白鷺の成長


012 (1)    竹生島のコロニー shiga Chikubushima
私が竹生島に足を踏み入れたのは1973年、「森成雄」氏を通じてだった。 
竹生島に白鷺が繁殖しているのは色々な人から聞いてはいたが・・・ 白鷺の「写真を見て行きたい」と思ってはいたが?方法が分らなかった。
後日「森」さんが竹生島の白鷺を主に撮影していると聞きお願いをして実現したのだった。
左手の山(竹生島の小島)のシルエット、小島と竹生島との間にチャーターした漁師船を配置した。
漁師は「松岡さん」だった。 山の傾斜はひどく45°程あったと思う、「森さん」は何度も島に登り経験していた。
ロープを用意して先に登り、それに伝って登る、山の登山とは違って落葉が多い為に良く滑る、足の置き場が無い状態だった。
竹生島の白鷺作品は個展等や多くの雑誌社から白鷺が採用されていた。
1984年に私は「ワイルドライフ」誌の記事に命がけの撮影と書いた(1873年撮影)。


012 (2)    恋の相手探し shiga Chikubushima
白鷺たちも人間と同じ「恋の相手」を見つけたいのです。
老木(竹生島の名木)が水面を背に、何時も止まる訳では有りませんが、常に止まりに来るのを待ちシャッターを押します。
デジタル時代の現在なら・・・前以て樹に止まる前からシャッターを押し続けていれば?と・・・
もっと良い作品が生まれたと思っています、当時は良い作品でした、樹と湖が良いのです(1974年撮影)。 


012 (3)    ラブも近い shiga Chikubushima
白鷺たちも・・・やがて相手を見つけて繁殖に移ります。
竹生島は「繁殖」の為の安全な島です、誰にも邪魔される事なく、子作りが出来る島でした、
安住の地だと思っています(1974年撮影)。


012 (4)    恋の相手が・・・ shiga Chikubushima
多分相手が見つかったのでしょう?仲良く森で休んでいます、
水面のボケ効果が良く「ニコンレフレックス」500ミリのレンズを使用しました。
初期は500ミリから長いレンズ1000ミリを購入しました。
大阪、虹の街の「東宝カメラ店」は私と取引が多く、ハッセルブラッド500CMも買いました。
タレントの芦屋雁之助さんもハッセルを同店から買っている時に出会いました。
当時の値段は389000円と良く覚えています、私は高いカメラを初めてローンで買いました。
それでも当時ハッセルを持っている人は少なかった、ハッセルは標準レンズのみだったので白鷺の撮影には
不向きだったので一度も竹生島には持参しなかった(1975年撮影)。


012 (5)    ラブ shiga Chikubushima
白鷺の「ラブ」のシーンです。
人間と同じで素晴らしいと思う、青い水面をバックに白の色が「鮮やか」でした、40年以上経った今でも頭から離れません。
この様な作品は他では絶対に撮れないからです。
事実それ以後これに変わる作品は有りません。
記録とは云え名作になりました。 竹生島のコロニーは最高だと思います、然しやがて消えます・・・(1974年撮影)。


012 (6)    出来ちゃった!! Shiga Chikubushima
「白鷺の夫婦」になったと思います、どちらがメスかオスかわかりませんが? 2羽で子作りに入ると思います。
作品は並び形が良いと思う、白鷺写真として良い方です・・・(1973年撮影)。


012 (7)    サギ山A shiga Chikubushima
竹生島でも時々雨も降りました。
雨の日の白鷺は白が映えなく・・・あまり良い作品は出来ませんでした。
島へは年に平均に2~3回程でした。
それでも渡る中で多い方です、1984年グリンパワーに発表(1975年撮影)。


012 (8)    サギ山B shiga Chikubushima
竹生島では「白鷺は大・中・小」・「ゴイサギ」・「アオサギ」・「鵜」を見ました。
白鷺は色が綺麗なのは分っていましたが・・・
私の場合こだわりなく色々と撮影しました(1974年撮影)。


012 (9)    ダイサギ shiga Chikubushima
先輩写真家「川上緑桜」氏が言う様に「ダイサギが最も美しい」と・・・私も思います。
ニコンレフレックス500ミリで撮影、レフレンズも近くで撮れば変わらない位ピントも来ます、色も良かったです。
私は良いレンズだと思います(1973年撮影)。


