日帰りツアー 2

   関西


024 (51)    舟屋夕照 Kyoto Ine
対岸より夕陽の照る舟屋を狙った。
夕陽の撮影で大阪から高速を使って約3時間必要、帰りは大阪駅に午後9時~10時になります。
皆さんを送り、家まで約1時間と・・・
60才までだと平気でしたが? 70才を越えると辛くなってきました(1991年冬 ・ 撮影)。


024 (52)    丹後の冬荒れ Kyoto Tango Peninsula
間人と書きタイザと呼びます。
よみうり文化センター写真教室講師を約23年していた。
教室の生徒さんで三坂康一さんが弟子にしてくれと頼まれ引受けた。
約9年間だった、教室を入れると20年、関西を殆んど案内、特に丹後は良く案内した。
その中の1枚、波が荒れていた、灯台を越える大きな波だった、一連がJPS展に入選(1989年冬 ・ 撮影)。


024 (53)    大波 Kyoto Tanbahonjyohama
望遠レンズ350ミリ、アナログフイルムのISO100を400に増感しました。
アナログ時代、殆んど増感現象を頼みました。
料金は加算されますが100で撮影するのと400での撮影は条件が随分変わり、400の方が失敗が少なく利点が多かったからです。
弱点は粒子とコントラストですが全紙までは大丈夫です、コントラストが強い方が当時、皆さんのコンクール入賞率が高かった。
シャッタースピードも速くカメラブレが少なく、絞りもピントが100より良く皆さんに強く要望しました。
でも8割の方は理解できたが2割の方は料金が高くなるのと、粒子、コントラストで増感しなかった。
結果は増感の方が有利でコンクール入賞率も高かったです、また他のプロの方々も当時、あまり知識が少なかった(2002年冬 ・ 撮影)。


024 (54)    冬の丹後 Kyoto Tango Peninsula
コダックフォトクラブの会報誌、コダックフォトカプセルがありました。
私の写真クラブや生徒さんも会員になってもらいました。
最盛期は100人程で日本のコダックのファン団体では多い方でした。
私の主催するマイたうん友の会も良く会報誌に掲載されました。
海外や国内の宿泊ツアーを良く発表の場として提供して頂きました。
更に雑誌の中で時々記事を書き、アドバイス記事も書きました。
丹後撮影ガイドで発表(1985年冬 ・ 撮影)。


024 (55)    イカ干し Kyoto Ine
イカのシーズンだとイカ干しが行われているが・・・ここ数年イカ干しが少ない。
漁師さんに聞くとあまり漁が良くないとか!!
漁村でイカ、タコ、他 一夜干しの魚等は絵になる。
初期のアマチュア時代から丹後と三重県安乗、島根県の港、兵庫室津港等、漁村巡りをよくしました。
現在でも同じ様に漁港に良く寄っています(1988年冬 ・ 撮影)。


024 (56)    虹 Kyoto Ine
舟屋に虹が出た、それも2本、大チャンスでした。
毎日新聞社が近畿を美しくと云うキャンペーンで写真のコンクールをしていました。
生徒さんの池下晴敏さんが入選されました。
舟屋は私も既に50年以上、年に数回ですが・・・この様な虹にその後出会っていません・・・
自然現象とは・・・大チャンスだと思っています(1996年冬 ・ 撮影)。


024 (57)    祭りの日 Kyoto Miyama
美山八坂神社祇園さん、住民田歌の神楽まつりです。
小さな集落の祭りとしたら・・・祭りの中で良い方だと思います。
30年前、旅行会社トラベル日本の企画で第1回撮影会を開催。
その時、私が講師をしました、その後、祭りが気に入り10数回撮影ツアーをしています。
ツアーに参加された山本久右衛門さん、1997年富士フォトコンテストのカラープリント部、祭りの日の画題で銀賞になっています。
山本さんは同じコンテストのネイチャー部門でも優秀賞と大活躍しています(1997年夏 ・ 撮影)。


