白鷺幻想


010 (1)    
白鷺が湖北からやって来る物語のスタートとしてこの作品を選びました。 白鷺がテーマですので色々な角度から撮影します、
白鷺の写真集を制作したいのです。何処の出版社からでも良いのです、作品を将来残して置きたいのが私の希望、1983年、学研の
白本さんが琵琶湖の写真集を是非と言っていました。
それから10年後「私景」写真集を東方出版から第2弾が7年後同じく東方出版からでした。
全国の編集者の皆さん「白鷺」を考えて下さい、お待ちしています(1996年撮影)。


010 (2)    夕陽の頃 shiga
写真家「田中徳太郎」氏の白鷺は私が大阪に来た1964年頃、日本の写真家の最も世界的に有名な方だった。
しかし「野田のサギ山」は一羽も居なくなり消えたと聞いた(1997年撮影)。


010 (3)    日の出の竹生島 shiga
野田の白鷺(茨城県)も環境の変化で来なくなったらしい!! 
知内浜の白鷺も来なくなった原因は分からず、全く知っている人も居ない。
竹生島では環境庁と滋賀県が追い払ったと聞いたが、関係者は知っていると思う(1988年撮影)。


010 (4)    知内浜の朝 A
この日も40~50羽来ていた、餌をやると喜んで飛び回る野鳥の姿に感動したものです。
竹生島も暗雲がおおいフォトジェニックだった(1988年撮影)


010 (5)    知内浜の朝 B
早朝はユリカモメも来る、先にユリカモメが餌を食べる、ユリカモメが去ると白鷺たちの番、丁度良い頃朝日の色が消える。
上手くいかない時も多々、その日によって状況が変わる(1988年撮影)。


010 (6)    陽が昇る shiga
冬場6時頃から8時過ぎがピークだった。9時頃だと鳥たちも落ち着く、お腹が満たされたのだろう? 
私もそこを離れるが・・・その頃からでも
カメラマン達は押しかける。 私達は撮影が終わったが遠くから、例えば大阪からだと3時間は必要、大阪駅7時に集合しても
9時30分~10時頃になる(1986年撮影)。


010 (7)    雲の中 shiga
知内浜も表情が色々と変化する、雨・雪・曇り空・朝焼けで明るくなったり、撮影の度に変化する。
当たり前の事だが数多く通う事だ(1984年撮影)。


010 (8)    太陽の中 shiga
1984年の「ワイルドライフ」発行に作品を発表しているので、1982年前後に知内浜は行ったと思っている。
「森」さんが最初「荒平」君が2番目、知内浜は私が「3番目」数年後には関西のカメラマンは殆んど行ったでしょう!! 
二科展も毎年入選が続いた、富士コン・コダック、きりがない程入選の山だった(1987年撮影)


010 (9)    大空へ shiga
この作品の様に皆さん撮りたかった。チャンスは僅か一日で数回、自然なので何時あるか分からない。
早朝の時間だったので色合いも良かった・・・奈良の鹿も同じ何時立ち上がるのか?(1986年撮影)。


010 (10)    湖の中 shiga
湖から飛び立つ瞬間、デジタルになると楽ですが当日ツアー30人の中で私だけだった。 
デジタルで撮影すると飛び立つ前からシャッターを切っている、
横で連続100枚切っている人も・・・カメラの進歩と I T の進化は凄いと思う(2000年撮影)。


010 (11)    夕陽の中 shiga
白鷺も大・中・小と3種類いる、大鷺はどちらかと云うと臆病・慎重派、人間に注意心がある。 
私は常に「対決」と呼び、直ぐシャッターを切ると逃げられるので少し時間を待ち、白鷺にとって安全を知らせなくてはならない。
動かず待っていると白鷺も人間が安全なら餌を求める、それからの撮影が上手くいく(1993年撮影)。


010 (12)    残光の中 shiga
竹生島に残光。朝日カルチャー中之島教室を10年前案内したが見れたのは僅か10羽程、翌年は見れなかった、鳥たちが消えて
10年になる(2016年現在)、多分もう戻る事は無いと思う(1989年撮影)。


