海外ツアー 1
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
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032 (1) さいはての岬 ? インド(カニャークマリ) India Kanyakumari
海外ツアーの中、インドに行くきっかけは先輩、太陽賞第11回受賞の吉田一夫氏(大阪)の言葉の中、
面白い良い作品が出来ると云う事からインンドを二番目に選んだと思っている。
インドが結果として回数が二番目に多いと云う事は、インドでは良い作品が数多く出来て
ツアーの皆さんが色々なコンクールに300点以上入選した。
特に二科展 ・ JPS展 ・ コダック ・ ミノルタのコンテストの入賞が多く、写真の為に私は選びました。
吉田一夫氏は刺青のテーマで第11回太陽賞を受賞、私の大先輩です、
ニコンサロンで10回程の個展をされ伊奈信男特別賞を受賞。
大阪心斎橋で印刷業をされていた、残念ながら10年前に亡くなられました。
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032 (2) さいはての岬 ? インド(カニャークマリ) India Kanyakumari
カニャークマリはインド亜大陸の最南端。 太陽が海から昇り、海に沈む唯一の場所。
アラビア海、インド洋、そしてベンガル湾、三つの海がここで一つに合する。
敬虔なヒンドゥー教徒ここを聖地としている。
私はコモリン岬と軽く呼んでいたが? 人々は遠くからこのコモリン岬に人生を賭けてやって来る。
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032 (3) 沐浴 インド(バナーラス) india Banaras
沐浴に出合った、水を見ると決して綺麗だと思わない、どちらか!!と云うと触りたくない水だった。
人々は男女問わず体を洗い、全身まるで水風呂に入ってる様ににも思った。
ヒンドゥー教の教えによれば、聖なるガンガーの水で沐浴すれば全ての罪は清められるとか・・・(ガンガーの畔)。
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032 (4) 旅人 インド India
インドの人口は中国の次だと聞くが・・・多分10億人以上。
インドは宗教の国とも云われ、ヒンドゥー教の他にイスラム教 ・ キリスト教 ・ 仏教が生れたのはインドとか・・・
インド撮影ツアーは名鉄観光、梅田支店の岡下彰氏の企画から始まり、8回は各地に案内して頂いた。
JTBやトラベルサライ、その他の旅行社から8回、合せて16回インドに行きました。
写真は絶対的に良い作品が生れました。
写真は良かったが、食事はカレーが主で街には埃が多く、トイレも少なく、
私はお国としたらそんなに行きたいとも思わず、ひたすら写真作品の為だけだった。
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032 (5) 夕陽の頃 インド India
ターバンと髭がインドの人の特徴。 眼が大きく、顔全体に浅黒く、写真から考えると日本人と大きな差があって、
インドの男性を見ると迫力も有り写真顔です。 ポートレート風に思ったら、インドの男性がはるかに美しく見えます。
インドから帰り日本人と私の周りの男性を比べてみると、インドの男性が立派に見える。
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032 (6) 帰路 インド India
既に日本では滅多に見られぬ風景、インドで牛は神様、労働では水牛を使用していました。
他国ではタイ ・ ネパール バングラデシュ ・ ミャンマー ・ ラオスでも見られます。
体長240〜300cm、体重700〜1200キロ、巨体です。
酪農で使用しています、日本では沖縄の竹富島で水牛車に乗った思い出が、
日本では近代農業機械で牛も必要なくなったのでしょう、見る事が少なくなりました。
インドでは水牛と牛が街を堂々と歩いています。
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032 (7) 少年 インド India
私はターバン(アラビア語)と呼んでいます、中東諸国の民族衣装だと聞く。
発汗の抑止と砂漠地帯では砂除けの効果と装身具として視覚的意味もあるとか!!
