白鷺−ibuki

東京12chで紹介され全国30局にて放映


滋賀県 高島市 知内浜にて


009 (1)    ibuki shiga
TV東京 2006年10月〜2007年9月まで34ネット放送されました。
自然の風景を取り上げるミニ番組、シラサギが最初に選ばれました。
スポンサーは旭化成建材の「ネオマフォーム」でした、制作は「TVBOX」 (生きるためプライドの賭けた戦い」)
ロケは1日3名のスタッフでした。 東京方面からTV見たよと電話が多数寄せられ、嬉しかったのが思い出・・・


009 (2)    飛び立つ shiga
白鷺の撮影地は琵琶湖一帯に及ぶが私の場合、主に
@竹生島 A知内浜 B安曇川 C姉川 D天野川 E大津の池 F近江八幡の森 G新旭湖畔 H知内川 I琵琶湖岸(1984年撮影)。


009 (3)    対話 shiga
餌の捕り合いは対話では無く、喧嘩をしているのです。そのポーズが野鳥撮影では素晴らしいのです(1983年撮影)。


009 (4)    決定的 shiga
ボクシングで云えばアッパーカットと云う所。 現代と違ってアナログ時代の事、
フイルムで私の場合、連写で10枚はシャッターを押したが、現在デジタルになって,周りの人を観察していると、
このシーンで50枚〜60枚シャッターを切っています、だから失敗は殆どありません。
当時はこのシーンが撮れる人が少なかった(1985年撮影)。


009 (5)    知内浜 shiga
現在の高島市知内浜、漁港に生簀があった、エビ等の魚類を琵琶湖で獲って預ける場所、そこに餌を求めて白鷺が集まって来た。
冬場の食糧を求めて、それは自然な事であった(1985年撮影)。


009 (6)    雪の日 shiga
写友「森成雄」氏と1972年〜1982年頃迄、約10年間 1ヶ月に多い時は4回、少なくとも月1回は撮影にいきました。
1978年、太陽賞受賞以後5年程は森さんとが多く、「西嶋保介」氏とは1978年以後は一度も行っていない(1984年撮影)。


009 (7)    大雪の日 shiga
知内浜は私が勝手に思っているのは、最初の発見は「森成雄」氏と私の当時、写団寝屋川会員「荒平ヒロシ」君の二人だと思っている。
私と森さんで当日撮影の予定でしたが、急に私の仕事が入り行けなくなった、私の代わりに荒平君を指名、二人で出掛けました。
森さんは帰って来て、暗がりに白鷺が湖岸の中に20〜30羽の姿を見て、追いかけたらしい、高島市の知内浜に降り、生簀の上で
撮影したと当日の帰りに報告してきた(1983年撮影)。


009 (8)    生簀の上 shiga
帰って来るなり興奮して、白鷺が近くで大きく撮影出来たと喜びいっぱい話した。
私も本当か疑ったが直ぐ次回行く事になった・・・すると眼の前に数十羽の白鷺たちが、生簀の中のエビと小魚を加えて乱舞していた、
今迄30m〜50m位離れて撮影していたので!!眼の前の白鷺の姿に圧倒されました(1983年撮影)。


009 (9)    着地A shiga
早速次の休みに二人で撮影に行きました、白鷺は琵琶湖で近くても30m〜50m、滅多に近くで撮れる事は少なかった。
知内浜では僅か10m〜20mだった、300ミリの望遠で十分撮影出来た。まるで奇跡と言える(1984年撮影)。


009 (10)    着地B shiga
当初はメチャクチャ、シャッターを押したが経験を積むとタイミング・ポーズをうまくつかむ様になった。
フイルム一本36枚撮り約30本当時使用、フイルム代・現像料合せて5万円、経済的に大変でした、
周りの人は5〜10本迄だった(1985年撮影)。


009 (11)    羽ばたく shiga
富士フイルムが夏のイベントで3万人の写真展を毎年開催している、それに出展した。
10年は続けて参加している(1985年撮影)。


009 (12)    逆光線 shiga
森さんの発見から一年後、川上緑桜氏の写真クラブ「地懐社」元会員の「斉藤一馬」さんが私の所に遊びに来ていた。
私が川上さんに内緒で斉藤さん・森さんに現像プリントを安く提供していた、この話は秘密で
川上さんも亡くなり、斉藤さんも写真をやめているので公開する事にしました。私の歴史を知って頂くために・・・(1984年撮影)。


009 (13)    カーテン越し shiga
時々、白鷺たちも生簀の中の下迄降りて餌を求める。2m程下に降りるのは危険です、
網やカーテンがあり白鷺の足に引っ掛かってその死骸を見た事があります。
同じ「写団寝屋川」のクラブ員「菅原正行」君が、そのチャンスを生かした作品を上からストロボを使用、
作品は素晴らしい良い作品だと今でも頭から離れない(1985年撮影9.


