マザーレイク 1
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
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005 (1) マザーレイク(エリの朝) shiga takashimashi
私の作品の中で大人気の作品、花博(現代日本写真作家展)美術館「花と緑と自然」日本人作家36名に選ばれた。
渡辺義雄・三木淳・秋山庄太郎・小沢健志・石井鐵太・能村邦子・梶原高男氏等で選考されたと聞く、
入場者は1800万人だったとか? 花博写真美術館が会場にあった。
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005 (2) マザーレイク(母の湖)A shiga okubiwako
1964年 日本写真専門学校(大阪)入学で父からマミヤ6×6を買って貰った。
東京オリンピック’64の年、日本の経済が発展しようとしていた時代、写真もブームだった。
私はプロのカメラマンに憧れていた(マミヤ6×6:1964年撮影)
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005 (3) マザーレイク(母の湖)B shiga okubiwako
広告会社のデザイナー山本めい子さんより、或る日電話で今度滋賀県をPRするポスターのプレゼンテーションがあるので、
私の作品からイメージを考えたいという電話があり作品を多数お貸しした、その後作品を選出したと聞き、
結果2位と聞き残念だなあーと思っていたら写真が良いので次回に使用するとの事だった、
この作品を使いたいと・・・決まった(1964年撮影)。
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005 (4) マザーレイク(母の湖)D shiga okubiwako
1997年10月 5日 朝日新聞社会面の下に「青鉛筆」と云うコラムに私の写真の中にコピーでMother Lakeと云う記事を見た、読んでみると
滋賀県が民放TVの全国ネット番組の提供スポンサーになり、琵琶湖保全を訴えるCMを流し始めた(当時としたら珍しかったが近年何処の自治体も
TVで良く見かける) ポスターの中に「かけがえのない財産を預かっているのは滋賀県です」と「環境熱心県」をPRすると云う・・・
全国的に琵琶湖が何処にあるか知らない人が多いとか!!・・・ 私も「マザーレイク」にあやかって写真展を「富士フォトサロン銀座」で開催した。
玄光社「フォトテクニック」 1999年11月 1日号作品が紹介された(1965年撮影)。
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005 (5) マザーレイク(母の湖)E shiga okubiwako
撮影は奥びわこパークウェイから、当時は有料道路(現在は無料)その為料金が必要だったので計画して通過しないと
ガソリン・食事代・コーヒー代・フイルム代・現像料と1日数万円の費用だった。現在のデジタル時代と比べて大きな差だと思う。
(デジタルはフイルム代と現像料が不要になった)。
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005 (6) マザーレイク(母の湖)F shiga okubiwako
近年この様な作品を制作しようと出かけたがカメラアングル・ポジションを探そうとするが!!中々このアングルが見つからない?
何故か!!それは樹が大きく伸びてカメラのフレーム内に樹の枝が伸びて来て邪魔している困ったものだ。
50年の歳月で樹が伸びてしまった(1972年撮影)
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005 (7) 夜明け shiga kohoku
琵琶湖撮影のピーク時(’69〜90年)は年間100日程通ったが・・・近年40〜50日、従来の半分以下になった、自然風景の撮影は何回も
通ってチャンスを待つのが良い、しかし1980年代は琵琶湖のテーマで写真展を発表していたのは私と安岡孝治氏(二科会会員)の二人だった。
私の場合個展は10回以上だった、一番多かったと思う。日本カメラ・フォトコンも琵琶湖の撮影ガイドを良く書いていた。
日本カメラに発表(1973年撮影)。
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005 (8) 日の出 shiga kosei
写友「森成雄」さんとは10年以上琵琶湖に通った、彼は野鳥が好きで特に白鷺に夢中だった。川上緑桜氏と同じ「地懐社」に
3〜4年在籍したが?鳥だけではクラブでも上位に行かない!!・・・と云っても’74日本カメラ年度賞2位(審査員・秋山庄太郎)だった。
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005 (9) 残光 shiga kosei
湖西の光が良かった、太陽賞で「伊奈信男」審査委員長は私の作風を心象的風景ドキュメンタリーと言っていた。私も同様の気持ちで