024 (58)    かやぶきの修復 Kyoto Miyama
撮影ツアーで美山町かやぶきの里で屋根の修復をしていた、チャンスでした。
職人の方3~4人のチームで一生懸命作業をしていた。
その後時々見れますが、白川郷で大勢の人達が屋根の修復をしている写真を見てびっくり!! スケールが違いました。
でも私達にとって美山の里ではこの作品だって、滅多に見れない風景です(1997年秋 ・ 撮影)。


024 (59)    雪灯篭 Kyoto Miyama
冬の風物詩、近年各地で灯篭が流行している、観光の目玉になっています。
2月の雪の多い日です、最後は花火が打ち上げられて祭りは終わります。
皆さんも一度は行って見たら如何でしょうか!!(2010年冬 ・ 撮影)。


024 (60)    放水 Kyoto Miyama
観光の目玉です、やはり白川郷が有名でした。
恐らく真似たのでしょう!! かやぶきの上に水が放水され、大勢のカメラマンと観光客で賑わいます。
かやぶきですので火の手が上がると大変ですから、テストも兼ねて行事としてされているのでしょう(2011年夏 ・ 撮影)。


024 (61)    越前水仙の里 Fukui Echizen
関西で越前の水仙は有名です。
淡路島や大阪の河内長野、比良山の水仙の丘と色々各地にありますが私はここの越前が好きです。
大阪から高速を利用して3時間半、行き帰りで7時間、現地で僅か2時間程で、かなり遠いです。
日帰り先として限界の被写体地ですが?
私は1964年~1978年まで、先輩の西嶋保介氏と能登半島に行く途中と帰りは必ず立ち寄っていました。
当時秀影クラブ、写団蟲の撮影会で40年前も年に一度の宿泊で良く利用してから越前にはまってしまいました。
今でも越前に行くだけでも心が浮き浮きします(1987年冬 ・ 撮影)。


024 (62)    波立つ Fukui Echizen
年に数度、奥さんとも日帰り撮影に出かける。
前日冬荒れで日本海に波5mと予報が出ていました。
あまり詳しく奥さんに言えず内緒で越前に案内しました。
波が高く風が強いと言うと奥さん、昔からそんな所へは行かない主義を知っていたからです。
案の定、波高く日本海の荒波が押し寄せていました。
私はカメラを持ち作品の波前、防波堤を歩きカメラを構えた時に同じ波が来てずぶ濡れになり、膝まで海水に濡れました。
それを見ていた妻は激しく怒鳴り、それ以後、風の強い日の撮影は同行しなくなりました(2008年冬 ・ 撮影)。


024 (63)    こぼれ陽 Fukui Echizen
ツアーの帰り日本海上に白い光が海の上に見えた。
車を止めて慌てて下車しシャッターを押した。
越前海岸にかれこれ50年以上の中でこの光と同じ被写体は無かった。
撮影ツアーの生徒さんで笠波誠さんが朝日新聞、全日本シニアで入選した。
笠波さんはNHK文化センターでも真面目に参加、熱心だったが・・・階段から滑って、体調を悪くされている、残念で仕方がない。
守口市写真部展では2年連続、賞に輝き3年目を目指していただけに残念で悔しい思いです。
笠波さんの思い出と自然現象が頭から離れない(2013年冬 ・ 撮影)。


024 (64)    残照 Fukui Echizen
作品の残光はチャンスが良ければ良く見る風景です! とは云え毎回ある訳でなく、
越前海岸でも年に20~30回はあるだろうと思う? 然し私達カメラマンは年中行く訳でなく、
1年の内、僅か2~3回です、その中で偶然に出合えなくてはチャンスになりません。
私はJPS関西メンバーズ展で発表しました、JPS関西で写真販売の時期がありました。
生徒の高井勇さんに購入して頂いたのを忘れていない(1992年冬 ・ 撮影)。


024 (65)    大波 Fukui Echizen
先に述べた様に年に2~3回の撮影で、この大波も滅多に当たりません良い方だと思う。
右の残光も良かった、私はこの様な波がとても好きです。
何か心まで洗ってくれそうで・・・見てるだけで時間を忘れます。
本心は台風も好きですが・・・(1988年冬 ・ 撮影)。


