白鷺幻想
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
画面左下のグレーのスクロールバーをクリックしたまま
右にスライドさせてご覧ください。
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010 (1) 知内浜の朝 shiga Takashimashi
知内浜の白鷺の撮影が本格的に始まったのは1982年からです。
友人の写真家「森成雄」氏(’74日本カメラ年度賞2位)と当時、私が作った写真クラブ
写団寝屋川のクラブ員、荒平ヒロシ君が知内浜の生簀の白鷺を知ってからです。
当日、森さんと2人で行く予定でしたが、1978年太陽賞受賞後、写真の依頼が増えて・・・
どうしても仕事の為、クラブ員の荒平君に代わってもらい森さんと同行して
知内浜の白鷺を発見しました(1983年撮影)。
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010 (2) ストロボ撮影 shiga Takashimashi
翌週、今度は森さんと2人で知内浜に行きびっくりしました
白鷺たちを僅か10m〜30m以内で撮れるのです。
白鷺は30羽〜100羽程いました。当初は生簀の上が主でしたが、
白鷺も慣れて1m〜3mの距離まで接近出来ました。
作品は広角18ミリでストロボを使用しています(1983年撮影)。
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010 (3) 動きを創る shiga Takashimashi
撮影も余裕が出来ると得意のストロボのスローシャッターでカメラを動かしました。
ただし当時この技法は皆さんには少し内緒です、全部技法を公開しては私に何も残りません。
現在は公開しています(1983年撮影)。
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010 (4) ストロボ使用 shiga Takashimashi
広角レンズ18ミリ・絞りF16・ストロボ光(外付けガイドNo40)と
フイルムはアナログ、タングステンタイプ(フジ64T)で撮影。
現在、知内浜に白鷺は来ていませんのでこのシーンの撮影は不可能です(1984年撮影)。
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010 (5) 白鷺の舞 shiga Takashimashi
生簀の上で本当は喧嘩だと思っている。奈良の鹿も同じでライバル同士だと喧嘩して立ち上がる。
然し、どちらか強弱がハッキリしている場合だと弱い方が諦めるか?
譲っていると私は思っています(1983年撮影)。
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010 (6) 朝 shiga Takashimashi
知内浜の朝陽を一人で撮影に行く時、私は家を3時半か4時に出発していました。
写友「森成雄」氏と一緒の時は真夜中1時頃に迎えに来てもらっていました。
森さんはその当時、大衆フロを営業されていて掃除が終わってから直行していた(1983年撮影)。
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010 (7) 魚眼レンズ shiga Takashimashi
知内浜も毎年行くと少し飽きが来ます。
何か今迄のパターンを打ち破るつもりで魚眼レンズを使用、面白い事に白鷺の足や羽根の飛沫がレンズに付着し、
面白い効果になりました。これは誰も撮影していないだろうと勝手に思っていますが?、
当時、魚眼レンズを使用している人は周りにはいなかった。私の自信作です(1985年撮影)。
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010 (8) ストロボ使用 shiga Takashimashi
白鷺だけでなくカモメ(ユリカモメ)も多く来ていました。
ユリカモメは昼間、京都鴨川・桂川・淀川で過ごし、夜から朝まで琵琶湖に来ると聞いていた。
作品はストロボ、タングステンタイプ(フジ64T)で撮影した(1985年撮影)。
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010 (9) 雪の日 shiga Takashimashi
生簀の上は1m近くの大雪だった、知内浜を歩くことも大変です。
知内浜の人気が出たのは写団寝屋川のクラブ員で、今では関西のアマチュア作家で有名な
三宅信男さんが当時、写真コンテストでは超有名な、三菱月光フォトコンテストで上位になりました。
月光フォトコンテストは全国のアマチュアのトップ達が挙って応募していた。
当時は二科展以上の人気コンテストです、私の師匠「青木君夫」先生はじめ川上緑桜氏・
吉成正一氏・今村たかし氏・中山陽氏・他、二科会会員の方が多く入賞していた(1982年撮影)。
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010 (10) 餌を待つ shiga Takashimashi
