Memorial 2
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
画面左下のグレーのスクロールバーをクリックしたまま
右にスライドさせてご覧ください。
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053 (87) 第24回 オアシス 2019 Osaka
作品の前で撮影、私の白鷺の隣の作品はJPA(日本写真作家協会)の坂 直尭さんお作品。
坂さんのさくひんは夕日の中、女性のヌードの上半身をシルエットで撮影された作品。
画題は浮遊物体?!、私の感想は女性の裸体を別次元で表現しているのが良かった。
作品はフランス・パリのリンダ・ファレル・ギャラリーで開催される。
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053 (86) 第24回 オアシス 2019 Osaka
第24回 OASIS 2019がOBP ツイン 21 アトリウム 1F の特設会場で開催されました。
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053 (85) 写真の可能性 Vol.3 Osaka
私の白鷺の隣の作品は友田富造氏、画題は枯美、枯美は完成された広告写真だと思った。
友田氏とは1978年から1985年頃まで、先輩の中村吉之介氏・西岡伸太氏らと共に作品の勉強会をした。
APA(グループアパ)と呼んでいた、作品展では奥脇孝一氏・北岡悟氏・
篠原幸男氏・高橋靖氏、それぞれベテランの作品展でした。
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053 (84) 竹生島にて Shiga Nagahamashi Chikubushima
この作品、今では絶対に撮れないシーンです。
それは竹生島にしらさぎが来なくなったのと、白鷺の止まり木の老木が人的に切られました。
作品は1984年ワイルドライフに発表、良い作品は何時までも残ります。
APAでの発表も何十年もしていなくて久しぶりです。
白鳥真太郎会長に選んで頂きありがとうございます・感謝です(1974年 ・ 撮影)。
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053 (83) 飛翔 Shiga Takashimashi Adogawa
竹生島・知内浜・草津・安曇川のコロニーが消えたが・・・
作品は安曇川のコロニー、写友の森成雄氏と一緒だった。
森さんは日本カメラ’73年度賞作家、主にしらさぎを撮影。
その時の審査員が秋山庄太郎先生、二科会の創立会員でAPAの会長もされ、
当時は絶大な人気作家でした(1979年 ・ 撮影)。
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053 (82) 夕暮れ Shiga Takashimashi
写友の森さんと2人の時と西嶋保介氏の時と
琵琶湖に良く撮影に行きました。時々1人でゆっくり夕方まで撮影した。
この日は1人で撮影に行き、車で近くまで寄り左側には前ボケが出たが、
マアマア好きな方でした。編集の段階でダイコロの辻博明さんが、
これも良いじゃないと言ったので他人のアドバイスもたまには良いか?
そんな気持ちの作品です(1971年 ・ 撮影)
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053 (81) 仲良し Shiga Takashimashi Chinaihama
冬の知内浜、近くでしらさぎが撮れる唯一の場所でしたが
2008年前後から全く来なくなった、不思議でした。
写友の森成雄氏が知内浜のしらさぎの発見者だと私は思っている、
1982年の冬だったと・・・(1985年 ・ 撮影)。
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053 (80) 堰の流れ Shiga Takashimashi Adogawa
よみうり文化センター千里教室がオープンして、関西の重鎮、
中村吉之介先生から講師を依頼され、ミノルタα7000の発売で大量の生徒が来た。
その中で三坂康一氏から弟子入りを求められて9年、
個人レッスンの実技に同行した、その時の作品。彼にもスローシャッターを教え、
アオサギで富士コンの銅賞になった思い出が・・・(1987年 ・ 撮影)。
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053 (79) スローシャッター Shiga Takashimashi Chinaihama
この作品の時は私1人でした、近くの民宿「吉平」さんに泊まり早朝撮影した。
1羽だけ私に向かっていたが?その他は殆んど移動する瞬間だった。
スローシャッターは私の秘かな特技だった、数多く作品にしている、
そう簡単に撮れない自信作です(1983年 ・ 撮影)。
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053 (78) 祝賀会 Osaka
生徒さんからまわりの友人、近場の方に呼び掛けて
出版記念祝賀会を心斎橋の木曾路でしました。
1年前同所で山本久右衛門さんも同じく・・・
数年ぶりに会う方も、この様なパーティーとか 写真展では久しぶりに会うのが良いですね?
普段中々会えるチャンスは少ないですから?
