白の世界
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
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030 (1) 姫路城? Himeji Castle Hyogo Prefecture
1964年、日本写真専門学校(大阪)に入学、入学祝いにマミヤシックス6×6を父からプレゼントされた。
マミヤ6×6は当時、写真スタジオ等に使用され人気を博していた。
同級生の中で3〜4人が持っていた思い出がある。
たまたま隣の席に三尾多一君(八尾市)がいて、直ぐ仲良くなって、姫路城が新しくなったと聞き出掛けた。
多勢の観光客で賑わっていた、54年前の出来事・・・彼とは卒業後10年は一緒だった(1964年 撮影)。
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030 (2) 姫路城? Himeji Castle Hyogo Prefecture
初心者なのでそれぞれ三脚を使用したかどうか?記憶に無いが・・・ピントはかなりシャープです。
富士フイルムのネオパンSS、ISO100だったと思うが?定かではない、原版はCDに入れてオリジナルのフイルムは処分した。
訳は54年の歳月でフイルムの劣化とカーリングがひどく、カビかどうかは分らないが酸っぱくて、
フイルムの臭いがたまらなくきついので処分する事にした(1964年 撮影)。
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030 (3) 姫路城? Himeji Castle Hyogo Prefecture
写真のプロを目指して写真学校に入学したが、当時、写真とカメラマンは時代の花形、学校は1,500名位いた様に記憶している。
クラスでは50名、成績は実技の方は良かったが?その他は悪く、追試験を受けた事がある。
卒業後は新聞社 ・ TV局等のマスコミ ・ プロの写真家のアシスタント ・ 印刷会社 ・ フイルムメーカーに就職する方もいて、
私は現像所(ラボ)の技術者として職に就きながら作品を創っていた(1964年 撮影)。
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030 (4) 姫路城? Himeji Castle Hyogo Prefecture
同級生の三尾君とは同じ会社で一緒に働くが、数年後に自分で独立して写真以外の鉄工の仕事に就きました。
私より少し年上で兄貴分みたいでした、男ながらかっこ良くスーツ姿と黒い靴は何時もピカピカで女性にもてた。
彼のイメージは北アルプス登山とコーヒーを教えてもらった、そして唯一、学生時代から一番の親友でしたが・・・
1980年代に亡くなったと後日聞く、残念で仕方がない写真学校時代を時々思い出す(1964年 撮影)。
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030 (5) 姫路城? Himeji Castle Hyogo Prefecture
姫路城の思い出は、おそらく外壁が新しくなったので・・・昭和の大改築だった様だ? スリッパが大量にあって、それを被写体にしたがCDにはしなかった。 1964年まで昭和の修理が続き、おそらくその記念に2人で撮影に行ったのだと思う? 姫路城の撮影とスリッパだけが私の中で記憶に残り、その他の事は全く覚えていない。 写真はその点ハッキリ記録として残っているので数十年経っても記録として一番有力だと思っている。 白鷺城は兵庫県姫路市にある日本の城、国宝 ・ 重要文化財に指定され、ユネスコの世界遺産のリストに登録され日本の100名城にも選定され、別名白鷺城とも・・・当時も多くの観光客だった(1964年 夏 撮影)。
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030 (6) 父親 Nara Prefecture
私個人の話だが写真学校へ入学して数年で今の女房と知り合い、1966年(昭和41年)に結婚した、20才だった、全くの早婚でした。 女房の姉(長女)夫婦を親代わりで結婚式の記念写真は京阪天満の高砂殿で二人だけの式の写真だった。 カメラマンは同級生が働ていたので格安にしてもらった。 僅かに覚えている52年前の事です、披露宴は女房の姉(長女)夫婦の自宅で、誰も来なかったが、父が嫁の顔も知らないし、心配だったのだろうか訪ねて来た。 私は奈良を案内し東大寺の前で父からプレゼントされた、マミヤシックス6×6にて白黒の記念写真を撮影し奈良を散策して、父と二人で過ごしたのをアルバムの写真を通じて思い出し、記念にこのコーナーに入れた、テーマが「白い世界」、父の白いワイシャツが光っていた(1969年 7月撮影)。
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030 (7) 姫路城工事中 Himeji Castle Hyogo Prefecture
我が家では冬休みと夏休みの連休を中心に旅行を1978年から現在まで続けている。
写真店と写真事務所兼用を営業しているので正月は12月28日あたりから1月6日、
夏は8月10日から18日と一週間〜10日が平均、
この日は次女の逸子と3人で四国から瀬戸内を旅行した時、姫路城に寄って見た。
城は囲いがされ、城の周りを記録としてシャッターを押した。
私は野鳥の白鷺を撮影しているので「しらさぎ城」と云う言葉が大好きです・・・
城そのものにはあまり関心は無いのですが女房の方は城が好きで、
全国旅行中に城があると立ち寄っています(2014年 撮影)。
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030 (8) 完成された姫路城 A Himeji Castle Hyogo Prefecture
2015年に漆喰壁が塗り替えられた美しい姫路城! 行きたいと思っていたが?