すなわち、お洒落とも関係がある。 ツアーガイド等はかぶっていなく普通でした、出合ったのは牛追いの少年。
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032 (8) 瓦工場 インド India
バスで走っているとレンガ工場が見え働いているのが殆んど女性でした。
頭の上に18個乗せて何回も何回も運んでいました。
ツアー参加者で岡山の大枝瞬二さんが赤レンガの建物を見て地震が来たら心配だと言っていた。
大枝さんは大阪の建設会社の所長をしていたので専門家だから最もだと思いました。
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032 (9) 祭に行く人々 インド India
この作品は私個人として大好きです、インド洋の島で行われる祭りでした。
島に渡る人々が何十万人も訪れる為、ホテルは船上で宿泊しました。
祭りの場所はバスを利用、途中多くの民衆から乗せてくれと頼まれましたが、
人数が決まっている為にそうは行きません。
歩いている人を見ると女性は60〜80才に見える、
荷物を頭にのせて生活道具一式、ヤカンや釜まで運んでいる、
何十時間も掛けて目的地に向かって歩く、島の先に煙が見えた遺体を焼いている、
歩いて祭りに行く為に何も死ぬ必要は無いだろうと私は思ったが、
その人々と私の考え方が違っていると不思議な思いだった。
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032 (10) ガンジスの沐浴 インド バナーラス India Banaras
バナーラス、永遠なるガンガーに全身を浸す有名な場所、私は4回訪れました。 英語名ベナリース、日本ではベナリスと呼んでいます、
巡礼の聖地ガンジス河、ヒマラヤの水を集めたガンガーが悠々と平原を流れる古い町が・・・ 3,000年の歴史を持つヒンドゥーの聖地、
シヴァ神の聖者だとまた最高の幸福だと!!。 年間100万人以上が訪れると聞く、また近くに火葬場もあり、灰は河に流されていた。
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032 (11) 石灰工場 インド India
工場を女性が歩いていた。
インドの女性の服をサリーと呼んでいた、民族衣装でしょう! 色が鮮やかで日本に比べて派手だと思った。
ラジオ大阪カルチャーサロン時代に堺市から川崎哲さんが教室で学んでいて、
モンゴルから北海道まで参加されて・・・インドの作品で二科展入選し毎日コンテストでは毎日新聞社賞を受賞。
北海道コンテストでは副賞でビデオカメラを頂くほど大活躍していた。
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032 (12) 作業中 インド India
ギャラリー11の石灰工場でのスナップ、日本ではこんなチャンスは少ない。
インドでは作業中等あらゆるスナップが出来て、良い作品が沢山生まれた。
写真コンテストの為に殆んど企画し、名鉄の岡下さんに色々な所に案内して頂き感謝している。
岡下さんを無茶苦茶、手荒く使っていたのが!! 今になって反省しきりです、御免なさい。
岡下さんはツアーガイドとして最高の人だと思っている、彼の仕事ぶりが目に焼き付いている。
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032 (13) ガンジス河 インド India
煙の間に朝陽だった。 アナログタングステンタイプ、フジ64T使用、その為に青い色にした。
生徒さんの山本璋子さん(現在二科会会友)がミノルタのコンテストで入選されたのを記憶している。
審査員は開高健さんのオッパーで有名な高橋さんでした。
高橋?さんの審査では私の生徒さんが数多く入選した、私の教え方と割と一致していたのを思い出として残っている。
或る日、ニュースステーションで高橋さんが亡くなったとTVのニュースで知った。
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032 (14) 洗濯工場 インド India
日本の洗濯工場は近代化した機械を使用して、グルグル廻る最新の時代。
インドでは洗濯物を棒で叩いたり、石に洗濯物を叩きつけて洗っていた、まるで原始的だった。
現在はどうなっているのだろうか? 作品は約25年前だったと思う。
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032 (15) 干す インド India
洗濯物を天上の干し場で女性に出合った、別の所では樹の上に干していた。
日本では考えられない事です、然し別の面ではIT、コンピューターは日本より進んでいると聞き、不思議な思いでした。
日本は経済で中国に追い越された様にインドからもそんな日がやって来るかも?
