花匂う
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
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右にスライドさせてご覧ください。
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020 (1) 晴間 Osaka Hanahaku Park
国際花と緑の博覧会(1990年 4/1〜9/30)が行われた、略称は花博EXPO90 ・ 2312万人の入場だった、
花博内の写真美術館も2000万人を越えた。 私は日本人写真家43名に選ばれた。
日本の一流写真家、秋山庄太郎 ・ 林忠彦 ・ 渡辺義雄 ・ 三木淳 ・ 立木義浩 ・ 岩宮武二 ・ 棚橋紫水 ・ 山本健三 ・ 津田洋甫氏等の中、私はその中で若手でした。
43名中、現在残っておられる方は8名です・・・歴史は続きます(1994年春 ・ 撮影)。
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020 (2) チューリップ畑 Osaka Banpaku Park
千里よみうり文化センター時代、教室で良く利用しました。
APA(日本広告写真家協会)入会の折、中村吉之介先生に紹介して頂いた関係もあって千里よみうり文化センター講師をお願いされた。
写真界に大きく羽ばたくチャンスを頂いたと感謝している、中村先生に足を向けられないと思っている(1987年春 ・ 撮影)。
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020 (3) ズーム方法 Osaka Banpaku Park
チューリップは普通に撮影しても美しいがそれでも私は少しでも違う方法で撮影していた。
シャッター速度をスローにしてズームレンズを動かす。
今でも定番で珍しくないが・・・教室での生徒さんは初心者ばかりだったので?皆さん驚かれていた。
今迄、花の撮影はズームだったり、カメラを振ったり、ストロボを使用する等、当たり前に綺麗に撮影しない方を選んでいる、
変人かも ? (1986年春・撮影)。
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020 (4) ソフト&多重 Osaka Banpaku Park
手の込んだ撮影法です。 1回目ソフトレンズで撮影、2回目ソフトレンズを絞り込んでソフトがあまり出ない様に工夫した多重撮影です。
デジタルカメラも多重撮影可能と、そうでないカメラもありますので買う前に考えたら良いかも ? (1986年春・撮影)。
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020 (5) チューリップの夜 Toyama Tonami
三坂康一さん ・ 田嶋永之助さん ・ 渡辺さんと4人で砺波へチューリップの撮影に、日中は普通のチューリップを撮影、夕方から私の得意の夜間撮影でした。
三脚使用 ・ シャッターは3分 ・ 絞りはF22 ・ レリーズを使用、1980年代は夜間撮影を良くしていましたが? 私も70才を越え歳には勝てず、
近年この様な撮影法は諦めています。 このギャラリーを見て関心がある方は一度試してみたら如何でしょうか?
フォトコンに発表(1986年春 ・ 撮影)。
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020 (6) 早春の越前海岸 Fukuiken
千里よみうり文化センター時代、生徒の西田佳代さんは主に花が好きで、また中村吉之介先生の風景にも傾倒されていました。
教室と自宅が近いので熱心に参加されていました、時々教室にも着物姿で来られ印象深い生徒さんでした。
また1989年にJPS金賞(能登 )を受賞 ・ 他に国際サロン ・ 二科展でも入選されました、
関西女性作家展でも活躍されて良い作品を発表されていました。
この作品の類似がJPS展に入選されました(1990年冬 ・ 撮影)。
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020 (7) 水仙の丘 Osaka MT Hira
比良山でスイセンの撮影は写真教室で時々実施している。 5月中旬、多少前後しますが? スキー場の跡地に観光用に植えている。
アサヒカルチャー中之島教室は最初の7年は「琵琶湖を撮ろう」と云うテーマでした、琵琶湖を7年間で160回案内しました。
その中の一つでしたが・・・天候は雨で少し色が悪いですが、花の香りは山の空気と重なって花匂うのギャラリーに入れました(2012年春 ・ 撮影)。
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020 (8) 梅林の夜 Naraken
