鳥たちがいた


016 (1)    夕暮れ時 Lake Biwa
1964年、大阪に写真家を目指して来たが・・・ただプロカメラマンになる事だけ考えていた。
写真学校に行きながら二科会の大御所、青木君夫先生のクラブで腕を磨きクラブの先輩、西嶋保介氏を知り琵琶湖を案内して貰った。
そこで私の運命が変化していったのです、野鳥たちとの出会いも琵琶湖からスタートしました。
作品は琵琶湖の夕暮れです(1978年撮影)。


016 (2)    むく鳥の群 Lake Biwa
琵琶湖をグルグル周る中、野鳥たちと数々の出会いが53年の量となった。
数万点の作品が生まれた、まだまだ未発表作品も沢山あります。 近年、鳥の群の姿も数少なくなった。
やはり自然さが少なくなった事だと思う・・・アナログ時代、色は最高に良かった(1981年撮影)。


016 (3)    ねぐらへ Lake Biwa
鳥の群が良く見れるのは・・・夕暮れだった。 それは私の経験から夕暮れに出合う事が多かったので・・・そう思うだけ?
野鳥の写真家だと出会うチャンスが多いと思うが私としたら初めてで珍しかった、大阪に来て2年目の初心者の頃の作品(1965年撮影)。


016 (4)    数千羽も Lake Biwa
鳥たちがいたを編集する時に思うのだが近年この様に鳥たちの大群は、琵琶湖では滅多に見る事が少なくなった!!
鳥の種類は分らない、私の場合ただひたすら鳥ならシャッターを押していた、大群の鳥で圧倒された(1966年撮影)。


016 (5)    燕の大群 Lake Biwa
草津市の夕暮れ、琵琶湖の葦群は当時、草津市の湖岸が一番多かった。私はツバメの大群を見て感動の連続、しかしその感動も続かない。
それは田中角栄内閣の日本列島改造で琵琶湖総合開発が行われた、約20年1974〜1994年だったと、思う。
湖岸道路に合わせて葦が消え、ツバメも少なくなりそれから大群を見なくなった・・・ 私は鳥が葦に消えてから家へ帰るのです、そして琵琶湖岸は農道で車1台がやっとだった、
夕暮れの時間は8時頃、周りは薄暗くアナログのフイルムでは限界だった(1975年撮影)。


016 (6)    落陽後 Lake Biwa
鳥たちと出会うと何か心に安らぎを感じる、私の場合 田舎、長崎にいる時は鳥に関心がなかった。
琵琶湖で一日数回出会う積み重ねで・・・すっかり鳥に魅了されていった(1965年撮影)。


016 (7)    湖北にて Lake Biwa
鳥たちと出会うチャンスは琵琶湖畔の葦、小さな林、田園が主だった、それも予告無しで・・・いきなり出会うのです。
慌ててシャッターを押すが失敗も当時多かった、アナログ時代、フイルム感度は100が多く夕方になるとカメラブレが多く・・・
少しでも感度を良くしようと増感を考えました。 ISO100を400に400が主でした、時には無理して1000とか1800にしたら
ラボ(現像所)が嫌がり、色も殆んど無くなって粒子は荒れかなり失敗した事も多くあります。
当時その事は私自身の考え方ですので皆さんにはあまり喋る事無く、心の中に止めていました(1972年撮影)。


016 (8)    森へLake Biwa
デジタル化の時代になって ISO感度が1000〜6000がいまでは普通。
10年前には感度6000で撮影すると聞き私はびっくりしました、私にとって考えられない出来事でした。
然し、それもここ10年の間デジタルの進化に伴いそれも普通になって来ました。
絞り優先が私の撮影法ですので当時、夕暮れあたりは絞り5.6でシャッター 1/60でした。
現在ならF11、シャッター 1/800位になります、殆んど失敗はありません(1976年撮影)。


016 (9)    ツバメの群 Lake Biwa
当時私はストロボの外付けフラッシュ、ミニカムスーパージャイアンツを使用、夕暮れは殆んどストロボ光で撮影していました。
このストロボは一般の方の使用は殆んど見た事は無く、報道用として新聞社または写真スタジオでの大人数の集合写真等に使用されていました。
それでもやっと被写体のツバメが分る程でした。 その後ツバメの姿も開発で消える事になりました(1986年撮影)。