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032 (16) 夜更し インド India
祭に行くバスを待っていた、手前の黒いのはストロボ光の失敗作です。
ワイドレンズに外付けのストロボを付けていたらレンズでケラレの現象が、当時多くの作品を失敗しました。
この作品の人物が良いので取り上げています。
プロとは云え全部成功するとは限りません。
54年(2018年現在)の写真生活で山程の失敗をしました。
自慢になりませんが?反省しています。
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032 (17) 祭の夜 インド India
祭りに行くバスを待っている女性でした。
歩くのが8時間〜10時間が大変なので夜更かししながら待っている、
バスに乗る人は経済的にゆとりのある人達です。
スローシャッター1/8秒で流しました。
この作品はあえてスローで祭りの時、数多く撮影しました、
失敗が多く時々良い作品になった、現在も良く利用しています。
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032 (18) 漁師 インド India
インドの都市の漁港を訪ねた、港の関係者から港の撮影は嫌がられた、
暗いイメージが出るからだと云う。
私達、写真家はドキュメンタリーにするなら暗い方が作品になる?と思っている。
視線が良かった、若者は撮影に協力的だったが、
現地のガイドと講師である私と二人は管理事務所に呼ばれ注意を受けた苦い思い出がある。
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032 (19) 牛追い インド India
インド、水牛だと思う?牛ではない、水牛は人間の食べ物にもなると聞いていた。
宗教上、牛は食べないとか!!
ガイドが日本に来て食事に誘いカレーを食べに行ったら、牛だと食べないと悲しい顔してびっくりした。
私達には考えられない事だった、また道路に牛が寝転んでいてもバスや乗物は避けて走っている。
追い出そうともしない、穏やかだった。
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032 (20) お手伝い インド India
ファミリーで手伝っていた、赤いタマネギ!!みたいだった様だ、近年この様なファミリーは見かけなくなった。
日本でも田舎の方に行くと少しだけ見る風景、現代は少家族、
こんなに集まっている風景は日本では少ないと思う? 珍しい気持ちで撮影した。
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032 (21) 花園 インド India
バスで走っていると私達にとって珍しい風景、ドライバーに止めて下さいと言って停車して貰った。
黄色の中に赤いサリーの姿とヤギが良かった。
5分〜10分位、インドや東南アジアのドライバーは割と私達の云う事を聞いてくれたが!!
アラスカや中国ではドライバーがあまり云う事を聞かなくて、シャッターチャンスを随分失った思い出が・・・
私は思い切りチップをはずむのです。
それは外国ではガイドとドライバーの協力無しでは良い作品が出来ません、一番大切な事です。
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032 (22) 仲間 インド India
犬が塀の上にいて皆さん何かと話し込んでいる。
撮影させて下さいと頼み、シャッターチャンスになりました。
伊富貴久子さん(2014年写真集発行)が入選したのをハッキリ覚えている。
撮影後はポラロイドカメラで記念写真と煙草を差し上げるのが私の海外でのテクニック。
御礼の気持ちに人々は割と協力して頂きました、断られた例はあまり有りませんでした。
こちらから誠意を示すと撮影の許可は過去8割成功した。
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032 (23) 水滴の中 インド India
噴水の水しぶきの向こうから撮影、ファンタジックになりました。
逆光線でアウトラインも効果になりました。
河本美繪子さんや豊島喜代子さんが良い作品を創りました。
河本さんはモンゴル大草原 ・ 気の向くままにの写真集をダイコロで印刷出版、
素晴らしい写真集となって世の中へ出ています。
写真展と写真集がアマチュア写真家にとって究極の世界と言えるでしょう。
皆さんも是非、個展をするか写真集の発刊をおすすめします。
私の生徒さんで現在8冊出版されています。
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032 (24) 沐浴 インド India
バナーラス、ヒンドゥー教の聖地での沐浴、シャッターチャンスでした。
ガンガー河の水を含む! 私はびっくりしましたが・・・数メートル先ではお米を洗っていました、
インドではこれが普通なのです。
巡礼者にとってガンジス河は神格化された女神として崇められていた。
近くには露店、土産物屋さんが列を作り、紅茶はインドでは世界有数、チャイ如何?と声をかける。
静岡から参加の池田有子さんが医療雑誌のコンテストで表紙になっていた。
審査員はあの有名な三島由紀夫氏を撮影された、細江英公先生。
私は雑誌を見ながら凄く気分が良かった。
湖北冬日記1981年ニコンサロンの個展で細江先生がニッコールの会報誌99号で
個展評をお書きになっていたからである、思い出ばかり・・・。
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032 (25) 学生 インド India
中学生かな? 白い帽子と制服が美しい、これは日本でも同じ、やはり制服姿は良いと思う。
カメラを向けると明るく手を振ってくれた、これは日本を同じだが・・・
近年日本では小、中学生にカメラが向られなくなって来た、寂しい限りです、
多分、個人情報でうるさくなっている。
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032 (26) お仕事中 インド India
バスの中から撮影した、これもレンガを作っていたのでしょうか?