賀名生梅林、奈良五條市の梅林で私の好きな梅林の一つです、ツアーで夜間撮影をしました。
早春の時、必ず梅林は被写体の場所として選びました、近年、坂道が多いので控えています(1989年春 ・ 撮影)。
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020 (9) 雨の梅林 Naraken
賀名生梅林です、雨の山並みが後方にあって私はこの作品が大好きです。
ツアーで堀岡洋子さんが梅林コンテストで入選されました、
更に堀岡さんは海外のツアーも11回と国内は北海道ほか数十回参加されて、堀岡洋子「世界の旅」写真集を2009年に発行され大好評でした。
数多くのコンテストも入賞されました(2001年春 ・ 撮影)。
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020 (10) 梅林 Hyugoken
綾部山梅林、一目2万本とも云われ関西でも有数の梅林です。
兵庫県の南西部、西播磨の最南端にあり、教室では中村吉之介先生が好んで良く撮影会で利用されていた。
ミノルタの大撮影会で一緒に参加した思い出も・・・梅林の先に干潟で有名な新舞子浜があります、
夕照の干潟は日本でも有数の撮影メッカと云える。
カメラマンがあまりにも多いので私は人が多い所は敬遠する方です(2005年春 ・ 撮影)。
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020 (11) モクレン Osaka Yaoshi
大阪府下の八尾神立地区はモクレンの里として撮影スポットになっている、作品は車の屋根を利用し、水辺に反映した様に見せた。
花の種類の中で私はモクレンは好きな方で毎年春は何処かで撮影している(1992年春 ・ 撮影)。
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020 (12) モクレンの山里 Naraken Shimoichi
モクレンの里、奈良の下市をカメラ誌で発表したのは私が初めてだと思っている。
元々地元の方は撮影していたかもしれないが、発表したのは私だと思っている(1986年春 ・ 撮影)。
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020 (13) モクレンの夜 Naraken Shimoichi
マイたうん撮影ツアーの夜、この様な夜のモクレンは当時殆んど無く、全国のコンテストに良く入選していた。
富士フォトコンテストで藤野ヤス子さんがネイチャー部門で金賞でした。 また作品と同じもので榎村陽太郎さんが朝日新聞のシニアで入選した、
その他、二科展 ・ JPS展等、他多数入選し私にとってオハコの場所だと思っている(1991年春 ・ 撮影)。
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020 (14) 霧の日 Naraken Shimoichi
晴天も良いが・・・霧の日とか雨日の方が私は好きです。日本カメラ別冊「写真の入門4風景編」1993年7月発行に発表、撮影は1988年だった。
三上邦男編集長から何回もこのギャラリーに書いていますが評論家、田中雅男さんから日本カメラを紹介して頂いた。田中雅男さんは当時、日本の写真評論家では有名
1978年、太陽賞を受賞して写真展で当時、新進気鋭の写真家、須田一政氏(今では巨匠)を連れてお茶したのが思い出として今もなお残っている(1988年春 ・ 撮影)。
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020 (15) 赤い花 Shinshuu
撮影ツアー、マイたうん友の会の信州ツアーで撮影、1980年代から2000年の間にカメラ誌の撮影ガイド記事を良く執筆していた。コダックの会報誌、
コダックフォトカプセルの愛読者はマイたうん友の会で多い時は100名を越えていた時も・・・また支部も作っていた。コダックのモデル撮影会の指導もしていた・・・
モデルは得意ではなかったが? コダックの仕事は結構美味しい仕事で大変うれしかった。楽しい仕事だと覚えている、コダックフォトカプセルに発表(1987年春 ・ 撮影)。
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020 (16) 春色 Naraken
ツツジの名所は大和葛城山のツツジです。
私も5〜6回ツアーで実施しました、ツツジの花言葉は節度 ・慎みだとか?赤色は恋の喜び、白いのは初恋、花が筒状になっている事に由来するとも・・・
花が次々重なり咲く様から続きが語源だとか ? シリーズ日本カメラNo117号、四季の花を撮るでの撮影ガイド記事で発表。