016 (10)    葦の上 Lake Biwa
近江八幡、西の湖、私は常に湖北と近江八幡が好きだと事あるごとに発信をしています。
西の湖の葦群落の中で、この様に鳥の大群に出合ったのはこの作品が過去一番でした。
その後、この大群は殆んど見る事は無く、少大群は近年でも見かけますがこれ程多くはありません(1981年撮影)。


016 (11)    田園の中 Lake Biwa
湖北尾上の近くは当時はまだ湖周道路が無く、田園と森ばかりでした、だから鳥の大群も撮影出来たのも収穫だったと思う。
然し近年、なぎさ街道は車の往来も多くなりこの様な大群の野鳥の姿は見かけなくなった(1973年撮影)。


016 (12)    夕照の中 Lake Biwa
夕暮れの中、アナログ時代、夕空の撮影は田園の中より撮影がやり易く、シャッター速度が2倍は早くなり失敗は少なかった、
夕陽の中で飛ぶ鳥の姿に感動したものです(1971年撮影)。


016 (13)    夕陽の中 Lake Biwa
鳥を主に撮ってたわけでなく、あくまで琵琶湖の風景が中心でした、鳥はオマケで脇役でした。
しかし年数と共に鳥の作品がかなり多くなって、私の中、今では鳥もひとつのテーマになっています(1969年撮影)。


016 (14)    夕陽の円 Lake Biwa
鳥の種類によって円を作るグループもある。 この時は丸く円を作っていた、鳥の種類は分りません。
当時野鳥の会に入会していましたが現在はネットの時代、鳥の情報も簡単になっている(1969年撮影)。


016 (15)    鵜のねぐら Lake Biwa
湖北水鳥センターの前です20数年前、鵜たちの糞で樹が枯れて来た。
滋賀県はこの木を伐採した、当時この作品を含めて野鳥ファンやカメラマンから良き被写体として人気があった。
青い色はアナログフイルムでタングステンタイプ(フジT64)を使用、私のホームページ青の世界でも発表している(1995年撮影)。


016 (16)    樹の中 Lake Biwa
樹に止まる鳥たちも良い作品になる。 琵琶湖周辺での鳥の撮影では電柱・樹の上・枯木・葦の上など鳥が目立つのは樹の上である。
それ以外は飛ぶ時、湖では湖岸の畔等で良く見られる(1973年撮影)。


016 (17)    電線の上 Lake Biwa
現在でも良く見かける光景です、中でも1羽だけの動きを意識しました。 多分むく鳥だったと思います(1978年撮影)。


016 (18)    冬日 Lake Biwa
1964年〜1978年迄、西嶋保介氏と・・・1972年〜1985頃迄、森成雄氏と良く同行した。
二人以外の時は一人で良く撮影した、また写真クラブを自分で創ったのでクラブの仲間を指導の傍ら良く案内もした。
1985年前後から撮影ツアーも組み、バスツアーも2000年頃まで続いた、バスツアー以外のツアーは現在も続けている(1983年撮影)。


016 (19)    雪の中 Lake Biwa
雀だと思う、雀は二科展等でも良く発表されていた、秋から冬の撮影では良く出会う光景でした。
湖北や余呉湖は当時冬は雪が多く鉄製のチェーンを使用したが、アクセルをふかし過ぎで時々チェーンが切れ大変だったのを思い出します。
写友の森成雄さんは当時スパイクタイヤを利用されていました(1979年撮影)。


016 (20)    湖上の乱舞 Lake Biwa
長浜市の港でした、光も良く綺麗に撮影出来ました。
この様な風景も常に撮れるとは思えません、撮影に良く出掛ける事がチャンスが多く訪れます。
当時は最低月4回、多い時は10回に及びました、アナログ時代フイルムと現像で目安は1本2000円の時代、
月30〜50本は普通でしたが経費が必要以上にかかり大変でした(1986年撮影)。


016 (21)    湖上にて Lake Biwa
琵琶湖の湖上に鴨が数多く休んでいた。 この風景は当時当たり前で良く見かける風景、その中に動きが出た時がチャンスでした。
琵琶湖の冬は鴨がいたる所で良く見受けられました(1985年撮影)。


016 (22)    三島池にて Lake Biwa
ヒシクイか雁だったと思う、三島池では野鳥の宝庫、鴨は繁殖の南限だと聞く、白鷺・アオサギ類は必ず見かけた。
私も三島池で数多くの作品が生まれた、年2〜3回は必ず訪れている(1972年撮影)。


