マザーレイク 2


005 (51)    夏の日 shiga biwako
アマチュア時代(1964~1977年)、月例に夢中になっていた頃の作品、月刊フォトコンテストで審査員は「秋山庄太郎」さん、当時人気作家で上位だった。
作品は特選で1ページだったのを記憶している、40年前、西嶋保介先輩と一緒だった(1975年頃撮影)。


005 (52)    ウインドサーフィン shiga okubiwako
琵琶湖の湖上でも色々な遊具が登場した、若者の遊びも変わって行く、背景を黒バックで撮れるのは奥びわ湖のみ(1998年撮影)。


005 (53)    夕暮れ shiga otsushi
ミシガンが就航したのは1982年、京阪電鉄だった。私も10回程乗船した、大津から琵琶湖大橋だった、外側の湖畔から
撮影を良くした、T64使用(1984年撮影)。


005 (54)    落陽の頃 shiga kosei
静かな夕陽、気分も落ち着く、私は琵琶湖で一人湖と対話していた(1976年頃)


005 (55)    花火と月 shiga otsushi
8月8日琵琶湖花火大会がある、帰りは夜1時頃、過去12回程撮影した。 残月と多重撮影フイルム時代だった、
当時多重撮影は大変難しい、だがデジタルになって簡単に・・・コダックから写真集が発売された、第一集から第五集まで一挙に発売された。
第一集に作品が含まれている、私の考えでは花火そのものは花火師の作品だと思う?写真の道具を使って複写していると私は見ていて、
昔から花火の写真に疑問を持っていた。花火と風景・花火と湖・街の光或いは港・人物等・花火以外があれば良いと!!多重・ブレ・ソフト・流し・
ズーミングなら私はOKだと? その意味で枚方の巨匠「田中幸太郎」氏(JPS会員・稚草社)はイメージを考え、光を利用して撮影されていた(1973年撮影)。


005 (56)    花火大会 shiga otsushi
大津の花火大会、ライブラリー(フイルム貸出業)用として撮影、新幹線のL&Gで採用された。本来この様な撮影は
あまり好きではなかった。枚方の巨匠「田中幸太郎」氏の花火を見てから、そちらが好きになった、守口市美術展で先生と私は審査員を10年以上一緒だった。
その時に先生は常に花火の作品で発表していた、先生は三脚を使わず手持ちでイメージを考えて作品を創る事を教えて頂いた、
先生の言葉で或る日、TVのニュースを見て、富士山丸と潜水艦が衝突して、富士山丸の船員が船の周りで助けを求めるシーンを先生は花火を見ながら
花火を使って映像に表現すると先生は語っていた・・・私はその話を聞き、背筋が寒くなる位に感動してびっくりした、その後花火の撮影は三脚をして
花火の光の撮影はやめて先生のイメージに合わせて作品を創るようになった(1981年撮影)。


005 (57)    花火とアオサギ shiga anegawa
よみうり文化センター時代に三坂康一氏を指導しながら撮影に良く出掛けた。 長浜の花火大会の花火が姉川に写った、
車のライトを利用してアオサギを撮影、三坂氏本人はマツシマススムの2番目の弟子だと言っていた?弟子とは何処までが弟子なんだろうか?
一年に一回も会う事も無く写真展の折に会場で会えば、お茶をする程度(1997年撮影)。


005 (58)    白鷺たち shiga takatsukicho
夕暮れ白鷺たちが集まっていた、私は白鷺だけでなく風景・スナップなど色々と撮影、同じく三坂氏も努力して良く撮影していた、
良き思い出だった(1993年撮影)。


005 (59)    乱舞 shiga anegawa
白鷺たちも気まま!!多分エサが多い時に集まるのだろう?琵琶湖の白鷺も野鳥、人間を見ると危険と見て飛び立つ、
私は日頃「鳥との対決」と呼んでいる、逃げられたら失敗です(1998年撮影)。


005 (60)    仲間 shiga biwa-cho
私の写真集「琵琶湖逍遥」第2集で発表、作品集の中に12点の野鳥写真が入っている。編集人の今東成人氏(東方出版)も
鳥の写真が良いと思ったからだと思う!!(1993年撮影)。


