赤の世界 1
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
画面左下のグレーのスクロールバーをクリックしたまま
右にスライドさせてご覧ください。
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003 (1) 奥びわ湖夕照 1967年撮影
琵琶湖逍遙の表紙に採用された、発刊は1999年だった。
私はあまり古い作品なので好きではなかったが、東方出版デザイナーの人達に押された・・・結果は評判が良かった。
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003 (2) 知内浜の朝 1986年撮影
2009年北新地「セルヴィスギャラリー」 JRと読売新聞主催の企画展
PRCの山田さんより推薦され大日本印刷が決めた、滋賀県の県庁誌に採用され、写真展のハガキにもなった。
『 琵琶湖詩情 』 私の名作です。
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003 (3) サーフィンと夕陽 2002年撮影
琵琶湖の水上では若者達の格好のスポーツがサーフィン。
夕陽の湖上の光を待った、中心よりやや左に作画した。
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003 (4) 夕 照 1971年撮影
富士の現像所、中央現像所(のちの関西富士カラー)が当時あって私の店と取引していた。
正月用のチラシに採用された。
山際社長に可愛がってもらい写真展で社長みずから金槌を持たれびっくりした思い出・・・しかし残念ながら他界された。
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003 (5) 竹生島夕照 1988年撮影
1993年1月号 日本カメラ「琵琶湖私景」グラビア6ページ発表、当時 梶原高男氏が編集長だった。
守口市の京阪百貨店で写真展、写真集発刊記念 入場者が6000人以上で大人気、
朝日新聞でも「写真が元気」と取り上げていた。
また高島市の喫茶店「望雁」に展示している。
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003 (6) 知内浜の朝 1986年撮影
約30年間 白鷺が近くで撮れる有名な被写体地だった。
写友 森成雄氏が最初だと思っている、その次が私で当時の写真クラブ「写団寝屋川」の会員の人から、
カルチャーの生徒さんらに広く教えて全国的に有名になった。
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003 (7) 伊吹山と知内浜 1985年撮影
滋賀銀行のポスターに採用され、『 年鑑 日本の広告写真2002 』で収録された。
白鷺は2005年頃から来なくなった、どうして来なくなったかは原因不明。
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003 (8) 投 網 1983年撮影
1978年太陽賞受賞後、休日は殆ど琵琶湖に通った。
アマチュアからプロに転向し何が何でも他者に負けない作品を創る事を一番に思い、
朝から夜9時〜10時まで頑張っていた。
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003 (9) クロスフイルター 1974年撮影
撮影年月日と作品が使用される年数にズレが多い。
私はプロになりライブラリー(フイルム貸出し業務も兼用)をして、
80年代〜2000年頃まで売れて良く稼いでいた・・・知っている人数少ない。
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003 (10) 竹生島と鳥 1986年撮影
月刊フォトコンテストのグラビアに発表する、太陽は沈み鳥たちはこれから休むところだろう!!
私の姿にびっくりして飛立った。
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003 (11) 西ノ湖夕照 1979年撮影
滋賀県の琵琶湖の中で好きな被写体地 近江八幡西ノ湖です。年間平均20回位、必ず夕陽に・・・
夕日が沈み雲は良く、水面も赤く染まるが?船は来ない!!
タイミングが良かった。
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003 (12) 漁 1972年撮影
アマチュア時代からフイルターはかなり使用、色々な種類100枚はあったと思う?
