思い出 2



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055 (51)    茶室訪問 A 奈良 Nara Prefecture
高山で茶筅作業をされている所、アマチュアからいきなりプロとして取材して数日後の事、ストロボ光を利用、当時 ISO100のアナログスライドフイルムだった
(1978年 ・ 撮影)。


055 (52)    茶室訪問 B 奈良 Nara Prefecture
編集長は現在作家の嵐山光三郎さん、6月12日太陽の創刊日、平凡社の太陽編集部に初めて訪れた日に海野弘(作家)さんからバトンタッチすると告げられた。 写真は自然光で撮影、太陽に採用された。 現在自分ながら 上手く撮影したと思っている(1978年 ・ 撮影)。


055 (53)    吉永神社にて 奈良 Nara Prefecture
吉永神社は有名、太陽の茶室訪問の発行は1978年10月12日 11月号でした。 取材は多分、夏の暑い日7月だったと思う? 夏の暑い日に宮司の奥さんが茶を点てて頂いた。 眺めの良い書院から一服の茶はさいこうでした。  奥さんは美しい方でした。 汗をかきながらのもてなしはいまだに忘れられない。 同所で漫画家の荻原たけしさんと知合いになり現在まで年賀状の交換をしている、私の出版パーティーにも来て頂いた(1978年 ・ 撮影)。


055 (54)    青丹よし 奈良 Nara Prefecture
茶室訪問で茶菓子用としてページの間に入れる写真だったと思う。 奈良の銘菓と聞き、以後ツアーで訪れた時は買って帰った、もちろん桜の時期です。 同誌を見ると先輩、吉田一夫氏(第11回太陽賞)は西川きよしさんの 一日を追った。 グラビア4ページ、不思議な縁で、西川きよしさんとは大阪日日賞を私と同時受賞し、参院選のポスターを私が撮影した(1978年 ・ 撮影)。


055 (55)    川端道喜氏 A 京都 Kyoto Prefecture
京の和菓子で有名な川端道喜氏、天皇家御用達、京都老舗の中の老舗。 太陽の誌面を想像して自分で勝手に色々なアングルから撮影。 屋外の窓越しと庭の植木を前ボケにして撮影したが、 採用されなかった(1979年 ・ 撮影)。


055 (56)    川端道喜氏 B 京都 Kyoto Prefecture
結局採用されたのはこの作品で編集部の方はあまり気に入ってなかった様でした。 オーソドックス過ぎたのでしょうか? 私は色々なアングルから撮影しましたが・・・
(1979年 ・ 撮影)。


055 (57)    川端道喜氏 C 京都 Kyoto Prefecture
京都の和菓子で有名な川端道喜氏作製のちまき、私はアサヒペンタックス6×7と35ミリの一眼レフと持参した。 太陽2回目の仕事で張り切っていた、然しライティングが悪く影が少し出て、ちまきは綺麗に写ったが・・・ (1979年 ・ 撮影)。


055 (58)    川端道喜氏 D 京都 Kyoto Prefecture
川端道喜と云う名前は1572年だと聞きました、1978年8月、下賀茂神社で古本市が有りました。 私は女房と2人で22万冊の中からこの太陽茶室訪問を探しましたが、結局見つからず、ネットで探して貰ったところ 直ぐ出て来ました。 ネットは早いです感心しました。 現在2冊手元に残しています(1979年 ・ 撮影)。


055 (59)    パンフレット 大阪 Osaka
プロになって自分でも色々仕事を探しました、その中で相変わらずホーエイ印刷の牧平宝造氏は少しでも活躍して欲しいと仕事を廻して頂きました。 金融会社のダイレクトメールでしたが、その頃はブーム、 私はポートレート作品が少なかったので、角尾栄治氏(二科会会員 ・ APA会員)のエージープロジェクトさんからリースフイルムを借りました。 その頃1点30000円、バブルの時代写真の最高に良い時代です。 スイミングスクールは写友の福田清さんに紹介して頂きスイミングスクールのスナップも数年経験した思い出(1979年 ・ 撮影)。