005 (61)    白鷺 shiga takashimachi
知内浜は「森成雄」氏が最初に撮影したと思っている(何度も書いている)、生簀に群がる白鷺が当時50羽~100羽はいたと思う!!
この作品は後に生簀の水を巡回するもの、水車の水を利用して撮影。 割にこの作風はあまりコンテストに入選していなかった(1983年撮影)


005 (62)    水辺 siga adogawa
この日は三坂康一氏と同じだった、富士フォトコンテスト’88で銅賞になった。 京都の風景写真家「上杉満生」氏も良く出会った、彼は
外車で横付けし、三脚はGITZO、ハッセルブラッドで撮影していた。 その頃鳥も近くにいたので楽に撮影出来た、今は知内浜も
鳥が来なくなり条件が変化した(1987年撮影)。


005 (63)    水の流れ shiga takashimashi
当時私は、鳥が居れば必ず撮影、野鳥専門ではなく琵琶湖だったら被写体は何でも良かった。被写体になれば出来るだけ工夫して撮影する、
良いと思えばシャッターを切る・・・(1969年撮影)。


005 (64)    飛立つ shiga otsushi
初期の頃に湖岸を廻っているとどうしても白鷺が眼に付く、色が「ホワイト」だからだと思う。カメラを向けると気づかれて逃げてしまう、
殆どが失敗だった(1968年撮影)


005 (65)    餌を取る shiga adogawa
フジT64で増感128で撮影、通常私の場合、三脚を使わないのをモットーにしている、シャッタースピードが1/60以下になるか、滝とか川の流れを流し撮り、
長時間露光意外は出来るだけ使わない主義だ、他人から見たら変わってるかも知れない。増感をすれば粒子が荒れるがコントラストは付く(1968年撮影)。


005 (66)    川の中 shiga adogawa
大サギとアオサギ、白鷺の中で大きいのが「ダイサギ」、人間に対して警戒心が強い。琵琶湖では隠れる所が少ないので
割と難しい、たまたまチャンスだった、勝利・・・(1982年撮影)。


005 (67)    竹生島とユリカモメ shiga on the lake
1981年の1月私はJPS展を目標にしていた、JPS会員になる事が夢だったからだ!! 寒波を待ち日本海上空マイナス51℃と
ニュースで流れた、前日 昔の「紅鮎」に泊る、お客さんは私一人だった。船頭の松岡さんの船に乗り暗がりより出港、
イサザ(全長7センチ)漁、置引網漁だった。 当日「湖北冬日記」4枚組写真で「金賞」になった。後日、漁の写真は
学研『冬の漁・魚の歳時記シリーズ」で採用された、白木さんありがとう(1981年撮影)。


005 (68)    アオサギ shiga kosei
1976年 日本野鳥の会のアンケートで全国82ケ所でアオサギの繁殖地が報告されている。
滋賀県でも私の調べで6ケ所は見つかった、竹生島のコロニーが一番大きく1000羽だった。
学研「鳥の歳時記」初夏の鳥No.2でも竹生島のアオサギを発表している。作品は生徒の三坂氏と安曇川だった。
魚の遡上で飛び跳ねる魚を待っている(1988年撮影)。


005 (69)    湖上 shiga takashimashi
湖上でひと休みの白鷺達、私がネット作品を公開したのは写真界では早い方?2000年頃はホームページを創って公開し、
ただし5年はそのままで動かさず!! 見た人達から作品が変わらずと意見されクレームが!! それからホームページを少しづつ
動かして現在1500点に及ぶ(1969年撮影)。


005 (70)    近江富士 shiga otsushi
ホームページにわずかづつ作品を入替えたり、順番を変えたりオリジナルに近くなる様に努力はしている。
少しづつ見る人も増え、近年海外の方も見て頂いている、大変嬉しい・・・個展が不要に思う事も!!(1968年撮影)。


005 (71)    白鷺 shiga otsushi
野鳥は古い新しいと云う区別はあまりない、白鷺は何時までも白鷺、大きく撮るか!! 風景を生かすか!!
この様に波と光を生かすか!!自然相手だから大変だ(2002年撮影)。