長老の青木君夫先生(二科会会員)も出席されました。
もう100才になられるとか!山本久右衛門さんより
1才か2才年上です(2018年 12月 9日)。
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053 (77) 山本久右衛門写真集「グランド北海道」発刊
写真集発刊記念 「山本久右衛門さんを励ます会」
主催 マイたうん友の会 2017年10月15日 於 心斎橋木曾路
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053 (76) 山本久右衛門写真集「グランド北海道」発刊
2017 ・ 10/10 発売。 日本写真企画「フォトコンテスト」から。
申し込みは日本写真企画へ TEL 03−3551−2643 FAX 03−3551−2370
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053 (75) 山本久右衛門写真集「グランド北海道」発刊
序文は新党大地代表 「鈴木宗男」 先生に道東出身と聞きお願いしました。
同じく二科会理事長 「森井禎紹」 さんはアマチュア時代からの友人関係ですのでお願いしました。
編集は友人の太田健嗣郎さん、印刷は(株)ダイコロ、デザインは藤本かおりさんにお願いしました。
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053 (74) 夕照 Shimane Okinoshima Kuniga Beach
私は1973年前後、虹の街にあった東宝カメラさんで、
大枚(385,000円)をはたいてハッセルブラッド500CMを購入した。
島根県の隠岐島へ3拍4日の一人旅に出た。今思うと良く一人旅をしたものだと感心している。
夜行で鳥取の砂丘、境港から船の旅でした。作品は国賀海岸です、この作品の撮影後にカメラが波にかぶってしまった、
帰ってからシュリロに聞くと塩被りの、修理代が30万程と聞き手放した。
この模様の話はユーチューブで語っています、馬場哲平さんのJOBBB RADIOにて。
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053 (73) '81 神戸博 Hyogo
神戸博を家族で遊びに行きました。奥さんは1966年より写真業を営業して、私は属に云う二足の草鞋でした。
奥さんも写真業ですのでカメラも詳しく、スタジオ撮影もしていて上手の方でした。
私の作品を見て少しずつですが勉強していました。
神戸博で奥さんにスローシャッターを教えて撮影し見事、最高賞の乗用車(日産サニー)を獲得しました。
良い思い出です、手に取り教えると誰でも上手になる事も知りました。
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053 (72) 消えた集落 Shigakenn Washimi
現在は長浜市余呉湖の最北鷲見集落です。丹生ダムの計画で住民は移転、
2017年奥さんと訊ねると雑草ばかりで面影は無く何も残っていませんでした。
元住民に色々取材すると大きな穴を掘り材木等は放ったと聞きました。
映画八つ墓村のロケでも使用されたそうです。この村から更に奥の村では大島渚監督の名作
「愛の亡霊」のロケがあったと聞き私は何度も撮影に通い記録作品が数多く出来ました。
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053 (71) 暗雲 Kyoto
私は故郷長崎の諫早時代からフォトアート誌(研光社)を読んでいました、今でも良く言うカメラ小僧です。
大阪の写真学校に入学し更に写真クラブに入会、ダブルで勉強しました。
クラブの先生が二科会の長老、青木君夫先生(100才)2019年12月現在も元気で作品創りをされています。
2019年10月19日のサンケイ新聞に「新たな発見」と云う記事を見ました。
1964年、先生の所で勉強したのが基本で先生の心象を琵琶湖の風景に取り入れて
1978年、太陽賞受賞して私はプロになりました、先生に感謝です。作品は山科から滋賀県の途中でした。
1977年フォトアート誌最後の年度賞でした。フォトアート(研光社)は1977年10月号で休刊になりました、
私は年度賞でゼンザブロニカが頂けるようになっていたので当時は残念と年度賞両方で、思い出が強烈に残っています。
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053 (70) 湖北尾上 Shiga Nagahamashi Onoue
長浜市尾上、旅館「紅鮎」の裏、琵琶湖方面で太古の昔からの尾上港です、現在も残っています。
滋賀県に訪れたころ1964年当時、世間ではモノクロ(白黒フイルム)時代、カラーは5%〜10%程です。
私個人はカラー70%、モノクロ30%とお金はかかるけどカラーに重点を置いていました。
作品の赤はモノクロ用のRフイルター、モノクロではコントラストを強くするフイルターとして発売されていました。
私はそのモノクロ用フイルターをカラーに使用したのです。1978年太陽賞(平凡社)の組写真30枚の中に使用しました。
私の写真集の第2集、琵琶湖逍遥(東方出版)の表紙もこの技法です。個人的には好きでは有りませんが!!