009 (14)    雪の上 shiga
当初は生簀の上、生簀からエリが流れる川の白鷺を主に撮影した。
時折、雪の上で休む白鷺を狙った、またテーマ性で色々と撮影した(1984年撮影)。


009 (15)    飛ぶ shiga
この動きの時間はツアー等で皆さん連れて撮影に行ったが、シャッターを切れる人はいなかった。
動きが早い程、アマチュアの方は中々上手くシャッターを押せない、またオートフォーカスだとピントが合わなかった(1985年撮影)。


009 (16)    落ち着く shiga
湖の中でひと休みしている状態、私は1978年、太陽賞受賞後プロに転向。
1978年以降、地元の写真クラブ「写団寝屋川」を主催、
店は「DP店 ・ スタジオ ・ 広告写真」の事務所、プロとしてフリーで働いていた(1985年撮影)。


009 (17)    雪の中 shiga
1978年太陽賞でプロに転向しコンテストは終了。写真の仕事をしながら自分の好きな琵琶湖をテーマに撮影。
その中で白鷺の姿に感動した。
「田中徳太郎」氏が私の中では白鷺を目指した人、川上氏は私と同じ頃の作家で先輩、
川上氏は1976年富士コンでグランプリ受賞後、プロに転向した。
私よりプロは2年先輩、白鷺の数も私の方が沢山撮影していた、私はフリー後、月に4〜8回撮影していた。
川上さんはお弟子さんの車だからせいぜい月一回と知っていた(1985年撮影)。


009 (18)    変化 shiga
白鷺も同じ様な作品ばかり!!変化をもたらすのに色々とシャッターを!!
知内浜も写真教室の生徒さんからツアーを入れると延べ2000名は案内しました。その中で好きになるのは僅か数名、
費用が鳥の撮影は特別経費が掛かります、ツアーで3〜5本、ツアー料金を合わせると2万円の費用
そう簡単に皆さん撮影には行けないのです(1985年撮影)。


009 (19)    見つめ合う shiga
当時、白鷺を近くで撮れるのは本当に珍しい事、初心者の方でもコンテストに殆ど入選されました。初めて参加された方も・・・他に白鷺が こんな近くで撮れる所は無かったと思います、カメラ誌でも殆んど知内浜ばかり、他のサギ山ではかなりの望遠レンズとマニアの人の作品でした。 ところが知内浜だと僅か望遠300ミリで簡単に撮れたのです(1985年撮影)。


009 (20)    羽ばたく shiga
この作品は良い方です、真正面からの撮影、知内浜は12月の初冬〜春3月、約4ヶ月。
鷺は冬になると知内浜に来ました、鳥たちはあくまで餌を求めて。春になると湖畔や川で餌が簡単に獲れるからです。
知内浜から(1985年撮影)。


009 (21)    竹生島と白鷺 shiga
外付けのストロボを使いました、日中シンクロです。
ストロボと鳥との距離は約10m、それ以上に遠い時はガイドNO180の大型ストロボを使用しました(1987年撮影)。


009 (22)    白鷺たち shiga
普通この様な撮影は殆んど無理ですが知内浜だと、雪の上に餌を置くとそれを求めて来ます。
餌は冷凍の小魚を良く使用しました。知内浜の近くに魚屋さんが有り便利でした(1986年撮影)。


009 (23)    日の出の頃 shiga
生簀から流れる川に餌を待っています、白鷺だけでなくユリカモメも一緒、広角20ミリで鳥との距離1m〜2m、
今では考えられません。ユリカモメは今でも来ますが白鷺は最も野性的ですので・・・(1986年撮影)。


009 (24)    演出 shiga
誰の発案かは知りません。或る日、知内浜に来ると老木に餌を乗せて撮影している人がいました。
それはすごいと思いつつ、やり過ぎだと直ぐ思いました。
野生の白鷺を演出するとは・・・私も度々撮影しましたが本心は好きではありませんでした(1986年撮影)。


009 (25)    雲間 shiga
1987頃から2009年頃迄、約20年は演出の白鷺が続きました。撮影に私が案内したのは延べ2000人。
他の人が知内浜に訪れた人は8000人にのぼると思います。全国からも、時折海外からも・・・(1986年撮影)。