055 (60)    松岡正富氏 滋賀県 Shiga Prefecture
1981年、湖北冬日記でJPS展金賞受賞。 日本写真家協会、私は既にAPA会員としてプロになっていた。 JPS会員になりたくて準備をしていた時、先輩の高田誠三氏(大阪芸大学科長) ・ 写真家の川上緑桜氏が 落選したのでびっくり、私も落選するに違いないと思った。 JPS展で金賞受賞したら良いだろうと? 4枚組写真で琵琶湖の冬でチャレンジ、松岡さんの船に乗り早朝暗い内から撮影した。  松岡さんのこの写真は記念写真として撮影(1981年冬 ・ 撮影)。


055 (61)    湖岸工事中 滋賀県 Shiga Prefecture
田中角栄総理から日本列島改造のもと、琵琶湖総合開発が進み橋が工事中、完成したのは1993年3月、20年の歳月でした。 莫大な予算の中、湖岸の自然は殆ど消えたが現在少しづつ自然が回復している。 開発が終わって25年の歳月、昔ほどの面影はないが少しづつ戻りつつある(1985年 ・ 撮影)。


055 (62)    神戸ポートアイランド博 兵庫県 hyogo Prefecture
1981年3月20日から9月15日、神戸港に造られた人工島ポートアイランドで開催された博覧会、ポートピア81の愛称だった。 その中で芙蓉グループの一員のスポンサー、キャノン協賛の写真コンテストを実施していた。 家族で訪れて、このコンテストの上位に車の景品があったので私は、写真業の妻に少しづつ写真を教えていましたので、作品の滝の所でスローシャッターで滝を流す様に指示、瀧の向こうにポートピア会場が一面、 良い作品になったので応募を勧めました。 ただしこの作品とは違います、入賞作品はスローシャッターで滝を流した分です。 コンテストは相手もあるし審査員の考え方読み方もあり必ず上手く行くとは限らないが? 見事、車を獲得しました。 表彰式ではABCアナウンサーで有名な中村鋭一氏から車のキーを受け取ったと妻から聞き大変嬉しく思ったのが記憶として思い出される(1981年夏 ・ 撮影)。


055 (63)    父の最後 長崎県 大村市 Nagasaki Prefecture Omura
父が危篤で娘2人と病院へ、嫁は写真店を営業しているため3人で私と娘飛行機で行きました。 大村病院でした、医師であっても自分の病気は直せないもの、病室で娘がしっかり手を握っていたのが忘れられない。 私は母も好きだったが母は早く亡くなり、私は父が大好きでした、かなり怒られ叩かれたりしたが、今思うと私に対して将来を思っていたのでしょう、家庭教師を付けた事もありました(1982年 ・ 撮影)。


055 (64)    河内音頭 鉄砲光子さん 大阪市 大阪フェスティバルホール Osaka Osakafestivai Hall
河内音頭の重鎮、光三郎さんの奥さんです。 鉄砲節を御主人が唄うのに合わせて太鼓を叩き人気を博していた。 凄く格好が良く、女流の太鼓では当時、一番だと思った? 思い出(1982年 ・ 撮影)。


055 (65)    河内音頭 鉄砲光三郎さん 大阪市 大阪フェスティバルホール Osaka Osakafestivai Hall
1929〜2002年、河内音頭の鉄砲節は当時、大人気でした。 私は土門拳さん ・ 林忠彦さんらが文化人の撮影をしていたのを知り、私の近くの鉄砲光三郎さんと光子さんにお願いして、夏の盆踊りやステージに行き 密着撮影を数年しました。 コンサートの舞台では汗びっしょりと演技は素晴らしいと思いました(1983年 ・ 撮影)。


055 (66)    化粧直し
写真を撮るからには色々な角度から撮影しようと舞台裏では奥さんが直々にメイキャップされていた。 東大阪市 ・ 八尾市の盆踊りでは必ず付いて行き最後まで撮影していた。 スタッフと一緒に食事を御馳走になった事も・・・(1984年 ・ 撮影)。


055 (67)    寝屋川成田山にて 大阪府寝屋川市 Osaka Prefecture Neyagawa
成田山不動尊、大阪別院明王院、創建は1934年、京阪電鉄が成田山新勝寺にお願いして大阪別院を建立したと聞く。 私の地元、香里園駅から徒歩15分、節分祭はNHKの放送中の朝ドラの出演者がゲスト、 またタレントで大賑わいでした。 左は中村扇雀、扇千景ご夫妻 ・ 間を置いて鉄砲ご夫妻です。 約33〜34年前の思い出、帰りにお土産でピーナツを大袋で頂き、一度お弁当も、最高の思い出です(1983年頃 ・ 撮影)。