012 (10)    恋のシグナル shiga Chikubushima
新緑の5月は緑も美しい、「富士フイルム3万人の写真展」に出品、
毎年夏になると「富士フイルム」のイベントで大展示会が行われる。
「富士フォトサロン」でグループ展を近年2年に一度開催しています。
会場でお世話になっていますので・・・毎年参加しています。
少しは協力しないと思う気持ちです(1984年撮影)。


012 (11)    巣作り shiga Chikubushima
白鷺も他の野鳥も同じですが・・・枯木を集めて巣作りします、大変な作業だと思います。
一本づつ銜えて集め卵を抱く準備に入ります、5~6月に良く見かけました(1974年撮影)。


012 (12)    白鷺 shiga Chikubushima
竹生島の白鷺撮影は当時あまり人に言えません、それは先輩「川上」氏に秘密の内での撮影でした。
クラブの生徒さん達は少しは知っていましたが? 出来る限り人に言わない様にしていました、写真クラブに作品は殆んど発表しませんでした、
然し私の場合、琵琶湖のテーマの一つでしたので必ず竹生島は重要でした(1975年撮影)。


012 (13)    ブロニカ(6×6)カメラ shiga Chikubushima
「ゼンザブロニカ」と云うカメラメーカーがありました、名古屋のライターの会社だったと聞く、
ボディは「ブロニカ」で作り、レンズは「ニコン」が作っていた為、一部の人達で大人気でした。
更に私は「ブロニカ」に35ミリの「ニコンレフレックス1000ミリ」を改造してブロニカマウントにしてもらい撮影したのがこの作品です。
画像は6×6判ですので大きく伸ばしても良く1983年、「粟津潔」さんのデザインで
滋賀県観光ポスターも「ブロニカとニコンのレンズ」でした。
同じ樹と白鷺ですので「川上」氏の写真と良く間違われました。
ポスターは氏名入りでマツシマの作品だと広告の世界で有名になりました、
後日、1980年~1990年の十年間で発表されたポスターやあらゆる広告写真、
日本が一番元気だった時代の40点に選ばれましたAPA(日本広告写真家協会)、
富士フォトサロン東京・大阪にて発表されました(1976年撮影)。


012 (14)    枝を運ぶ shiga Chikubushima
白鷺たちは巣作りで木の枝を集めて飛ぶのを良く見ました、私はその姿に感動します。
私達人間でも家を作るのは大変なのに空中で?それも実行するのです。
白鷺たちは確実に巣作りします、そして雛を作ります(1976年撮影)。


012 (15)    大きい枝 shiga Chikubushima
時には自分より大きい枝を見ます、葦の枝か?竹の小さい枯枝でしょうか!!
観察して見ると約100本~150本位集めていました。
ご苦労様と言いたいです(1976年撮影)。


012 (16)    木の枝A shiga Chikubushima
巣作りの材料は色々でした、これは木の枝です。あらゆる所で探しています。
私はその枝をくわえ飛ぶ姿だけでも感動します、凄いですね!!(1976年撮影)。


012 (17)    木の枝B shiga Chikubushima
撮影距離は20m程でした、白鷺は普通その距離だと逃げます。
「竹生島での繁殖、子作り」と云う目標があっての事だと思います。
でも白鷺たちは一生懸命でした、私はただひたすら撮影するのみ(1976年撮影)。


012 (18)    嘴(くちばし) shiga Chikubushima
白鷺たちも色々なポーズを見せてくれる、また琵琶湖の白鷺の数も全部あわせると相当数いると思う?
1984年私が「ワイルドライフ」6月号に発表した、
雑誌の次のページに「琵琶湖周辺のサギの現状」と題して当時「岡田登美男」氏(滋賀県野鳥の会代表)の文の中に
過去20年に渡ってサギのコロニーを調査したと書いています。
1964~1984年の野鳥の会調査は6ケ所と書いている。
それぞれのコロニーは500羽~1000羽だと・・・ 私は別に3ケ所知っていたので全部で9ケ所でした。
だから1万羽はいるだろうと思っている?(1976年撮影)。


