竹生島の白鷺

竹生島は琵琶湖の北にある花崗岩で出来ている島


011 (1)    竹生島 shiga Chikubushima
白鷺の繁殖地だった竹生島は(~1984)宝厳寺(真言宗)、四国33ヶ所、観音霊場のひとつ、
風光明媚な事と孤船で渡る風情は、他の霊場では見られない巡礼者の魅力である。
白鷺が何時から繁殖地になったか?は定かでは無い。私が知った時は既に数万羽とも言われていた。
ダイコロ(枚方スクールアルバムの印刷会社)のセスナ機より撮影(1999年頃撮影)。


011 (2)    朝陽の頃 shiga Chikubushima
竹生島の白鷺は毎年夏場だけ可能でした、それは繁殖の為に白鷺は竹生島にやって来る。 私が竹生島の撮影に入ったのは
1973年の夏でした、写友「森成雄」氏に案内して頂いた。 誰が竹生島の白鷺を発見したのか?分らないが・・・世界的に有名な
「田中徳太郎」氏も一度だけ竹生島に来たと聞く・・・鳥の繁殖地として遠い昔から知られていたと思う(1973年撮影)。


011 (3)    飛翔 shiga Chikubushima
朝陽が昇る頃、正面より逆行線だったが・・・撮影。 自宅を真夜中の1時半に森さんが何時も迎えに来た、彼は「大衆浴場」を経営、
その終了後に私の所にやって来る。午前1時半出発、何時も彼の車で湖北・尾上港から3時半頃出航、4時迄には竹生島へ登った。
先に森さんがロープを張り、それを伝って登る、大変な仕事だった(1972年撮影)。


011 (4)    羽ばたき shiga Chikubushima
太陽が湖北長浜、伊吹山方面から昇る。
白鷺達は相手を探し子作りに入る、朝陽に映る白鷺は素晴らしく感動の嵐だった(1974年撮影)。


011 (5)    輝きの中 shiga Chikubushima
白鷺の美しさは当時モノクロであったが「田中徳太郎」さんの作品に憧れていた。 私は当初からカラースライド(アナログ)を
1964年より少しづつ使用し、竹生島ではオールカラーの使用でした(1984年撮影)。


011 (6)    竹生島幻想 shiga Chikubushima
朝陽の中、白鷺の美しさを通り越して日本画をを見ている様でした。 その素晴らしさは撮影する私達カメラマンだけの特権でした。
1993年JRセルヴィスギャラリー(近江八景今昔展)にて発表(1985年撮影)。


011 (7)    白鷺たち shiga Chikubushima
琵琶湖には先輩「西嶋保介」氏に案内して頂いたが、西嶋氏は風景・スナップがメインで鳥は教えてもらった事は無い。
特に私の場合はニコンレフレックス500ミリと1000ミリを使用した、別に中判カメラの
ハッセルブラッド500CMを持っていたが標準レンズのみ(プラナー80ミリ)だったので竹生島へ登るには適さなかった(1973年撮影)。


011 (8)    樹の枝上で shiga Chikubushima
竹生島の良い所は水面がバック(後方)になる為、白鷺の後方が単純になり整理されていて撮りやすかった。
  誰が撮影しても綺麗に撮影出来たと思う。 レンズは当初210ミリの「シグマ」とか「サンレンズ」。
純正よりレンズメーカーの方が安いので良く使用したが・・・
ニコンのレフレックスが良かったと思っている、そのレフレックスで撮影した(1973年撮影)。


011 (9)    恋の相手 shiga Chikubushima
白鷺の数も当時、私の見立てでは3000羽程が私の周囲にはいたと思う、
竹生島全体なら1万羽以上だと思っているが正確ではない(1973年撮影)。


011 (10)    着陸 shiga Chikubushima
逆行線で着陸の時が最高だった?滅多に上手く撮れない。 現在ではデジタル時代、白鷺を見たら連続シャッターさえ押していたら
勝手に写るが、当時はアナログフイルムでした。 漁師さんに早朝3時半頃と午後1時に迎えに来て頂いた。 朝8時頃には撮影が
終了していたが、漁師さんの仕事が終わり昼食後に迎えに来てくれた。 私は船が迎えに来るまで仮眠するか?ブラブラしたり
島の50m以内で白鷺の観察をする位だった(1975年撮影)。


011 (11)    ダイサギ shiga Chikubushima
白鷺の中でも 小・中・大と3種類の鷺がいた、中でもダイサギの方がより美しく迫力があった。 白鷺の先輩「川上緑桜」氏は主に
「ダイサギしか私は撮らない」と言っていた。 その川上氏に竹生島の案内を頼んだが返事が無かった、何故か!!分らなかったが
後日、御自分で車を運転されてなく無理だったのです(1976年撮影)。