055 (68)    俳句古寺紀行 A 滋賀県 大津市 Shiga Prefecture Otsu
日本こころの旅3 青人社 発売は学研、元太陽の有名な編集人、馬場一郎さんより電話が入り、松尾芭蕉、寛永21年(1644年)。 1694年、三重県伊賀出身の俳人300年記念として出版するので、 滋賀県の琵琶湖を撮り続けている君に依頼したいと・・・馬場さん自身が太陽を離れている事も知らなかった上に、太陽と同じ大きさのグラフ誌と聞き大変嬉しかった(1988年 ・ 撮影)。 


055 (69)    俳句古寺紀行 B 滋賀県 大津市 Shiga Prefecture Otsu
滋賀県大津市に大津絵がありました、大津宿という街道に高橋松山さんの店がありました。 取材という事で優しく受け入れて貰いました、大津絵の制作工房も見せて貰いました、取材協力ありがとうございました(1987年 ・ 撮影)。 発表は1988年1月。


055 (70)    俳句古寺紀行 C 滋賀県 大津市 Shiga Prefecture Otsu
幻住庵、ひっそりとした森の茂みの中にあった。 古井戸もあり芭蕉が1年間暮らしたとか? 取材は1987年だった。 2014年アサヒカルチャーサロンの撮影会で訪れたら、昔のイメージとは変わり、 建て替えられたか随分以前と違っている様だった(1987年 ・ 撮影)。 本の発行は1988年1月。


055 (71)    俳句古寺紀行 D 滋賀県 大津市 Shiga Prefecture Otsu
琵琶湖を見渡す神社、唐崎神社があります。 芭蕉は唐崎の松は花より朧(おぼろ)にて・・・と読んでいます。 私は松の前で考えてストレートに松を撮らずイメージを膨らませてレンズに息をかけて私の得意な技法で撮影。 紙面に西田成夫編集長が取り上げて頂き嬉しかった(1988年 ・ 撮影)。


055 (72)    ヌード撮影会 滋賀県 Shiga Prefecture
1980年代はバブル時代、世の中景気も良く世間ではあちこちでヌード撮影会が開催されていた。 関西の重鎮、岩宮武二さんと中村吉之介さんも白鷺の川上禄桜さんも皆さんヌード撮影会をされていた。  私は得意でもないのにヌード撮影会の講師をあちこちで引受け。 当時、京阪鉄道の社員の面倒も見ていました。 琵琶湖でヌード撮影会を数回、社員の方の参加率が高かった(1987年 ・ 撮影)。


055 (73)    モデルを使って 大阪 Osaka
モデルを使って色々変化を付けた。 人と同じ事をするのが元々嫌いだったので、思い切り違ったアングルや池があればモデルを中に入れたり、飛び上がる演出は昔からお手の物。 然し、モデル自身には嫌がられた(1987年 ・ 撮影)。


055 (74)    水上バス A 大阪 Osaka
京阪電車の写真クラブの面倒を見ていたら、クラブ員で水上バスに勤務している方から水上バスのパンフレットを依頼された。 普通では撮れないアングルから撮影、これも思い出、水上バスの切符に採用された(1987年 ・ 撮影)。


055 (75)    水上バス B 大阪 Osaka
水上バスの撮影で昼 ・ 夜と撮影。 写真撮影の為に2艘動かして頂いた。 当時、守口市の市展の審査を担当、社員の方が多数入選された(1987年 ・ 撮影)。


055 (76)    京阪電車 
営業キロは91,1km(2008年)、大阪と京都間、歴史は古いらしく以前は阪急電車とも関係があると聞いた。 京阪百貨店 ・ ホテル ・ 滋賀のミシガン ・ 水上バス ・ ひらかたパーク等グループがある。 作品は特急です(1990年頃 ・ 撮影)。


055 (77)    白鷺の舞 滋賀県 高島市 知内浜 Shiga Prefecture Takashima Chinaihama
知内浜で白鷺を発見したのは1982年頃、写友の森成雄さんと私の当時クラブ員だった荒平ヒロシ君でした。 当日、森さんと約束していましたが急な仕事が入り、代用で荒平君にお願いしました。 高島市知内浜で 白鷺が生簀にいるのを発見、私も1週間後行きました。 生簀とその廻りに白鷺は多い時、130羽程いてびっくりした思い出が・・・ワイルドライフ野生の世界に1984年6月号でも知内浜を発表しています(1983年 ・ 撮影)。 