石を割っているのかも!!
日中の熱い時でした、インドは日本の9倍の国土。
日本では四季が有りますが、インドでは冬、夏、モンスーン(雨)とか、
夏は4〜6月に40℃を越える時も有ります。
日本とインドの時差は3時間30分でした、
通貨はルピーとパイサー。
私はベッドチップは1ドルにしました。
私の所に土産物として化石が6個有ります、
20数年前、日本円で五千円払いました。 合わせて3万円、
毎日見ながらどうしてこの様な物を買ったのか!!今でも不思議です。
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032 (27) 重労働 インド India
インドの街をバスで走っていた、線路工事をしていた、頭に石を乗せた人達は全員女性でした。
10Kg〜20Kgの重量の石を頭の上に乗せ、多い時は一日に何十回も運ぶのでしょう?
大変な重労働だと思いながら撮影するにもためらう気分だったが・・・皆さん一列に並んでいただいた。
過去、橋本利夫さんがミャンマーで同じ様な被写体で二科展入選したからだった。
その橋本さんも2017年現在、102才で元気だと聞く?
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032 (28) ホーリー祭り インド India
インド三大祭りの一つ、色の水かけ祭りです。
ヒンドゥー教の春祭り、春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗り合ったり、色水を掛け合ったりして祝う。
また豊作祈願だとも聞きました、祭りの間に入るとカメラでもお構いなしで掛けて来るので注意。
滋賀の山川勝治さん(二科会会友)が地元の方に頂いた水を飲み、お腹を壊したのが最大の思い出、
2日間動けずバスの後方で寝てばかりでした。
山川さんはマイたうんに10年間、殆んど海外が多かったが良い作品を発表されました。
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032 (29) 渡る インド India
線路でヤギを無理に移動させていた。 咄嗟に撮影、リアリティのあるスナップ作品になった。
インドでは割と見かける風景でした、日本では線路の作品はあまり危険なため、好まれないが?
海外、特にインド ・ アジアでは日本ほど運行が多くなくのんびりしている、1時間に一回も通過しない所が多かった。
ヤギ ・ 羊の集団が線路脇を行進するのを多々撮影した思いだが・・・
インドは時間をそれ程気にしない、インド時間と言って遅れるのが普通だった。
日本の電車は時間を守っているが、インドでは1時間以上遅れたりするのが日常茶飯事と聞き驚いた。
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032 (30) サリーの女 インド India
同じく線路を歩く女性を見た。 日本では全く無理な世界、妙に味わいのある作品。
日本で良く聞く言葉にインドを好きになるとトコトン好きに、また嫌いだと全く行くのを嫌だと聞く?
