緑の世界 2


004 (51)    湖上と樹 siga
奥びわ湖パークウエイに入ると山道の中、松の木が多数ある、樹の撮影のなか白鷺を見た。
菅浦集落があり歴史の里でもある。 (1972年撮影)


004 (52)    夏の終り siga
長浜市1974年まだアマチュア時代、写真クラブ「秀影クラブ」と「写団蟲」二つのクラブに、秀影クラブでのカラーでは
私が年度賞が多かった。プロになってからも、この作品は色々な広告で使用され大当たりだった。


004 (53)    アジサイ koube Rokkou Mt
プロになり色々な所から講師の仕事が舞い込み、またバスツアーも良くしていた。ツアーは(2016現在)650回を超え
日本有数と云える。 フォトコン別冊に発表。


004 (54)    演出 kyouto uji mimurodo temple
アジサイを撮っても中々良い作品にならない。そこで写真教室ではガラスを持ってスプレーで水滴を (1988年撮影)。


004 (55)    緑の影 kyouto
写真教室もベテランから新入生で数か月の方も色々、映写をすると高度作品だと難しく思っている人もありこの作品のような
分かりやすい作品がうける。 京都植物園はカルチャーの撮影に取って宝庫(2011年撮影)


004 (56)    新緑 kyouto
写真教室にて京都植物園(2013年) 教室の実習は2時間ですので、月一度では中々上達するのは無理。
ご本人が別の日に更に撮影に出掛けるか?ツアーに参加するのは上達の早道。マイたうんに参加されている方は、
教室だけより上達度が早い。


004 (57)    カンゾウ花 sado
佐渡ヶ島(新潟)へのツアーは延べ9回、その中で多いのはカンゾウの丘(大野亀)です。6月田植も終り水田も美しく
漁港も味がある。撮影に行く度、岩宮武二氏の作品(佐渡の写真集)を思い出す。 (1994年)


004 (58)    滝とカンゾウ sado
アマチュア作家(ニシムラユウジ)氏を4〜5年程、指導していた。佐渡に行き滝に出会い、花をレンズの前に、
前ボケ効果と滝の風景をアドバイス。風景雑誌で有名な季刊風景写真で入選した。私の所に来ている間は
年間10回入選で40〜50回の入選があったが?離れて5年程で突然亡くなったと後日聞いた。
佐渡での作品が毎日コンテストで「毎日新聞社賞で新聞に大きく取り上げられた」思い出になっている。


004 (59)    1年に一回の滝 nagano
撮影ツアーは2016年現在、650回を超えている。日本全国各地の良い被写体を考えていた。長野県で2日だけの
滝があると聞きバスで30名、滝の前に私達だけで三脚の列。当時は今程カメラマンも多くなく、知る人が知る穴場だったが?
ネットの普及で多くの人が、何でも情報が入る時代。 (1995年)木島平村


004 (60)    写真ツアー sinnsyuu
私は「マイたうん友の会」と云う撮影ツアーを約30年、アマチュアの方にツアーを通じて指導している。地元のミニコミ新聞
(マイたうん新聞社)から名前をいただいた。当初新聞社と合同でツアーをしたが・・・理由があって私が引き続き現在でも
細々とツアーを続けている。作品はTタイプ(タングステン)アナログ、富士カラースライドT64使用。私は太陽賞で
ブルートーン色の心象風景で受賞したので、2005年位迄は皆さんアナログ(フイルム)でアマチュアの方に指導していた。 (1988年撮影)
それ以後はデジタルが普及し現像は各自がする様になり・・・撮影だけの指導が殆どだ。


004 (61)    涼を求めて sinnsyuu
フジフイルムのT64を使用、青色を強調するので冷たいイメージ、夏場は涼しく感じる。ソーメンのCMに良く見かけた。
三脚使用シャッター速度 1/4・1/6・1/15 シャッター速度が遅いとカメラブレと周りの樹や草のブレが出てくるので
注意が必要。 (1883年)


004 (62)    新緑と清流 aomori
東北ツアーの定番「奥入瀬渓流」十和田湖畔の子の口から焼山に至る14kmの渓流。夏は新緑、秋は紅葉と渓流で
また冬も雪の中と年中風景ファンで人気です。滝も10程あって必ず訪れて見たい東北の名所だ。銚子大滝を渡って
向こう岸から撮影していたら水量が急に増えた、慌てて元に戻ったが?ダムの水量調整とか?
知らなくてビックリした思い出が・・・ (2003年)


