shiga Takashimashi
私が琵琶湖を好きになった頃、野鳥たちが竹林に入る前、必ずその回りで円を作り舞う、初めて見る光景に感動しました、その後、琵琶湖では
何十回も見ました。何回見ても飽きが来ない自然の美しさである、また夕陽の色も感動、写真展で発表し人気だった(1966年撮影)。


006 (79)    秋模様 shiga Takashimashi
ススキが秋陽で別世界に思えた。模様も美しい、写真展で発表(1976年撮影)。


006 (80)    秋空 shiga Omihachiman
秋空に良く見かけるウロコ雲夕陽だった、夕陽及び早朝に見ると別格に美しい風景となる。私は個人的に好きな作品、
フイルムはコダックPCF(ISO25)だった、ISO50に増感(1974年撮影)。


006 (81)    西の湖夕照 shiga Omihachiman
コダックPCF(ISO25)フイルムが当時20年間程発売されていたが?フイルム代も高価、現像は当初コダックがしていたが・・・
1990年から国内でしなくなって!!ハワイ迄送り、現像が仕上がる迄10日間必要、感度が低いので私は増感25?50・25?80で撮影した。
約2000本使用、国内のプロでも数名だと・・・知らない人が多かった。使用量はマツシマが一番多いとラボより聞いた(1977年撮影)。


006 (82)    落日後 shiga Omihachiman
紫色が強くコントラストも強い、よみうり文化センターで(1978年)公開したが、殆ど使う人は居なかった。
感度は低いので失敗が多いからだと思う(1976年撮影)。


006 (83)    静 shiga Nagahamashi
写真家山村雅昭氏がこのフイルムを使用していた。日中被写体にストロボ光で植物を撮影、
ニコンサロンでお会いした・・・花博にも出品された     (1972年撮影)。


006 (84)    湖上 shiga Hikoneshi
写団蟲の話、1974年ニコンの撮影会が伊賀上野城であり、私は土門拳さんを見たくて行ったが・・・来られなかった、帰り道
山城英明・大村マサル氏から声をかけられ蟲と云うクラブをこれから始めるので参加して欲しい旨の言葉を聞き、
直ぐ返事はOKだったと記憶している、私は秀影クラブに入会していたが常にトップで満足していなかった。
大阪三大クラブ、浪速倶楽部・光芸クラブ・地懐社とそれぞれ研究して見たが・・・そこには必ず先生(ボス)がいて、その影響を
持っている事も色々考えていた頃だった。聞くと先生はなし花畑義三氏は先生でなくリーダーと言う事でOKした。
この作品は蟲の作品展ピルゼンギャラリーで発表した(1973年撮影)。


006 (85)    残月 shiga Maibarashi
蟲の山城英明氏宅で例会、当時月2回開催していたが?作品が集まらず、後日1回になった・・・コーヒーの店へちま亭
大正駅の側、コーヒーは大変美味しく濃厚だった、私は好きでたまにお代わりした。店主は残念ながら胃癌でなくなられた。
私の写真集発刊のパーティーは僅か山城さんだけの参加?普通は同じクラブだったら参加してあげるのが
常識ではないでしょうか!!(1985年撮影)。


006 (86)    竹生島 shiga Onoue
竹生島の夕景の作品も数多く持っていますが・・・私はこの作品が好きだす。竹生島ははっきりしないが雲と色合いが好きな方です。
フジのセミ判、6×4.5 を頂きテストで撮影、気に入りました(1999年撮影)。


006 (87)    湖北 shiga Takatsukicho
この作品は意識してカメラを動かした。割とこの技法は良く使います、リアルでなくファンタジックになり幻想的になるからです。
琵琶湖逍遥写真集に発表、東方出版の今東成人氏も選びました、私は彼の編集人として凄い方だと思っています(1993年撮影)。


006 (88)    朝 shiga Chinaihama
夜明け前、釣り人が暗がりに先に来ていた、鳥たちが既に待っていた、Sカーブ辺りで必ずひと休みして明るくなるのを
白鷺達も待っている。生簀から流れ出るエビが朝食だったが?誰かが餌付けの演出を考えだした。
生簀の鳥は森成雄さんが初期だった(1982年撮影)。