自分でも心象作品と語っていたが・・・時間・時代と共にその言葉は近年あまり使わなくなった。
(1977年撮影) 写真集「琵琶湖私景」発表。
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005 (10) 琵琶湖の朝陽 shiga kosei
1986年頃、湖西道路が開通して便利になったが・・・料金が高く車の量も少なく現在では無料になった。
土・日は混雑がひどくなっている、湖西道路の丘より撮影、自費出版「びわ湖の自然」写真集6に収載、2011年4月発行(1993年撮影)。
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005 (11) 魚入(エリ) shiga kosei
水資源開発公団(琵琶湖総合管理所)発表の琵琶湖総合開発事業終了の記念誌(さざなみ)、1993年 3月31日発行の中で
この作品を含め14点を採用して頂いた。 写真ライフ’94年(湖愁)グラビア4ページに発表、編集は大藤卓男氏・・・
早朝に車のライトをエリに照射した(1985年撮影)。
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005 (12) 夕陽 shiga kosei
比良山系を後方に夕陽の撮影、雲間から出て来た所を狙った(島は多景島、彦根付近から撮影)。写友「森さんはフロ屋さん」
父から毎日曜日休むのは良くない、3の付く日(3日・13日・23日・)月3日にする様言われた、作品は一緒だった
望遠レンズ300ミリで撮影、自費出版「びわ湖の自然」写真集6に収載、2011年4月発行(1982年撮影)。
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005 (13) 朝陽 shiga kosei
湖西より雲間から昇った太陽を撮影、一時間前から日の出を待った、杭は計算に入れる(1971年撮影)。
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005 (14) 西の湖夕景 shiga kotou
私の中で近江八幡市の西の湖は琵琶湖全体でベスト?に選んでいる、特に琵琶湖の代表、葦(ヨシ)が多いからです、背高も3m程あって美しい。
日本全国の葦を見て回っているが、西の湖のヨシが一番だと思っている(1974年撮影)。
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005 (15) 朝の竹生島 shiga koseiより
早朝4時に家を出た、もちろん日の出と竹生島を撮影の目的、前日気象条件を調べて・・・まずどの辺りから撮影するかは前日に考える。
竹生島は湖北で一つだけの島やはりポイントになる。当日船も浮かび静かな日の出だった、手前に網干しを配した(1985年撮影)。
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005 (16) 伊吹山と竹生島 shiga takashimashi
この日は早朝3時に出発、冬だったので日の出は6時頃、空は焼けて陽が昇る寸前にアングルは伊吹山中心にした。
?エリ漁(右)・?竹生島・?伊吹山、雲も良い方だと思う、いい風景で満足する。写友の森さんが居ないと寂しい・・・彼との休日と私の
都合が合わなくなった、又私はツアー教室が忙しくなった(1988年撮影)
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005 (17) 朝もやの中 shiga kosei yori
私の家から湖北迄2時間30分必要、その為には冬場なら3時出発。カメラマンは辛いが?その瞬間の希望を持てば吹っ飛んでしまう。
この日は「もや」が多過ぎて撮影には不良条件だけど行けばシャッターを押す、魚入(エリ)に一羽の鳥が乗る前だった(1989年撮影)。
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005 (18) 竹生島と白鳥 shiga hayasaki yori
撮影で早朝出発はどちらかと言うと、まだゆっくり寝たいので本心は辛い!!写友の森さんが迎に来た頃(1972〜1983年)は
運転も彼がしたので寝たい時は助手席でいびきをかいていた。1983年に森さんの父が休日を変えてそれ迄 日曜だったのを
私が木曜日になり、森さんは3の付く日に曜日も変わり、お互いの休日が変化したのと、私も1980年頃から色々売れて仕事が急激に増えた、
まさしくバブル時期(1983年撮影)。
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005 (19) 夕照の中 shiga hikoneshi
私の場合夕景は必ず撮影した、ツアーとなれば、夕方6時迄位が?大阪駅に着くのが7時〜8時、自宅に着くのが8時半から9時、
夕食もそれから(1964〜2003)迄は自宅に帰るのは10時〜12時だったが、年齢と共に無理が利かなくなった。