編集長は黒部一夫さん、後にフォトコンテスト月刊の編集長もされた(1998年春 ・ 撮影)。
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020 (17) 水芭蕉 Fukushimaken
仁田沼です、福島県は災害があって遠ざかっていますが、自然が素晴らしい所、
桜 ・ リンゴ ・ 桃の花と風景 ・ ネイチャーの宝庫で私は好きな県です。
駐車場から徒歩約30近くかかりました。
今年で97才の山本久右衛門さんも頑張って歩きました、
私でもかなり辛くて? その中を山本さんは努力の人。
ISO100で絞りF11 ・ 広角24ミリでした。
歩くのが辛いので今後も行く予定はありませんが
元気な方はぜひ行っていただきたい名所です(2005年春 ・ 撮影)。
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020 (18) 日本一の水芭蕉 Gifuken
私は水芭蕉の中ではこの山中峠が大好きです。
かれこれ7〜8回は行っていますが・・・花の写真は大変難しい、花の旬に行けるかどうか、この作品の時は良い状態でした。
ツアーで滋賀県の山本璋子さんがニコンコンテストで入選されました、その後、再度行きましたが水芭蕉がひとつも無くびっくり、
地元の人に聞くと猪に食べられた ? 愕然としました。 自然界ではそんな事もあるものだと感心したり悔んだり(2006年春 ・ 撮影)。
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020 (19) 水芭蕉 A Gifuken
山中峠の水芭蕉を近づいて大きく撮影、どうしても足場が悪く、良いアングルで近づくのが大変でした。
懐中電灯を左から太陽のイメージでスポットライトが照らした如く考えました(2006年春 ・ 撮影)。
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020 (20) 水芭蕉 B Gifuken
更に近づいて大きく撮りました。 水芭蕉は私達大阪から北の方面に行くと割と何処でも春の季節に巡り合います。 長野 ・ 新潟 ・ 2016年、山形の月山方面でも
良く見ました、土門拳美術館の見学の傍ら山間の道でも同じく、そして2017年長野開田高原では前回出会ったので行くと全く咲いていなくてがっかり。
花は温度でもかなり変化しますので、この様な事態は数多く経験しています(2006年春 ・ 撮影)。
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020 (21) 木島平 Naganoken
長野県の北、木島平は好きな被写体地でした。
ツアー最初の頃は毎年の様に10回は行きました、近年遠ざかり季節的に5月のゴールデンウイーク又はそれ以後が良い様でした。
5月は北海道ツアーを毎年実施していますので・・・ついつい木島平にはここ10年程遠ざかっています、
本心は行きたい所ですフォトコン別冊に発表(1998年春 ・ 撮影)。
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020 (22) 一面 Shigaken Takashimashi
湖面道路を走行していたら菜の花が所々で見られる、道路から降り近づいて撮影、ワイド(20ミリ)レンズが広くとらえた、
特別広い範囲ではないがカメラアングル等で広く感じる。 アナログフイルムでISO100を400に増感 ・ F16 最少に絞り込んで撮影、被写界深度を深くして撮影、
綺麗な色になった(2002年春 ・ 撮影)。
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020 (23) 白峰高原 Nagasakiken Isahayashi
私の故郷、長崎県諫早です、ツアーで行きました、桜が終わり時期は少しズレていましたが菜の花の美しい所です。
同級生で鰻の名店、北御門さんは大阪で食べている以上に美味しい鰻の名所、是非お勧めします(1998年春 ・ 撮影)。
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020 (24) 丹波の春 Kyoto Ine
場所は新井の千枚田です或る日、菜の花に変わっていました。
その後数回訪れたが菜の花は見当たりませんでした、遠方の鳥はカンムリ鳥です。
5月の中旬棚田に水田があり僅かに千枚田が残っています、私はアマチュア時代からずっと今なお通っています。
1975年憧れのニッコールコンテストやフォトアート誌で入選したのが今だに忘れられません(1988年春 ・ 撮影)。
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020 (25) 雲南省 Tyugoku