024 (66)    波と光 Fukui Echizen
大空の中、雲が一面に広がりその隙間から海に陽が差していた。
この様な条件は写真の上でフォトジェニックだと云える。
この光線もどちらか!と云うと少ない方です。
背景が黒く白い波が効果良く光っていました(2012年春 ・ 撮影)。


024 (67)    岩と波 Fukui Echizen
この作品は越前海岸の中で私は大好きです。
作品は古くアマチュア時代の1973年でした。
今から44年前です、アナログフイルムの私は得意のタングステンタイプ、フジT64ブルー色のフイルムです。
波が良く色合いも良く、その後同じ岩をずっと見続けていますが・・・これより良い状態になりません。
自然写真とは大変難しいのはこの様な事です。
私の作品の中で以前の作より撮れない作品が山ほどあります。
絵なら自由に描けますが私達写真家の自然派は大変厳しいです、だからネイチャー派の人はさらに大変です・・・
また何時の日かチャンスをと思って既に44年が経ちましたが出来ないのです?(1973年冬 ・ 撮影)。


024 (68)    仏隆寺と少年 Nara Ouda
1982年頃から私も桜の作品が増えて来て、自分の中で桜も良ければテーマの一つにしたいと思った。 約15年仏隆寺の桜も毎年通って見たが・・・
その時期は桜のシーズン、やはり色々な桜をその後撮りたいと今は別の所、信州、東北と足を伸ばしている。
撮影ツアーや写真教室でもあまり同じ所だと皆さん飽きが来ます(1989年春 ・ 撮影)。時期は4月中旬から下旬、 問い合わせ 0745-82-2457


024 (69)    又兵衛桜 雨日 Nara Ouda
日本カメラの別冊で全国の被写体が案内されてガイド記事、撮り方等が発表されていた。
秩父の有名な、南良和さんや、祭りでは八木原茂樹さん、北海道は掛川源一郎さん、北陸越前は近藤龍夫さん、
九州は木下陽一さん、京都は浅野喜市さん、大阪は岩宮武二さん。
私がまだプロになる直前の頃、その中に大宇陀の桜を地元の作家が発表したのを見た、地元の写真家だった。
私もプロになり教室の撮影会で案内した。
日本の風景の大家、竹内敏信氏が取材して色々な所に発表して火が付いた。
今では観光バスが絶えない位多い。
私はJPS関西展で発表した、桜の木は樹齢300年(1986年春 ・ 撮影)。


024 (70)    前ボケ技法 Nara Uda
樹齢300年とか・・・私が撮影の頃は本郷の桜と云っていたが、いつの日か又兵衛桜と名前が変わっていた。
1996年、日本写真企画別冊、四季の自然撮影上達の早道に発表した。
データは絞り F5.6 ・ シャッターオート、レンズはズーム35~135ミリ、フイルムはコダクローム200プロ、前ぼかしの技法を書いている。
近所に向崎利彦さんの庭から見える一等地、行きたいと思っている(1991年春 ・ 撮影)。


024 (71)    ズーミング Nara Ouda
何十年も同じ作品を撮っていると飽きが来る、まして日中だったので遊んでズーミングした、良いと思っていない!!。
1990年頃よみうり文化センター時代、生徒の有沢玲子さんが二科展に入選した、その頃この桜が二科展に入選するのも珍しい位です。
今みたいにライトアップもなくストロボを使っていたと思う、ツアーで皆さんを案内してる間に近所にお住いの向崎利彦さんを知り、
向崎さんの家は高台にあり、又兵衛桜が一目で見える一等地です。
新タケノコを頂いたり皆さんにコーヒーを振舞われたり、色々とお世話になっています。
感謝でいっぱい、ありがとうございます(2016年春 ・ 撮影)。


024 (72)    モクレンの里 Nara Shimoichi
夕暮れにライトを照らした。
以前、藤野ヤス子さんが富士コンネイチャーで金賞、スナップで有沢玲子さんがJPS展に入選するなど、下市のモクレンは毎年撮影に行っています。
更に京都の下村壽さんが二科展に・・・モデルの山本富子さんで数々入選したのも思い出ばかり。
1995年日本カメラ別冊、四季の美風景に白黒で発表(1998年春 ・ 撮影)。