010 (13)    残光の白鷺 shiga
1980年代は連日100羽は来ていた、現在の様にネットの時代だったら凄い人達で考えただけでも恐ろしくなる。
2015年北海道の鶴居村に行くと外国の人が150人並んでいた(1983年撮影)。


010 (14)    シルエット shiga
フォトコンに類似作品を発表、人気があった。教室の大先輩「中村吉之介」先生まで撮影に行っていた。
他に川上緑桜・津田洋甫氏・高田誠三・福井一成・岡本美智子さんら多くの作家が訪れた、関西の大名所の様だった(1987年撮影)。


010 (15)    朝霧の中 shiga
温度差が激しい時に朝霧が発生、風景の中の鳥と琵琶湖を主題に・・・宿泊の時は民宿「吉平」さんを利用した・・・
大阪芸大の「井上博道」ゼミも「吉平」でスライド映写したのが思い出になっている。
博道さんは月刊「太陽」等の平凡社のお仕事をされて、私を認めて頂いていた!!
だから御自分のゼミに私をゲストで呼ばれたのは?(1986年撮影)。


010 (16)    朝もやの中 shiga
何回撮影しても同じパターンが多い、私は将来、写真集にしたいと思っていたので色々な角度から撮影した。 
今でもAF(オートフォーカス)は使用しない、行ける所までマニュアルでピントを合わせたいと思っています(1986年撮影)。


010 (17)    ゴースト shiga
太陽に向けてシャッターを押すと・・・逆光線になってゴースト(光の幽霊)が起きる。 
それも想像していないので面白いと思っている(1986年撮影)。


010 (18)    朝 shiga
知内浜はに松林がある、白鷺の休息場所でもあり様子を見る展望台になっている(1987年撮影)。


010 (19)    竹生島の朝 shiga
竹生島から太陽が出るので、両方の撮影は相当難しい。
竹生島の色を出すと白鷺は黒くつぶれる、この様な時、巨大ストロボが必要だけど!!
常に持ち歩くのは大変です(1987年撮影)。


010 (20)    朝 shiga
白鷺は鳥の中でも最高だと思う、狩野派の絵師をはじめ浮世絵の中にも数多く出て来るので、太古の時代から
その美しさは知られていたのでしょう(1984年撮影)。


010 (21)    太陽と2羽 shiga
朝陽と白鷺、日本画を見てる様に美しい、52年(2016現在)白鷺をテーマにして良かったと思っている(1982年撮影)。


010 (22)    知内浜 shiga
コダックの特殊フイルム(PCF)、フイルム感度ISO25微粒子フイルム、約2000本使用、
日本で使用度は多分多い方だと自信があります。滋賀銀行のポスターにも類似作品を発表しました(1986年撮影)。


010 (23)    ブルー色 shiga
同じPCF使用、私のギャラリーにも時々出て来ます。
感度がISO25ですので私の様にあまり三脚を使用しないと不利です(1987年撮影)。


010 (24)    休息 shiga
夕暮れでした、湖面に休んでいました。水面の色はネオンのライトが水面に映っていました、
中々この様なチャンスは少ないです。他におそらく発表されていないと思います(2001年撮影)。


010 (25)    鷺の宿 shiga
伊吹山の近くに三島池と云う小さな池がある、中央の一本の樹が白鷺のねぐらになっていた、
巨大ストロボで撮影した(1978年撮影)。


010 (26)    三島池 shiga
No75の作品と同じ場所、車のライトを使用、約5分間露光した。
ねぐらには100羽~300羽程いた、鳥類がねぐらにすると樹は枯れました、
現在木の根が僅かに残っている(1982年撮影)。


010 (27)    2羽の鷺 shiga
日本画に出て来る様に鳥の中で白鷺は別格に思う、外国人が好む!! 
滋賀県のポスターでニューヨークの広告会社から二次使用のオファーがあった位に・・・私の作品が海外で数点使用されたが、
その中に白鷺が入っている(1980年撮影)。


010 (28)    天高く shiga
幻想の世界、ギャラリーのタイトルも白鷺の幻想とした。私のホームページの中で白鷺を見る方が多い、便りも海外の
方からも増えている(1987年撮影)。