生簀から流れる餌を小川で待つ白鷺たち、全部で40羽はいた、その周りにもさらに待っている。
ユリカモメが先に来ます、白鷺より素早いので餌はユリカモメが先にいただいている様でした。
当時、関西のカメラマンなら一度は皆さん行った事でしょう、あの有名な津田洋甫さんも来られました。
私は遠くから見ていたら4×5の大判カメラを持参されていました。
鳥の撮影ではハッキリ無理です、数枚撮影されて帰られました(1996年撮影)。
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010 (11) 竹生島と知内浜 shiga Takashimashi
光線が良い時または雪が降らなかったら遠景の竹生島や伊吹山も見られます。
私はよみうり文化センター千里教室の生徒さんや、撮影ツアーマイたうん友の会を
主催していましたので多くのアマチュア作家を案内しました(1984年撮影)。
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010 (12) 朝もやの中 shiga Takashimashi
時々、朝もやに出合いました。
東京新聞の日曜版に大きく採用されたのも思い出として、
私の琵琶湖の大自然を評価して頂いた事を光栄に思っています(1984年撮影)。
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010 (13) 多重撮影 shiga Takashimashi
同じ場所を何十回、何百回も行くと同じ作品より更に新しい表現をしたくなるものです。
芸術家なら当然考えなくてはなりません。多重撮影を3回して見ました。新しい機能のカメラが
1980年代後半に登場。キャノンは最大9回の多重まで出来る様になりました(1889年撮影)。
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010 (14) 幻想 shiga Takashimashi
知内浜は高島市の知内漁港の横でした。私は1964年から多重撮影をしていました。
ギャラリーを見て頂いたらお分かりだと思います、当時、カメラには多重の機能は無く、
フイルムの巻き上げ時に戻しボタンを押して回転させると、フイルムは移動しない状態で
シャッターが切れる単純な作業ですが?。私の周りの人達は殆んど知らなかった、その為、人とは違う
作品を数多く制作。私の二科展入選5点中、4点はその様な技法を使った作品です(1983年撮影)。
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010 (15) 休息中 shiga Takashimashi
白鷺たちは知内浜である程度お腹がいっぱいになると一休みします。
アラスカの熊も経験があります、カトマイ国立公園に2回訪れました。
ブルックス川を遡上するサケを熊は1日6〜7匹食べるとか?。
白鷺たちを観察しているとやはり強い物が先に食べ、その後に弱い物が?、
中には餌にありつけない白鷺も?、大変だ!!(1984年撮影)。
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010 (16) シャッターチャンス shiga Takashimashi
知内浜でのシャッターチャンスは良い方です、
私は琵琶湖に撮影に行って55年に(2019年で)なります。
1年目は僅か6回程、車も無いし先輩の西嶋保介氏が頼り、琵琶湖に誘って頂いて5年目に
今後の写真人生は琵琶湖にささげようと決心、1969年でした。
車がないと不便、写友の森さんとは1972年頃から10年〜15年の間だった?、
デジタルだと日付が分るが、当時おおまかな日記資料でハッキリとした記録はない。
森成雄氏も既に87才、聞いても覚えていないのです。
覚えているのは琵琶湖一周してガソリン代を貰っていなかったと云う事だけ?(1988年撮影)。
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010 (17) 湖畔 shiga Takashimashi
この日も写友の森さんと一緒だったのは覚えている。
何故かと云うと私は、カメラとレンズを付けたまま三脚ごと忘れて帰ったからです。
多分、2台で撮影して1台は車に戻したので、もう1台はトランクにあると思って帰ったら
カメラとレンズがないのです。思い出して近くの民宿「吉平」さんに電話したら、あったと聞き
ホット一息つきました。後日受取りました。強烈な思い出です(1989年撮影)。
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010 (18) 白鷺幻想 shiga Takashimashi
私は常に人と違う作品を考えていた、カメラアングル ・ ポジション ・ レンズの使い方 ・ 多重 ・
合成 ・ フイルター ・ フイルムの種類と・・・。私ほど色々な事をするカメラマンは少なかったと思っている。
1978年太陽賞の審査員、篠山紀信氏はテクニックと技法が眼に着き過ぎていると云う話だった。
その反面、同じ審査員の作家、中島健蔵先生は最後まで迷ったが君の執念に負けたと直接言葉を頂いた。