並んでいた観光客の人達に待ち時間が長いと聞き、やっと2017年の夏に実現した。
兵庫神戸港150年祭りで港に世界から帆船が来ると聞き7月16日(日)、女房と二人で行きましたが
あまりにも人の多さに圧倒され、神戸港はやめて夕刻、姫路城に行った所、大雨の嵐でした。
写真どころでなく全身ずぶ濡れで早くホテルに入り翌日、早めに姫路城に行きました。
それでも多くの人で驚いたのは外国の方の多さにビックリ、城に入り靴を預ける所まで登りましたが私はそこで諦めました。
理由は同年の冬に股関節の手術をしたばかりでしたので無理するのをやめました。
聞くと階段はその場所から多くなるとガイドさんに聞き、女房だけ登りました。
天候は薄曇りで条件は良くなく、この白い世界の中に無理と思いながら記録と思い出を入れたかったからです(2017年7月17日 撮影)。
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030 (9) 完成された姫路城 B Himeji Castle Hyogo Prefecture
曇り天気の中、歩きながら手持ちで撮影、7月17日 温度は36℃とあって汗だくでした、
水分も沢山取り休みながら城の途中まで行きました。
城のパンフレットを見ると1333年、元弘3年姫山に砦を築いた、1346年に赤松貞範、姫山に本格的な城を築く、
1441年 山名持豊、播磨国を与えられて姫路に入る。
1467年、応仁の乱 ・ 赤松正則、姫路城を陥落し領国を回復、本丸 鶴見丸を築く、
後に一族の古寺氏、その重臣の黒田氏が城をあずかる。
NHKの大河ドラマ黒田官兵衛ですこし歴史を知った(2017年7月16日 撮影)。
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030 (10) 姫路城記念写真 Himeji Castle Hyogo Prefecture
1966年、結婚して既に50年を超えた、金婚式も過ぎました、ずっと写真店を任せて寝屋川市日ノ出町の1号店マツシマフォトサービス。 2号店の香里園ポピーショップ店、写真のマツシマ。 3号店林ビル、4店目が現在の香里園で写真店と写真事務所を兼用し、お互いに70才を越えてもマアマア元気で過ごせているのは平均良い方だと思っている。 あと何年生きられるだろうか?神様だけが知っていますが? 良く私の我儘の写真人生に付き合ったと思って感謝している。私のギャラリーに女房はこの写真が入っているのさえ知らない、教えていないしパソコンも触らない、当日の天気は曇りでした、もし知られたら怒られそう?(2017年7月16日 撮影)。
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030 (11) 姫路城を大きく Himeji Castle Hyogo Prefecture
53〜54年程前、同級生だった大親友の三尾多一さんと2人だけで姫路城が新しくなったと聞き、
撮影に行ってから50年以上たち、城が塗り替えられ綺麗になった。
人間はそのまま・・・新しくする訳には行かない、人生ですね・・・
三尾さんとは北アルプスの白馬岳に大先輩の西嶋保介氏から行かないかと誘われ、3人で登山したのが夢見たいです。
走馬灯の様に思い出す、三尾さんは1985年代に天国へ・・・西嶋さんとは1978年以後は撮影に行かず不義理している。
心残りは大先輩の西嶋保介です(2017年7月17日 撮影)。
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030 (12) 姫路城を正面から Himeji Castle Hyogo Prefecture
決して姫路城の作品、ここまで良いとは思っていません。
私の我儘な思い出として日本一と云える姫路城を私のホームページから知ってもらえたら幸栄です。
海外の方は結構私のギャラリーを良く見ています。
ドイツ ・ ロシア ・ ウクライナ ・ イギリス ・ チェコ ・ オーストラリア ・ フランス ・ スエーデン ・ スペイン ・ アメリカ ・ アルゼンチン、
ここ1週間でギャラリーを見た人の国です(2017年7月17日 撮影)。
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030 (13) 白鷺 Shiga Prefecture
白い世界のテーマで一番ふさわしいのは、やはり私のお得意の白鷺だと思う。
高島市の知内浜に2008年頃来ていたが・・・その後さっぱり来なくなった白鷺、この作品は初期の生簀の上での作品。
逆光線で鳥の回りが白く輝いています、アナログフイルムで撮影、ピントも良く来ています。
田中徳太郎さん、白鷺の大家も白鷺が来なくなって白鷺の撮影を諦めたと聞く?