016 (23)    丹後 A Kyoto
丹後半島も西嶋保介氏に案内して頂いた、新井の千枚田で彼は二科展に入選したのを覚えている。
私はハッセルブラッド500CMでニッコールコンテストに入選したのが忘れられない。
ハッセルを持っていた人は当時、殆んど見かけなかった。
東宝カメラの阿部社長と仲良くカメラ店同志だったので信用して頂き、仕入れもしていた
また時々安く提供して・・・懐かしい思い出になっている(1988年撮影)。


016 (24)    丹後 B Kyoto
鳥の大群は西嶋保介氏とは関係無く、私自身が開発した。
よみうり文化センター時代に三坂康一氏を案内、ツアーでも数十回多くのコンテストで入選したが近年、
伊根の漁港の方に聞くとあまり魚が獲れないと聞く、ツアーで中野清子さんが風景写真の一席で見開きにもなった、
季刊風景写真の一席作品とは風景の最高賞にあたる、過去に三坂康一氏・安田正純氏が受賞している(1988年撮影)。


016 (25)    丹後 C Kyoto
イワシ漁だった、帰りにお土産にビールケースひと箱分が1000円だった思いが、15cm〜20cm位で大きくて新鮮だった。
漁師さんがお造りで食べても良いと言ってもらったが!!絶対、お造りでは食べなかった。
それは三坂氏が獣医さん、彼も魚のお造りは絶対食べない様な事を言っていた。
2017年ニュースでイワシ・サバ等でアニサキス・・・昔の事を思い出した(1987年撮影)。


016 (26)    丹後 D Kyoto
冬、船上で揺れながら、倒れそうになりながらシャッターを押した。 画面が斜めになった所が臨場感が出て良かったと思う。
ツアーで伊富貴久子さんがキャノンマンスリーで見開きページに(1989年撮影)。


016 (27)    冠島 Kyoto
丹後舞鶴湾に2つの無人島がある。 オオミヅナギ鳥の繁殖地として有名、ウミネコも繁殖していると思う。
特別漁師さんにお願いして撮影ツアーを良くしていたが 近年、知合いの漁師さんが亡くなってから島への撮影は中断している(1989年撮影)。


016 (28)    大空へ Kagoshima Izumishi
鶴(ナベヅル・マナヅル)です大空高く飛翔、鹿児島県出水市、冬場にシベリアからの渡り鳥。
数千羽と対面、その群れに圧倒される。 ピークは1万羽を越えるとか、色合いが北海道の丹頂鶴と比べて写真になりにくい様に思える。
私は4回程訪れています(1989年撮影)。


016 (29)    マナヅル Kagoshima Izumishi
同じく出水市で撮影、私の場合、殆んど撮影ツアーで全国を回っている。
ただし年2回は家族サービスで!!かれこれ40年近く全国を旅行している、この時は家族で大阪からフェリーで大分まで行き九州一周旅行をした。
ツアーでは出水市の鶴は3回、家族では一回だった、北海道の丹頂鶴と、ついつい比べて・・・考えてみると丹頂鶴は雪の上が多く鳥の回りが綺麗、
必ずペアーなので夫婦愛とファミリーの撮影がやり易いからだと思う。 山本久右衛門さんも丹頂鶴作品でJPS展に入選した(1993年秋・撮影)。


016 (30)    ハシボソミズナギ鳥 Hokaidou Doutou
北海道羅臼で撮影、ハシボソミズナギ鳥はタスマニア諸島から5月頃来ると聞く、私が初めて撮影したのは2008年でした。
山本久右衛門さんは2014年二科展で入選して会友になった。
5月頃シャチも来る、シャチとハシボソミズナギ鳥が同時に撮れるのは大チャンスだと思う。 まるみ船上より(2016年春・撮影)。


016 (31)    黒サギ Kyotofu Ine
黒サギに出合ったのは初めてだった、よみうり文化センター時代、三坂康一氏と良く丹波に通っていた時、
偶然、伊根の舟屋に行く海岸線で撮影しました。 以後20年の歳月で年に2〜3回丹波に行く時は必ず同じ場所を見るが、
その後一度も黒サギに出合っていない(1995年夏・撮影)。


016 (32)    ヒヨドリ Aomori
ヒヨドリだと思う。 日本国内で普通に見られる留鳥、私の家の周辺や琵琶湖でも見れる、
個人的に好きな鳥ではないが!!眼の前に出て来るとシャッターを押したくなる。
家族旅行で青森だった、青森は北海道に続いて好きな県、
ツアー合わせて20回近く・・・年に1回または2年に一度は行く様にしている(2002年冬・撮影)。