海外の作品です、大阪府と同じ面積の菜の花の村です、走れど走れど菜の花畑一面です、一度は訪れて良い所です感動しました。
ただし怖い思い出は耳に蜂が入り大変、死ぬ思いでした。
ツアーの皆さんに耳に蜂が入ったので取ってと言っても誰も助けてくれません、
苦しんでいる時ドライバーが水を口に含み耳に向かって吹き付けた所、蜂が出て来ました。
その恐ろしさは今もって忘れる事はありません、ドライバーにチップを多く渡しました、良い思い出です(2002年春 ・ 撮影)。
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020 (26) 日陰の中 Kyoto
撮影ツアーで歩いていると・・・ふと道端で花の咲く形がS字ぽく見えたので・・・気軽にシャッターを押した。
作品にしようと思わず・・・後日このギャラリー花匂うのイメージに合うと思ってギャラリーに採用した。
写真は山ほど有りますので2200点発表しています、順次入れ替えをを予定しています(2003年春 ・ 撮影)。
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020 (27) 桃源郷 Fukushimaken
福島県の花見山は有名です、花の桃源郷と云えます。
秋山庄太郎さんは写真界でも超有名でした、二科会写真部の創立会員また日本広告写真家協会の会長もされた方、写真界で20人に入ると思っています。
?土門拳 ・ ?木村伊兵衛 ・ ?濱屋浩 ・ ?東松照明 ・ ?篠山紀信氏が私の中でのベスト5、写真家それぞれ考え方の違いがあり、見方は随分変わります。
この作品は有名な花見山でなく、その近くの個人の方が所有し、同じ様に庭や丘を花いっぱいにされていました(1998年春 ・ 撮影)。
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020 (28) 信濃の春 Naganoken
高山村は桜で有名な一本桜が約20本あり、私は連続8年信州の桜をテーマにして来ました。
その時桜は少し時期が過ぎていました、作品は桜の近くにありました。
東京の石村正幸さん ・ 浅井千恵さん ・ 私の近所の吉永明美さん他、ベテランが参加されていました。
私は以前に花は好きではないと言っているが ? 全部でなく桜は毎年、他にモクレン ・ 梅林 ・ コスモス ・ 蓮 ・ 向日葵 ・ 紫陽花 、
一応何でもシャッターは押しています。
個人的な話として写真のコンテストにやや不利だと伝えたいだけ・・・それはカメラマン全員、花が好きで応募も一番多く競争率が一番高い・・・
だからと私は個人的にその様に思っていますが?(2013年春 ・ 撮影)。
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020 (29) 花いっぱい Naraken
奈良県西吉野村も40年は続けて撮影に行っています。
モクレン ・ 桃 ・ 梅 ・ レンギョウ ・ 桜と続くので、どれかに出合うからです、どれか一つ出合うのでハズレは有りません。
毎年同じ所に行くので生徒さんやツアー参加者からも飽きが来ると云うのか ? 参加が少なくなってきます、
それでも私は自分の信念を曲げる訳に行きません、同じ所をグルグル回りチャンスを待つのです(1996年春 ・ 撮影)。
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020 (30) 山のシャクナゲ Shigaken
日野町鎌掛のシャクナゲの山です、かれこれ7〜8回行きました。
私の写真集の中にも入れてあります、目安は5月の連休前後です、花ですので時期が前後します、行かれる時は調べてから行って下さい。
近年ネットに状況が出ています(1986年春 ・ 撮影)。
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020 (31) 藤の花 Hyogoken Omachi Park
大町公園の藤の花は同じく5月の連休当りが比較的に良い、私は何十回行っても良い時、悪い時さまざま、花は温度で変わります、
2017年は終わっていました。 作品はリアルに撮るのではなくカメラをズラしてソフトタッチに表現しました。
私の中では60点位の出来だと思っている・・・テクニックを使用して自分の気分に合わせました。
それぞれ個の表現されると良いと思います、勿論、写実的にリアルも必要です(2010年春 ・ 撮影)。
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020 (32) 一本の樹 Naganoken Nobeyama
花はやまなしの木です、地元の人に聞くと樹齢200年以上らしい? 一見桜と間違いそうですが?