004 (63)    緑の中 siga
ツアーが始まって10年は良く滝の撮影にも、また作品の様な風景写真もテーマにしていたが?近年滝の写真は
中々コンテストに入選が少ない為に敬遠気味になって来た。 (2008年 米原市)


004 (64)    奥入瀬の夏 aomori
ツアーで初夏(2011年)フジカラーベルビア使用、私はRVPのフイルムが好きだった。1990年の花博で発売だったと
思っている。フイルムのテストレポートを頼まれて、花博で使用、白の色の美しさに驚いたのを覚えている。


004 (65)    緑の円田 wakayama
清水町の円田、カメラ誌で良く撮影ガイドをしていた。私がアマチュア時代この棚田で8点入選した。1964〜1975年迄
カラー半分モノクロ半分で作画、フォトアートは’77年度賞1位、招待作家になったがその年の10月に倒産。

フォトアートは休刊した、ただし10月だったので12月号迄審査は済み、年度賞作家は私が最後だった、審査員は 伊藤知巳氏(評論家)、写真家土門拳氏の甥と聞いていた。太陽賞を受賞した事でも、伊藤さんはニコンサロンに来て頂いて
年度賞を与えて自分の審査は間違いないと語っていた。私にとって伊藤さんのその言葉は今でも忘れられない。 


004 (66)    田植の頃 mie prefecture
丸山千枚田(三重県)後方は私がツアーでモデルとして母子を連れて行き、脇役に使った。OBC教室の助手としていた
堀田朝子さんがJPS展で入選した、彼女は多くの作品をいっぱい作り、関西で優秀な女流作家になることを期待したが、
10年余りで写真を中止している様だ?残念で仕方がない。 (1995年頃)


004 (67)    丸山千枚田 mie prefecture
一目1380枚の棚田、おそらく日本の棚田の中でも有数の棚田と思う。私の中では一番だと思っているが!!
初代の会長「北富士夫」氏とは親しくなり、今では友人関係。熊野古道博の講師に選ばれて撮影会も行った、また
マイたうんでも10回以上訪れている。山本久右衛門さんはモデルで国際サロン(2015)に入選した。 (1996年頃)


004 (68)    初夏の頃 mie prefecture
丸山千枚田、棚田のほとりにアジサイが映える。いつまでも日本の原風景として何時までもこの棚田を守って貰うことを
願っている。 (1992年)


004 (69)    山合いの棚田 wakayama
1979年頃 和歌山、生石高原から清水町の山合い、その頃は人間の手作業で稲作だった。その後毎年、撮影で通るが
1990年頃は多分、後継者の問題が多いのとこの棚田の作業は若者にとってかなり重労働だと思う。1997年
フォトコン別冊「美しい自然」43号秋に、テーマ「日本の棚田・畑を撮る」の特集で6ページ13点発表した。


004 (70)    日本の美しい棚田 wakayama
No.69と同じ和歌山、1979年頃は手作業だった。人間の手で田植えをしていたが・・・近年機械を導入、
それは楽だし早いし並びは綺麗。農業も近代化した、私は棚田もテーマの一つ、全国ツアーでも棚田の風景を
撮影しているが人間の手作業は数年見た事が無い。


004 (71)    能登 isikawa
西嶋保介氏は私が大阪の写真学校(日本写真映像専門学校)に入学直後、友人を介して知り合い、その後、兄と弟の様な
関係が’1964〜1977迄続いた。13年間その間、関西一円と特に能登へは正月等の休みが続く時同行した。
能登の千枚田は必ず立寄って、その時々を撮影した。その後は渋谷利雄氏と同行(石川県の写真家)


004 (72)    山合い wakayama
棚田の撮影は毎年だから52年間(1964年) 季節が来れば何処かの棚田へ 主に清水町の円田、丹後の千枚田
足を延ばして九州(長崎・佐賀・大分)2015・2016と2年続けて九州天草に行きました。 (清水町1968年)