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053 (69) 碧い湖 Shiga
私の作品の中でも名作になります。フイルムはコダックのPCF、
ISO感度25の微粒子でコントラストが強くこのフイルムを使用する人は少なかったです。
太陽賞の30枚の中や大阪の花と緑の博覧会で8点発表、
日本人作家43人に選ばれ現在、大阪府のコレクションになっています。
1989年、琵琶湖私景写真集(東方出版発行)、初版3,000部、
第2版 ・ 第3版まで併せて5,000部が売れました。
京阪百貨店の写真展でパンフレットにもなりました。
作品の販売でも現在まで写真展のたびに21点購入して頂き名作だと思っています。
私の家でも唯一、この作品を飾っています。二度と撮れない作品です、
近年出版業界も不況で写真集も昔ほど売れなくなりました。
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053 (68) 湖畔 Shiga
暗雲の日でした。生徒さんは雨が嫌いらしいが!!
私は雨は平気です。雨の日だって素晴らしい作品が生れます。
太陽賞の中の作品、撮影した場所は湖東で暗雲の先は比良山です。
琵琶湖へ通って55年(2019年現在)作品の前を通るたび思い出しますが
老木も何時の間にか消え、湖畔も変形しました。思い出は私の頭からは消えません。
平凡社太陽の紙面に大きく掲載されました。その応募作品30作品中、約半分は雨 ・ 曇 ・ 雪等の作品でした。
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053 (67) 湖岸道開通 Shiga Magahamashi
長浜市姉川辺りです、琵琶湖総合開発で湖岸道路が開通しました。
よみうり文化センター時代に撮影会で湖北を案内しました、
道路が完成したのは1989年〜1990年頃だったと思っています。
よみうり文化センターの生徒さんで藤田玲子さんが会う度にこの時代の事をお話しされます。
1992年に総合開発はその時はまだ工事中でアスファルト舗装はしてなかったです。
20年の歳月をかけ完了しました。藤田玲子さんは関西女性作家の最古参、
2019年11月15日から11月21日富士フォトサロン大阪で発表された作品は
相変わらずソフトタッチの作品でよみうり時代、約35年前からづっと追及され頭が下がります。
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053 (66) 富士幻想 Yamanashi
千里よみうり文化センター時代の生徒で堀田朝子さんは熱心で教室やツアーに良く参加されました。
ミノルタカメラの富士山撮影会で私も講師で参加しました。当時のカルチャーの生徒さん10人近く参加、
私はレンズに息を吹きかける技法をマスターして良く生徒さんにも教えていました。
富士山でも教え、この作品は私の手本ですが、堀田朝子さんも同じぐらい上手く撮れていました。
後日コンテストがあり、関西の有名写真家の高田誠三氏が強烈に押していたので、
私は堀田さんの作品と分っていたが黙っていました。
作品は最高賞に輝き、心の中で嬉しかった思い出と今も尚、この技法は伝えています。
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053 (65) ウインドサーフィン Shiga
琵琶湖を55年追い続けていると雨後の虹にかなり出会う、雨もその時は最高です。
2019令和 新天皇の皇室行事(天皇陛下 即位礼正殿の儀)の後に虹の映像がニュースで流れていた。
私も55年の中で虹の作品はかれこれ100点は持っています。私のギャラリーの一部にも入っています。
2001年ひこね文化プラザで行われた、国際ロータリー第2650地区大会プログラムの表紙に採用されました。
太陽賞の中にも虹の作品を入れています、虹は誰が見ても感動します。
風景写真の中で自然現象ですので全く予測なしで出現するのでドラマチックです。
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053 (64) 海津の桜 Shiga Takashimashi Makino
海津大崎の桜は関西の桜の中でも有数、その歴史は60年以上と言われています。
背景に湖があり写真も桜だけでなく、よりフォトジェニックです。
私は桜もテーマの中に入れるぐらい好きです。
多分、琵琶湖の海津の桜から始まっていると思います。
作品は前ボケ技法、手前の桜をピント甘くして後方にピント合わせて主題にする法です。
レオパレスのカレンダーに採用されました。現在、作品の中のポプラの樹はありません。
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053 (63) 写真誌の記事 Kodak Photo Capsule