005 (72)    眼光 shiga adogawa
この作品はストロボ光で眼光となっている、巨大ストロボミニカム・スーパー(ガイドNo.180)で撮影(1987年撮影)。


005 (73)    重すぎる!! shiga adogawa
アオサギが魚をくわえたのは良いが!!飲み込めず困っていたが、その後飲み込み私はびっくりした(1993年撮影)。


005 (74)    エサを待つ shiga adogawa
よみうり文化センター千里時代、三坂氏は9年間私の元で個人的に色々と勉強した。 写真クラブ「昴」を結成、
ここ数年グループ展をしている(1995年撮影)。


005 (75)    乱舞 shiga okubiwako
1982年「粟津潔先生」(日本を代表するアートディレクター)からポスターを4作使用して頂いた、2作は白鷺。
2作品とも大ヒットになった。 ポスター展で入選、海外から引き合いも。「年鑑日本の広告」・「グラフィック年鑑」と
大作になった(2002年撮影)。


005 (76)    知内浜 shiga takashimashi
知内浜の朝陽、白鷺が多い時は200~300羽、噂を聞き全国からカメラマンが押し寄せて来た。 こんな近場で撮れる場所は他に無い、
多い日カメラマンは300人~500人の時も、海外からも来ていたが・・・2005年頃から少なくなり今では一羽も近くで撮れない、
環境の変化だろうか!!素晴らしい野生の世界(ワイルドライフ)1984年 6月号で発表する(1982年撮影)。


005 (77)    ひとりぼっち shiga takatsukicho
夕暮れの中アオサギ、従来アオサギは個別行動が多い? 琵琶湖では殆ど逃げられてしまう。 私が一人の時は慌てず
ゆっくりと、その時は上手く行く、私は野鳥撮影は対決だと思う(2000年撮影)。


005 (78)    湖の中 shiga biwako
琵琶湖のテーマ、自然の中として野鳥を撮影していたが学研の「白木氏」が私の所に来て作品数を見て学研の本の中に
何度か使用して頂いた、1983年の事だった(白木靖美さんに感謝している、名物編集人だった)1978年撮影。


005 (79)    杭の上 shiga biwako
学研は「鳥の歳時記シリーズ」全5巻だった、その中で表紙も又、白木靖美氏は私の作品で琵琶湖の写真集を制作したいと常に言っていたが、
中々写真集は売れないのが現実・・・実現しなかった 販売価格が8000円の予定だった、しかし白木さんは北海道の写真家「志賀芳彦「氏の
写真集、価格は多分一万円以上? 一万部以上売れたと志賀さんより聞いたことがある、私はびっくりした・・・ 
白木さんは一流の編集人、営業は売れなくては・・・(1981年撮影)。


005 (80)    鵜 shiga biwako
1974年、竹生島で私は白鷺3000羽の中でたったの一羽の鵜を見つけて自慢していたが、・・・その後竹生島に
2万~3万羽の鵜がやって来た(1993年撮影)。 川上緑桜氏は白鷺以外は「絶対撮らない」と私に言っていた。


005 (81)    竹生島と鵜 shiga on board
朝日カルチャー中之島教室で「琵琶湖を撮ろう」と云う企画があった、生徒さんを連れて竹生島の鵜を撮影、鵜の数は3万
船頭の松岡さんとは1980頃から彼の父親からの付き合い、湖上での撮影は常に協力して頂いています(NHKで大ナマズを案内)は
滋賀県では漁師として有名人、彼に案内してもらった(2008年頃撮影)。


005 (82)    光線の竹生島 shiga onoue
湖上の白い線(光線)は良く見られる風景(秋から冬に多く見られる)、雲間からの白い光、湖北の名物と云える。 風景写真家にとって素晴らしい
日本有数の被写体地、私がまだアマチュアの頃愛知から竹内敏信氏が撮影していたのを知っている、そして個展もされた。
それも30~40年前の思い出・・・(1973年撮影)。