055 (78)    知内浜 滋賀県 高島市 知内浜 Shiga Prefecture Takashima Chinaihama
1982年〜2005年位まで知内浜に白鷺が来ていました。 アサヒカルチャーの撮影会で2006年に案内した頃、僅か数羽、話になりませんでした。 その後も度々寄っていますが以来、 白鷺は1羽も見なかった(1983年冬 ・ 撮影)。


055 (79)    コダック号 兵庫県 明石市 Hyogo Prefecture Akashi
日本に飛行船が来たのは1968年、日立がカラーTVの宣伝でキドカラーボンバ号だったらしい? 2機目のレインボー号は岡本太郎先生がデザインした。 ダイワハウス ・ アサヒスーパードライ ・ フジカラー号は 1984年のロスアンゼルスオリンピックの時、コダックを差し置いてオリンピック公式フイルム権利を取得し、アメリカ合衆国上空をフジカラーのロゴが描かれた飛行船が飛び、アメリカ国民及びコダック社は さすがにプライドが傷ついたらしく、その後のオリンピック公式フイルムは全てコダックが権利を得たと云う話。 私は関西のカメラマンで初めてコダック号に乗せて頂いた(1988年 ・ 撮影)。


055 (80)    神戸港 兵庫県 Hyogo Prefecture
明石から飛行、神戸上空、当日は雨天でした。 天候が悪いですが何とか窓越しに撮影しました。 ガラス越しですので良くないですが? 上空から、しかもヘリより低い所からの撮影は初めて・・・ コダック社の方に珍しい乗り物に乗せて頂き感謝します(1988年 ・ 撮影)。


055 (81)    神戸埠頭 兵庫県 Hyogo Prefecture
1980年代はコダック社から講師の依頼も多く、大型カメラ店の撮影会に良く派遣して頂きました。 大阪駅前の大林カメラ店 ・ 神戸の小山カメラ ・ 京都 ・ 岡山 ・ 広島とコダックの販売促進宣伝課の方々と、 写真の良き時代、講師料も良くバブル真っ最中、浮き浮きした時代です(1988年 ・ 撮影)。


055 (82)    神戸ポートタワー 兵庫県 Prefecture
飛行船の外部ロゴはコダック号ですが内部は全部で10人乗り程、そんなに広くは無く、お客さんは私以外にコダックのフイルムを良く販売する店の店主ばかりでした。 コダックの担当は片芝さんだったと思っている(1988年 ・ 撮影)。


055 (83)    高速道路 
何処の高速道路か?自分でも上空ですので分りません。 赤いトラックがポイントになっていたので構図良くシンメトリー的に撮影した。 コダック1号は事故もあったらしい? 私が乗ったのはどちらか覚えていない、2号も造船された。 関西のカメラマンで選ばれたのが嬉しかったし、コダック社の片芝氏に御礼を言いたい(1988年 ・ 撮影)。


055 (84)    JPS金賞 石川県 能登 Ishikawa Prefecture
作品は1989年のJPS金賞、西田佳代さんの作品です。 能登紀行4枚組写真、1987年頃 関西の重鎮、中村吉之介先生が千里よみうり文化センターを開講した。 読売新聞の部長だった野沢さんの後だったと思う。 河野豊氏 ・ 土田智代子氏と4人で教室を交代で受け持った。 多い時は写真ブームとバブルも手伝って150名になった事も、三坂康一氏 ・ 藤田玲子さん ・ 西田佳代さんの4人で能登半島へ、一番の目的は 御陣乗太鼓が目的、能登で有名な写真家 渋谷利雄氏、JPS会員 ・ 三軌会副会長とは私の写真学校の先輩で地元では名士、能登の名所、曽々木海岸の丸窓の前で撮影。 作品の老婆は西田さんだけが撮影、能登の イメージにピッタリだった、JPS展に出品を促しました。 1989年、三坂さんは銅賞、その他のお弟子さん4名が入選していた(1989年 ・ 撮影)。


055 (85)    能登にて 石川県 Ishikawa Prefecture 
SLC571が撮影会の途中に来るのを聞きシャッターを押した。 この時は能登に三坂さんと2人でした。 千里よみうり文化センター時代、教室の生徒さんの中で弟子入りしたのは1番目は河村重光さん2番目は 三坂さんと柏木一夫さん2人が弟子入りを希望、受け入れました。 三坂さんとは約9年間師弟関係にありましたが、私が海外ツアーとマイたうん友の会が活発になり以後関係していない(1989年 ・ 撮影)。


