物語のとき 2


001 (51)    広告 siga
滋賀県の広告会社より1980~2000代、山田印刷が多かった。
県内一の大企業で大日本印刷みたいなもの、後にヤマダコンピューター印刷、
他 山田デザイン・プライニング広告作品が良く売れた。


001 (52)    なぎさ街道 siga
1987年?私は関西の巨匠「中村吉之介」先生によみうり文化センター講師を依頼された、
カルチャーの講師は初めて、写真クラブは1975年より色々とアマチュアにアドバイスをしていたが、
先生にOKの返事をして当時カルチャー150人程の大盛況、バス2台で琵琶湖へ・・・その時は
まだアスファルトしてなく砂利道で道路は未完成だった、1990年開通。


001 (53)    夕陽の中 siga
1987年日本カメラシリーズで「夜の撮影百科」琵琶湖の夕景をガイド、編集長は三上邦男さん
夕陽の中家族が・・・今の日本は・・・昔のイメージが少ない、私も同様・・・


001 (54)    家族 siga
1985日本カメラ68号「風景入門」でガイド、琵琶湖の湖北、自然が沢山残る琵琶湖の中でベスト3と云える。
家族が夕陽の中貝拾いである。日本カメラ別冊で良く採用して頂いた。
関西在住プロ作家27人展 byコニカフォトギャラリー東京(南新宿)
期間 1987年 昭和62年9月25日~9月30日
浅野喜市・有野永霧・井上清龍・井上博道・入江泰吉・岩宮武二・大江徹・川上緑桜・北尾順三・
小西祐典・小林文司・小山保・坂本樹勇・高田誠三・竹内広光・田中幸太郎・田中清司・棚橋紫水・
津田洋甫・長島義明・中村吉之助・西岡伸太・畑祥雄・平井忍・福田匡伸・マツシマススム・山本建三


001 (55)    鳥居とカヌー siga
フォトコン別冊に発表、タングステンタイプ(Tタイプ)フイルム使用、外人さんがカヌーで遊んでいた。
広角レンズで撮影、青の色で太陽賞を頂き簡単にやめられない、
やめようと思ってもやはり、たまに使用した、また編集の人達も何故か青色を選んだ・・・


001 (56)    水の流れ siga
JPS展に発表したら「世界画報」が使った、大きな雑誌でグラビアのトップに、大変嬉しく思った。
写真は大きく載る方が? 1990年9月号、JPSのテーマは「美しさ」だった。


001 (57)    南浜の朝 siga
湖北の中でも南浜のポプラの樹は大きくて美しかった、朝の日の出を樹の間に入れて伊吹山を撮影、真似して見た、
この作品も風景として良く使用された。私は1980年始めから自分でフイルムの貸出業(ライブラリー)を主な仕事とした、
前田真三さんが日本一の売り上げだったと聞いたから私も20年間はかなりの収入になった、
当時は1点3万円が相場だった。当時から金遣いが荒く人にご馳走するのも好きだった。


001 (58)    竹生島と桜 siga
1991・5 フォトコングラビア3ページ6点採用、琵琶湖と言えば竹生島、滋賀で最大の島。
桜の時期、毎年4月7日~16日でその中で良いのは3日間、温度で変化する。
(撮影は1978年頃) 松岡さんは現在、湖上タクシーを運営している。


001 (59)    残光 siga
秋から冬にかけて良く見られる、しかし何時でもとはいかない、この残月は1年の中2~3回位だと思う!!
気象・タイミング・運と色々な条件が必要。皆さんも努力すること、私みたいに通うと必ず撮れます。


001 (60)    花博 oosaka
1990年4月~9月 大阪鶴見緑地で「現代日本写真作家展 花と緑と自然」と云うテーマで
花博内に写真美術館が完成した。理事長 浅沼清太郎氏(元警視庁長官)理事は渡辺義雄・三木淳・秋山庄太郎、
学会は小沢健志・石井鐡太・能村邦子・梶原高男・日本カメラ編集長が協力されたと聞く、
美術館は鴻池組・錢高組・森組が施工。スポンサーは20社、主にキャノン・大日本印刷・日経新聞社他。


001 (61)    西ノ湖黄昏 siga
私の所に花博美術館より伴七郎氏が作品を収拾に来た、20点見せた中で8点受取って
帰られた。私の作品の中でも自信作、色合いが二度と撮れない作品だと思っている。
(後日、作品全点 大阪府で永久保存になった)


001 (62)    白鷺とアオサギ siga
同じ花博に出品、琵琶湖の自然らしさ、生き物が川の流れの中エサを取る、生きる証し
(撮影1987年7月) 写真美術館の入場者は130万人と聞いた。