作品はCMに使用(1981年撮影)。
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005 (20) ねぐらへ shiga kohoku
野鳥たちは夜行性以外、夕暮れ時ねぐらに帰るのでチャンスだ!!アナログのフイルム(リバーサル)の時代、シャッター速度を
高速に上げるには絞りを開けなくてはならない。私の場合連写をしていたがこの作品だけでフイルム1本36枚使用していた。
誰よりもシャッター数だけは写友やクラブの方々にも負けた事はなかった(1976年撮影)。
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005 (21) 残雪の竹生島 shiga takatukichoより
3月上旬 湖北も雪解けだった、現在3月は殆ど雪が少ない。確実に「地球温暖化」は琵琶湖にも押し寄せて来ていた、「なぎさ街道」も
まだ開通してなく工事中、車の置き場所はその頃どこでもOK、しかし現在は駐車場が少なく道路で止めてはだめ位、通行量が多い。
写真集「琵琶湖逍遥」に発表(1987年撮影)。
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005 (22) 湖北夕照 shiga onoue yori
旅館「紅鮎」が滋賀県では有名、温泉につかりながら竹生島を見れる唯一の高級旅館、私は1980年頃おじいちゃんの時代からの知り合い。
なぎさ街道オープンに合わせて高級旅館となった、それ迄家族3人で運営されていた。 「琵琶湖逍遥」に発表(1990年撮影)。
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005 (23) 近江のヨシ群 shiga nishinoko
ヨシの群生、西の湖。 1〜3月に葦刈りが行われる、早春の風物詩だ、野焼の煙の効果が(1999年撮影)。
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005 (24) 葦(ヨシ) shiga oumihachiman
毎年1月から3月、ヨシの成長が止まるのを待ってヨシ刈りが行われる。 約3m程成長、その並びは美しい、京都の町家で見られる。
ヨシで出来た「すだれ」は何か時代を感じ、タイムスリップするのを感じる(2016年 2月撮影)。
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005 (25) 天空へ shiga oumihachiman
空高く成長したヨシの中から空にカメラを向け人と違ったアングルを見つけた時代。
葦の中に入ると地主から注意されるので注意・・・(1968年撮影)
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005 (26) 雪の日 shiga oumihachiman
「琵琶湖私景写真集」大阪東方出版より1992年10月20日発行、発表。 第3刷までの写真集では当時一番良く売れていた。
滋賀県から「ブルーレイク賞」、1993年琵琶湖を広く紹介した業績で頂いた(1981年撮影)。
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005 (27) ヨシ刈り shiga nishinoko
1964年 大阪の日本写真専門学校に入学(日本で一番古い写真の専門学校)、将来プロ写真家に憧れ、何かテーマを持ちたいと思いつつも・・・
ただひたすら琵琶湖が気に入り出かけていた。 後日、作品は色々な所で発表、貴重な作品になった(1965年撮影)。
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005 (28) ヨシ焼き shiga nisinoko
写真集、私の第2弾「琵琶湖逍遥」1999年11月25日 大阪東方出版より発行、日本写真家協会会長、東京都写真美術館初代館長もされた、
写真界の巨匠「渡辺義雄」先生にお願いして序文を書いて頂いた。 先生は「太陽賞」と「JPS’81」の審査員をされており褒めて頂いた
嬉しい記憶がある、夜のヨシヤキ(近江八幡市の主田盛二氏の協力で撮影出来た、1995年撮影)。
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005 (29) 日中のヨシ焼き shiga nishinoko
夕方からのヨシ焼きは大人気で琵琶湖の早春の風物詩として、又近江八幡市は「夜のファンタジー」と銘打って大宣伝し、
多くの観光客やカメラマンで賑っていた。 夜は中止され、その後日中のヨシ焼きになっている、ヨシ焼きはは事前に決まってなく
当日の朝、天候を見て決定する(2014年撮影)。
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005 (30) ヨシの新芽 shiga nishinoko
ヨシ刈りが終わって4月中旬、1ヶ月で新芽が出る植物の成長は早い、新芽の横では焼き込まれた葦の芯が残る。