野辺山高原は滝沢牧場とキャベツ畑が一面、まるで北海道の富良野の様です。
モデルはツアー参加者の堀田朝子さんにお願いしました、
彼女は私が当時、ラジオ大阪OBCカルチャーセンター写真教室で約10年間、助手をして頂いた。
生徒さんの中で一番活躍された方、また皆さんから信頼されていて気軽に写真のお手伝いされて感謝しています、
ありがとうございます(1998年春 ・ 撮影)。
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020 (33) ヤマナシの木 Naganoken Nobeyama
私は野辺山高原の春が好きで今迄8回程ツアーで実施しています。
2〜3年に一度の割でしょうか?・・・その中でこの作品のヤマナシの木が大好きです、背景の山並みも良く周りの田園も自然で落ち着きます。
タンポポの花を前ボケ技法でよりファンタジックにしました、
近くに牧場と野辺山の高原駅は日本で最高標高駅だと聞いています(1996年春 ・ 撮影)。
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020 (34) 霧の六甲 Hyugoken MT Rokosan
関西ではお馴染みの山、南東部日本100名山のひとつ、山域は芦屋市・ 西宮市 ・ 宝塚市に属するとか・・・
私は18歳の時に山頂まで登山しました、神戸の同級生と二人でした。 前に良く出て来る西嶋保介氏から登山に行かないかと云う誘いでOKした、写真学校同級生で三尾多一君と3人でした。
お盆だったので鉄道も満員で通路で寝た思い出が、白馬岳2880mはあったと思います。
その登山の予行練習として六甲山に行きました、932mだと聞き丁度トレーニングで良いと西嶋さんがアドバイスしてくれました、
更に高見山にも登り、自分が18才で若かったから良い思い出、一生忘れる事はありません(1989年夏 ・ 撮影)。
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020 (35) ソフトレンズ Fukuiken
ドクダミ草の花だったと思う? 私は良く旅の途中、道の駅に立ち寄るのが大好きです。
昔から地元のお土産が楽しいのです、その中に時々ドクダミ茶が有りますので夏のお茶として利用しています、
解毒作用があると信じて私一人が飲んでいるがその効果は全く分らない。
作品は福井県の寺の裏にあり上部からソフトレンズで撮影した、地味な花ですが並びが良かった(1998年夏 ・ 撮影)。
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020 (36) ラベンダー Hokaidou Furano
北海道ツアーの1回目は富良野でした、夏の北海道ツアーは連続10回は富良野の旅でした。
前に書いた様に倉本聰さんの北の国からと前田真三さんに影響を受けたからです。
富田ファーム他ラベンダーの咲く所は隅々までアタックしました、朝早くだったり夜間までチャレンジ。
富良野のホップス トーアスホテルと親しくなり支配人の女性、中島さんに大変お世話になりジャガイモを送って頂きました。
ホテルからその様な品を貰ったのも最初で最後、ツアーのお客さんも皆、良いホテルで安心 ・ 綺麗 ・ 親切だったと褒めておられました。
中島さんありがとう(1991年夏 ・ 撮影)。
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020 (37) 夏の棚田 kyoto Koshihata
越畑も私の中でオハコと云える、われら地球人フォトフェスティバルコンテスト(朝日新聞社)で枚方の山口節子さんが最高賞になりました。
西田佳代さんがJPS展で奨励賞 ・ 山本璋子さんはナショナルジオグラフィック等数多くの皆さんが越畑で入選されました。
私も毎年お客さんを案内しています、私も日本の棚田を写す(日本写真企画)美しい自然の撮影のトビラでも発表したり、
日本カメラ ・ フォトコン別冊で撮影ガイドとして発表しています。
田園の中、黄色が鮮やかに光っています(1984年夏 ・ 撮影)。
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020 (38) 女郎花 Kyoto Koshihata
オミナエシの事を(地元の方は女郎花)と呼んでいます、お盆用の花として栽培されていると聞く、
撮影していても決して良い匂いとは云えず、まさしくギャラリーのタイトル花匂うの代表格と云える。
作品はストロボの発光面にセロファンを張りました、ストロボは巨大ガイドNo180を使用。
普通この様な作品にする人は多分少ないだろうと思う ? 私のオリジナルだと ?