001 (63)    残光 siga
花博に出品、湖上に光る残光、富士山の山の様に見える。琵琶湖は私みたいに何十年も
通えば作品は知らない内に作れる。自然相手なら通う事だ、2016現在、琵琶湖に足を
踏み入れて52年目だ。一番多い年は1年間で130日、3日に一回は行った事も・・・しかし
仕事が忙しくなれば、そううまく行けない。


001 (64)    ホタル siga
1970年代ホタルを写真作品にする人は少なかった、栗林慧氏ぐらい。
花博でもホタルを出品したのは私だけだった、カメラはMモード・ピントはマニアル・絞りF5.6・
シャッター10分(フジフイルムR400使用) 近年デジタルで簡単だが、昔アナログ時代はまず
撮る人が少なかった。


001 (65)    湖畔の春 siga
同じく花博出品、日中にストロボ使用、手前の明りはストロボでアクセントを付ける。得意の
タングステンタイプ(T64)空の青が強調出来た、通常のフイルムも使用したがこちらの方が
迫力が出た。彦根の湖畔だったが現在は道路になってこの作品も貴重な作品になった。


001 (66)    ポスター siga
ポスターの中に作品を使用したいとデザイナーから電話を・・・彦根のポスターを制作すると云う、
長浜でも有名なデザイナーと聞いた。ポスターを見ると中々、当時90年当初は味のある
ポスター、シャレていた。写真の作者としたらもう少し大きくして欲しかったがぜいたく!!


001 (67)    波の中 siga
彦根のポスターの中の作品、彦根での撮影でないといけない条件、ウインドサーフィンも波と
風のある日が良いみたい、風のない日は見当らない、ポスターの中の作品です。


001 (68)    湖北のアジサイ siga
1992シリーズ日本カメラ96号「風景を写す・中型カメラ編」 琵琶湖のアジサイ、余呉湖、
琵琶湖大橋をガイド、アジサイは三島池の夕暮れ、ストロボ使用、カメラはペンタックス6×7
約20年ペンタックスを愛用、潰した台数は3台。


001 (69)    湖畔 siga
同じくペンタックス6×7 日本カメラシリーズ96号で発表、編集部に「浜松荿志」さんがいた、
写真が好きな人でしょう作品を撮っていた。


001 (70)    暮色 siga
1992.3、フォトコングラビア5点発表(びわこの冬)竹生島と鳥、日が沈んでフイルム400を
1600に増感現像した。もし増感しなかったら鳥がブレて写真にならない・・・その様な失敗は
山ほど経験するもの!!


001 (71)    荒波 siga
1993.12 フォトコングラビア(新近江八景)4ページ8点採用して頂いた。編集長は
「板見浩史」氏 NHK TVフォトコーナーでて見ていました。琵琶湖では相当風が出ないと(風速30m)
波は立たない、高い時は5m超える時も。


001 (72)    竹生島 siga
編集長 板見さん、写真集「琵琶湖逍遥」を出版の時は大阪まで来て頂いた、感謝でいっぱい。
後日フォトコンの編集長便りに使って頂きました、ありがとう。


001 (73)    京阪百貨店(3-1) siga
1992.9月25日~10月7日 京阪百貨店で写真集出版記念として、
京阪ギャラリー オブ アーツサイエンス(7階)で写真展、入場者が6200名で大人気。
朝日新聞は「写真が元気」とニュースで取り上げていた(撮影は1979.6)。


001 (74)    京阪百貨店(3-2) siga
写真展のタイトルは写真集「琵琶湖私景」 写真集は会場で550冊売れ、作品も23点販売し、
京阪側から良く頑張ったと拍手して頂いた。百貨店前の当時、プリンスホテルで出版パーテー、
350人程のお客様に来て頂きまた、日本カメラの梶原高男氏も挨拶して頂き最高に嬉しかった。
1993.1月号 日本カメラグラビアに6ページ作品発表、後日写真家の北井三郎さんが
6ページも日本カメラが私に開放したのもびっくりしたと聞き、不思議に思ったが今になって
その言葉の意味も分かる。多くの作家が売り込みに来るので大変です(撮影は1981)。


001 (75)    京阪百貨店(3-3) siga
作品は京阪百貨店で人気の作品!! 滋賀県で初夏の花「カキツバタ」が自然に山合いに
咲くのが珍しいと云う、是非行って見たいと云う・・・平池を殆んどの人やカメラ愛好家も
知らなかった、メモして帰る人が多かった。