009 (26)    整列 shiga
タングステン(フジT64)でストロボ撮影、距離は1m・カメラはニコンF・レンズは20ミリを使用、
良い作品に成りました私は気に入っています(1986年撮影)。


009 (27)    スローシャッター shiga
タングステン(フジT64)使用、太陽賞のブルートーンの風景で使用、
作家「中島健蔵」氏がブルーの色でびっくりしたと・・・
JPS会長&ニッコールクラブの会長だった「三木淳」氏、ライフ誌で吉田茂氏の表紙や、東京裁判(戦後)の記録写真でも有名、
三木さんより私の事を「ブルーの男」と呼ばれ、相変わらずタングステンを使用し教室の皆さんに宣伝も良くしていた(1983年撮影)。


009 (28)    集合 shiga
多い時は100羽は来た、あの高名な「津田洋甫」氏が4×5のカメラを担いで・・・私はそれを見てびっくりした。
4×5は一枚づつの撮影、一回シャッターを切ったら又、ピントを合わせ三脚で構図を決める、
野鳥撮影は無理な事!! 1時間程で引き上げられた、4×5では無理だと分ったのでしょう?(1995年撮影)。


009 (29)    竹生島と白鷺 shiga
私は広告写真家(APA会員)でもあるので、白鷺だけでなく、竹生島・伊吹山等色々変化のある写真を撮っていた。
カメラ誌のガイドや色々な雑誌社から作品の使用もして頂いた、その要望にも応えなくてはプロと云えない(1985年撮影)。


009 (30)    湖畔 shiga
この日も100羽は来ていた、どちらかと云うと多い日だった。
一列に整頓、記録として撮影、分り易くて綺麗な良い作品と云える(1984年撮影)。


009 (31)    雪の日 shiga
1990年以降、温暖化の影響で雪量は少ない知内浜も同様、この日30cm〜40cmだった。
あまり雪が多過ぎると歩くのも大変、長靴に雪が入る。
作品はストロボを使用、知内浜の奥行きを表現した。絞りは最少のF22、スローシャッターになった(1984年撮影)。


009 (32)    ひと休み shiga
関西の女流写真家(浪速倶楽部)岡本美智子さんから電話が入った今、知内浜の状況を知りたいと・・・
岡本さんは晩年引越しされ、関東で全日写連の幹部をされ、多分東京から琵琶湖の知内浜を案内される事だったのでしょう!!
岡本さんを私が知ったのは1970年代「サンフォトクラブ」に在籍されていた。
高田誠三さんや吉田敏昭氏(JPS会員)・藤波一成氏・杉田幸作氏ら有名人もいた。
主催は中森三弥氏(全日写)のクラブだったのを思い出す(1988年撮影)。


009 (33)    飛び立つ shiga
私が琵琶湖を本格的にテーマにすると決心したのは1969年琵琶湖が好きになり、その中で白い鳥の白鷺が自然に飛び込んで来た。
知らぬ間にシャッターを押していた。
その頃はレンズの性能はあまり良くなく撮影は難しい時代だったが・・・知内浜の白鷺があまりにも簡単に撮れるので、
今迄の苦労は何だったのだろうか!!(1986年撮影)。


009 (34)    雪の中A shiga
この作品も皆さんはあまりシャッターを押さなかった。
私は撮影していても観察している、誰がどの様にシャッターを押しているか!! 常に見ています。
私は皆さんより当時は多く撮影していたが、今はあまりシャッターは押さない、
それは私の歴史の中で、以前より良いチャンスだとシャッターを押すが、中々以前以上のチャンスは少ないからです(1988年撮影)。


009 (35)    S字カーブの中 shiga
知内浜に来る鳥を観察していると、湖面のS字カーブに着地するか?色々なパターンがあるが?、S字カーブに来る方が多い。
私は良い作品だと思っている、テーマに必要です(1988年撮影)。


009 (36)    雪の日 shiga
ギャラリーの中、何度も書いていますが2008年迄アナログでした、(スライド、リバーサルフイルム)を使用。
2005年にデジタルカメラを買いテストしましたが、その時はアナログが良いと思ったからです。
3〜4年デジカメは使用しなかったが教室の生徒さんは、殆んどデジタルに変わり、世間でもデジタル時代と大きく変化している、
しかし今までそれ程デジタルが良いとは思っていない、ただしフイルムが不要で何枚もシャッターを押せて便利ですが? 終局的には、まだ
私はフイルムが好きです・・・2016年現在の私の考え方(1986年撮影)。