タイトルにある様に丹後半島は私の得意とするところです。年に数回ですが、55年になります。
新井の千枚田は昔の風情は無くなりましたが、多くの名作が生れました。
丹後半島の真ん中の木子の途中にある上世屋にも1年に一度は必ず訪れています、舟屋は特に好きです。
1978年のフォトアート誌でも一等になり、写真家の植田正治さんはカメラ毎日評で、おとぎの国と表現されました。
1977年フォトアート誌は審査員、評論家の伊藤知己先生でした。
私の太陽賞記念写真展(ニコンサロン)に来て頂き、マツシマ君を
フォトアート賞にしたのは間違いなかったと喜んでいらっしゃったのが忘れられない思い出です。
伊藤先生は写真界の巨匠「土門拳」さんの甥だと聞いています。
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053 (62) 山本久右衛門さん Hokkaido
私の生徒さんの中で2019年12現在、99才で二科会会員です。
青木君夫先生と私の弟子でもある山本久右衛門さん、お二人とも長生きされて現在も作品創りに精を出されています。
北海道撮影ツアー31回目で写真集「グランド北海道」を出版されました。
このギャラリーの中に写真集の表紙があります。作品は早朝、日の出の頃に老母が散歩されていました。
山本さんは見事な構図で表情もキャッチした作品です。この作品で二科会の会友賞を受賞しました。
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053 (61) 写真誌 Nihon Shashin Kikaku
東京のカメラ誌の出版社、日本写真企画から素晴らしい自然と云うカメラ誌が出ていました。
特集記事の中で日本の棚田 ・ 畑を撮ると云う記事を私は数多く、中記事は私の中で最大でした。
1978年プロになる為に太陽賞受賞後、推薦人で関西の写真家「中村吉之介」先生の所へ伺った折に、
@写真家は文章を書けないといけない。A喋れないと一流になれないと語っていました。
私は当時、両方共だめで一流は諦めて、作品だけは誰にも負けたくないと思っていましたが・・・
東京新聞を始めカメラ誌にも数多く記事を書き、富士 ・ コダックの撮影会の講師も経験。
現在カルチャーを細々と5ケ所で教えています。
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053 (60) 写真集 Kodak Photo Salon
コダックより写真集5冊出版しました。
私の中では @琵琶湖 ・ A白鷺 ・ B棚田 ・ C桜 ・ D北海道 ・
Eモンゴル ・ F日本の風景 ・ G世界の人々等、テーマが沢山あります。
2019年 1/1 琵琶湖幻想しらさぎ55を発行(日本写真企画)。
タイトルの55とは55年の歳月と云う意味です。
写真集は自費出版含めて13冊です。
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053 (59) しらさぎ幻想 Nihon Shashin Kikaku
フォトコン東京のカメラ誌、アマチュア写真家に人気があります。
フォトコンの創立者、河野真進編集長時代から可愛がってもらいました。
一時は日本カメラの梶原高男先生 ・ 黒部一夫編集長 ・浜松茂志さんらにも
原稿を頂き有難うございます。作品はフォトコン2009年 2月号の琵琶湖詩情でした、
編集長は黒部一夫さん、琵琶湖知内浜が被写体地、丁度その頃から白鷺が来なくなりました。
フイルムは私の得意のコダックPCF、この色彩は誰も出来ない色、
1978年の太陽賞でも審査員がびっくりしたと聞いています。
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053 (58) 羽繕い Shiga
2019年 1月 1日発行の写真集、琵琶湖幻想 55 しらさぎに収録されています。
私の白鷺の作品の中でも味のある作品だと思っています。雨後に羽を一枚づつ水滴を掃除していました。
白鷺を撮影するテーマの中でこのシーンは一度きりでした、それだけに忘れない作品となりました。
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053 (57) エジプトにて Egypt
私の生徒さんで山川勝治さん、滋賀県彦根 ・ 二科会会友がいらっしゃいました、2019年に天国へ旅立たれました。
昔、学生の頃に野球のキャッチャーもされていたと聞き、体格もしっかりし強じんな体の持ち主だけにショックでした。
マツシマ先生にお世話になって10年だからとエジプトに招待して頂きました。二人で100万円の旅費と旅行代金が必要でしたが?、
そんな思い切りの良さと正義感を持った方でした。海外が好きで野町和嘉さんとも同行したとも聞きました。
また80回目の海外ツアーでした、私の最後の海外ツアーはエジプトです。