また私の青い色30枚組写真中、約20枚は青色の作品、当時、青色は殆んど無かったので、
それも珍しかったのでは?(1989年撮影)。
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010 (19) 雪の中 shiga Takashimashi
ニコンレフレックス500ミリです、リングボケで分ります。
レフレックスの500ミリや1000ミリはレンズの特性を知れば良いレンズだと思う。
レンズを精一杯長くすると良くないと思った。白鷺も20m、30m以内なら高級なレンズと
引けを取らない位、良い時も、鳥の顔はピントが当時としたら良い方でした(1989年撮影)。
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010 (20) 霧の中 A shiga Takashimashi
二科会会員の青木君夫先生(100才)、最長老の作家です。私は大阪に来て3年弱、
先生の指導を受け先生が雨や霧が好きなのを未だに受継いでいます、大好きです。
でも生徒さんらはどうも雨は嫌いだと言う。55年前の青木先生は美男子でした(1992年撮影)。
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010 (21) 霧の中 B shiga Takashimashi
白鷺を美しいと思いませんか?、私は鳥の中では一番かも?、
オオワシ ・ オジロワシ ・ コウノトリと一応、野鳥の会も入っており鳥が大好きです。
どんな鳥だろうと眼の前に来たら一応シャッターを押しています(1983年撮影)。
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010 (22) 湖畔 shiga Nagahamashi
ギャラリーの作品郡の中でここから撮影場所が変わります。鳥の回りの雰囲気を入れて紹介します。
琵琶湖姉川の河口で1羽は船上、もう1羽は湖中でした。
夕暮れを記録的イメージでシャッターを押しました(1977年撮影)。
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010 (23) 魞の中 A shiga Nagahamashi
琵琶湖も1980年代まで魞(エリ)が湖の中に数多くありました。
何処へ行ってもこの様な作品は普通でしたが近年、湖の近くで魞と鳥の撮影はチャンスが少なくなりました。
それだけ漁が少なくなって来たと思っています(1992年撮影)。
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010 (24) 魞の中 B shiga Nagahamashi
琵琶湖の伝統的漁法、魞(エリ)、竹材を湖中に並べて上手く魚たちを誘導し、つぼの中に閉じ込める漁法。
琵琶湖では古来より営まれてきた漁法。白鷺たちは休息する場所として良く利用していた(1973年撮影)。
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010 (25) 夕暮れ shiga Nagahamashi
夕陽が湖の中に太陽の反射を作っていた、白鷺が1羽シルエットで休んでいた。
何回かシャッターを押しながら次のチャンスを考えて、鳥が来るのを待ちました。
常にこの様なチャンスを待っていますが?、中々上手く行きません、永年琵琶湖に行き、
1羽の作品は多いが今回は2羽を狙った、それが良かったのだと褒めています(1993年撮影)。
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010 (26) 水の中 shiga Nagahamashi
夕照の湖の中、波紋が良かった。この作品も滅多に撮れる作品では有りません。私の中では
個人的に大好きな作品です、自信を持っています。琵琶湖幻想55しらさぎ写真集に入れたかった作品です。
最後まで迷いました、他にも数多くありましたが写真集のページの問題で除外しました(1996年撮影)。
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010 (27) シルエット shiga Nagahamashi
夕陽の中、白鷺を追いました。飛んでいる途中に私は今でも手動のマニュアルでピントを合わせます。
この作品は凄く良い方です。私以外、周りのカメラマンで手動にしている人は殆んど見ません。
私は皆さんに勝手にオートフォーカスでピント合わせするのは本物で無いと、信用しないと・・・
心が無いと伝えていますが?、から元気でしょうか?(1987年撮影)。
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010 (28) 朝もやの中 shiga Omihachimanshi
ユリカモメと白鷺です、湖から朝霧が出て感動的なシーンでした。
ピントが合わせにくく、失敗が多かったが何とか作品になりました。
アナログフイルムで10枚〜15枚位、撮影しました。
現在のデジタルカメラなら今では約100枚は撮影します(1974年撮影)。