アナログ時代はレンズの前とストロボ発光部の窓、フイルムの種類、現像後の合成等テクニックも数多くありましたが ?
更にデジタル時代、パソコンの技術で色々と多様化している(1983年夏 ・ 撮影 )。
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020 (39) オミナエシの夕暮れ Kyoto Koshihata
夕暮れ時、上部にハーフNDフイルター8を使用、
私はアナログ時代からPLフイルターよりハーフNDフイルターの方が使い道は多いと良くツアーの皆さんや生徒さんに伝えている。 殆んどの方がPLは持っているが私の所に来た人でハーフNDを持参した方は皆無でした、
私から聞き手にする方が殆んど ? 私はハーフNDを重要視しています。
この作品を見て考え直しされたら如何でしょうか?(1985年夏 ・ 撮影)。
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020 (40) ベンゼ湿原 A Aomoriken Tsugarushi
標高20m、面積約23haの広さは津軽国定公園を代表する湿原のひとつです。
6月上旬ニッコウキスゲの群落でとても美しい、日中から夕暮れ迄撮影しました。
この作品の時だけで、その後は行っていませんがまた行きたい所です、
なお津軽鉄道も4回訪れました、津軽は何となく好きです(2003年夏 ・ 撮影)。
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020 (41) ベンゼ湿原 B Aomoriken Tsugarushi
よみうり文化センター時代からの生徒さんで川村登久子さんは時々参加、関西の女性作家で有名、
多くの写真コンテストも入賞され、最近は個展を富士フォトサロンで経験されています。
風景がもっぱら大好きの様で特に桜の花、他色々と発表、遠くは海外まで足を伸ばされています(2003年夏 ・ 撮影)。
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020 (42) ベンゼ湿原 C Aomoriken Tsugarushi
夕方の斜光線でした、
作品はやはり日中より夕方にかけ残月が見える迄、早朝は薄暗い中から朝陽が昇り30分は写し続けると風景は最高だと伝えています。
良い作品が生まれやすいですが・・・帰りが遅くなります(2003年夏 ・ 撮影)。
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020 (43) 蓮 Fukuiken Nanjyoshi
福井県の蓮の名所、南条ハス公園近くで撮影。
私は早くから南条のハスを良く撮影していました、ツアーが始まって夏になると必ず皆さんを案内しました。
1981年には写友の森さんと行きました、当時、情報と云えばTVや新聞等、やはり自分で体験して被写体を友人同志で交換する事位でした。
私は誰から聞く訳でなく、滋賀から山奥の県境を通り福井に下り発見しました。 ツアーでバスでも7〜8回、合せて30回以上です。
バスで降りた時、多くの生徒さんが三脚を持ちその姿を滋賀の大ベテラン作家、関口潤二郎氏が見て私に向かって、
自分は三脚を使わない主義だと自慢して語り掛けて来ました。
個人的には全くその通り、あまり三脚不使用主義でしたが皆さんにそれを伝えるのは少々無理な時代でした、
デジタルに変り全員に三脚不使用を伝えています(1993年夏 ・ 撮影)。
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020 (44) 蓮を大きく Fukuiken Nanjyoshi