001 (76)    ねぐらへ siga
湖北で白鷺が5羽帰って行く、暗くなると白鷺たちはねぐらへ、白い鳥が印象的だった。
フォトコン別冊の「ポイントブック」秋に発表、編集部「大藤卓男」氏、愛媛県大洲市出身と聞いた
90年代、作品の原稿の依頼が多かった。私も知名度が上がり富士フイルム・コダック・
ミノルタ各メーカーからの仕事も増え、大藤さんに感謝でいっぱい・・・ありがとう。


001 (77)    湖北公民館 siga
百万人の写真ライフ・フォトコンの季刊誌1994.オレンジコーナーで取り上げられた。
作品は湖北高月町公民館を伊吹山と合わせて望遠レンズ500mmで撮影、1978の
太陽賞の30枚組写真のトップにした、私としたら初雪の伊吹山と云う設定だったが・・・
審査員の渡辺義雄先生(JPS会長・日本の巨匠東京写真美術館の館長もされた有名な写真家)
後日、琵琶湖のイメージと少し違うと云って頂いた、無い方が良いとも・・・


001 (78)    俳句古寺紀行 siga
或る日突然、馬場一郎氏から電話が入った(月刊太陽の発行人)パーティで仕切って
おられた・・・平凡社の中では大物と云う印象!!松尾芭蕉の大津から琵琶湖の写真を
撮れと云う依頼、びっくりするやら嬉しいやら、一生懸命取材してフイルムを沢山送りました。
霧の比叡山・延暦寺、また夜一人で過ごした事も・・・恐ろしい、いい写真を撮りたいと云う
気持でいっぱいでした(真夜中一人で撮影しました)。


001 (79)    俳句古寺紀行 siga
馬場一郎さんは平凡社、太陽をやめて新しく青人社を作って、販売は学研でするとの事でした。
当時「ドルフ」と云う本もありました、嵐山さんも同調されていました。


001 (80)    俳句古寺紀行 siga
松尾芭蕉が滋賀で過ごし墓も滋賀にある事も知り、勉強になりました。竹生島を見ながら
芭蕉も眺めた風景に私も何か感じる日でした。


001 (81)    昭和の終った日 siga
81’JPS金賞の年、三木淳氏がJPS会長に推挙され、私は表彰式に出席、そこで初めてでは
なかったけど三木さんと久しくなりました。「昭和が終わる日」を全国のカメラマンに君も
撮影せよ・・・と云う依頼、私は昭和天皇崩壊の日、滋賀県で一日取材、読売新聞大津支局で
新聞を見る婦人を撮影し、この作品が採用された。
しかし最も良い写真を送ったけど!! (世界文化社)


001 (82)    近江八景 siga
1982.大阪駅構内にセルヴィスギャラリーがあった、1日何十万人も通る横にギャラリーがあり
素晴らしいギャラリーだなと思っていた。このギャラリーは申込制でなく、JRと読売新聞、
大日本印刷の企画で展覧会する事でほど遠いと思っていた、下西社長(彩光社)
元富士クリエイト社長から琵琶湖を1年間撮影せよと云う依頼だった。


001 (83)    近江八景 siga
広重の近江八景を展示して現代の琵琶湖を見せると云うJRギャラリー、3周年記念の
特別展だと云う莫大な企画、私は一瞬躊躇したが、入場者が多いのと経費も出ると云うので、
1年間近江八景の浮世絵を持参して歩き回ったが!!とても広重の絵には程遠く困り果てた。


001 (84)    近江八景 siga
丁度その頃デジタルが世に出て、印刷会社・広告の世界で普及するとの事、堀内カラー現像所(プロの現像所で日本一)がコダック社より
3億の機械プリンターを日本で初めて導入する情報を得た。私は下西社長にコンピューター写真も現代として面白いのでは?と・・・OKが出た、
私は8点コンピューター写真を関西で初めての展覧会をしました。入場者は9800名、作品も約30点ほど販売、最高の年となりましたこの作品、
琵琶湖疎水は、写真展ではコンピュータにしましたが、この分はストレートです。初めてのコンピューター写真展と云う事で大人気でした。


001 (85)    近江八景 siga
浮御堂 この作品は多重撮影、私は多重を得意としていました。デジタル「グラフィック」社から
コンピュータの展覧会の情報が東京にも流れ、デジタルグラフィック写真集の中に是非と云う
事でした、又デジタルの写真集も初めて出版されました。私がこの時さらにデジタルをしていたら
関西はもとより全国で有数のデジタルマンになっていたかも!!しかし私はやめました。