011 (12)    朝陽の中 shiga Chikubushima
「ゼンザブロニカ」6×6を1974年に買った、レンズはニコンレフレックス1000ミリを改造して付けた。
  当時の写真クラブ写団「蟲」の会員だった大村マサル氏が鉄工所を経営されていた、レンズの改造をするとの事、
4万円でブロニカに使用した。その作品、すごく美しく綺麗に撮れた、35ミリフイルムより6×6だからシャープに撮れた。
アマテラスに発表(1975年撮影)。


011 (13)    広げた羽 shiga Chikubushima
このポーズがより美しい、当時この瞬間がとても難しい時代だった。ピントもマニュアル・・・私は今迄(2016迄)AFは使用した事が無い。
デジタルカメラになっても全くAFは使用していない、その訳はピントが合わなかったらシャッターを押せなかったりレンズが前後に動き、
思ったときにシャッターが押せなかったから(1972年撮影)。


011 (14)    枝の上 shiga Chikubushima
竹生島にある名物の木の枝である、その上に止まる白鷺が他の樹の邪魔が無く、大チャンスだった(1973年撮影)。


011 (15)    樹と水面 shiga Chikubushima
その名木がこの枝です、大木は既に枯木になっていた。
その回りは邪魔な樹は無く最も撮影がやり易い立派な枯木でした(1973年撮影)。


011 (16)    大木の上 shiga Chikubushima
白鷺達はこの大木や、他に数本の大木で休んだり、止まり木として利用していた。私はこの木に止まるのを待っていた、しかし鳥達も
カメラを向けると怖がって直ぐに飛び立ち、滅多に止まるのも少なかった(1974年撮影)。


011 (17)    枯木の樹 shiga Chikubushima
枯木に8羽であったが多い時は15羽の時もあり、時々白鷺同士で喧嘩もしていた。 
残念ながらこの大木の樹はカメラマンによって数年後切られて消えた(1975年撮影)。


011 (18)    飛び立つ shiga Chikubushima
ブロニカのボディとニコンレフレックス1000ミリで撮影。 
私は当時、3つのクラブに所属していた、秀影クラブ(森本義次)氏代表と写団「蟲」、リーダーは「花畑義三」氏だった、
カメラメーカーのミノルタロッコールクラブと3つのクラブも1978年2月に退会した(1975年撮影)。


011 (19)    枝の上 shiga Chikubushima
秀影クラブは5年、写団「蟲」は4年ほど在籍した。それぞれ二つのクラブは特徴もあって楽しかった、アマチュアとして充分
楽しく過ごしたと思っている(1975年撮影)。


011 (20)    ひとりぼっち shiga Chikubushima
鳥の撮影は当時としたらベラボウに費用が必要だった。
船代(往復15000円)、森さんと割勘したがガソリン代2000円、フイルムが20~30本使用、現像料と合わせて6万~7万程、
竹生島の白鷺が作品になるのは誰もが分っていたがその費用を聞く度に殆んどの人は行く事を諦めた様だった。
その様な時代、ベストシーズンの日曜日に一度も竹生島で人に会う事はなかった(1976年撮影)。


011 (21)    湖の上 shiga Chikubushima
1978年2月に太陽賞が発表されて直ぐにアマチャアクラブを撤退した。 
そしてプロの道を選び、プロ生活は(2016年現在)38年です、写真生活は52年です。 
琵琶湖の撮影はアマチュア時代を含めて52年になります(1974年撮影)。


011 (22)    ブルーの色 shiga Chikubushima
フイルムでタングステンタイプ(Tタイプ)がありました。
フジとコダック両社ともあり、私は写真学校卒業後ラボ(現像所)に勤務した関係で、色々なフイルムや裏方の仕事で
他のカメラマン以上に知識が有りました。 1978年「太陽賞」では30枚の組写真の中、
タングステンフイルム作品は6割と多用し、当時一般ではあまり知られてなく「審査員」の先生方もびっくりした程です。
作家で審査員の「中馬健蔵」先生が表彰式の二次会でその発言をされたのを記憶しています(1979年撮影)。


011 (23)    樹の上 shiga Chikubushima
写友「森成雄」氏に案内して貰わなかったら白鷺の撮影は諦めていたと思います。 
森さんの話では川上氏を案内したのは森さんだと言っていました(1975年)。


011 (24)    前ボケ技法 shiga Chikubushima
白鷺の前に木の葉や枝が有り、鳥の撮影は簡単であったが難しいのです。鳥達は人(私達)を警戒し近くに寄ろうとはしません。
出来るだけ離れています、私はその時から「鳥と対決」しなければなりませんでした。
「対決」とはその時に出て来ました(1973年撮影)。