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053 (56) ウニユ塩湖の思い出 Tokuko Kawamura
彼女も同じく2019年に旅立たれました。
親友で生徒だった有澤玲子さんから電話で訃報を聞きショックで息が詰まりました。
何故!!去年(2018 ・ 秋) 北海道礼文島が最後の私との撮影、思えばよみうり文化センター時代に
有澤さん ・ ニシムラユージさん ・ 川村さんと4年間各地に撮影に出かけ個人レッスンをしました。
JPS銀賞 ・ 富士コン銀賞 ・ コダック特選 ・ キャノン入選等、数多く入賞されました。
山川さんと同じく正義感が強く、少しでも私が変な事をすると注意していました。
作品は御主人と相談の上、ウニユ塩湖の作品を選ばせて頂きました。沢山の思い出、
川村登久子さんありがとう。生前、生まれ変わっても御主人と一緒に過ごしたいと言う言葉は忘れられない。
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053 (55) 赤い砂漠 Namibia Namib Desert
私はマイたうん友の会と云う撮影ツアーを30年、今現在も続いています。
その数は800回を超え恐らく日本でも有数だと自負しています。海外も80回、34ヶ国行きました。
作品のナビブ砂漠(アフリカ)の旅行社は名鉄で私がこのツアーの企画は考えました。
殆どは岡下氏からの提案が多かったのですが?。この砂丘はサハラより良い様に思えた。
案の定、大当たりで3人が二科展に入選しました、
その一人が前項の川村登久子さん、ガイドに黒い服の演出をしイスラムの容姿でスナップした作品でした。
赤い砂を見ると川村登久子さんと竹田洋祐さん(奈良)を思い出す。
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053 (54) ギャラリーにて Fujifilm Photo Salon Osaka
2019年 8/16〜8/22 富士フイルムフォトサロン大阪で私の写真集発売を記念して、
マイたうん30周年記念グループ展を開催した。
私の作品の前で左は宇野伸一君(池田市在住)、宇野君も早くから作品創りをしていて
1976年、富士フォトコンテストでグループ上位になった時の写団とよなかのメンバーでした。
時々コンテストにも入選し、個展もしました。2019年JPS展で2枚組「満月」で優秀賞を受賞、
いつまでも写真が好きで良い作品が出来ればコンテストに出品して楽しんでいる所が好きです。
今後も頑張って下さい。
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053 (53) 一色カメラ Ehime
2019年夏、私は四国八十八ケ所巡りをしている、順番通りに行ってないので西条市の横峰寺が最後でした。
近くに一色龍太郎氏(二科会会員)が居るのを知り、会いたくなった。
それは2019 APA展で賞の作品を見て、プロながらJPS ・ APAにチャレンジしている所が素晴らしいと思ったからです。
以前から名前も知っていた、地方にいても作品を追い続ける姿も私は好きです。
立派なスタジオをお持ちで息子さんと共に頑張っている、元気でネ!!。
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053 (52) 記念写真 Ehime Saijyo Yokomineji
四国六十番札所、最後にしたのは相当歩くので歩くのが嫌いなため残していたのです。
私の場合、自家用車で廻っています、駐車場から出来るだけ近くが良いのですが?。
個人的に足が良くないので歩きたくないのです、8月の中頃ですが紫陽花の花が寺の途中にあって心が和みました。
2019年11月に高野山へ行きます。
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053 (51) 妻と共に Ehime Saijyo Yokomineji
2019年 8月、夏休みは必ず一週間休んで全国を旅しています、去年は思い切って北海道10日間でした。
1978年太陽賞以後、目標であったプロの道を達成、お正月とお盆休みは必ず全国、私の勝手な旅を計画しています。
今年は四国八十八ケ所の最終で横峰寺にしました。
地元の人の話から横峰寺は大変だと聞き最終にしましたが?、そうでもなかったです。
8月温度は35°登山すると汗びっしょり、日頃の運動不足がたたり疲れました。帰りは瀬戸大橋からでした。
2020年は東京オリンピック、私は1964年、前回のオリンピックの年に大阪に来ました。
混雑するので東京の娘たちの所へ行くのを諦めて九州へ旅行しようと考えています。
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