016 (33)    目の前で Shiga Kohoku
写真はミヤマカケス?はっきり分らないが、スズメより大きく昆虫を主食すると聞く、私は鳥の種類は全く知識がない。
アサヒカルチャー中之島教室の生徒さんで藤原純三さんは色々知っている。
鳥の撮影に月10日〜20日と?森成雄さんも大阪城に毎日、鳥の撮影に・・・世の中、色々な写真家がいます(2000年・撮影)。


016 (34)    梅林の雀 Oosaka  Castle
千里よみうり文化センター時代、写真教室の実習に大阪城梅林での撮影を毎年実施していた。
私は個人的にはあまり花が好きではない、私がアマチュア時代花のコンテストに送っていたが・・・殆んど入選しなかった。
花以外のスナップが多く、風景はたまに入選した、太陽賞は風景が殆んどですが鳥は2番目に成績が良かった。
あくまで私流の考え方です(1989年春・撮影)。


016 (35)    モズ Shiga Kohoku
ネットで調べた所、百舌鳥・スズメ目・モズ科・モズ属に分類される。 日本・中国・朝鮮半島・ロシアに分布。
日本ではほぼ全土にいるとか・・・全長19〜20cm。
眼上部に入る眉状の筋模様、喉や頬は淡褐色、尾羽は黒褐色、夏から模様が変わるとか!!鳥類はオスとメスで違ったり、
季節で色が変わる種類も多々あり?サッパリ分らない(1970年冬・撮影)。


016 (36)    大阪城にて Oosaka Castle
千里よみうり文化センター時代、大阪城の梅林は絶好の被写体地、市内での梅林はピカ一。大勢の観光客とカメラマンで大賑い、
私も毎年行きました、第一回目で犬とツインタワーで三坂康一さんがJPS初入選したのも今となったら思い出に・・・
私は良く生徒さんに梅林の花だけを写す人は初心者。 ベテランはスナップだと伝えていた、生徒の中にはスナップまで考える人は少なかった。
他の教室も数多く出会った中でも坂本樹勇先生、大阪芸大学科長もカルチャーの講師をして毎年出会って挨拶したのも、
今では良き思い出です(1988年春・撮影)。


016 (37)    早春 Hokaidou Saporo
北海道札幌市内、家族旅行での撮影、家族で行く時は撮影とは関係なく遊びで行きますので、どうしても観光地巡りが多い。
時計台の通りを歩いて見上げると花に野鳥が多分、蜜を吸っていたのだと思う!!飛び立つ所でシャッターを押した(1992年冬・撮影)。


016 (38)    アカゲラ Aomoriken Lake Jyusan
この作品も家族旅行でした、青森十三湖辺りで樹に野鳥がいて、慌ててシャッターを・・・
家族旅行で遊びとは云え!!良い被写体や珍しいと思った時必ずシャッターを押します。
写歴と共に色々な作品に巡り合いました。 皆さんも旅行や遊びの時でもカメラは常に携行すると良いでしょう。
デジタル時代、そんなにお金も以前より必要なくなりました(1994年冬・撮影)。


016 (39)    コウノトリ Wakayamaken
私は10年前より四国八十八ケ所巡りを気ままにしています。
殆んど自家用車で順番も関係無く、旅行気分で回っています、この日は徳島から和歌山へフェリーを利用。
奥さんが助手席から大きい鳥が電柱に止まっていると知らせてくれた、良く見るとコウノトリでした。
和歌山迄飛ぶんだと思いシャッターを・・・作品は見たらコウノトリだと直ぐ分りました。
豊岡のコウノトリはツアーで10数回経験ありますので、九州や北海道、韓国迄飛ぶとか!!
和歌山だった事が私にとって珍しいだけで作品は0点です(2016年夏・撮影)。


016 (40)    冬のキジ Shiga Lake Yogo
琵琶湖での撮影、まだアマチュア時代、ふと眼をやるとキジらしき鳥が木陰に潜んでいた、慌ててシャッターを押したが直ぐ逃げた。
野生のキジは時々、瞬間的に来てくる、予測なしに出て来るのでカメラを構えた時は既に逃げた後!!
見る機会は数多く経験していますが?写真にまともに写ったことは数少ないです。
私の中ではこの写真も珍しいだけ・・・(1972年冬・撮影)。