012 (19)    卵をあたためて shiga Chikubushima
竹生島で枯木や葦の枝の上に巣作りして卵を温めていた。
私達を見ても逃げようとはしなかった、親の愛情を身をもって知らされた。
私も出来るだけ動かないで工夫して撮影した(1973年撮影)。


012 (20)    卵は4個 shiga Chikubushima
鷺が立ち上がった時、一瞬4個の卵が見えた。
何個抱いていたかは? 初めて知った(1973年撮影)。


012 (21)    卵だけ shiga Chikubushima
1973年に初めて竹生島に登った時直ぐ眼の前(1m)で白鷺は繁殖していた。
作品は鳥が危険を感じ飛び立った後直ぐ撮影した。
当時島の山頂は殆んどカメラマンは来ないためだろうか?山頂で卵を産んでいた。
道と云う道は無く、あまり人が来て撮影の気配は感じられ無かった(1973年撮影)。


012 (22)    眼の前 shiga Chikubushima
色がブルーなのはタングステンで撮影、竹生島へ行ってもタングステンフイルムはかなり使用した。
作品との距離20cm近すぎてびっくりしました、あまりにも近すぎて、白鷺との距離は眼の前です。
そして1974年、あまり人が近づいていないのも分りました。
そして翌年には10m、その翌年(1975年)は20mと・・・だんだん離れて行きます。
白鷺たちも身の危険だと思ったのでしょう?(1973年撮影)。


012 (23)    卵は3個? Shiga Chikubushima
4個の時も・・・また3個の時も・・・最初から1~2年目は、今になって思うのは悪い事をしたなあーと思う。
折角、繁殖で卵を産んでいるのに、私達「カメラマン」が近づき過ぎて邪魔をする。
自然さを失う?「葛藤」した事も、TVの自然番組を見てもそうだが!! 決して良い事ではない(1973年撮影)。


012 (24)    雛誕生 shiga Chikubushima
竹生島に上陸して2年目(1974年) 直ぐ雛の所に行きました。
山頂から少し遠くなっていました、鳥たちも身の安全の為だろうか?去年より離れていました。
無理して近づいて見ました、ファインダーで覗くと決して可愛いとは思えない位?どちらかと云うと「グロテスク」でした。
時々、雛とは云え「威嚇」します・・・手持ちで雛との距離まで10cmから20cmと撮影しました(1974年撮影)。


012 (25)    夫婦交代 shiga Chikubushima
親鳥と交代するシーンは幾度か見ました、多分交代で餌を運ぶのでしょう?
この状態はどちらかが雛を暖めていました。親子はダイサギです(1976年撮影)。


012 (26)    小魚を加えて shiga Chikubushima
白鷺の親は「せっせ、せっせ」と餌を運んでいた。 雛もすくすく育っている。
竹生島では雛の誕生と同時に子供達の声でうるさくなった(1977年撮影)。


012 (27)    見つめられて shiga Chikubushima
私のカメラで雛が怖がっているのが分かった・・・得体の知れない人間が近づくのだ!!
びっくりしていたのだろう・・・竹生島に渡って今思うと2年目以降、雛との近接撮影は出来なかった。
3年目は20mの木の上でした、近づいての撮影は3年目以降は出来なかったのです。
今になると貴重な作品です、白鷺を僅か1m以内の撮影だったのです(1974年撮影)。


012 (28)    餌を運ぶ shiga Chikubushima
白鷺たちの親は餌運びで忙しい・・・雛は親が近づくと「ギャーギャー」と鳴く・・・
8月になると巣立ちして少なく撮影も行かなくなった。
私の場合、6月~7月に多くの名作が生まれた(1976年撮影)。


012 (29)    雛の誕生 shiga Chikubushima
竹生島では白鷺の繁殖は5月~8月でした。
6月~7月に雛が良く見れました、白鷺の成長はめまぐるしく早い。
1ヶ月後、同じ所に雛はいなかった、別の雛を捜して撮影した。
3年目以後は森の樹の葉で白鷺が上手くファインダーに入るのも少なかった。
撮影も難しくなりました(1975年撮影)。