024 (73)    六甲山 Hyogo Rokko
摩耶山ロープウェイから国民宿舎の前あたりに小さい池があります、鏡池と呼んでいました。
アジサイが周辺にあり池の中に小さい黄色の花が見えました。 撮影ツアーでは案内しましたが・・・車から5分と歩くことになり近年遠ざかっています。
日本カメラシリーズ106、四季の美風景に案内記事あり(1998年夏 ・ 撮影)。


024 (74)    六甲牧場 Hyogo Rokko
雨日でした、六甲山は雨の日は比叡山と同じで霧が多く、霧は良いけど他に何かと組み合わせをしないと作品にならない、一番良いのはアジサイです。
この牧場も人物と羊等を組み合わせすると作品になります。
類似の作品をフォトコンで発表しています(1998年夏 ・ 撮影)。
問い合わせ  TEL078-341-7117  入園料500円


024 (75)    親子 Hyogo Sayou
南光のひまわり畑です、7月上旬~8月の上旬、町内6ケ所で次から次とひまわりの群生、おそらく日本有数だと思います。
母子はモデルさんでマイたうんも15年程はモデルクラブから派遣してもらっていました。
近年、予算不足でモデルは殆んど利用していません、然しひまわり畑ではお客さんが中に入ってくれますのでスナップは出来ます(1999年夏 ・ 撮影)。
問い合わせ  TEL0790-82-0670  商工観光課


024 (76)    南光の夕暮れ Hyogo Sayou
南光のひまわり撮影ツアーの中でこの夕景は素晴らしい夕景でした。
帰りが大変で大阪駅に11時過ぎ、皆さん帰宅するのに大変だったと、後日聞きました。
近年夕景までは私も年齢に勝てず、殆んど無理をせずと云う所ですが? 夕景はいいです(2005年夏 ・ 撮影)。


024 (77)    大町公園 Hyogo Asago
大町公園の藤の花と、こいのぼり撮影ツアーでした。
また教室でも実施、写真教室は通常2時間ですが? 半日から1日中と私も出来る限り大サービスしています。
割り切って2時間としたら直ぐ時間が来ます。
千里よみうり文化センター時代は先生が4人、中村吉之介さん ・ 河野豊さん ・ 土田智代子さんと私の4人でしたので
一人だけ延長すれば他の先生とのからみもあり2時間でした。
ただし夕暮れ等の撮影は時間を日中から夕方に変更してサービスした事もあります(2001年春 ・ 撮影)。


024 (78)    熊野古道 ? Mie Kumano
熊野古道の撮影会は1度だけ・・・私は足が悪いので山道とか階段に弱いのです。
2017年両方の股関節の手術が終わり、やっと普通に歩ける様になりました。
ジェイコムから熊野古道博の撮影会の講師を依頼されました。
その頃、足が一番痛い時で熊野古道を歩くのが大変でした。
やっと一人前になった気分、然し無理をせず山本久右衛門さんの97才にどこまで近づけるか?
ハッキリ無理とは知りつつ体を大切にと思っています(1999年春 ・ 撮影)。


024 (79)    熊野古道 ? Mie Kumano
熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社 ・ 熊野連玉大社 ・ 熊野那智大社)へと通じる参詣道と呼んでいる。
紀伊半島に位置し、道は三重県 ・ 奈良県 ・ 和歌山県 ・ 大阪府に跨る。
その中、東紀州体験フェスタで撮影会の講師を依頼され、テーマは熊野古道でシャッターを・・・
紀和町の丸山千枚田にスポットを当てました(1999年春 ・ 撮影)。


024 (80)    台風の頃 Wakayama Hinomisaki
和歌山県日ノ御埼の海岸でした、台風の時で白い波が海岸に打ち寄せていました。
何時もは太平洋の静かな海岸も台風となると荒れ狂います。
先には灯台もあり、アメリカ移住から戻ったアメリカ村と被写体が数ケ所あります。
アメリカ村でも山本久右衛門さん(97才)がニコンのサロンドニッコール会報誌の表紙になった思い出も(1989年秋 ・ 撮影)。
1996年発行の日本カメラMOOK、とっておきの撮影地百選、P147に発表。