010 (29)    大空の中 shiga
私は琵琶湖の撮影に行き眼の前に鷺を発見したら、シャッターを押していた・・・白鷺だけでなく、鳥類は
何でもOK、いまだに野鳥は大好きです。その中で52年の間に集めると白鷺が多かったのです(1988年撮影)。


010 (30)    森の中 shiga
琵琶湖の奥地高時川、朽木方面の上流を走っているとたまに白鷺を数羽見る、
沢山はいない・・・僅かです・・・ゆっくり一人の時は対決します。
逃がしたら終り!!じっとしていたら相手もこちらを見て警戒します。
安全だからと教えます?それ迄こちらを観察しています(1986年撮影)。


010 (31)    乱舞 shiga
知内浜で白鷺の撮影中、他の鳥が横切った、中々この様なチャンスは滅多に無い、
知内浜の20年の間に2~3回だった(1983年撮影)。


010 (32)    ?の間 shiga
この作品も日本画を思わせる?(エリ)漁の竹林がムードを出してくれた。私の中でも力作です(1984年撮影)。


010 (33)    木の枝 shiga
白鷺が木の枝に止まるのは多く見かけますが、細い枝に止まるのはこれも珍しいのです。一連の作品も一日で撮れません!!
何回も通っている中で僅かなチャンスに出会うのです(1985年撮影)。


010 (34)    雪の前ボケ shiga
大雪の知内浜でレンズを雪の半分で撮影、これも工夫しています。正面から撮るのも大変難しいのです!! 
滅多に正面に来ません?と私は思っていますが・・・それぞれカメラマンの考え方だと思う(1983年撮影)。


010 (35)    大雪の中 shiga
ギャラリーに作品を編集するのに探していますが膨大な量、総数25万点の中からフイルムを見る事じたい大変な作業です。
ハッキリ言って「大阪弁でシンドイ」、手首が疲れ途中で嫌になります。
そんな中でギャラリーの作品を発表しています(1983年撮影)。


010 (36)    雪の空へ shiga
コダックのMOOK写真集にも「幻想琵琶湖」と云う写真集を発表した。
コダックさんは約10年、富士フイルムさんも5年程、良く講師に使ってもらった。
富士フイルムさんは遠く金沢・福井・岡山・四国の高知市迄、
カメラのキタムラ(キタムラの創始者の社長)とも出会った、懐かしい思い出が沢山あります。


010 (37)    飛び立つ shiga
鳥が「飛び立つ」は私が二科展2回目の入選のタイトルです、同じ頃二科展に応募して会員に写友がいっぱい。
川上緑桜・角尾栄治・森井禎紹・川本武司氏、それぞれ立派な仕事をされました。
森井さんは(2016理事長となって頑張ったんだなあーと心より祝福)。


010 (38)    水面に映る shiga
白鷺の飛び立つ瞬間も絵になる、何時もそのチャンスを狙っています・・・ 中々上手く行きません。 
二科展でも最盛期は500点程の応募があったと聞く、富士山・インド・白鷺(鳥)が多かった時代だが? 
現在はどうなっているのでしょうか?(1999年撮影)。


010 (39)    水際 shiga
知内浜の初期の作品、フイルムの時代「決定的瞬間」を狙う? 「アンリ・カルティエ・ブレッソン」の名言です。
彼は人間を決定的にテーマにしていますが? その言葉は戦後あらゆる被写体に使われています(1983年撮影)。


010 (40)    飛翔 shiga
大空に白鷺が羽ばたく? 鳥を見ていると自由に大空を飛び回る。 
私は「時々鳥になりたい」と思う事も・・・コピーライターの今西さんは白鷺を「神の鳥」と呼ばれていた、
どこが神なのか? 不思議に思えた。 
KBSラジオ番組をお持ちでした、或る日ゲストに呼んで頂き何を喋ったのか!! 全く覚えていない。 
「今西彗の人間起承転結」だったと思う(1979年撮影)。


010 (41)    霧の中 shiga
白鷺は昔から絵になる、また外国の方が好む。 1983年頃ドイツ「フランフルト」で写真展の誘いがあった。 電通を通じて、
万善氏から手紙が来たのが?思い出に残っています。 私も積極的に動いていたら更に良い作家になっていたと思う!!
色々な所から声がかかっても貴方任せだった。このホームページでは2000年以降ボチボチ少しづづ改良している(1986年撮影)。