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010 (29) 森の中 A shiga Takashimashi
滋賀県でも安曇川上流は森です、私は撮影で朽木方面には当初から道無き道を行っていました。
茅葺の家が殆んどの時代、川にも青鷺や白鷺は数少ないですがいます。
場所が湖から変わり背景が森になり、また違ったイメージになります。
現在でも毎年、数回訪れています(1994年賀状)。
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010 (30) 霧の中 shiga Takashimashi
朝から太陽を包むように霧と云うか?モヤが出ていた、白鷺が飛ぶのを狙ってシャッターを押した。
2019年 1月 1日、私は琵琶湖幻想 55 しらさぎ写真集を出版しました。
東京のフォトコンの日本写真企画より発売した、その中に入れる積りだったが?、
ページの関係で除外した好きな作品です(1984年撮影)。
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010 (31) 山の中 shiga Takashimashi
滋賀県で山々に囲まれた琵琶湖は日本一の湖。
比良山系から安曇川沿いの山並み、朽木方面は上流まで白鷺は見れる。
遠くに1羽、山霧の間で見えた。
私はカメラでずっとシャッターを押しながら眺めた(1981年撮影)。
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010 (32) 近江八幡 西の湖 shiga Omihachimanshi
西の湖は私の中で大好きな被写体地です。大群の鳥を数回見たが近年見かけなくなった。
自然が多い琵琶湖とは云え、住宅地も湖にだんだん近づき車の量も多くなった。
鳥たちは琵琶湖から遠ざかっている、原因は分らないが?、
鳥たちは琵琶湖ではなく、別の安住の地を見つけたのだろう!!(1985年撮影)。
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010 (33) 雪の日 shiga Yokaichishi
樹の上に白鷺たちが休息していた、雪が吹雪いていた。琵琶湖では白鷺がいたら
一応シャッターを切っていた、良くも悪くもシャッターを押す。
作品はそんな良い方でなく、樹の上に止まっているだけ・・・(1977年撮影)。
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010 (34) 夕陽の頃 shiga Takashimashi
知内浜の松の木に白鷺が来ていたのでシャッターを押していた。夕陽の頃だったので
色は良い状態だった。日本画見たいに撮りたかったが?、上手く行かなかった(1982年撮影)。
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010 (35) 夏雲 A shiga Kusatsushi
入道雲に近い雲が出ていた、その前を白鷺が飛び、夏のイメージは良く出ていると思う。
私の写真集に入れたいと思ってみたが?、ページ数の関係で除外した(1977年撮影)。
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010 (36) 夏雲 B shiga Kusatsushi
雲は良かった、大好きな作品です。絶対写真集に予定しましたが?、最終的に除外され残念です。
もう一度写真集を制作するなら必ず使いたいが、私も2019年で73才どこまで生きられるか?。
写真集が一番費用がかかります、写真展は現在まで46回開催しています(1988年撮影)。
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010 (37) 残月 shiga Nagahamashi
夕暮れ、樹の上の白鷺が飛立った。良いチャンスだったが?、方向が悪かった。
主に鳥たちは正面には来ない、70%は反対方向に飛び立つ。
望遠レンズ600ミリでした(1992年撮影)。
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010 (38) ダイサギ shiga Nagahamashi
ダイサギは数が少ない、琵琶湖ではコサギ ・ チューサギ合わせて80〜90%位、ダイサギは数少ない。
私の経験の話ですが毎月4回、12年連続で琵琶湖に撮影に行きそのデータで語っています。
カメラマンが月4回も同じ琵琶湖に行く事が当時はいなかった。
また何周しても同じカメラマンには一度も出会っていない。
当時は誰にも負けたくなかった(1984年撮影)。
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010 (39) 白鷺の成長 shiga Kusatsushi
作品はかなり良い方です、ヒナが成長しもう少しで親離れ?。
巣立ちが近い頃、左が親、ヒナが右2羽です。レンズはニコンの600ミリです、
ピントも良く現在、琵琶湖ではこの作品と同じ様には撮れません。