この作品を撮影に一人で行ったが年を取ると何となく寂しい(2016年撮影)。
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005 (31) 早春 shiga oumihachiman
近江八幡は歴史的にも安土時代「織田信長」の安土城が直ぐそばにある、多分この西の湖から安土城の真下まで船道があったと思う。
今はその面影も残っていないが!! 私が琵琶湖をテーマで安土山に登って、石垣の残骸が見えるだけで荒れ果てていた。
その後、整備観光化されている(2016年撮影)。
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005 (32) ヨシの湿原 shiga omihachiman
近年 奥さんも撮影に同行すると、お菓子の有名な「たねや」があり、コーヒーとロールケーキのセットを御馳走しないといけない、
私も大好きです(2016年撮影)。
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005 (33) 昔の風景 shiga hikone
現在この風景は無い。 1975年頃私がまだアマチュア時代、琵琶湖に夢中になっていた頃、右の奥プリンスホテルが見える。
現在はここに道路が出来て、この風景は消え去った、菜の花が湖岸で良く見られた風景で、私は数多くの作品がこの場所で生まれた
また大阪府永久作品も中に入っている(1975年撮影)。
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005 (34) 早春と靄(もや) shiga nagahama
尾上(湖北)は夕陽の名所、カメラマンのメッカ、土曜・日曜は多くのカメラマンが全国から来る、この日はツアーバスで「アマチュア会員」の
方々を案内した。 日中の靄(もや)が珍しかったので私もシャッターを押した、私は基本的にツアーや教室ではあまりシャッターを押さない事を
モットーにしているが、気象条件に変化がある場合、時々シャッターを押す(2000年撮影)。
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005 (35) 湖岸の流木 shiga kosei
関西に「棚橋紫水」氏(1906年〜1991迄)、私が大阪に来た時No.1の写真家だった(私の心の中は一番が岩宮武二氏、二番が棚橋氏)。
1978年私が「太陽賞」を受賞し個展をしていた、大阪心斎橋・カメラのナニワのギャラリー(月半分がニコンサロン・残りの半分はナニワ独自のギャラリー)
棚橋先生がお見えになり、先生自身も琵琶湖の撮影をされた。ギャラリーに二回訪れて気に入られてお茶をした、その時の言葉の中に
マツシマに向かって絶対にお酒を飲むなと言われそれ以降今でも守っている。心斎橋に鹿鳴館と云う喫茶店がある、棚橋先生の名作(花魁)がある。
先生の作品集で「流来流去」の中でヨシが風で倒れている作品が忘れられない(1968年撮影)。
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005 (36) 湖岸の一輪 shiga kosei
琵琶湖の周囲を色々回っているが湖に面して花等は滅多に出会わない!!湖岸そのものに花は植えていないのが現状です。
昔から湖岸ギリギリに建てられた旧家の庭先には良く見られるので、その花を利用して撮影した(1968年撮影9
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005 (37) 桜と岩 shiga takashimashi
桜はやはり日本人の心だと思う。大好きです遠くは東北、北海道迄足を伸ばしている、2016年は信州・東北・北海道と桜尽くし心の旅だった、
私のホームページギャラリーの中に桜シリーズがあります、見て頂けたら光栄です(1968年撮影)。
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005 (38) 海津の桜と竹生島 shiga takashimashi
1992年発行の「琵琶湖私景」に発表、高島市の職員に私の教室の生徒さん「森本正則」さんがいる。
滋賀の撮影時に開花情報をたまに聞く時も!!桜の開花は毎年違う、確かめるのに往復5時間無駄にするよりも電話で一言聞く方が・・・
この桜並木も60年程なり、そろそろ老齢化している(1972年撮影) 絵葉書でも使用。
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005 (39) 湖の光 shiga kaiduoosaki
近年海津の桜も人気で車も一方通行に成り、桜の撮影も大変1997年大型バスで80人案内した。撮影よりも交通整理を
する方が忙しかった思い出が・・・(1983年撮影)。
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005 (40) 桜と湖 shiga kaiduoosaki