055 (86)    岩田山にて 京都市 Kyoto City
或る日、中村吉之介先生が御自分の写真塾を作られた。 中吉会と名乗り主によみうり文化センターの生徒さんの中から意欲的な人を人選していたようだった?。 撮影会を私に任され岩田山を案内した。 スローシャッターのストロボ光、私の得意の技法を皆さんに指導したが・・・1回位では中々理解するのは難しいと思う(1989年 ・ 撮影)。


055 (87)    舞鶴湾 京都府 Kyoto Maizuru Bay
伊根湾から早朝イワシ漁の撮影で亀井さんの千鳥丸から撮影、三坂康一さんを特別案内した。 時々ツアーでも案内、当時はイワシ漁が豊富だったのでカモメも多く良い作品が数多く出来た。 伊富貴久子さんはキャノンでゴールド ・ 三坂さんは風景写真でも大きく掲載されました(1989年 ・ 撮影)。


055 (88)    千鳥丸 京都府 伊根湾 Kyoto Ine Bay
或る日の亀井さん御夫婦、亀井さんは私の希望を聞き、舞鶴湾の冠島へも良く案内して頂き感謝の念に堪えない。 御主人は病気で亡くなられたが現在でも奥さんはモデルになって頂いている。 川内陽さんは亀井さんをモデルに二科展に2度入選し大当たりしている(1989年 ・ 撮影)。


055 (89)    昭和天皇崩御の日 滋賀県庁 滋賀県 大津市 Shiga Prefecture Otsu Shiga Prefecture Government
昭和天皇1901年〜1989年1月7日でした。 昭和天皇が御病気されて昭和が終るのに従って世界文化社の出版社が企画、日本で超有名な写真家、三木淳氏にお話があったんだろう?と思う。 三木さん一人で 昭和の終わりは多分無理だったからでしょう。 日本の各地に入る120名の写真家に三木先生が選別され、私もその一員に選ばれました。 私は京滋バイパスで最初、次は県庁に行きました(1989年1月7日 ・ 撮影)。


055 (90)    昭和の終った日 滋賀県庁 滋賀県大津市 Shiga Prefecture Otsu Shiga Prefecture Government
県庁前で、張り紙に本日天皇陛下が崩御と書いてあった。 知事室に行き知事を待っていたが会えなかった。 読売新聞の滋賀支局に行き、老婦人の方がウインドウの新聞を見てるシーンを撮影、次は近江神宮に行きました。 また近江大津の港をぶらぶら撮影、大津プリンスホテルを背景にゴルフの打ちっ放しをする紳士を撮影、私個人は最後のゴルフ打ちっ放しが良いと思ったが? 読売新聞の前の老婦人が採用された(1989年1月7日 ・ 撮影)。


055 (91)    花と緑の博覧会 大阪市 Osaka City
EXPO90 花と緑の博覧会が大阪鶴見緑地で行われた。 その中に花博写真美術館に出品、8点が採用され、その中で私の好きな作品ブルートーンでがあります、作品は2度と撮れない作品です。  青のギャラ―他、私のコーナーでちょくちょく出て来ます。それはあまりにも好き過ぎて我が家でも飾っています。 花と緑の博覧会で日本人作家43名に選ばれた作品(1990年 ・ 花博出品)。


055 (92)    木の岡レイクサイドビル爆破 滋賀県 大津市 Shiga Prefecture Otsu
1993年5月22日に爆破ととネットに? 私も当日湖上より撮影しました。 生徒さんのニシムラユウジ氏が自家用のモーターボートを持っていて、ボートの上から連写、その中の1枚。 属に幽霊ビルとも云われ私も4〜5回、 撮影、2度程中に入り撮影。 ビルの3階から船や鳥も撮影、思い出になっています(1993年5月22日 ・ 湖上より撮影)。


055 (93)    写真集発刊 東方出版92’ 
京都シーグ社の増田さんから写真集OKの返事がきました。 当初、京都書院より出る予定ででしたが、訳あって東方出版から出ました。 大変人気で初版は3000部、第3刷合わせて5000部になりました 大ヒットだったと思います(発表 1992年10月20日)。