私は半々、写真なら行きますし、単なる美しさとグルメなら都市へ・・・奥さんは何時もスイスならと言っていた、
然し現在は海外旅行は行きたくないと言っている。
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032 (31) 学生達 インド India
ダージリンは山の町、その上に登る移動で名物トイ ・ トレインの線路上を学生達が仲良く帰っていた。
日本の汽車とは違って小さく、可愛い豆汽車です、8時間以上かかりました。
ダージリンヒマラヤ鉄道は世界遺産に1999年だったが私はそれ以前、1995年頃、2回行きました。
インドの中でダージリンからヒマラヤが見えるので大好きです。
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032 (32) ダージリン ・ トレイン インド India
ヒマラヤ鉄道は約88km、高低差約2,000m、タンク車で登っていく。
山間を縫うように登る為に窓から手を出すと土手の草に触れる、頭を出すと凄く危険だと思う。
70%がカーブ、スイッチバックが6箇所ある。
私が初めて見たイメージは玩具の汽車!!が・・・遊園地にある汽車に見えた。
途中時々、汽車から降りてびっくりしたのは人間の遺体を丘の上に置き、鷲等の猛禽類の餌にすると云う・・・
ガンジス河の畔にも同じ様な所があったが・・・私は自分を想像して見るのをやめた。
世界はやはり無限、色々な経験を頂いた。 世界の旅も意外性があってまた楽しいと思う。
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032 (33) 世界の山々 インド India
ヒマラヤの展望台から望む、世界中から観光客が押し寄せていた、タイガーヒルだと思う。
早朝暗がりからホテルを出て日の出を待った。
トラベルサライ、インド方面に強い旅行社、ネパール、マレーシア方面を利用した。
関西空港からデリー、バグドグラからダージリン、世界遺産のトイ ・ トレインに乗車、
メイフェアホテルに宿泊、シリグリではシンクリアホテルだった。
紅茶の茶畑も良かった、帰りには紅茶のお土産を沢山買ったが? 皆さんさほど美味しいとは聞かなかった、
私自身コーヒー党ですので紅茶は飲まない。
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032 (34) 夕陽 インド India
インドのラクダ祭り又は砂漠祭りとも!
プシュカールのタクダ市に5万頭が集る、毎年11月の満月の頃に行われる、私は2回行きました。
砂漠の真中で行われる為ホテルでも簡易のテント小屋、トイレと移動も困りました。
頭の壺は多分水が入っているかも?
2117年11月25日(土)神戸ホテルオークラに於いて森井禎紹氏の出版パーティーで
広島県福山市の二科会会員、鳥越修氏と約20年ぶりに出会った。
彼はこのラクダ祭りに参加されている、二科賞の作品を国際サロンへの出品を促し入選された。
国際サロンは私の勝手な話だが日本の写真コンテストではトップクラスだと思っている。
写真界の巨匠、渡辺義雄先生から国際サロンはコンテストの中で名誉だけのコンテストだと聞き、生徒さん達にも伝えている。
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032 (35) 夕照 中国 雲南省 China Yunnan Province
中国雲南省の元陽棚田は5回行きました。棚田としたら世界一ではないでしょうか!
生徒さんで 朝日カルチャーに10年、マイたうんに20年、
吉永明美さん(二科会会友)は努力されてコツコツ勉強されました。
この作品と変わらぬ作品で二科展入選されています。
山本久右衛門さんに次いで活躍しておられます。
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032 (36) リズム 中国 雲南省 China Yunnan Province
名鉄観光の岡下彰氏が企画した、棚田が好きでテーマだったので感動した。
上海、昆明から元陽へ、2002年はまだホテルは無く招待所だった。
観光客の泊る部屋ではなく見てびっくり・・・他に無いので諦めました。
3泊してゆっくり棚田を満足するほど撮影、岡下さんに感謝、いい所へ案内して頂いた。
多くの皆さんが二科展やJPS展に入選した。
4泊目は石屏風の異龍湖そして新平、最後は昆明と雲南省の魅力を知り5回に及んだ。
私は中国の中で元陽が一番好きです。
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032 (37) 輝き 中国 雲南省 China Yunnan Province
元陽県はハニ族 ・ イ族 ・ ミャオ族 ・ タイ族などの少数民族が住む山岳地帯。
海抜1,400m〜2,000mで霧と雨が多く、稲作に適した土地1,200年前、ハニ族によって棚田が作られたと聞く。
12万ヘクタール?5,000段以上続く壮大な光景は圧巻です、5回目にようやく立派なホテルが建設されました。
もう一度行って見たい被写体地です。
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032 (38) 棚田は続く 中国 元陽県 China Yuanyang County
作品は夕陽でした、少数民族の方々は優しく私はミャンマー人に次ぐ好きな人達です。
笑顔で純粋で決して日本人の悪口等は全く有りません、上海とか北京に来ると少し違います。
元陽は昆明から330k、今は高速バスがあるとか!!