市販のフイルターは20〜30枚だったが、1978年迄現像所に勤めていたラボ業務で使用するフイルターが何百枚もあった、
他者に分らぬよう使用していた。
テクニック・・・これも知っている人があまりいないが・・・プロになって公開している。
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003 (13) 竹生夕照 1976年撮影
個展は(2016年)迄47回開催、個展で発表。
私製絵ハガキを6種類作り販売している、空の雲が良かった。
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003 (14) 二 人 1977年撮影
湖北夕照 船もありモデルにカップルになってもらった。
作品は主役を助ける、脇役は2コあれば作品が強いことを日頃教室にて声高く言っている。
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003 (15) 夕陽の海 1971年撮影(合成)
日本カメラ月例で1974年金賞、審査員は緑川洋一先生(二科会員)だった。
先生の審査で私は良く入選し打率は7〜8割、
先生はフイルター・合成が好きで私と共通した部分が多く、相性が良かった。
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003 (16) 日の出前 1983年撮影
写友 森成雄氏と仲が良く、良く撮影に出掛けた、
彼は仕事が大衆風呂を営業し仕事が終わる真夜中1時半に迎えに来た、
私は眼をこすりながら同行、そのお陰で早朝の撮影が多かった。
ライブラリーで滋賀銀行から採用された。
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003 (17) 琵琶湖大橋 1973年撮影
この作品も滋賀銀行に採用された、
夕陽が沈んで20分後だった。
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003 (18) 太陽と鳥 1984年撮影
私はアナログのカラーリバーサルフイルム(スライド) 2008年頃まで使用していた。
もちろんモータードライブを使用したが、当時中々太陽の中に鳥が収まるのは大変難しい。
だが近年デジタル化され1秒間に10枚〜12枚も可能になり、増々便利になった。
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003 (19) 落日の頃 1965年撮影
琵琶湖のテーマの初期 2組の父親が子供を背負っていた。
当時は珍しくなかったが・・・2人の父親が面白かった。
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003 (20) 投網夕照 1972年撮影
湖西 夕陽の頃 家族が居た、父親が投網を・・・多分近所の人だと思う。
1993年12月フォトコングラビアに発表する(新近江八景)。
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003 (21) 夏の印象 1971年撮影
ミノルタカメラ主催の「ミノルタロッコールクラブ」が当時盛んだった、
当時一流の審査員をミノルタカメラは呼び、私もプロのカメラマンに憧れていたのでその人達の考え方や
おしゃべりを勉強し、将来プロになる為の行動の中にロッコールクラブを選んだ。
1976年カラーの部年度賞1位・・・モノクロで2位を受賞、
作品で植田正治先生からこの技法を教えてくれと頼まれ・・・今ではその言葉を自慢にしている。
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003 (22) 勝部の火祭り 1977年撮影
琵琶湖周辺では多くの祭りがある、早春の風物詩だ。
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003 (23) 葦焼き 1993年撮影
現在 夜の葦焼きは中止されている、当時は夕暮れからの葦焼きは迫力があり壮大であった。
近江八幡の盛田成二さんに協力して頂いた。
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003 (24) 近江八幡左義長祭 1995年撮影(夜)
毎年3月15日の近い土、日に行われている、日牟礼八幡宮9時頃点火され大迫力だ。
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003 (25) 左義長祭(昼) 2008年撮影
朝日カルチャーサロン(中の島)写真教室の講師をしている。
カルチャー教室の講師をして30年以上、アマチュアを指導して40年以上。
琵琶湖に足を踏み入れて52年になる(2016現在)。
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003 (26) 竹生島と黒鳥 1994年撮影
月刊フォトコンテスト グラビア『びわ湖の冬』 1992年発表。
多分どこかの動物園から逃げて来たのだろう!! あまりにも人馴れして僅か5m程から撮影した。
黒鳥が見れたのはこの年だけだった。
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003 (27) 残 月 1974年撮影
私は現像所出身ですから他者がまねできない知識を多く持っていた、
フイルムのISO感度を上げる増感現像を早くから取り入れていた、
普通はこの時間ISO100&400では無理、鳥がブレてしまう、
この時はISO100を1200に増感、プロのラボでは今迄した事が無いと行っていた。
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003 (28) 太陽と白鷺 1972年撮影
発表はプロになって新幹線のグリーン車内の雑誌『L&G』で取り上げられた。
編集者が先に湖西の白鷺が素晴らしいと云う事で後日特集したのだった。
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003 (29) 多賀大社 1979年撮影
昼の祭りより夜の祭りの方が個人的には好きだが!!