012 (30)    ファミリー shiga Chikubushima
ネットの中で「シラサギ」と云うのは「白いサギ」の総称とあるとか! 作品はダイサギこの作品の撮影も大変でした。
竹生島の山頂を約40~50mが私達の行動範囲、樹の間から「良く見える」、シラサギを捜します。
木と木の間、良くても木の葉が邪魔な時も多い、やっとこの家族が上手くファインダーに入った、良い作品だと思う(1976年撮影)。


012 (31)    ダイサギと雛 shiga Chikubushima
ダイサギがこんなに大きく撮影出来たのも竹生島だったからです。ダイサギは他のサギに比べて少し精細で臆病です。白鷺を撮影した経験の
ある方ならお分かりだと思います、殆んど逃げられます。琵琶湖畔または田園でダイサギを発見しますが・・・30m以内は現実的に撮れません、
草木に隠れてたまたま近くに飛んで来たとしたら!!それは時々チャンスはあります。普通はお互い眼が合ったら30m辺りで飛んで行きます。
この作品は親として、幼鳥を守る為にいたのです、人間も同じ、また動物の子供の大切さを知りました(1977年撮影)。


012 (32)    ダイサギの成長 shiga Chikubushima
雛も大きく育ってきた、親鳥は交代で餌を運ぶ、良く観察して見ると親が飲み込んだ餌を「口移しで与えていた」。
この作品以降、この様な作品は撮れなかった、私の中でも名作となった・・・
1978年は私が太陽賞を受賞した年、6月12日が表彰式であり、忙しく、
その年の6月はあまり撮影に行かなかった(1978年撮影)。


012 (33)    すくすく育つ shiga Chikubushima
雛3羽大きくなって来た、羽が綺麗に整う。
親は私を気にしている、距離は20m以上、当時の撮影は「オールアナログフイルム」ISO100を使用、
ただし私の場合殆んど増感した。
100を200に又は400・・・時々800から1000に・・・400以上だと粒子が荒れる。
コントラストは100で撮影するより400が良く効果的に表現出来た(1981年撮影)。


012 (34)    親子 shiga Chikubushima
この作品は私の中で白鷺の「家族写真」は良い方です。 親鳥の羽根が良かった。
「田中徳太郎」さんの白鷺は羽根が美しく表現されている、彼はモノクロだから自由に焼き込み(周辺)をされて絵画に近い。
私の作品も海外の方から絶賛されています。
「1992年、琵琶湖逍遥写真集に発表」(1982年撮影)。


012 (35)    白鷺の母子 shiga Chikubushima
アナログフイルム(リバーサル・スライド)と名前の呼び方が色々・・・
1960年代~1970年代迄5社あまり、富士・コダック・当時はサクラフイルム(コニカ)も有りました、
更にドイツのアグファ・アメリカのアンスコがありました。
アグファは色が渋みの味がありました、アンスコとコニカは人気があまり無かった(1973年撮影)。


012 (36)    餌をねだる雛 shiga Chikubushima
人間の子供も同じ、お腹が空いて来ると子供は鳴く、白鷺の雛も落ち着きが無くなって来る、母親は一生懸命餌を運ぶ・・・
白鷺を見て動物も人間も含めて皆同じだと思った。
私は写真に明け暮れ・・・全く自分の子供の事など考えなかったが!!
白鷺を見ながら少し心苦しく思った。それ以降、私も少し父親らしくなって旅行だけは連れて行った(1983年撮影)。


012 (37)    白鷺の成長 shiga Chikubushima
撮影に行く度、雛の成長はめまぐるしく早い。
行く度に「驚き」の連続だった、次から次と雛たちは飛び立って行く・・・巣立ちの跡だけが残っていた。
前回見た雛は居なくなっていた(1977年撮影)。


012 (38)    ファミリー shiga Chikubushima
白鷺がこの大きさになると巣立ちは早い、繁殖期の5~8月の間に「森」さんの案内で「松岡」さんの船をチャーターし、多い時は3回撮影に行く、
少なくても一度は必ず島に渡った。 漁師の「松岡」さんは何時も機嫌よく引き受けて頂いた。感謝でいっぱい、「森」さんと「松岡」さんが居なかったら
私の場合撮影不可能だった。白鷺の家族写真として大作です。「写真集に発表」(1978年撮影)。