また草津のコロニーは消滅した(1991年撮影)。
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010 (40) 見つめる shiga Kusatsushi
白鷺が同じ方向を見ていた、ニコンの600ミリで撮影。樹の上だったので上部だけ撮影した。
2019年 3月くずはアートギャラリーと寝屋川アドバンスでグループ展を開催、
8月は大阪本町の富士フォトサロンでグループ展を開催予定、2019年 8月16日〜8月22日
是非、見学に来てください(1990年撮影)。
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010 (41) 羽ばたき shiga Kusatsushi
樹の上で羽ばたいていた。大きく撮影して好きな作品です。
写真集の候補だったが、残念ながら除外した(1986年撮影)。
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010 (42) 仲間 shiga Kusatsushi
草津のコロニーだったが住宅地が迫り、竹藪は現在僅かに残っているが、白鷺たちは1羽もいなくなった。
池の中に古木があり白鷺や青鷺、ゴイサギもコロニーの時代は見かけたが現在コニーは消滅した(1989年)。
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010 (43) 幻想 shiga Kusatsushi
草津のコロニーで竹藪に入る瞬間でした。スローシャッターで撮影、同じ所の作品としてはかなり良い方です。
写真集に使用する予定でしたが?、類似作が多い為に除外した、スローシャッターで意外性が出た作品です(1988年撮影)。
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010 (44) 三島池にて shiga Maibarashi
米原市三島池です当時、白鷺の夜の休み場所でした。
現在、木は糞で枯れて無くなりました、後方の夜の光は伊吹山の灯です。
車のライトを使用した、私の写真集、琵琶湖幻想55しらさぎに類似作品を入れています(1975年撮影)。
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010 (45) 湖上にて shiga Maibarashi
水道の貯水口に鳥たちが休息していた。
中央に白鷺が1羽、他はユリカモメでした。
琵琶湖に数ケ所あります(1973年撮影)。
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010 (46) 上空へ shiga Nagahamashi
山合に白鷺が飛んでいた、日本画を見ている様に美しい世界でした。
夢の様でした(1978年撮影)。
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010 (47) ねぐらの前 shiga Nagahamashi
白鷺たちはねぐらに入る前に魞(エリ)の上に集結していた。
その後、湖の上の小さな島の森に消えて行った。
巨大ストロボ、ミニカムスーパージャイアンツ(ガイドNo180)を使用した当時、
このストロボを使用する人は少なかった(1988年撮影)。
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010 (48) 湖の中 shiga Nagahamashi
タングステンタイプ(64T)を使用、アナログフイルムの青くなるフイルムです。
私の作品の白鷺は98%アナログのフイルムです。私がデジタルカメラを使用したのは2008年から、
生徒さんは98%デジタルカメラです。フイルム使用は僅か数人です(1977年撮影)。
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010 (49) 夕空 shiga Nagahamashi
夕陽の中、樹の上で大鷺を見た、夕空では中々チャンスが少ない、タイミングが良かった。
現在は殆んど撮れない貴重な作品になった(1989年撮影)。
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010 (50) 竹生島 shiga Nagahamashi
竹生島に古木が数ヶ所あり時々、古木に白鷺が止まる時がチャンスだった。
現在、白鷺たちは竹生島から人工的に追い去られた、それは鳥の糞で木が枯れるからだと思っている。
竹生島の白鷺の写真を撮っているカメラマンは少なかった、それは島に渡る方法を多分知らかったと思う。
私の場合、漁船をチャーターした、費用は当時、1万5千円、写友の森さんと折半した。
竹生島では出会ったカメラマンは誰一人いない、竹生島に最初に行った頃、
白鷺は足元に近いところで巣作りをしていた、翌年は巣作りの位置が遠ざかっていた。
それを思うと他に来たカメラマンは少なかったと推測される(1981年撮影)。
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