001 (86)    朝靄 siga
1995年1月22日(日曜版)東京新聞に「自然と語らい」私の1枚の原稿依頼が来た。
新聞一面に大きく、私は作品と文も一生懸命努力して送り、東京方面から文も良いし作品も
素晴らしいと電話が多数入った。関西で岩宮武二巨匠が1ケ月1回読売新聞に出ていたので
羨ましく思って拝見していました。僅か1回ですが大変嬉しかった、この作品は類似で
新聞とは多少違います。


001 (87)    ポスター siga
余呉湖のポスターに採用された、同じく多重撮影だった、この時は残念ながら広告代理店が
倒産して琵琶湖の作品、竹生島中心に500点程行方不明になったのが悔しい!
今でも忘れられない。


001 (88)    スローシャッター&ストロボ siga
「ストロボ撮影のすべて」1995.フォトコン別冊で発表、ストロボ・ライト・タングステン・多重・
合成、私は何でも来いである、あらゆるテクニックを持ち合わせている。


001 (89)    夜の葦 siga
近江八幡 西ノ湖の葦(ヨシ)の夜、私は当時トヨタのサーフSSRXを新車で買った、屋根の上に
撮影台を作り上から撮影した。風で葦が動き見る人によって分りにくいかも、葦です!!
1985フォトコン別冊(朝夕・夜の撮影テクニック)に発表。


001 (90)    シラサギの舞 siga
1996フォトコン別冊(四季の自然 撮影上達の早道)に出品。知内浜で(1985年撮影)
魚眼レンズにストロボ、鳥との距離は10㎝程、考えられない撮影をしていた。ただしこれは
マル秘でした。弟子でも100%は無理!! 70%程は教えますが・・・・・・


001 (91)    杭の上 siga
水の文化情報誌「FRONT」と云う素晴らしい雑誌があった。「琵琶湖」8ページで特集して
頂いた。10点採用して最後のページにはポートレートも、山畑泰子さんありがとう。


001 (92)    たそがれ siga
山畑さんは私の作品から、よくぞこのスナップ写真を選んだのを今でも感銘を受けています、
本当にありがとう。私の心の中で好きな作品でした。いつまでも味のある作品です・・・・・・
何回見ても・・・


001 (93)    伊吹山 siga
湖北南浜より撮影、日本カメラシリーズ106「四季の美風景」 編集長は三上さんから
黒部一夫氏に代わっていた。グラビアは前田真三・山本健三・竹内敏信氏等の
人気作家だった(昔、竹内さんも琵琶湖をテーマにしていた、40年~50年前)


001 (94)    春の風物詩 siga
日本カメラシリーズ106に発表、四ツデ網漁・姉川だった。菜の花を前ボケで撮影、
赤色の漁師をポイントにした。今はこの様な風景はない。


001 (95)    秋の朽木 siga
フォトコン別冊(日本の自然撮影ガイド)に発表、又 私の写真集にも・・・茅葺き屋根が
近年ほとんどトタンが覆いかぶさっている・・・残念です。


001 (96)    ユリカモメ siga
シリーズ日本カメラ104(撮る風景)に発表、 琵琶湖で日中ストロボを使用、ユリカモメだった。
その後この様な風景に会わない。


001 (97)    彼岸花 siga
日本カメラシリーズ117(四季の花を撮る)に作品発表、ガイド記事も書くのは関西で指折り
でした。少しづつ自分の中で欲求不満になりました、グラビアが一番いいことは分っているが・・・
撮影ガイドが多い。


001 (98)    浮御堂残月 siga
「近畿は美しく」毎日新聞社・毎日放送編 1995.9.20発行。近畿圏在住カメラマン40名に
選ばれて4点作品発表。浮見堂の夜、上の黒いのは手製のフイルター(ND)の代わりにした、
月が強い為、後日カレンダーのも採用された。


001 (99)    竹生残月 siga
近畿美しくの編集は「シーグ社」の増田さん担当、私の「琵琶湖私景」写真集も編集された、
私が気に入らぬ作品もあったので喧嘩もしたけど、関西発行で3刷まで行ったのは、
初めて位売れました(竹生島を飛ぶカモ)


001 (100)    春 siga
増田さん(シーグ社京都)を紹介して頂いたのは中村明己氏(JPS会員)、中村さんとは
アマチュア時代からの親友、1974~76年 写団 蟲 写真クラブで撮影はたまに2人で
琵琶湖に・・・彼も太陽賞に応募したが・・・最後の8人に残り・・・残念ながら・・・
JPS入会の折は私が保証人になりました。

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