009 (37)    川で待つ shiga
漁港から流れ出すエビを待っています。 
私が主催した地元のクラブ「写団寝屋川」、当初から皆さん知内浜の撮影にヤマザキタケオ・三宅信男・菅原正行氏らは
知内浜の撮影で良くコンテストに入選されていました。
三宅信男氏は三菱コンテストで金賞、オリンパス・ズイコー賞と大きな賞を受賞したのを思い出します(1985年撮影)。


009 (38)    ひとりぼっち shiga
北海道の丹頂鶴も一本足で休みますが、白鷺も良く見かけます。
1992年の「琵琶湖私景」写真集の時、シーグ社、増田氏が選考、編集いたしました。
2000点程作品を持参、別に白鷺だけで1000点持ち込みました。
増田さんは川上緑桜氏の写真集も手掛け、作品も知っていました、川上氏の撮り方も違うし
マツシマ君が幅広く琵琶湖をくまなく撮り入れていたので、ぜひ出版したいといっていました、
勿論、私は自信がありました(1989年撮影)。


009 (39)    乱舞 shiga
ユリカモメと白鷺の乱舞、どちらの餌の獲り方が有利か見ているとユリカモメの動作が鋭く早いのです(1988年撮影)。


009 (40)    2羽 shiga
色々なパターンで撮影、湖に向かっては沢山撮影したのですが松林の黒バックに考えました、
このアングルも皆さん少ないです。黒バックで白鷺がハッキリします(1988年撮影)。


009 (41)    花の上 shiga
知内浜の撮影でアイデアを色々考えました、一度は菜の花、2回目は花を利用、花屋さんに行き大量に花を買い花畑を考えました。
両方とも生徒さん達は大ヒットしました。
単純に撮るのも良いし、私の様に何十年も同じ場所に行くと飽きが来ます、また色々と閃き(発想)も出て来ます(1993年撮影)。


009 (42)    ストロボ撮影 A
こんなに近くで撮影する所は他に無いと思います30cmでした。(2016年)
今も琵琶湖に撮影に行きますが白鷺との距離は近くて10m〜20mがせいぜいです。
考えられない位、近かった(1991年撮影)。


009 (43)    ストロボ撮影 B
魚眼レンズを使用、ニコン16ミリ ストロボ使用、10cm〜20cmです。
怖い程近くで撮影、この様に魚眼を使用した方は少ないと思います(1990年撮影)。


009 (44)    ストロボ撮影 C
魚眼を使った人は当時私の周りには居なかった、私が約2000人を案内した中での話、
残り8000人の方も私は見ていませんので分らない。中に4〜5人は使った方も!! (1989年撮影)


009 (45)    ストロボ撮影 D
よみうり文化センター時代、個人指導で「三坂康一」さんも知内浜に案内しました。
かなり鳥が好きになった様で知内浜も随分通った様だ。
富士フォトサロンで個展もされた(1989年撮影)。


009 (46)    ストロボ撮影 E
私の白鷺の中でベスト10に入っている。 二度と撮れない作品と思っている、フォトコンに発表(1989年撮影)。


009 (47)    ストロボ撮影 F
JRセルヴィスギャラリー2回目(北新地)で発表、人気があった、魚眼レンズの撮影は初めて見たと云う方が多かった。
写真展は「琵琶湖詩情」 企画プロデュースはPRCの山田耕一氏(大日本印刷)・「読売新聞社の主催」(1989年撮影)。


009 (48)    水滴 shiga
魚眼レンズに水滴をあえてレンズに付けました、異常かも知れません? レンズにわざわざ水滴を付けるなんて?
ツアーで何度か経験しましたが?あまり人気がありません。 レンズに水滴を付けると云うと皆さんレンズが汚れると心配で!!
私は人が全く考えられない位のアイデアと思い考えました。ファンタジックな作品だと思います(1996年撮影)。


009 (49)    滝のそば shiga
この作品は大人気でした、ネットでホームページに作品を発表したのは2000年以降、
色々な所から使用権を頂き人気なんだなーと思っています(1996年撮影)。


009 (50)    旅立ち shiga
この作品はネットのホームページ上メインで使われています。
画題を『旅立ち』としたのは雛が大きくなり巣立ちした瞬間だから、
中々この様なシャッターチャンスに巡り合うのは難しいのです。(1983年撮影)。

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