中国西南部にある雲南省はベトナム ・ ラオス ・ ミャンマーと国境を接するこの地域は緑がいっぱいの豊かな土地。
少数民族は15もあるとか! 私は是非お勧めです。
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032 (39) シルクロードA 中国 鳴沙山 China Ehoing Sand Mountain
シルクロード、鳴沙山や敦煌はオアシスの都市だったとか、
名鉄の岡下さんの企画、吐魯番 ・ 烏魯木斉 ・ 敦煌シルクロード10日間でした。
寝台列車にて柳園へ鳴沙山では太陽大飯店で宿泊、
敦煌 ・ 西安 ・ 上海から関空と私のツアーでは長い旅でした。
参加者の橋本利夫さんは当時80才を越えていると思う、
JPS展で入選したのが思い出として心に焼き付いている。
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032 (40) シルクロードB 中国 鳴沙山 China Ehoing Sand Mountain
ラクダの砂煙が夕陽の逆光線でファンタジックとなり、良い効果になりました。
私はラクダに乗るのは本心、嫌いですそれは股関節が悪く股をひらくのが辛いのです。
以前モロッコのサハラでラクダに乗り乗り方が悪くラクダが涙を流したのを覚えています。
ラクダや象は本心、コリゴリなのです、
然しツアーですので皆さんが喜ぶなら何でもしなくては・・・ 時には身銭を切り上手くまとめる時も多かった。
ツアーの皆さんには殆んど知られていません。
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032 (41) 鳴沙山 中国 敦煌 China Dunhuang
砂丘といっても東西40Km、南北50kmと広大です、入場料が必要でした。
日本の鳥取砂丘しか知らないので世界にはスケールが全然違う。
モロッコのサハラ砂漠も南アフリカのナビブ砂漠と良い被写体を求めて
当時、名鉄の岡下さんに色々アドバイスされながら考えました。
1999年9月11日〜9月20日だと日記に書いています。
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032 (42) シルクロード 中国 烏魯木斉 China Urumqi
ウルムチ、中国語は大変難しい。
神池と呼ばれる天地を撮影、木の間を子供が歩いていた。
面白いのはお尻に穴が開いていて? 便利だと思った。
中国は広大、天山山脈が永遠と続き、列車から見る景色も木や緑のない世界が一晩続く・・・
ガイドに聞いたら、砂漠は蛇一匹いないと云う、水や食べ物が無いと言っていた。
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032 (43) 帰路 中国 雲南省 China Yunnan Province
2000年10月名鉄ツアー昆明 ・ 麗江 ・ 大理 の8日間でした。
中国でも都市から離れて行くと素朴で優しい民族です。
当時は生活も大変だったかも!! 現在はどうでしょうか!!
経済大国2番目、大阪のホテルにも沢山の人達、神戸のホテルオークラでも・・・
まるで20年前の私達の様です、
中国の最果ての地域に日本人が押し寄せていた。
中国人の方さえ行かない未開の地へ私達は行っていました。
現在、日本でのへき地で中国の方を見ると私自信を思い出す。
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032 (44) 光る道 中国 シルクロード China Silk Road
天山山脈へ通じる道路、新疆天山山脈中央アジア、タクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、
キルギス、中国の国境地帯にある山脈をバスの中から撮影した。
標高6,000m級の山々からなる天山山脈は、それはそれは雄大の一語、
シルクロードの秘境、新疆ウイグル自治区への旅はおすすめします。
ウイグル自治区の住民も私達日本人に優しく接して頂き、いまだに忘れられない。
数年後事件が発生したがどうしてそんな事が起きるのか不思議だった。
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032 (45) 帰路 中国 麗江 China Lijiang
仕事帰りだった。
白沙村や虎跳峡、玉龍雪山の撮影で参加者の何人かが高山病にかかった。
麗江は雲南省北西部の高地だから?