012 (39)    餌をねだる shiga Chikubushima
白鷺の雛も餌の獲り合いをする、我先にねだる食欲旺盛。親鳥もひっきりなしに小魚を運ぶ、考えるだけでも大変だと思う。
そんなに魚がいっぱいいるとは思わない、その中で餌を見つけ「セッセ」、「セッセ」と雛に運ぶ・・・感動して目が奪われる。
竹生島での撮影は長い年月とフイルムの量は私が多いと自負している(1979年撮影)。


012 (40)    親鳥と変らぬ成長 shiga Chikubushima
白鷺を見ても「親と子」の見分けが付かなくなって来た、餌をやる時にやっと分った。
親が口から幼鳥にやる時以外は見分けがさっぱり付きにくい(1982年撮影)。


012 (41)    奪い合い shiga Chikubushima
親鳥が餌を持って帰ると雛たちが奪い合う・・・「ギャー」・「ギャー」と声を荒立て親にねだる。
親白鷺は直ぐ飛び立つ、恐らく夫婦交代で餌を運ぶのだと思う、親と子の白鷺を見て「区別」は分らなかった。
撮影も一家族だけなら分り易いが!!数組を?眺めているとさっぱり何が何だか分らなかった、
この作品のファミリーは次に行ったら巣立ちした後でした。
1984年1月5日発行「学研・鳥よはばたけ」、作者は芥川賞作家「加藤幸子」さんの文の中に「鷺の王国」のページがある、
「田中徳太郎」さんの話が記している、その中で野田のコロニー「千葉県」の話の中
鷺がコロニーから消えた原因は都市化で道路が出来たこと、その為に水田が無くなった、
鷺の食べ物が少なくなり同時に、当時農薬に水銀が含まれていたとか?
竹生島は人工的に追われた、野田のコロニーもある意味人工的に追われる運命になりました、
竹生島の場合、空砲を使ったと聞きました(1982年撮影)。


012 (42)    親鳥と変らぬ成長 shiga Chikubushima
竹生島の樹の上で餌を奪い合う雛たち・・・成長は眼を見張る程早い。行く度に・・・毎日見てる訳では無いので・・・そのギャップが大きい!! この家族も
次の撮影では巣立ち後だった。白鷺を見ていて北海道の丹頂家族とは違うような気がする、丹頂は飛び立ち、餌も同じ所でほぼ同一行動する・・・ また雛の頭は
親鳥と色が違うので分り易い。白鷺は個々の行動に見える、成長すると親と離れる様だ?3羽~4羽の家族スタイルの行動パターンは見られない(1979年撮影)。


012 (43)    雛たち shiga Chikubushima
親から餌を待っている、今か今かと・・・待っている間、喧嘩も良くする。
仲が良い印象とも思えない!!自分勝手と云うか?我先に餌をねだる。
巣から落ちて・・・後日、可哀相だが・・・死んでいた、その様な悲しい光景は何十回も見ました。
鳥の世界は皆同じ様だと思う(1980年撮影)。


012 (44)    雛の兄弟 shiga Chikubushima
既に巣立ち前でした、巣から少し離れた枝で親鳥からの餌を待っています、
待っている間に時折「羽ばたく」・・・竹生島に一度だけ漁船に乗らず竹生島の連絡船を利用して、日中に撮影に行きました
神社側から庭の間を抜けて白鷺のコロニーに向かう途中神社の人から注意された。
当日の作品はあまり良い作品にはならなかった(1982年撮影)。


012 (45)    親鳥を待つ shiga Chikubushima
白鷺の成長は早く、竹生島は私の家から島に渡る時間は高速を利用しても3時間近くかかる。
次回の撮影は1ヶ月後だったり、2ヶ月後だったり? その間に殆んどの白鷺は巣立ちします。
撮影は一家族を追い続けるのは不可能でした、船代が15000円、2人で割勘とは云え、アナログのフイルム代が
竹生島では30本前後7~8万円の経費が当時必要でした(1973~1984)迄・・・
島に上陸しても誰とも会わなかったです。
然し竹生島へ撮影に行ったと云う話は関西のの中で10人~20人に聞きました、
但し私の場合は全く人に会いませんでした(1981年撮影)。