011 (25)    老木の上で shiga Chikubushima
竹生島はブナの木が多いと聞く、落葉が埋まり「ヘビ」や「ムカデ」も多く、私は長いものは苦手でした。
早朝の撮影でAM8:30頃は光も平凡になって眠くなって来る。
ビニールを敷き仮眠する。昼食で何とかおにぎり1個を食べるけど・・・白鷺の糞の臭いで食べられない。
時々空から糞が落ちて来る、帰り際レンズは鳥の糞でレンズの上部が白くなっている(1978年撮影)。


011 (26)    ダイサギ shiga Chikubushima
この作品が私は気に入っている、作品の中でも特に音楽の発表会「ファンスティック」パンフレットでも使用した。
「白鷺」の映像と「音楽」 枚方市邦楽研究会主催の音楽のコラムとして発表した、守口文化センター発表(1975年撮影)。


011 (27)    雄姿 shiga Chikubushima
ダイサギは鷺の中で最も大きく、羽根を広げると約2m位、竹生島では近くで撮れるが・・・琵琶湖周辺では直ぐ逃げられてしまう!!
作品は露出アンダーにして背景を黒くした、写真家「秋山庄太郎」さんは黒バックが好きで1974年「日本カメラ」の審査員でした。
写友「森」さんは秋山さんと一致したのでしょうか?年度賞2位だった(1981年撮影)。


011 (28)    老木のダイサギ shiga Chikubushima
竹生島の名木に止まったダイサギ、この作品も私は気に入ってる、中々この様なポーズは撮れない。 竹生島に行った方でないと
この様な気分にはなれないだろうと思う(1980年撮影)。


011 (29)    樹の上で shiga Chikubushima
私のホームページの中でも白鷺は大人気です。 2002年頃「ホームページ」を開設し既に14~15年になります、写真家の中でも
早い方だと思っています、当初は作品を固定していましたが・・・残りの人生も少なくなって来ました。 写真の未発表が20万点以上、
恐らく将来は捨てられて消えてしまう運命なので、少しづつ発表する様にしました。 私の事も知らなかった方から沢山のメールや
お手紙を貰っています、大変嬉しく思います(1976年撮影)。


011 (30)    リングボケ shiga Chikubushima
ニコンレフレックス500ミリのリングボケです。
私もニコンサロンで個展、銀座と新宿で発表しました。湖の光では凄く良い効果になります。
ホームページのギャラリーを見て、マツシマ君がこんなに沢山、白鷺を撮ってたとは知らなかった・・・と云う人が
沢山いらっしゃいます(1974年撮影)。


011 (31)    森の中 shiga Chikubushima
ダイサギです、樹の間から撮影。 撮影も数回行くと服が糞で汚れるのでビニール製のジャンパーを使用、洗濯が上手く行く様にしますが?
奥さんは服の汚れにご機嫌斜めです。また撮影後、レストランや食堂に行くと臭うので嫌がれた事も数度あります(1981年撮影)。


011 (32)    花の中 shiga Chikubushima
白鷺の撮影はそんなに難しくありません、鳥は10m~50m以内です。構図とシャッターチャンスと数多く撮影する事。
レンズはレフ500ミリとブロニカ改造のニコンレフ1000ミリ、ブロニカに付けると1000ミリは500ミリになります。
その後、単体の600ミリを購入、ピントが良く良い作品が多く出来ました(1983年撮影)。


011 (33)    ダイサギ shiga Chikubushima
竹生島の白鷺は全作品アナログフイルムです、デジタルは2008年位からです。
竹生島の鳥は1984年頃、環境問題で追われて来なくなりました。
10年後、白鷺から鵜に変わりました(1979年撮影)。


011 (34)    雨日 shiga Chikubushima
気象で白鷺は晴天の方が美しく、雨日は発色が良くなく不向きです。
船の予約の関係で雨も数回有りましたが・・・作品は殆んど良くありませんでした。
ダイサギのくちばしに水滴があり、雨日も時と場合に依り良い時もある(1982年撮影)。


011 (35)    ダイサギ shiga Chikubushima
この作品も良い方です。 琵琶湖周辺ではこの様に大きく撮れません、竹生島だから撮れたのです。
琵琶湖の白鷺では恐らく私が色々な角度と数多く創っていると自信が有ります、
まず年数・時間・お金の使い具合、全てに於いて他者には負けたとは思っていない(1980年撮影)。


011 (36)    美姿 A shiga Chikubushima
ダイサギは凄く立派な姿だと思う。 巨匠「田中徳太郎」さんは、この作品クラスを多数発表されていました。
カラーではなく、その時代は当然モノクロ(白黒)です(1981年撮影)。


011 (37)    美姿 B shiga Chikubushima
ダイサギが羽づくりしている所です。
この様な作品は二度と撮れません、自然と環境 、竹生島の鳥の糞で樹が枯れなければそのまま続いていた事でしょう!!
竹生島が20年で島全体の1/3が影響をうけました。
その間の約12年間で撮影出来た事は写真人生で幸運だったと思っています(1980年撮影)。