005 (83)    虹 shiga wanihama
比良山に大きい虹が出た、虹は雨上り後が多いのでチャンスは少ない。 でもこの作品はびっくりする位大きい、
ヨットも浮かびスケールが出た、年に数回見るが?この様な虹はあまり見たことが無いくらい立派なもの・・・(1982年撮影)。


005 (84)    残光 shiga okubiwako
アナログ時代フジ64T(タングステンタイプ)を使用、青の色で「太陽賞」、広告会社「スタンダード通信社」から
雲間から出る光が「音の世界」とプランナーより、当時有名な赤井電器(AKI)、CD・テープレコーダーのCMに
使用され海外でも・・・CMは右の光の立ち位置だった(1976年撮影)。


005 (85)    キャンプ shiga otsushi
早朝 自宅を出発、当日曇天だったので途中仮眠をする、決まって琵琶湖大橋の「たもと」だった。 現在は大型スーパーに
なっているが、広場があって便利、夜明け近く迄・・・眼をこすりながら湖畔のキャンプのテントと空気感を撮影。
1992年「琵琶湖私景」写真集で発表(1978年撮影)。


005 (86)    荒波 shiga hikoneshi
琵琶湖も風の強い日、波が白く見える時は2~3mある!! 漁師の船が見当たらない時は注意が必要。
1941年「比良おろし」の強風で死者11名の大事故、「琵琶湖哀歌」が知られる(1986年撮影)。
マツシマススムの自費出版「琵琶湖の自然写真集6」で発表。


005 (87)    アユ昇る shiga takashimashi
稚アユの遡上、アナログ時代(私は1964~2005)迄フイルムを使用していた。 作品はフイルム5本(36EX5)180枚撮影したが、
アユが画面に入ったのは僅か8枚だった、アユの姿を見てシャッター切ったが・・・全部ハズレ、タイムラグが有り何も写っていなかった。
そこで私はアイデアで何もいない時にシャッターを切った。 学研の「魚の歳時記」全5巻、編集長「白木靖美」さんは色々な所で
私の作品を使用して頂いた。その他この作品は写真展等で使用し、私の中で名作になっている(1972年撮影)。


005 (88)    魚の群 shiga takashimashi
安曇川を遡上する稚アユを狙う漁法「簗漁」、全国の中でも珍しいと聞く。高さ1mをせき止めているので魚たちが
押し寄せている。 北海道のサケ漁も同じ用なもの・・・(1969年撮影)。


005 (89)    巨大な鯉 shiga makino
釣り人に頼んで撮影、約1m近くはあった、魚を手に持ってもらい人物も撮影した。 許可を取っていないので今回は除外、
30年~40年前は撮影に関して許可を取るのは少なかったが!! 近年、相手側に許可を取り撮影するのが当たり前の時代、
人物撮影も大変な時代に入っている(1965年撮影)。


005 (90)    竹生島残光 shiga chinaihama
竹生島は鳥の名所だったが・・・鳥達が2005年ぐらいから来なくなった。 私の場合風景として撮影、この作品は地内浜(高島市)で
鳥の撮影中だったが残光が気になり風景としてとらえた、冬陽の空の光は秋から冬場に多く見られる、太平洋と日本海の
接点になりこの様な風景は多くみられる(1988年撮影)。


005 (91)    近江富士 shiga otsushi
三上山の事を「近江富士」と地元の人達は呼んでいる。 雨上り日の出の頃の虹は珍しい!! 私にとって早朝の虹は
数少ないのでその様に思っているが!!(1979年撮影)。


005 (92)    湖北残照 shiga onoue
夕陽で有名な湖北尾上では、なぎさ街道が完成して写真家の間では有名地となった(1974年頃 琵琶湖総合開発)で
工事が始まりなぎさ街道は1990年頃開通した。 私はそれ以前 湖岸迄の道は無く農道だけだった、日曜日良く撮影に行ったが
当時カメラマンに逢うことは殆ど無かった。又滋賀県の当時二科展入選者は僅か3~4名だったが現在は10名を超えている、
滋賀で写真教室を開催した、2000年頃は80名の入会があって写真ブームを実感した(1972年撮影)。