花の被写体の中で蓮は最初から好きでした。
1964年18才の時、先輩の西嶋保介氏と余呉湖で蓮の出会いが初めて、その次が奈良の池が2回目、
各地の神社等の池で夏の季節になれば必ず蓮は撮影していました。
1970年代、写友 森さんは更に西嶋さん以上に蓮の花が好きでした。
西嶋さんはスナップと心象風景、森さんは鳥、風景、花の順でした。
私はミックスで影響を受けました、2人に感謝しています、両方から良い所だけ感性を頂きました、そして自分で応用したのです。
アナログフイルムの件や現像は私の専門、写真学校で得た知識は総合的に私の方がありました。
まず写真業界に身を置いていますので業界の事、カメラ、フイルム、現像、プロ作家の動向、作家の分析、コンクールの総合等々、
今でも他のカメラマンより知識は多いと思っています(1986年夏 ・ 撮影)。
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020 (45) 雨日 Fukuiken Nanjyoshi
当日撮影ツアーで近畿一円3日間の旅でした、1日目福井県の南条市、花ハスが有名でした。
私の得意とした被写体地を案内、ところが運悪く台風が来ました。
蓮の葉の水滴は台風の雨で出来たもの、水滴が私としては面白いと思いました。
翌日は琵琶湖の花火大会、毎年8月8日ですが台風の為、風が強くて船上からの特別席でしたが
レンズの前に煙りが来て花火は殆んど見えなかった悪い思い出が残りました。
何十年もツアーをしている中で色々大変なこと多数あります(1999年夏 ・ 撮影)。
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020 (46) バイガモ Shigaken Maiharashi
醒ヶ井は鈴鹿山脈北端、雲仙岳(1084m)の山裾に沿って開けた旧中山道の宿場町、
雲仙岳の湧水の豊富なな山で醒ヶ井の町に流れる地蔵川である。
澄んで清らかな水で心安らぎの川となっている。
盛夏の頃、水中に咲くバイカモ(梅花藻)は小さい花、作品の時は水中からやや表面が浮き出て撮影は良い状態でした。
毎年訪れていますが・・・花として写真作品にはなりにくく・・・写真コンクールでは入選しにくい花ですが、
人物や他の被写体との組み合わせが必要です・・・地蔵川の宿場のイメージが遠い歴史を感じさせるのが妙に気分の良い所で、
近くに行くと立ち寄ります(2008年夏 ・ 撮影)。
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020 (47) ひまわり畑 Hokaidou Furano
北海道シリーズの78回中(2017年)3回目あたりの初期でした。
北の国からと前田真三さんを通じて富良野の風景を知り、皆さんを良く案内しました。
特に女性郡は花だと聞くと皆さん喜ばれました、ラベンダー ・ ひまわり ・ジャガイモの花、
スケールが本土の何倍もあって関西には見られぬ風景でした。
ツアーも5〜10回(10年)続くと皆さんも同じ所に行くのは飽きたのか ? その後変化のある色々な所を求めます、
私も道東方面に切り替えました。
オホーツクの海、太平洋の馬、根室の佐藤牧場やサラブレッドの浦河、昆布干し等々、
被写体はは多く流氷の知床 ・ 熊 ・ エゾ鹿 ・ キタキツネ ・ 湿原 ・ トドワラと・・・(1985年夏 ・ 撮影)。
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020 (48) ひまわり Shigaken Omihachimanshi
私のオハコの近江八幡市のひまわり畑です、
近江八幡市のひまわり畑の面積は休耕田を利用している為に小さく一見、写真になりにくい所ですが?