055 (94)    近江八景今昔展 JR大阪駅構内 セルヴィスギャラリー 大阪市 Osaka City
作品は滋賀琵琶湖疎水、滋賀県から京都市に流すため明治時代に造られた、桜の頃は大人気です。 企画展(読売新聞社 ・ 大日本印刷主催)作品はで近江八景の浮世絵と当時の琵琶湖を私は琵琶湖を 1年間撮影しましたが、歌川広重の浮世絵とあまりにも差が有り過ぎて困った挙句、当時新しくデジタルが出て来ました、デジタルで加工を提案、関西で初めてのデジタル作品発表展になりました。 それが良かったのか?大人気で9,800人程の入場者があったと聞く?(1993年 ・ 大阪JR発表)。


055 (95)    よみがえれ琵琶湖 滋賀県 大津市 Shiga Prefecture Otsu
大阪駅前第4ビル7階ミノルタフォトスペース、当時人気のギャラリーでした。 朝日新聞に2点大きく掲載されました、その1点です。 画題 ・ ひと休み、それ迄オール風景写真ばかりでしたが、この展覧会は湖の傍で 暮す人々をとらえた作品ばかり、クラブ員だった三宅信男さんが放った言葉が、今回は変化球だと面白い表現だと思った(1998年 ・ ミノルタフォトスペースで発表)。


055 (96)    ズーミング 福島県 猪苗代湖 Fukushima Prefecture Inawashiro Lake
福島県にマイたうんから撮影ツアーを全部で7回実施、その中で撮影。 私は初期からカメラやレンズの動きの作品が好きで楽しんでいます。 千里よみうり文化センターの講師になった1987年、兵庫県の昆陽池でも 皆さんに披露した思い出が(1994年 ・ 撮影)。


055 (97)    長浜の喫茶店 滋賀県 長浜市 Shiga Prefecture Nagahama
マイたうん友の会と云う名称で撮影会を約30年開催している。 アマチュアの育成は1975年から現在(2018)43年です。 作品の喫茶店は長浜市でした。 街の中ふと見ると椅子の裏側に色々な 過去の有名人のイラストが? 絵か分らないが・・・それが何とも云えぬ面白いのでモデルさんに入ってもらって撮影、大当たりでした。 然しマスターに聞くともう閉店するとの事、残念で仕方なかった。  現在ならまた新しい客層になるかも?(1995年 ・ 撮影)。


055 (98)    阿寒祭りの酋長 北海道 阿寒湖 Hokkaidou Akan
アイヌイオマンテの火祭りの撮影で阿寒に行きました。 私は気に入り当日祭りの最中、この酋長さんを追い続けました、聞くと、BBC放送にも取材を受けるとお話しされていました。 祭りの酋長とも言われていました。 2018年5月、阿寒に行くとお店は閉まっていましたので、近所の方に聞くと今は居ないとの事でした。 もう1度お会いして撮影したいと思ったのですが残念です(2003年頃 ・ 撮影)。


055 (99)    山本久右衛門さん 北海道 旭岳にて Hokaidou Asahidake
北海道だけで現在2018年8月で82回目となります、次は10月にも予定しています。 山本久右衛門さん、10月の時は98才になります。 礼文島 ・ 稚内 ・ 留萌と今度は日本海に行く予定です。 作品の時は2010年、8年前ですから90才の時、旭岳に武田雅男さんと3人でロープウェイを使って登りましたが・・・その時、坂道はしんどそうでした。 武田さんに抱えられて登りました。 当日の作品はカラーフェアで入選されています。 
山本さんの写真集 ・ 人生浪漫パートUに掲載されています(2010年 ・ 旭岳にて)。
2022年2月10日永眠 101才大往生でした。


055 (100)    スカイツリー 東京 Tokyo
2018年正月、東京へ行きました、スカイツリーをハトバスの中からシャッターを押しました。 バスで東京見物、娘の逸子と3人でした。 スカイツリーも何年も前から登る予定でしたが?私達は正月と盆休み、 人が多く並ぶのが私は嫌いで諦めていたら、娘がハトバスなら並ばずに行けると聞き、やっと願いが叶いました。 正月天候が良く富士山も良く見えました。 その娘もやっと嫁に行き一応、親として 安堵している所です・・・出来る限り元気でまた東京へも行く積りです(2018年1月1日 ・ 撮影)。

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