005 (93)    夕照 shiga onoue
よみうり文化センター千里教室の実習作品(1987年頃) 関西の名匠写真家「中村吉之介」先生に誘われて講師を23年した。
当時会員は多くピーク時には150名、バス2台で湖北実習、なぎさ街道は工事中だったがバス2台、砂利道に止めたのを記憶している。
写真展で見学に来た当時の会員「藤田玲子」さんが何時も当時の事を懐かしいと語っている(1987年撮影)


005 (94)    夕陽の頃 shiga moriyamashi
琵琶湖周辺には(1960~1980年)小さな池が多数あったが!! 現在は殆ど見当たらなくなった。 
1992年発行の「琵琶湖私景」で発表、本のタイトルは太陽賞の「琵琶湖私景冬から冬」の冬から冬だけを除いてタイトルにした。
作品の夕陽はいい方だと思う(1988年撮影)。


005 (95)    日の出の頃 shiga imazu
今津に有名な「サンブリッジホテル」が湖畔にある、オープン時のパンフレットに採用された。 長浜の「ダイワロイヤルホテル」も合わせて
私の作品をCMに使用した。私が琵琶湖の作品を一番持っていたのは確実だったからだ、広告のディレクターはそれぞれ作家の作品を
拝見して回っていたが、皆全員が物量と撮影回数も断然違うと語っていた、自分でも自信があった(1980年撮影)。
滋賀銀行「ケイブン・KEIBUN]しがぎん経済文化センター発行・・・大阪のデザイン会社「サンライブ」代表の片山さんから作品を
良く使用して頂いた。有難うございました。


005 (96)    安土漁港 shiga adzuchichou
湖東の夕景は近江八幡から安土と決めている、私にとって数多く名作が生まれたからである、経験上成り立っている。
夕景は毎回言い訳でなく、自然相手だから良い日もあれば悪い日もある・・・「よみうりファミリー」で採用され、また学研の魚の歳時記 1984年発行
「秋の魚」で発表、また自費出版No.6でも発表しその他色々な所で採用された、この日は船がチャンスだった(1979年撮影)。


005 (97)    夕陽の頃 shiga kosei
比良山に陽が沈んだ・・・静かに暮れて行く、一台の四駆の車だった、私の好きなトヨタだ。 私は新車でトヨタサーフ2台使用した、
2台目はなんと33万キロ、しかも殆ど悪くなく5人乗りのため手放した、現在は8人乗り、今でもトヨタサーフSSR-Xを思い出す。
現在の走行距離は90万キロを超えている「琵琶湖私景」で発表(1982年撮影)。


005 (98)    琵琶湖大橋    shiga moriyamashi
夕暮れ、太陽が沈んだ直後だった。 テーマは琵琶湖大橋とミシガン、当時琵琶湖大橋を越えてから周回していたが、
近年大橋を越えていない。 今回は三脚を使用しシャッタースピードは1秒~20秒と色々撮影してみた、当時はアナログフイルム撮影に付き
その場では結果が分からない、今はデジタル時代その場で写り具合が確認できる、便利になり初心者でも簡単に撮影できる時代である。
「しがぎん」のkeibunに発表(1992年撮影)・・・ストックフイルムの撮影は何時使用されるか分からない。


005 (99)    帰港 shiga takashimashi
早朝の暗がりで漁をして日の出後、朝8時に帰港していた。 この作品も色々な所で採用され、
漁の作品の中で名作になっている(1975年撮影)。


005 (100)    早朝の二人 shiga takashimashi
自宅を真夜中AM1時、写友の森成雄さんが迎えに来る、僅か就寝して1時間程で一番辛い時だったが若さゆえ、
当時は何とも無かったが?現在はどうだろう・・・ツアーで早朝3~4時起きはかなりきつくて辛い!!
2016年5月山本久右衛門さんと北海道(73回)に行ったが、早朝「トマムリゾート」の雲海に行きAM3:50集合だが、
彼はきちんと待っていた、驚き96才です、そして74回目の北海道へ9月に行きます(1974年撮影)。

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