016 (41)    キジ Shiga Lake Biwa
この作品もアマチュア時代、琵琶湖を相変わらず被写体を求めてグルグル動き回っている頃の出会いの写真、
作品とまで行かず!!ただシャッターを押した作品。私の中で珍しいだけです?キジが写ったと云う所でしょうか(1969年秋・撮影)。


016 (42)    2羽 Shiga Lake Biwa
白鷺とケリを同時に撮れたのが珍しいだけ!!私のギャラリーの作品も全部良い作品とは限りません。
経験上、思い入れとか?珍しいとか?あまり世に出ていない写真とかもギャラリーに入れています。
野鳥ばかり撮影している方から見たらつまらないと思います・・・
然し私にとってこの様に白鷺と同時に他の鳥が撮れたので思い出なのです(1977年秋・撮影)。


016 (43)    羽ばたく Shiga Lake Biwa
ケリです、冬、雪の上でしたこの鳥も良く見かけます。
私の場合、琵琶湖の風景・野鳥・スナップ等、眼の前にある被写体が良いと思えばシャッターを押します。
白鷺・アオサギの大型は眼に入りやすいですが、小型の鳥類はシャッターを押すまで行かない事が多いです。
私として雪上の羽ばたきはマアマア良い方かも!!(1981年冬・撮影)。


016 (44)    カワセミ A Shiga Lake Biwa
写友、森さんと撮影でした、琵琶湖では湖が大きくカワセミの姿を見る機会は殆んど無く、琵琶湖に注ぐ川で時々見れます。
鳥が小さい事と動きが速いので中々シャッターが押せません。
地元の川や沼地、公園の池で撮影している野鳥好きのカメラマンが良い作品を撮っています。
私の場合カワセミは最初から諦めていました、私の後に太陽賞を受賞した嶋田忠氏の写真集「カワセミ清流に飛ぶ」や写真展で見てびっくり、
どれだけ大変で粘り続ける事の重大さを知ったからです。 それから嶋田氏より以上の作品は見た事無いです。
それ位良かった(1979年秋・撮影)。


016 (45)    カワセミ B Shiga Lake Biwa
白鷺のメッカ知内浜で撮影、白鷺を狙っていたら眼の前にカワセミが止まりました、何とか写りました。
然し嶋田忠さんのカワセミと比べたら月とスッポン、ギャラリーに発表するのも本心は嫌ですが?私にとっては珍しいだけです。
嶋田忠さんは野鳥写真家では第一人者だと思っている(1984年冬・撮影)。


016 (46)    
琵琶湖の湖上では色々な野鳥が数多く見られます。
小さい鳥を数多く見ますがあまりシャッターは押しません、それは野鳥の種類だけをテーマにしていないからです。
私の中の野鳥はサギ類・白鳥・鴨・鵜・カラス・トビ他、大きめの野鳥が私の場合、主です。
野鳥見たからと云ってシャッター押していたら切りが有りません。 野鳥専門なら別です(1988年冬・撮影)。


016 (47)    カップル Shiga Lake Biwa
この鳥たちがいたのギャラリーは、どちらかと云うと単なる私の眼の前で出会った鳥たちです、必ず良い作品とは思っていない。
琵琶湖や全国を撮影して回っている中で、たまたま眼の前に現れた野鳥をマアマアとして発表しています。
私を知る人はマツシマが色々な物でも撮影しているのだなーと云う程度です。
野鳥専門の方からだと笑われそうです(2008年冬・撮影)。 


016 (48)    カイツブリ Shiga Lake Biwa
滋賀県の県鳥です。 カイツブリも動きが早く直ぐ潜ります、眼の前に出た瞬間に撮影しようと思ったら直ぐ消えるやっかいな鳥です。
この時は何か口にくわえ湖の波状がマアマア良かったと思っています。
何でも琵琶湖の風景だけでなく撮影する人として分ってほしい(1992年夏・撮影)。


016 (49)    オオミズナギ鳥 Kyoutofu Maizuru Bay
京都府舞鶴湾に浮かぶ無人島が二つあります、その島の一つ冠島にオオミズナギ鳥の繁殖地と知られている。
また京都の鳥(1965年)に決まった。
よみうり文化センター時代、生徒さんに三坂康一氏が、私に個人的に指導を願い9年間ほど良く出掛けた。
伊根湾でオオミズナギ鳥を撮影、漁師さんの船をチャーターしての撮影だった。
費用が掛かり過ぎるために一般的にも無理であったが?漁師さんの協力もあって実現した。
国の天然記念物に指定されている、こんな近くでの撮影は珍しいです(1992年冬・撮影)。