024 (81)    谷瀬のつり橋 ? Nara Yoshino Totsukawa
十津川(熊野川)に架かり十津川村打上野地と対岸の谷瀬を結ぶ、川面から高さ54m、長さ297m、現在日本で2番目に。
私が撮影に行った頃1970年代、橋に行くまでの道は大阪から悪路で大変だった。
まだ若かった為、橋を簡単に渡り橋の向こう側から撮影してヤシカカラーコンテストに入選した。
審査員は林忠彦先生、ミノルタロッコールクラブで先生が大阪に来た時のみ、運転してくれないかと言われた事も思い出。
林先生とはアマチュア時代コンテストで相性が良かった(1973年秋 ・ 撮影)。


024 (82)    谷瀬のつり橋 ? Nara Yoshino Totsukawa
家族旅行で子供を連れて案内したが、全員橋の1/3から先に行けず、また私まで渡れなくなっていました。
私は子供の頃、木に登り、まるでお猿さんみたいに木と木を渡る位だったのに? 渡れなくなるとは!! 高所恐怖症になっていた。
NHKのBSTVの日野正平さんと同じ?(笑い)  (1973年秋 ・ 撮影)。


024 (83)    大阪空港 Hyogo Itami
1964年~1978年2月まで私はアマチュア活動をしていました。
1978年2月、太陽賞発表からプロに転向しました。
それ迄の経験で ?大阪空港の離着地 ②京都岩田山の猿 ③奈良の鹿 がコンテストに入選する近道に良い被写体だとカルチャーや撮影会の講師等で言っていた。
それは自分の経験から発していたのです。 今も変わっていません(1986年夏 ・ 撮影)。


024 (84)    光跡 Hyogo Itami
日本カメラの撮影ガイドに発表しました。
1987年シリーズ75、夜の撮影百科P82~85の中、空港のアドバイス記事を書いています。
夜間飛行の長時間露出が面白いと書いている。
勿論この時は三脚が必要、六甲山方面に飛ぶのを撮影した。
空港を主に撮るカメラマンは少ないのか? 私に記事の依頼が多かった(1981年夏 ・ 撮影)。


024 (85)    カップル Hyogo Itami
カップルを入れて飛行機が着地に向かう時狙った。
撮影ツアーや写真教室の撮影会に何度も実施した。
JPS展に瀬川さんが入選、また私自身アマチュア時代、ニコンコンテストで準特選になり
ニコンとサロンドをいれて7回入選したが・・・アマチュアの時の最上位が準特選だった。
後日JPSの日本のおんなと云うテーマでネガ請求来たがネガが出て来ず諦めた。
せっかく選ばれてもネガの整理が上手く行かなかったらと自問自答(1979年夏 ・ 撮影)。


024 (86)    ゴミ処理場 Osaka Maishima
ゴミ処理場には全く見えない、デザインはオーストラリア出身の故フリーデンスライヒ ・ フンデルヴァッサーさん。
まるで芸術品です。 おとぎの城だと? 確かに贅沢ですが?
数年後には名物となっていますので良いと思います(2002年夏 ・ 撮影)。


024 (87)    こいのぼり ? Hyougo Tajima
兵庫県の田舎の方によふど温泉がある、その横にこいのぼりが泳いでいた。
僅か一列だが撮り方次第では作品になる。
また水車小屋もある、近くにあの有名な竹田城もありますのでドライブに如何でしょうか!!(2006年春 ・ 撮影)。


024 (88)    こいのぼり ? Hyougo Tajima
87ギャラリーと同じ、よふど温泉のこいのぼり、
子供の日ですので温泉に来た家族が遊んでいました。
大阪高槻の芥川は有名で私も随分、日帰りツアーを実施しました。
数ははるかに芥川が多く人物のスナップも可能。
よふどは数少ないが子供を上手く配したら作品になります。
過去二科展に入選された方も・・・(2003年春 ・ 撮影)。