011 (38)    湖面と白鷺 shiga Chikubushima
私が初めて撮影に行った頃は驚くほど白鷺が乱舞していました。
雛は手の届くところにいました、考えられません、1m以内です。
翌年は5m、10m、30mと行く年数の度に遠くへ移動、鳥達も安全な距離を知っているのです。
鳥と人間の関係、私は作品を見ながら、つくずく考えます、
撮影は良いけど決して動物や鳥の為には良くないと・・・考えると苦しいです。
ある意味カメラマンとは・・・考えます(1975年撮影)。


011 (39)    ブルーの色 shiga Chikubushima
私の得意「タングステンタイプ」を使用、湖の面がブルー色に、白鷺の白が映えると思ったからです。
デジタルだとパソコンで色々と色を変えられます、電子映像の進歩は凄いですね!!技術とか技法とか・・・簡単になりました。
最近女子力はまた凄い、1970年代はクラブや学校でも10%位、それが半々になりクラブによっては女性の方が多い所も!! 
これからも増々女性が強くなって行くでしょう(1974年撮影)。


011 (40)    ダイサギのシルエット shiga Chikubushima
今ではタングステンが良いとも思えません、当時色彩を変えるのがタングステンフイルムとフイルターだった。
フイルターはレンズの前に付ける為 レンズの性能が落ちると私は思っていた、
本心は常に「自然の色」そのものが良いと思っています(1974年撮影)。


011 (41)    空高く shiga Chikubushima
時折、白鷺の群が天高く飛ぶのは見かけます。
滋賀県の観光ポスターでコピーライター「今西慧」さんは「神の鳥」とキャッチコピーを作りました。
まさしく白い美しい鳥だと思います(1978年撮影)。


011 (42)    ひと休み A shiga Chikubushima
ダイサギのひと休み、眼の前に止まり慌ててシャッターを切る。
何回もチャンスを逃がした事も多いです、常にシャッターが押せる状態が良い。
何時でも・何処でもチャンスを掴むのです、
白鷺だけでなく・・スナップ・スポーツ・動物、全部に言えます、また通じます(1984年撮影)。


011 (43)    ひと休み B shiga Chikubushima
ダイサギは確かに大きくて勇姿はチュウサギ・コサギに比べて全然違います。
立派と云う他にありません、最高です(1984年撮影)。


011 (44)    白鷺とゴイサギ shiga Chikubushima
竹生島では「アオサギ」・「ゴイサギ」も良く見ました。写友「森成雄」さんと常に一緒でした。
竹生島では彼がリーダーでした、この作品も一緒でした。 森さんは「二科展」ここの被写体で入選されました、
構図はもう少し森さんの方が良かったです。森さんは「二科展」連続6回入選、その中、竹生島は2作品入選だった(1978年撮影)。


011 (45)    仲良く shiga Chikubushima
樹に止まりながらでも警戒心は持っています、危険を感じると直ぐこの樹より更に遠くに行きます。
鳥達はより安全を心がけているのです(1981年撮影)。


011 (46)    首を休めて shiga Chikubushima
この作品も良い方です、首を丸めて休んでいます、安心しているのかな?・・・(1982年撮影)。


011 (47)    警戒心 shiga Chikubushima
止まったものの・・・少し心配しています。 こちらもチャンスだとシャッターを・・・1980年を越える頃、
更に白鷺達は遠くの場所の樹に休む様になりました(1981年撮影)。


011 (48)    眼の前 shiga Chikubushima
ダイサギが眼の前にいました、大チャンスでした。
中々このアングルで撮れたのは他に有りません、私にとって白鷺の中でもかなり良い方です(1979年撮影)。


011 (49)    竹生島より撮影 shiga Chikubushima
竹生島からボートが見えました、島からたまにボートや漁船が・・・その時は常にシャッターを切るようにしています。
タングステンフイルムを使用(1975年撮影)。


011 (50)    竹生島 shiga Chikubushima
竹生島をセスナ機より撮影。 「スクールアルバム」で有名な「ダイコロ枚方」が当時持っていたのを借りて撮影、八尾空港より飛び立ち、
琵琶湖を一周しました。 当時編集人の「太田健嗣郎」氏から或る日、飛行機に乗らないか!!と云う電話が・・・私は上空からも撮りたいと
日頃思っていたので、OKの返事。 操縦士は自衛隊出身の方でした、以前、大雪山・紋別の流氷でも経験しています。 上空から見て
白鷺が去って(1984年)15年の歳月が流れても島半分が傷んでいる。 竹生島に上陸している間は分らなかったが?
空から見てびっくりしたのを思い出します(1999年頃撮影)。

ギャラリートップへ戻る