016 (50)    影 Fukushimaken Lake Inawashiro
撮影ツアーで良く福島県猪苗代湖に旅行した、野鳥の楽園として有名だった。
作品は夕暮れの中、鳥の影を撮影、猪苗代湖は野鳥の宝庫、鴨たちは人間に良く慣れていて近くに行っても逃げなかった(1998年冬・撮影)。


016 (51)    白鷺 Shiga Anekawa
同じ方向を向き白鷺たちは多分、餌を求めていたのだろう?
私も注意しながら撮影、少しでも動きが察知されたら、いっせに飛び立つ、簡単では有りません。
失敗の連続でした(1998年夏・撮影)。


016 (52)    鳥の楽園 Shiga Amanogawa
天野川も白鷺が多い、然し何時もいるとは限らない!!鳥だけは行って見ないと!!・・・
毎日だと良いが、そんな訳には・・・カメラマンも大変です。 同じ所に通い続けるとたまに良い結果が・・・
テーマをどこに絞るか?野鳥なのか、風景なのか、更にドキュメントなのか?考え方はそれぞれ違います。
個人的に努力はしている積りです(2001年夏・撮影)。


016 (53)    知内浜 Shiga Takashimashi
1983年の初期の頃、生簀から流れ出たエビを白鷺やユリカモメが待っていた。
当時はこれ以上近づくと逃げられた、白鷺が撮れただけでも初期は良かったのです。
或る日から誰が考えたか知らないが老木に餌を置き演出が始まった2005年まで続いた。
その後、鳥は来なくなった、原因は分からない(1984年冬・撮影)。


016 (54)    竹生島と白鷺 Shiga Takashimashi
近づき過ぎて逃げられました、その繰り返しの連続、知内浜に行き2年目頃でした。
生簀の上から流れ出す川の湖岸が主でした、誰かが!!木の上に餌を置くと云うアイデアを考えたのでしょう。
それから20数年、全国は元より台湾からも野鳥ファンが!!
あの有名な津田洋甫さんが4×5のカメラを担いで持ってこられたのが・・・不思議で見ていました(1985年冬・撮影)。


016 (55)    樹の上 Shiga Outsushi
夕暮れのねぐら、まるで白鷺の楽園と云う感じ、安心している様でした。
アナログ時代フイルム100を400に増感・・・アナログ時代、生徒さんに増感を教えました。
少しでもカメラブレと被写界深度を得る為です、それでも部外者から色々と非難の嵐でしたが?
私はガンとして筋を通しました、結果が良ければいいのです。多くの写真コンテストで入賞しました(1997年夏・撮影)。


016 (56)    雀 Shiga Takashimashi
秋の田園、収穫が終わり残りの米殻をついばむ雀が沢山いました。 飛び立つ瞬間を待ちましたが失敗しました。
500ミリ、レフレックスで撮影、F8 ・1/125 だったと思います。
秋の田園ですので色は雀と重なり良くありません(1978年秋・撮影)。


016 (57)    ウミネコ Kyoutofu Maizuru Bay
伊根漁港から漁船をチャーターして撮影、当時この様なツアーは無かったので参加者は多くのコンテストで入賞した。
私も指導しながらシャッターを押しました、感動の嵐です。
近年、中々この様な風景とも出会っていない(1993年冬・撮影)。


016 (58)    逆光の中 Shiga Nagahamashi
よみうり文化センター時代、写真家・中村吉之介さんが千里の教室を野沢(読売新聞社写真部長)さんの後、開講されました。
スタッフに土田智代子さん・河野豊さんの4人で始めました。 ミノルタαー7000発売の頃、急に生徒さんが増えました。
それ迄 AFートフォーカス)が無く、ピント合わせも技術のひとつ、上手にピントを合わせが出来るまで2〜3年は必要でした、
個人差はありますが・・・一挙にピントが合うので誰でも撮影が可能になり便利になった時代です。
1985年ミノルタαー7000が日本で初めて一眼レフを発売した。
然し未だに私はAFは使用しません、出来る限りマニュアルで撮影しています(1988年秋・撮影)。

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