004 (73)    新潟 niigata
新潟県はまさしく日本の原風景の棚田が沢山あって、地元の佐藤明彦氏と久しくなり良く案内して頂き感謝している。
彼は松代を毎日(毎朝)撮影に行きネットに当日の姿を発表している、実に優しい人、全世界に発信している。 (2007年)


004 (74)    スローシャッター
NHK守口写真教室実習作品、スローシャッターで撮影、手持ち1/15・1/ 30シャッターを切れる間際にカメラを動かす。
このテクニックは大変難しく確実性は無い、30枚〜50枚撮影してやっと1枚成功する。


004 (75)    光の演出 kyouto kosihata
この作品は三脚を使用、シャッターはM(バルブ)レリーズ使用、懐中電灯を使用。


004 (76)    われら地球人 kyouto city kosihata(越畑)
オミナエシの撮影で当日10人程案内していた、私の「オハコ」だからその頃誰も来ていない。7月の夕暮れ頃から9時頃迄撮影。
車のライトが私のテクニックの目玉、気象の条件で霧が発生した、車のライトで美しい霧が見事田園の上に・・・
絶景だった、作者は地元の山口節子さん、当時3〜4年習っていた。朝日新聞の「われら地球人」と云うコンテストが有名。
世界中がテーマで、その様なコンテストは現在殆どない。朝日新聞も大きく取り上げ、スポンサーはキャノン、写真集も出ていた、
最高賞を受賞。私も52年間アマチャア作家の人達も毎月毎月色々な所に案内しているが・・・この様な作品(大作)は
そう何時もある訳ではない。私の歴史の中でベスト3に残ると思っている。


004 (77)    緑の樹 nagano
撮影ツアーは毎年2〜3回、北海道・東北も毎年3〜4回飛行機を利用する。車やバスの限度は大阪からだと富士山、長野県、
新潟まで、作品は信州木島平村、北竜湖。5月の連休だったが菜の花がまだ早く2分咲き、困って多重撮影2回した
(当時多重撮影は大変難しい時代) 1987年


004 (78)    北竜湖 nagano
撮影ツアーで木島平村、菜の花・桜の名所、北竜湖は他の所より寒いので時期が外れ毎年連休あたりだがこの日も又
菜の花は早く3分咲き、自然とは大変!! 何とか作品にと光を演出、全日本写真コンテストで銅賞になった。(2000年頃)
味付けも工夫しなければ作品になりにくい、私の場合ありのままから一工夫を考える、発想が基本と言える。


004 (79)    二科展入選 oosaka yao city
日帰り撮影ツアーを毎月実施。早春だったのでコブシ・モクレンを求めて生駒山系と神立等の峠を撮影。
地元の女流アマチュア作家「藤野ヤス子」さんが二科展に初入選した。私の所では大活躍していたが?私の所から
離れて行くと写真がその後分らない・・・


004 (80)    カルスト kouti & ehime
私個人の話だが店を営業(写真店)DP店とスタジオ、現在スタジオは閉館、写真事務所兼用です。奥さんが営業して50年
お盆と正月を4日〜7日間は必ず休み、全国 沖縄から九州・東北・北海道まで毎年、40年続けている。
作品は奥さんの地元高知、墓参りを兼ねて旅をした、四国カルストは日本三大カルストに入る。(1983年)


004 (81)    水芭蕉 gifu
山の湿原 水芭蕉の穴場を30年以上前から撮影している。7回ツアーで実施、山合いの水芭蕉だった、自然だから・・・咲かない時も、
花もない事も・・・水芭蕉がこの様に咲く姿はチャンスだった!! 山本璋子さん(滋賀)がニコンで入選した。


004 (82)    越前 fukui
1964年 先輩西嶋氏と能登に行く途中必ず越前も通過した。琵琶湖→越前→能登、4日間が平均の撮影日。
私もプロになってから色々な人達を案内した、生徒さんがJPS展に入選。


004 (83)    水仙 fukui etizenn
撮影ツアーで毎年実施、1月から2月の初旬を目途に撮影日を3ケ月前に決めるが?タイミング通りに行かない!!・・・
温度で花の時期が変わる、2015年12月 冬荒れの日本海をテーマにして行くと何んと12月中旬満開でビックリした。
正月前に満開になるとは地球温暖化が進んだ証拠だ。