024 (89)    越畑 Kyoto Ukyoku
亀岡の奥地の山間に越畑地区があります。
1984年頃、大阪倶楽部の会員で私の近所にシニリクと云う運送会社の当時役員の田島永之助さんが良く遊びに来ていました。
ニコンファンで常に良いカメラを求め、私の店の最高のお客さんでした。
美山町を案内して、その帰りに越畑の田園地帯を発見、私は恐らく今迄、2000名位のアマチュアの方を案内しました。
自然の中でのどかな風景の被写体です、毎年撮影に行っています、既に35年以上過ぎました(1996年夏 ・ 撮影)。


024 (90)    オミナエシ Kyoto Ukyoku
越畑で多くの名作が生れました。
当時、朝日新聞の有名な写真コンテスト「われら地球人」で枚方の山口節子さんが最高賞に。
JPS展奨励賞に西田佳代さん、ナショナルジオグラフィックで滋賀の山本璋子さん他、
私もカメラ誌 ・ 日本カメラ ・ フォトコンテストの別冊で撮影ガイド記事を数多く書きました。
私にとってオハコの所です、その頃関西の重鎮、山本健三先生も発表されていました、思い出が沢山残る名作です。
1995年日本カメラ別冊シリーズ106、四季の美風景に案内記事あり(1991年夏 ・ 撮影)。


024 (91)    梅林の里 ?  Nara Gojyo
1987年~2000年まで毎年、奈良賀名生梅林は私の得意の被写体でした。
欠点は山の急斜面と梅林と道が狭くバスで登るのは大変な事と私自身、当時は股関節が悪く歩く事も辛い時期。
更に梅林は人気が出て来て大勢の観光客が増えて撮影も大変でした。
2000年以後撮影は少なくなり、3年に一度位になりました。
個人的にも大変好きな被写体です、足が良くなったのでまた行きたいと思います。
フォトコン別冊に発表した(1991年春 ・ 撮影)。


024 (92)    梅林の里 ?  Nara Simoichi
近年は下市梅林の里 、広橋梅林を毎年ツアーを実施しています。
他にモクレンも有りますので私の中で多くの名作の被写体地ですので是非、皆さんを案内したいのです。
季節毎に私の経験の中、梅林はこの広橋梅林が好きな被写体地、
田植えの頃は三重県の丸山千枚田 ・ 清水町のあらぎ島、夏は蓮 ・ 越畑 ・ 彼岸花 ・ 初冬の柿景色と
それぞれの季節を巡るツアーはこのギャラリーの中にその足跡が残っています。
皆さんも一度行かれたら良いかも!!
日本カメラ別冊、とっておきの撮影地100選関連記事発表(1997年春 ・ 撮影)。


024 (93)    綾部山梅林 Hyogo Tatsuno
日帰り撮影会でした、兵庫県では超有名です。
1990年代ミノルタの撮影会に同じ講師で中村吉之介先生 ・ 土田智代子さん、私と3人でのコンビは初めてでした。
その後何回かここの綾部山梅林を利用しながら海岸線の漁港、室津に皆さんを案内、室津の漁港も好きです。
作品の時はNHK文化センターの森敏子さんも一緒、近年関西女性作家で活躍、
多重撮影を教えてここ7~8年、努力もあり良い作品が多くなってきました。
これからも努力すれば更に磨きがかかって良い作品が生れると信じています(2009年春 ・ 撮影)。
問い合わせは 梅園組合 TEL 079-322-3551


024 (94)    岩田山 ? Kyoto Arashiyama
岩田山の猿は関西では有数の名所だとプロなって(1978年)からずっと言い続けている。
写真クラブ、よみうり文化センター、コダックの講師、富士フイルムの講師、他に合わせて大阪空港 ・ 奈良の鹿と3本立を強調していた。
それは私がまだアマチュア時代、京都のひのきクラブの植松さんが岩田山の作品で二科展、キャノン等で活躍し発表していた。
アマチュア時代は誰でも同じですが良い作品の場所へ行って見たいもの、私もその気持ちでした。
雨の日でしたが植松さんも来ていました、
京都ひのきクラブは全国では有数の写真クラブ、沢山の会員の皆さんの活躍は全国有数でした(1973年夏 ・ 撮影)。