昆明から中旬、麗江、玉龍雪山は下から見上げて凄い山だと思った、
やはり日本で見る山とは一味も二味も違った。
そして大理、喜州や周城、三塔寺、大理古城と廻った。
撮影ツアーと云えど観光も取り入れながらの撮影会です。
参加者の高山昭江さんがJTB旅行大賞を受賞した。
同じ大賞を大枝瞬二さんも受賞している。
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032 (46) 一家総出 中国 貴州省 China Guizhou
旅行業者も私が海外ツアーをしていると知ると、色々なツーリスト会社から売り込みがあった。
JTB ・ 阪急交通社 ・ 近畿ツーリスト ・ 日本旅行
その中で日本旅行の若い営業マンが私の香里園の店まで何十回も足を運び根負けして、中国貴州省を実施した。
少数民族が好きだったので貴陽〜凱里、ミャオ族、トン族、露天石の建築博物館鶏山村、
明代の古い町、青岩古鎮のブイ族そして鍾乳洞ほか村をスナップ、
吉永明美さんがキャノンコンテストで推薦になった思い出が・・・。
豊島喜代子さんはアマテラスで入選した。
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032 (47) 農婦 中国 貴州省 China Guizhou
日本旅行とは営業マンの売り込みに負けて十数回実施したが・・・
営業マンが転職して証券会社へ移った後、主に安心できるJTBになり現在も殆んどJTBにしている。
作品は霧の中ひと休みしていた農婦の方を撮影、
中国の田舎に行くと意外と優しく話を受け入れてくれ、過去良い作品が数多く出来た。
その為に?モンゴル18回 ・ ?インド16回 ・ ?中国の14回と私の海外ツアーベスト3です。
2002年、日本旅行京都支店を利用した作品。
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032 (48) 夕暮れ 中国 建水 China Jianshui
昆明から建水 ・ 元陽 ・ 南沙 ・ 新平とモンゴル族、アイニ族の田園地帯を主にスナップした。
私は元々ニコン党だったが山本久右衛門さんがキャノンEOS1とズーム35〜350ミリを持参。
それを見て私も同様のカメラを買ったが、ボディは安くてパノラマに変化するボディを使った。
時々フルサイズとパノラマに変えて撮影したが・・・忘れてパノラマばかりでアナログフイルム36枚撮りを2〜3本失敗した事も?
当時パノラマが少し流行した時期だった。
作品は橋本利夫さんがコンテストに入選された。
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032 (49) シルクロード 中国 アルタイ China Altai
ウルムチからアルタイ、カナス湖の企画はマツシマが考えて旅行会社は日本旅行の若い営業マン、堀就介さんにお願いした、
彼は熱心に何度も足を運び、名鉄から他社に切り替えた。
カナス湖はたまたまTVを見て行きたいと考えました、ロシア国境に近い湖です。
その湖の途中で羊の群れに出合いました、斜光線だったので気に入りました。
季節は9月紅葉の良い時期でした。
気候は日本の秋と変わりなく早朝は寒かったと思います。
中国シルクロードと少しイメージが違いますが!! 大自然がいっぱいの美しい被写体です。
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032 (50) 黄色の楽園 中国 雲南省 China Yunnan Province
羅平の菜の花畑です、面積は東京都ぐらいあると聞きました。
バスで数時間走っても黄金の菜の花畑、スケールが違います、中国はあらためて国も大きく広いです。
素晴らしい被写体地が山ほどあり、モンゴル、インドに次いで写真撮影ツアーは3番目に多いです。
まだまだ行きたかったですが? 70才を越えると国内で充分と思っています。
食べ物や空気がどうしても日本国内の方が安心です。
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