004 (84)    タンポポ sinnsyuu
春の花の中にタンポポが野に広がる。4月中旬関西、下旬は信州、5月は北海道と桜の花の移動と同じく季節が
それぞれ変わる。近年外国産のタンポポが多く見られる。


004 (85)    信州の春 fukusima
マイたうん撮影ツアー約30年近くなる、よみうり文化センター(千里)のお客さんと日本セカンドライフ協会JASSフォトクラブが基本、
20名〜30名が集まった。名鉄観光のバスを利用、岡下氏が同行した。


004 (86)    南光のひまわり hyougo nannkoucho
撮影ツアーの企画は誰よりも先に被写体地を知らなくてはならない。30年前はネットも無く色々な所から情報を集めた。
南光町のひまわりの里も大阪では最初の方、今では誰もが知っているが!!その頃は殆どの方が知らなかった時代(1992年)


004 (87)    流し撮り hyougo nannkoucho
バスの時代は必ずモデルさんを使用した、多かったのは母子モデル、子供が3〜6才位が多かった、この時は
母モデルだけを走ってもらって、流し撮りを教えた。子供は危ないので母親だけに・・・私の考えはカメラが流れたり・
ブレたり・被写体も動く、動感が作品に重みを出すのを1974年関西の巨匠「岩宮武二」氏から学んだ・・・
ミノルタロッコールクラブだった。また写真クラブ「光芸」を岩宮さんが指導する、関西では私の中で一番のクラブ。
私は青木先生から18〜20才まで学び、先輩西嶋氏を知っている事で見学に良くもぐり込み学びに行った。
今考えると恥ずかしい行為、しかし勉強熱心さが今は懐かしい・・・


004 (88)    北野町にて hyougo koube
関西で外国人が多く住む所が神戸だった。細江英公さん(日本を代表する写真家)の作品の中に外国人の
子供のポートレートがあった。私も少々憧れて神戸北野町に2年程通った、もちろん琵琶湖がメインだが、
月例コンテストに毎月各誌に50作品を送っていた、フォトコンテスト1974年 秋山庄太郎先生の審査で
特選に演出で笠回してもらった。フォトコン1974年に年度賞7位になったと思う、40年前の事。


004 (89)    ニッコールコンテストなら 組写真で入選(3枚組)
1970年〜1977年迄ニコンのニッコールコンテストに応募した。大阪で一番人気のコンテストだった。審査員も
一流の写真家、三木淳・細江英公・奈良原一高・森永純・三堀家義・稲村隆正・時には伊奈信男氏、とに角、
当代一流の審査で大阪では応募者はすごかった。光芸クラブから安田稔・山本博之・有野永霧・地懐社から
川上緑桜・花畑義三・高橋弘・その他、佐藤宣三・竹中秀夫・四方勉、(大阪)野本暉房・川西勇治・堀井健・石井信夫・吉田一夫・
藤田浩、全国から藤田和宣・伊藤明徳・柏原力・若月明・塚田祐次・木村仲久・森村進・蜂須賀秀紀氏
多くのプロ級の人達で切磋琢磨していた。


004 (90)    高原の夏 sinnsyuu
西嶋氏から今度の夏は群馬、長野県方面に行くと云う、光芸クラブの今西康佑氏も一緒だと云う・・・
光芸クラブ見学で今西さんの作品を岩宮先生は熱烈に褒めていた(外人の子がブランコに乗った作品)
私は今西氏の技術を盗もうと西嶋さんからの提案に喜んで賛成した。4日間の信州の旅をした、良い経験だった。
この作品はその時の作品、私はアマチュアであっても広告の仕事をしていてカタログに使用された。
ユニチカバイオソーラーのパンフレットに採用された。西嶋さんや今西氏は知らない、その頃は誰にも言っていない。


004 (91)    大根 aiti
少人数での撮影会も時折、ツアーの間に入れていた。OBCカルチャーの生徒さんと愛知県知多方面へ
半島は畑があったりビニールハウスが多い、温暖な地区で野菜が多く収穫されているのだろう!!
そんな時眼に止まったのが大根の先が全部切られていた、不思議な光景だった。私達都会人から見たら
意味が分からなかったが!!多分生産過剰だったのでは!!
OBCの牧文代さんがコダックで入選(2000年頃) 牧さんは郵便の仕事をされていて色々と協力して頂いた。