024 (95)    岩田山 ? Kyoto Arashiyama
京都在住、植松正良氏は雨の日カメラを地に這う様にノーファインダーで猿を連写していました。
私も他の場所でした事があったが・・・その撮影ぶりと体の動きと素早さが一般のアマチュアの方と全然違っていました。
私は1970年代初期びわ湖がテーマであったが、コンテスト入選がまず目標。
その中で2年程、岩田山に通いました。
作品はカメラ毎日(毎日新聞社)のカメラ誌で三等の1ページになりました。
その後、1975年にカメラ毎日年度賞、カラーの部の副賞でニコンF2フォトミックモータードライブ付で頂きました。
中村吉之介先生の塾(中吉会)の講師で皆さんを案内して以後30年以上岩田山へは行っていませんが・・・コンテスト入選するのには良い所です、
その後1980年代は長棟道雄さんが岩田山をテーマに良い作品を創って活躍していました(1974年夏 ・ 撮影)。


024 (96)    五百羅漢 Hyogo Kasai
加西市の五百羅漢をストロボ光で撮影。
スローシャッターで動かしたり、鏡を持参して下に反映させたり色々工夫して撮影していました。
じっくり考えながらアイデアを取り入れると作品が生れるかも?
私もスローシャッター作品で1980年代JPS会員作品で発表したのが思い出(1979年夏 ・撮影)。


024 (97)    雄鹿 Nara Park
逆光線の雄鹿でした、鹿と云えば奈良在住の写真家、中村明己氏です。
アマチュア時代、写団蟲で知り合いました。
私は1974年~1978年まで在籍して約4年間でした。
中村さんは私より先に退会し地懐社に移られました。
鹿の作品を多く発表、私達の仲間の中で一番早く写真集を出版しました。
中村さんの鹿は私のクラブ員だったヤマザキ・タケオ氏や多くの皆さんにも影響を与え多くの鹿ファンを作りました。
また私の奈良の鹿の撮影会では常にゲストで来て貰ってお手伝いをお願いしました。
マイたうん撮影会では約20年間お世話になり、有難うございます。
日本カメラ別冊 No106 四季の美風景 1995年に類似作品を発表(1986年秋 ・ 撮影)。


024 (98)    仔鹿 Nara Park
仔鹿が走っていました、鹿はコンクールに強く、また岩田山の猿、大阪空港の離着地が3本柱だと強調していました。
岩田山は道が悪く私自身登れなくなり、その点、鹿は中村さんに任せました。
空港は今でも良い被写体だと思っています、時々利用しています。
得意の琵琶湖と丹後 ・ 円田のあらぎ島 ・ 柿の里 ・ 越畑 ・ 越前と関西の名所を季節に合わせて、
毎年皆さんを日帰りツアーで案内しています(1996年夏 ・ 撮影)。


024 (99)    保津川 Kyoto Kameoka
日本カメラ別冊1985年シリーズ68号に発表しました。保津川の川下りの船溜まり、京都嵐山にここから出発です。嵐山からはトラックでこの場所に戻ります。日本カメラ撮影入門では 前田真三 木下陽一 堀内初太郎 中村吉之介 高田誠三 森井禎紹氏等、更に一流の作家が執筆していた。私は 琵琶湖 空港 亀岡保津川 の案内記事を書いた。保津川の船溜まりを被写体と記事にしたが数年後、この後方に新しく橋が完成、更に便利になったが? のどかな保津川のイメージが変わって行っている(1979年秋 ・ 撮影)。


024 (100)    朱鳥居 Kyoto Fusimi
伏見稲荷神社、京都に来る外国人の多くがここ目当てに訪れているという。
延々と続く千本鳥居はまるで朱の迷路のよう。 神秘的魅力があるのでしょう?
朱あけは赤 ・ 明 ・ 甚などの明るい希望の色。 太陽 ・ 生命 ・ 生産の力が稲荷大神の御霊に力を与えているとか?
私のこの作品は1965年19才の時の作品。 アマチュア時代に京都 ・ 奈良の神社仏閣ばかりでしたが・・・
その後、琵琶湖の自然の方がずっと好きになりました。 日帰り撮影の最後の思い出として入れました。
私が行った1965年から殆んど変わっていないので取り上げています。
これから撮影に行かれる方は参考にして下さい(1965年夏 ・ 撮影)。

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