写真撮影ツアーが2016年現在「650回」を超えている。 案内は琵琶湖だけでも延べ人数にすれば1万人は超えている。
最盛期は大型バスで又、富士フイルム・コダック・カメラメーカーの案内、講師もしていた為に多い。
現在も細々と続けているが年にツアーと教室合わせて30回程案内している(1974年撮影)。
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005 (41) 水面 shiga takashimashi
琵琶湖をテーマに決心したのは1969年、西嶋保介氏に初めて案内してもらってから5年目だった。私には琵琶湖の自然が田舎育ちの為か
合うと思ったからだ、又すでに5年の歳月で一番フイルムの量も多かった(36EX・スリーブで3000本程あり) 続けて行く事を決心、
私の自費出版した琵琶湖の自然写真集No.6で発表(1968年撮影)。
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005 (42) 田園の中 shiga moriyamashi
琵琶湖をテーマに決心したら色々な角度から撮影をしなければならない、琵琶湖でシャッターを押すだけで作品は一筋の道に繋がる。
次の世代の方も是非進めたい、琵琶湖の自然は素晴らしい、私は70才を超えた(2016)テーマを決めたら通う事・記録する事を
若いカメラマンに教えたい、テーマを決めたら通う事(1971年撮影)。
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005 (43) 梅花藻 shiga maibarashi
米原市醒井のバイカモは清流の中、白い小粒だけど爽やかだ!!街道の横(地蔵川)の水中花は近年観光客も多い。
また宿場の姿が残り歴史を感じる、毎年7月中〜8月中(約1ケ月間) 2013年撮影。
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005 (44) アマサギ shiga omihachiman
私は琵琶湖をテーマにしている中、自然に野鳥が撮影出来た。 湖をぐるぐる回っていると各季節、色々な野鳥と出会った。
特にサギ類は今年で52年目、シーグ社編集人の増田さんから、1991年白鷺の写真集OKの返事を既にもらっている。
1999年に(約2000点)持参した、後は気持ちの問題だけ!! 私のホームページの白鷺を見て下さい、52年の歴史が詰まっています、
また白鷺の特集もしています(1977年撮影)。
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005 (45) 湖上漫遊 shiga biwako
早くから25万点の作品が集めている、私は1980年に「ライブラリー」フイルムの貸出業務をしている。他の業者は
色々オールマイティな作品を50万点で営業、私もライブラリー数社に作品を預けたが、年に数点売れるだけ、自分でした方が
利益も多いし、琵琶湖だけの方が分りやすいと思った、各雑誌の発表も琵琶湖だけに絞り、マツシマススム&琵琶湖と
思われるように努力した(1973年撮影)。
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005 (46) 若者たち shiga biwako
「流し撮り」ジェットスキーに合わせてカメラを動かす、昔はこの技術大変難しかったが近年デジタル化で沢山シャッターを押せて簡単になった。
1/15・1/30・1/60で充分(1973年撮影)。
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005 (47) 湖上で shiga biwako
ジェットスキー(水上バイク)が琵琶湖で20年前あたりから見られた、珍しいのでシャッターを押したが湖が油で
汚れると聞き、好きになれない(1996年頃撮影)。
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005 (48) 夏の日 shiga kusatushi
私も琵琶湖へ泳ぎに来た事も・・・1965年「江若鉄道」に乗り真野浜だった。江若鉄道の車内に畳があったのを思い出す(1998年頃撮影)。
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005 (49) 思い出 shiga manohama
写真を見れば日本のバカンスは素晴らしい事が分る、良き時代だと思う。幸福がいっぱい詰まっている(1982年頃撮影)。
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005 (50) 夏の日 shiga biwako
アマチュア時代(1964〜1977年)、月例に夢中になっていた頃の作品、月刊フォトコンテストで審査員は「秋山庄太郎」さん、当時人気作家で上位だった。
作品は特選で1ページだったのを記憶している、40年前、西嶋保介先輩と一緒だった(1975年頃撮影)。
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