004 (92)    夏雲 okayama
久しぶり岡山蒜山高原にツアーで・・・バス&車、日帰りで行ける範囲は限度がある。大阪駅にAM8:00に集合して、
現地に2〜3時間、その中で昼食を計算すると実質2時間程、OBCで助手をしてもらった堀田朝子さんが入選した。
上部にハーフNDフイルターを教えた、私の考えはPLよりハーフNDの方が使用頻度は多い。 (2002年頃)


004 (93)    逆光線(ゴースト) kyouto kosihata
私の当時のオハコの被写体地、あまり知られてなく、多くの作品が生まれたので、ツアーで良く撮影にいった。
現在も1年に1〜3度は訪れている。OBC教室の伊冨貴久子さんが入選した、彼女は2015年写真集を出版した。
その中には私と良く行った場所の作品が多数あって、大変嬉しく思った。 (1998年頃)


004 (94)    日本海と水仙 fukui
「写団寝屋川」は地元のアマチュアの方からカメラ毎日年度賞受賞を記念して勧められ、写真の好きな人たちが集まって私が作ったクラブ・・・その時の写団寝屋川の越前撮影会で写真を作画していたら1台の赤いスポーツ車に帽子のモダンなカメラマンが水仙を撮影していた。良く見ると有名な中村吉之介先生だった、クラブ員と一緒に宿泊しないかと言ったが先生は面食らったのか笑われた。その後先生とは更に親しくなり、千里よみうり文化センター立上げに私を誘った、先生の誘い文句は「太陽賞」と「JPS金賞」取った人はいない、田舎の寝屋川に置くのは勿体ないと云う言葉だった。今も忘れられない(1982年頃)。この作品は日本カメラ「特集春の風景撮影準備編」に採用された。


004 (95)    ストロボと猿 kyouto arasiyama Mt iwata
私の中で京都岩田山・奈良の鹿・大阪空港の発着地が良い被写体地とアマチュアの方に、教室・その他で発信していた。
中村吉之介先生が「中吉会」と云うクラブを発足、私に撮影会をまかされた、岩田山を選びスローシャッターで猿の撮影を
皆さんにアドバイスした。 (1989年頃) >


004 (96)    子猿 okayama
よみうり文化センター時代、教室から帰る時2人の生徒、三坂康一・柏木一夫氏2人が出てきて弟子にして下さいと云う。
私は少しびっくりしたが自分でもクラブを作っているし、大阪芸大の学生も押しかけて来た時代(太陽賞)もあった引き受けた。
三坂氏とは約9年間(木曜または土・日)の彼の休日を利用して私の作品に出てくる、丹後・越前・奈良、特に
琵琶湖の白鷺の撮影を指導した。ここ岡山の「神庭の滝」に猿と滝も案内した(1995年頃)


004 (97)    牧場 hyougo
フォトコン別冊に兵庫県六甲山の「六甲牧場」の記事を書いた。霧の中 母子の羊をテーマに、ここはアジサイの名所
6月が私の中で好きだ。ある雨の日牧場で一人で夢中に撮影しているカメラマンがいた、良く見ると関西で有名な
女流写真家「藤田玲子」女史だった、私の所で1〜2年間程だったがセンスが良く勉強熱心だった。


004 (98)    牛の上 okinawa
撮影ツアーも南では沖縄、本島から石垣、西表と数回訪れた。牛の上にアマサギが仲良くしている、牛の上の虫を
取ってくれるので?!多分仲良くしているのでは?この場面は世界を旅していても見かける(1997年頃)


004 (99)    吉野桜 nara
日本カメラ別冊から良く依頼が当時あった、三上編集長・浜松茂志さん・逸見仁さん・河野和典さんらが編集部だった。
初心者のための「写真入門・風景編」1993年7月1日発行、私は花の山「吉野とモクレンの里 下市」の記事を
2ページ4点発表。


004 (100)    緑の風景 aomori
撮影ツアーで東北は年1度〜3度訪れている。関西にない被写体が多く、私は日本の海岸線は好きです。
世界自然文化遺産になった「白神山地」をテーマに山を横断した、また津軽・ベンセ湿原・ナミ湖と
のどかな田舎の田園風景を堪能した。旅は空気も違うし被写体が素晴らしい、作品は
平凡だけど緑の世界だった。

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