010 (42)    竹生島と白鷺
竹生島の白鷺のコロニーは1984年頃、環境問題で白鷺を県が追い払った。 
原因は原生林のブナ林等が枯れるからであった。10年後は白鷺から鵜に変わった2010年頃、鵜を追い払い、
現在少しづつ植林をされてる様だ?・・・山の再生を・・・しかし樹の生育に最低10年以上必要・・・
イタチごっこ野鳥たちも生きて行かねばならない(1984年撮影)。


010 (43)    幻想 shiga
白鷺が湖の中から飛び立っている、その姿は何回か撮影し、ギャラリーの中にも数点発表しています。 
この作戦はシャッターをあえて遅くしてリズムの動きを選んだ・・・同じ様な作品だと自分自身に別のアイデアとか刺激が必要だったからです。 
岩宮武二先生がミノルタロッコールクラブ時代、写真とはピントが合うだけが写真では無い「心」だとおっしゃっていた。
その言葉は常に私の心の隅に残っている(1993年撮影)。


010 (44)    池の上A
夕暮れ時、池は草で覆われていた・・・水面は見えない、その上を飛び立つ瞬間を撮えた。この作品も私の中で数少ない作品、
それは池面の草で覆われる状態の中で白鷺は自然・・・待つかチャンスを掴むしかない? 私の中での経験はあまり無い事は、
他の人にもそうあり得ないと思っているからです(1995年撮影)。


010 (45)    池の上B
No94と同じ場所・・・鷺はそれでも餌を待っていた、光線は夕暮れ時、竹林がコロニーだったが、都市が迫り竹林は伐採されコロニーは消えた。
私の好きなホームグランドだったが? 人間の傍だと鳥の糞とか声で嫌がられる(1995年撮影)。


010 (46)    朝陽の頃 shiga
竹生島は5月~8月の夏場だけ撮影が可能、それは雛作りの季節、巣立ちすると琵琶湖の周辺に散って行く。3時頃チャーターした船に乗船、
4時には竹生島の頂上あたりに着かなければ・・・太陽は昇る、その頃が一番良いチャンスです。 撮影は大変でしたが、その頃は
若さゆえ何にも苦労とは思いませんでした(1976年撮影)。


010 (47)    太陽の中 shiga
太陽の中、親鳥が巣作りをしていた。 写友「森成雄」氏が関西では竹生島に初めて足を踏み入れた方だと私は思っている。
森さんにお願いして竹生島に案内して頂いた、45°の急斜面、ブナの葉っぱで足がとられる。 森さんが先に登りロープを大木に
かけてもらって登る、大変でした。 今思うと40年前頃です、若かったんだなーと思いにふけっています(1974年撮影)。


010 (48)    湖岸でひとり shiga
夕暮れ、湖畔で一羽の白鷺を見た、暮れ行く琵琶湖を見ている様だった。
私も黄昏の琵琶湖を撮影、何となく同じ気持ちになった(2000年撮影)。


010 (49)    湖上 shiga
白鷺が一羽湖上で餌を探していた。 私は1人の時はゆっくり、慌てずの対決をします、相手も必ず私を見ます。
白鷺の敵では無い事を知らせるのです、するとまた餌を探す、その時に分からない様に撮影、上手く行きます(1998年撮影)。


010 (50)    湖のファンタジー shiga
レンズのボケ効果です、湖の光がうまく輪になって効果になりました。 ニコンのレフレックス500ミリ・F8の固定、私は写真生活で
このレンズを3本使いました。カメラやレンズも売ったり、買ったりの連続でした。 ニコン・キャノン・ペンタックス・ミノルタ・コンタックス・
フジ・コニカ・ミランダ・ニッカ・ヤシカ・トプコン。 35ミリカメラだけでも思いつくとご覧の通り、他に中型カメラから大型まで、
プロのカメラマンなら普通だと思う。 まして私はカメラ店も営業していたのでお客様に新製品のカメラを使って宣伝とか・・・
販売もしなくてはならなかったので多いのです(1981年撮影)。

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