006 (89)    ウインドサーフィン shiga Moriyamashi
琵琶湖のマリンスポーツ、ウインドサーフィンと漁船が被写体として数多く作品に、私は湖からの風も何となく、空気も美味しく感じる。
当日 空の色が素敵だった(1987年撮影)。


006 (90)    夕陽の頃 shiga Onoue
ツアーでまさに陽が沈む頃だった。尾上からの帰路は高速で吹田から大阪駅に9時半前後、自宅には10時から11時でした。
ツアーは夕食付から夕食無しの低価格に設定・・・また私も歳を取って、ここ10年は8〜10時間の労働時間を設定している。
夕陽を撮りたいけど体力の関係で、どうしても撮りたい方は御自分で考えたら良いかと!!(2002年撮影)。


006 (91)    多景島とウインドサーフィン shiga Takasimashi
ウインドサーファーを見ていると若い人が多い、40才代の方もたまに見ますが?体力がかなりいると思います。
多景島の前に整列を見た、望遠500ミリで撮影(1981年撮影)。


006 (92)    サーファー達 shiga Okubiwako
朝日カルチャー琵琶湖を撮ろうで皆さんを案内した。風が強く、ウインドサーフィンに持って来いの条件だったと思う。
皆さんも良い作品を撮影していて満足していました(2014年撮影)。


006 (93)    伊吹山とサーファー shiga Hikone
風の強い日がウインドサーフィンに取って良い条件だろう。伊吹山とサーファー、良いチャンスだった。
望遠レンズで撮影(1973年撮影)。


006 (94)    秋の虹 shiga Okubiwako
奥びわ湖パークウェイより撮影、塩津浜を撮影した時、虹が出た、チャンスだった。秋の里山も美しい(1972年撮影)。


006 (95)    ヨシ焼きファンタジー shiga Omihachimannshi
当時、近江八幡市長だった主田盛二氏 時代ヨシ焼きファンタジーが目玉の観光でカメラマンには大人気、話題だったが・・・
現在は中止され寂しい限りです、今は懐かしい・・・主田さんから特別席を用意して頂いた、有難う(現在はシャレー水ヶ浜のオーナーです)。


006 (96)    漁師 shiga Omihachiman
ニコンレフレックス500ミリを使用、湖の光がリングのボケ効果。私はこのレンズが好きで30年愛用していた、また多くの作品が出来た。
色もPCF使用でモノトーン効果になり大好きな作品になっている(1971年撮影)。


006 (97)    柿景色の夜 shiga Kutsukimura
柿実る頃、車のライトを使用。OBC教室の堀田朝子さんが入選したのを記憶している。堀田さんは北海道の馬で二科展賞に
JPS展では多くの入選、コダックでは最高賞も受賞、OBC教室も10年参加のベテラン、写真集も発行出来る人材だったが
写真はどうしているのだろうか!!(2001年撮影)。


006 (98)    冬の湖畔 shiga Chinaihama
日本写真企画月刊フォトコンテスト雑誌はアマチュアの方々に人気のカメラ誌1993年11月号で湖沼の撮り方3ページで発表。
記事のアドバイスで鳥はシャッタースピード優先、フイルムも高感度、オートフォーカス不向きと記事に書いていた(1989年撮影)。


006 (99)    魞の雲間 shiga Nagahamashi
1978〜2000年 アサヒペンタックス6×7は写真生活で3台に及んだ、かなり中判カメラを使用、余り知っている人は少ない。
作品はフイルターを上部に使用、私は気に入っている作品、コダックの写真集の表紙に選んだ(1981年撮影)。


006 (100)    コダックの表紙 shiga Shashinsyu
コダックより5冊の写真集が発売された、発売と同時にコダック社は倒産、現在ネガフイルム・映画用フイルム・印画紙は販売されている。
私が表紙に希望した好きな作品だった。フイルター使用の目的は作品が良くなれば使用すべき!!と云うのが私の持論だ・・・悪くなれば
意味が無いと思っている。コダックは多くの写真家の中から私を選んで頂いた、コダック社に感謝しています。また撮影は数多く講師に
して頂いた、同じ講師で斉藤耕一さん・上野千鶴子さん・川上緑桜さん・森井禎紹さん・角尾栄治さん、一流写真家と一緒だった思い出。

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