012 (46)    最後の餌 shiga Chikubushima
親鷺が雛に餌をやっている場面です、親鳥のくちばしをくわえている方が雛(幼鳥)です
体の大きさも、ほぼ変わらなく・・・一見分りません。餌を口に入れようとした時?たまたまこの様な角度になりました。
珍しいシャッターチャンスです、私の白鷺撮影の中でも面白い作品だと思います。
船頭の松岡さんが午後1時に迎えに来ます、竹生島に10時間居るのですが・・・「退屈」が半分でした。
早朝4時から4時間の朝8時迄は一生懸命狙って夢中で撮影しますが・・・時間と共に光の状態も悪く平凡になり、
シャッターを押す緊張感も消えて来ます、残りの時間、ビニール等を敷き仮眠もしますが・・・お腹が空き
それ迄必死に撮影しましたが、残りの時間を潰すのが大変だったと記憶しています(1980年撮影)。


012 (47)    親子 shiga Chikubushima
巣立ちの練習と最後の餌を受けていました。
人間も同じく母鳥に甘えているのか? 大きく成長したのをアピールしているのか?喜んでいる様でした。
このポジションも山の中で一番良い樹と樹の間です。中々このポジションは数少なく僅か50mの中、3ヶ所位でした。
森の中から白鷺が良く分る所は限られています、先輩「森」さんとも離れ離れの撮影、山頂では殆んど近くに居ません。
時々、声を出して話をする時は呼び合いをします、鳥が好きでなかったら・・・とても竹生島に行っても退屈だし、
食事、トイレも出来ないので苦痛になります。私のクラブの生徒さんも竹生島に撮影に行ったと聞いた人は僅か1名だったと記憶、
そのクラブの方は一回限りで以降撮影に行ったとは聞いていません。
「琵琶湖逍遥」発表(1979年撮影)。


012 (48)    6羽の白鷺 shiga Chikubushima
この作品は大変珍しい、私の作品の中でも大作中の大作です。
恐らくこの様な作品を他で見た事は有りません?雛が成長して夫婦の親鷺と子供が勢揃いして巣立ち前のセレモニーに見えました。
ネットの担当者も一時この作品をギャラリーの中心に使用した程です。 私も作品に自信が有ります、ギャラリーの白鷺シリーズ、イブキ・幻想・竹生島の白鷺・白鷺の成長・水辺の白鷺等、見て頂けたら
どれだけ時間を費やしたか又、私の事を知らなかった方も・・・知っていても人間それぞれの行動は神様だけ!!殆どの人が知りません、
私も同じ様に他人様の事は一度会って話をする時だけ、写真展は大きく47回しましたが・・・全部を見た人は殆ど有りません。
クラブの生徒さん、カルチャーの生徒さんで長い間来ている方はそれでもせいぜい半分ですね!!
白鷺シリーズは私の人生、命をかけた写真シリーズです、自信をもって発表しています(1981年撮影)。


012 (49)    成長後 shiga Chikubushima
雛と親の区別は全くつかなかった。 北海道の丹頂は頭の色が茶色っぽく、体もやや一回り小さい、必ず親鳥と離れずにいる。
白鷺は成長すると一緒にいる姿はあまり見かけない。
竹生島のコロニーから離れるとそれぞれ琵琶湖に注ぐ川の河口辺りに集団でいるが!!
親子の関係を見る姿は私は分らないです(1984年撮影)。


012 (50)    湖面で乱舞 shiga Chikubushima
竹生島の撮影は約12年、竹生島が鳥達の糞で木が枯れて行くのに国(環境庁)が歯止めしたのです。
その後、約10年は僅か数羽、船上から観察して見ましたが・・・撮影する事は無かった。
琵琶湖で1973年1羽の鵜から数万羽と急激に増え、2000年頃は竹生島は白鷺に変わって鵜のコロニーに変貌した。
新聞・TVのニュースが流れ、私も行って見たら鵜が6万羽だと聞いた!!
時は流れ2006年頃、竹生島から白鷺と同じように鵜は追い出された。
竹生島の美しさは計り知れない良い被写体、鳥も大事だが・・・歴史ある竹生島は守って行かなくてはならないと思う(1984年撮影)。

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