帰りが遅くなるので近年は夜祭は数少なくしている → 年1〜2回
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003 (30) 幻 想 1968年撮影
多重撮影(2回) 当時多重機能のカメラはなく手巻きカメラだった、
巻き戻しのボタンを押しカメラの巻き上げをして多重撮影、
簡単であったが知っている人は少なかった。
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003 (31) 永源寺 1981年撮影
ペンタックス6×7 1978年太陽賞受賞以後プロとして作品の質を上げるのに良く使用した。
広告写真家(APA会員)になりポスターも良く採用された、
滋賀県での使用は12点に及んだ。
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003 (32) 紅 葉 2008年撮影
守口市 京阪百貨店の8階でNHK文化センターの講師をしている。
月2回 その内1回は実習、京都の秋 紅葉を求めて・・・
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003 (33) 彼岸の頃 2013年撮影
京阪くずは駅構内 3階「朝日カルチャー教室」の実習で京都八幡市の辺りで彼岸花と蝶を撮影、
実習では優しく指導している。
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003 (34) 向日葵 1973年撮影
向日葵を湖岸で撮影するのにあちこち探したが見つからなかった。
結局、近くの方よりゆずり受け向日葵と湖で演出した。
この作品は枯れた向日葵を冬場に撮影。
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003 (35) 落日の朝 1978年撮影
琵琶湖を撮影してから52年目(2016現在) テーマにしようと決心したのは1969年だった。
テーマにするには色々なポジションが重要、気象条件も又重要。
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003 (36) 白髭神社 1988年撮影
湖西道路を北に進むと右手の湖の中に鳥居が目立つ白髭神社である。
垂仁天皇の頃の創建と聞き歴史は古い、日の出前に撮影
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003 (37) 夜の名神 1973年撮影
写真家「岩宮武二」巨匠氏よりミノルタロッコールクラブで褒められた作品である、
岩宮先生が私個人的には関西で一番の写真家と云える。
名神高速で車中からシャッターを押した。
カメラはブレ動いた作品だが先生は、リズム・光・気持ちが素晴らしいと云ってくれた、
私もピントが良いだけが作品ではないと常日頃考えただけに大変嬉しく思い出の作品。
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003 (38) 蓮 1997年撮影
今まで有名になっている花の名所、守山の蓮池は当時道路も無く荒れ果てた森の奥にあった。
釣り人しか知らない秘境の地だった、
私は道路も無い生い茂った藪を押しのけ夕暮れに懐中電灯を横から灯てた会心作である、
名刺にも使用している。
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003 (39) モデルと赤カブ 1995年撮影
富士フイルムの講師をしている頃、山際部長が3〜5年仕事を配ってくれた。
モデルも必ず手配、講師中の合間にシャッターを・・・彦根にて
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003 (40) 白鷺と湖 1981年撮影
コダックのフイルムの中にPCF(顕微鏡用)フイルムがあった
フイルムは高く、現像もISO感度が25°で低く大変難しいフイルム、
素人の人では撮れないフイルムを約2000本程使った。
東京研究所は使用では一番多いと赤外フイルムと合わせて。
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003 (41) 日野祭にて 1995年撮影
私はプロになってから撮影ツアーを毎月実施している、2016年現在650回に及ぶ、
おそらく日本中で一番ではないだろうか!!
会員の山本久右衛門さん(現在95才)二科展に入選した、現在10回入選して会友になっている。
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003 (42) 雪の中 1996年撮影
日帰り撮影ツアーにて、残り柿に雪が積もった、めったにないチャンスだった。
秋の季節、必ず柿景色に行く・和歌山・奈良・滋賀・福井と関西を50年グルグル回っている。
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003 (43) 赤い風景 1986年撮影
京都の越畑もどちらか!!と云うと写真の世界では私が知らせたと云って良い。
山本健三氏も撮影していたが?彼も場所は特定していなかった。 私が場所を発表した後
特定したが・・・カメラマンにとって当時は秘密だった。
ストロボにセロファンを使用、フイルムはタングステンタイプT64使用。
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003 (44) ズーミング 1977年撮影
ズームレンズを動かしてシャッターを切る簡単で、これは花等の撮影では定番
今ではあまり感動しない。
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003 (45) フイルター使用 2009年撮影
大阪府河内長野のスイセン畑、空にハーフオレンジフイルターを使用。
NHK写真教室にて。
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003 (46) シンメトリー 2008年撮影
千里万博公園の梅林にて、梅花を逆光線で枝を利用して作画。
NHK写真教室実習
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003 (47) 水 面 2005年撮影
日帰り撮影ツアーで兵庫、室津漁港にて、船の色が水面で揺れ動いていた。
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003 (48) 大阪空港 1978年撮影
飛行機や空港の作品を発表していたので、日本カメラよりガイド記事を良く書いていた。
飛行場へもツアーで良く案内していた、私は昔から?空港・?岩田山の猿・?奈良公園の鹿が
被写体として又コンクールも良いと伝えていた。
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003 (49) 干 潟 1996年撮影
関西の干潟と云えば兵庫県の新舞子浜である。
かれこれ13回程訪れたが地元の写真家粕谷隆氏にはかなわない、
彼は毎日行くのだから・・・(写真集アマテラス)発表していた。
たまに行っても写真は撮れるが感動するには及ばず。
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003 (50) 英虞湾夕写 1994年撮影
日本カメラMOOK とっておきの撮影地100選 1996年発行に発表した。
2016年にはサミットがあり注目される事だろう!!(三重県志摩市)
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