毎年行くとチャンスもあり、この作品の様に1本背高く咲いていました。
背景も民家があったり北海道みたいに丘の風景とは行きませんが、露出アンダーで暗くしてマアマアのの作品になりました。
近場ですので毎年見ています、写真教室で皆さんと一緒に撮影しました(2009年夏 ・ 撮影)。
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020 (49) 郡並 Shigaken Omihachimanshi
同じく近江八幡のひまわりです、この作品は近江八幡の中でも良い方です。
毎年行く中、この作品は気に入っています、山が黒くなりハッキリしています、アナログフイルム使用で最後のあたりです、
2008年以後デジタルに変更しました。
近江八幡へは季節毎に行きますので年に7〜8回でしょうか ? 西の湖と湖の船着き場 ・ 葦群落 ・ 安土の夕照と各季節毎変化があります。
野鳥も多く何より葦が琵琶湖周辺で一番多い、船着き場の方とも親しくしています(2007年夏 ・ 撮影)。
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020 (50) ひまわりのテクニック Shigaken Omihachimanshi
アサヒカルチャー中之島教室も早いもので10年を越えました。
出だしは琵琶湖を撮ろうと云うテーマででした、6〜7年琵琶湖の案内をしていましたが
私自身がもっと色々な所を関西にも多くの被写体地がありますので案内する事にしました。
今では関西を撮ろうと云うテーマで毎回変化するようにしています、
作品は近江八幡の夕暮れ、レンズに私の得意とする息をかけ霧を作り(レンズが曇り白くなります)、
ひまわりの所を手で拭き取りリアルに早く撮影する、タイミングは素早く、5〜6回繰り返す中1枚位マアマアの作品になります。
周囲が青いのは私の得意のタングステンタイプを使用して青くしました、生徒の守田美智子さんがアマテラスに入選されました。
毎年ですので楽しみにしています(2007年夏 ・ 撮影)。
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020 (51) 南光町にて Hyogoken Nankocho
南光のひまわり畑が公開されたのは1990年の夏、
よみうり文化センター時代の生徒さん、三坂康一氏を良く中国地方神庭の滝、モンキーセンター等を案内していた頃に偶然、
南光のひまわり畑を発見した。
ネットの無い時代、新聞も地元ではあっただろうが? 大阪での新聞も発表されていなかった。
私はマイたうん撮影会ツアーで毎年の様に案内しコンテストに数十点入選したのを良き思い出になっている。
2000年以後マスコミからネットで広く知れ渡った。 写真は早く知り早く発表するのが常識です(1991年夏 ・ 撮影)。
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020 (52) 母子モデル Hyogoken Nankocho
私はマイたうん撮影ツアーで良くモデルを使用した。
最初は若いギャルのモデルだったが普通のファッションモデルは全国何処でもあり、珍しくない為にまた入選も少なかった。
アイデアとして母子モデルと老婦人、ペットモデルと3本立てで企画、大当たりでした、
モデルクラブは当時数社取引していたが大阪の名門フジカワ ファッションモデルクラブを良く利用、親切に良く手配して頂いた。
中でも田中レイナちゃん母子は特に良く協力して頂き感謝している。
この作品から既に成長して歌手やモデルで活躍されたと聞く(2002年夏 ・ 撮影)。
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020 (53) ひまわりの花芯 Kyoto Kameoka
日中に丸い鏡を当て変化のある作品創りを考えていた、ひまわりの花を抽象的にとらえる方法でした。
守口市美術展の審査を約10年経験、審査委員長(関西の巨匠)の花火の大家、田中幸太朗先生と審査員として同席、
先生とは考え方が近くまた長老の有名人でもあって先生の意見を尊重していた。
同様の作品で先生が上位に師事されたので私も同調した(1986年夏 ・ 撮影)。
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020 (54) ひまわりの中 Kyouto Kameoka
ひまわりの花芯をよりクローズアップした作品 ひまわりのイメージからかけ離れ異様に見える、私は色々な撮り方を教えていた。
多くの入賞者が出るのでおおいに自身に満ちていた時代だったと思う。
私は写真の発表を皆さんにお願いをしていた、私自身がコンクールからプロに発展したからである。
皆さんはプロになるよりアマチュアの最高峰を目指して欲しかったのです、現在も同じ(1986年夏 ・ 撮影)。
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020 (55) ソフトレンズ Hyogoken Itamikonchukan
作品は私ので無く、枚方の福原利明氏の二科入選作品です。
福原さんは1980年時代、写真の指導をお願いされていた、この二科展への応募を積極的に参加され賞に輝いた事もある。
当時アナログの35ミリフイルムに傷を入れて作画する危険な方法を教えた、
勿論、失敗したら大変なので複写をしてデュープで別のネガを1枚作り、最初はデュープの方で実験をした。
長野の燕岳の夜景だった、山の岩の間を鋭い剣先を使い岩の間を削り作品は山の間を歩く登山者の灯を表現、上手く行きました。
私はアマチュア時代の1967年、岸和田だんじり祭りで経験してから時折同じ技法を使用しました、
全部でなく時々、表現方法が上手くマッチした時は大ヒット作品になりました(1989年冬 ・ 撮影)。
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