私は琵琶湖や他でも白鷺を見たら一応シャッターは切っています。
諦めていません(1983年 冬 撮影)。
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030 (14) ロープの上 Shiga Prefecture
漁港のロープの上で仲良く止まっていた、背景の湖も白く美しい。
中々この様なチャンスは少ない、あってもカメラマンはその場所にいてシャッターを押さないと写らない。
思いだけではままならぬ、特に自然の中の動物、野鳥撮影は大変なのです(1986年 冬 撮影)。
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030 (15) 水辺 Shiga Prefecture
私が琵琶湖を撮影し始めた初期の頃、水辺の中に白鷺が輝いていた、餌を求めていたと思う。
初期の頃は純正の望遠レンズは高いので価格が安いレンズメーカーのサンレンズ、コムラーレンズを使っていた、両社とも現在は無い。
現在54年間で使用したレンズの本数は80本前後使ったと思う。
最初から良いレンズは買えなかった、それだけ貧乏だった、お金持ちでなかったので、安価なレンズを使っていたのだと思う(1968年 夏 撮影)。
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030 (16) 白鳥 Hokkaido
白鷺の次は白鳥です、白い鳥.の代表格ですね! 北海道への旅は80回に及びます、白鳥は最初からテーマに入っていました。
グランド北海道写真集の作者、山本久右衛門さんも良く案内しました。
屈斜路湖 ・ 網走湖 ・野付半島 ・ 尾岱沼 ・ 風連湖、道東が主でしたが・・・ツアーでは皆さんを案内すると喜ばれました。
中々良い作品には恵まれないが関西では琵琶湖 ・ 昆陽池にいますが撮影は出来てもコンクールに入選する様な作品は滅多に撮れない、
アサヒペンタックス6×7で撮影したが重たくて枚数が撮れないので以降、北海道撮影には持参していない(1993年 撮影)。
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030 (17) 池の造形 Iwate Prefecture
関西女性作家で活躍中の女流写真家、川村登久子さんと親友で、よみうり文化センター同期の有沢令子さん、ニシムラユウジさんと4人で東北方面に撮影旅行に行きました。
4〜5年コンビで佐渡 ・ 丹後 ・ 越前 ・ 下市のモクレンと色々な被写体を求めて作品創りに、私も併せて楽しい旅でした。
車はニシムラさんが提供、全員交代で運転して車の事はニシムラさんに教育を受けました。
JPS展で川村登久子さん、有沢令子さん2人とも銀賞に輝き、ニシムラさんは子供の作品で田沼武能賞を受賞等、皆さん大活躍したのが今では思い出。
作品は花巻の小さな湖で白鳥が一羽、手前の氷の造形が面白かった(1997年 冬 撮影)。
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030 (18) 丹頂 Hokkaido
鶴居村の丹頂は北海道の中で是非、行って見たい所、御多分にもれず私も北海道の初期20回は良く行きました。
近年は3〜4年に一度くらい、丹頂の写真ではコンクール入賞はかなり難しい?
私の場合、3泊4日ツアーの内の1日だけです、一泊ですので夕方と朝方のみです。
知人で大阪から1ケ月連泊して撮影している方も知っていますが、コンテストに入選するのは中々です。
私もそれが分っていますから丹頂の里は遠ざかりました。
ツアーの中で初めての方は丹頂の里を案内しますが?皆さんベテランでJPSと二科展経験者が多いので満足しなくなりました(1998年 冬 撮影)。
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030 (19) 流氷 Hokkaido
2018年5月の北海道ツアーだけで80回になります、その他全部合わせて通しで760回に及びます。
撮影ツアーの回数としたらおそらく日本一だと自負しています。
流氷を求めて冬の2月、羅臼に10年通いましたが?流氷に出合っていません。
2008年以降、流氷の撮影は程遠くなり私自身どうしてだろう!! と思っています。
2017年4月上旬に流氷が来ているからと常宿の羅臼、まるみさんから電話があったが急には行けなくて、2018年3月8日〜11日企画しました。
然し流氷はありませんでした、紋別 ・ 網走 ・ 斜里迄は流氷が多いのですが羅臼迄は中々来ないようです。
4日間のツアーで1日が羅臼ですので連泊して何日も待てば出合うかも?(1996年 冬 撮影)。
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030 (20) オジロワシ Hokkaidou
羅臼の宿、まるみさんの船から撮影、初代(アルラン?号)の船でした、オジロワシを初めて目にした時は大感動でした。
ほぼ毎年の様に羅臼の冬に行き1988年代から2000年位は良く流氷に出合いましたが、
温暖化の影響でしょうか? 流氷に出合うのが少なくなって来ました(1989年 冬 撮影)。
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030 (21) オオワシ Hokkaidou
流氷が一面でした、オオワシが1羽、初期はこの光景を見てしびれたものです、関西では琵琶湖に僅か1羽だけですが来ています。
羅臼方面ですと多い時は数百羽と数え切れない位のオオワシとオジロワシです。
初期はレンズも長い600ミリとテレコンバーターを用意していましたが?近年、手持ちでせいぜい400ミリ前後です(1993年 冬 撮影)。
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030 (22) 羽ばたき Hokkaidou
作品は2017年1月撮影、森成雄氏 1974年日本カメラ年度賞作家、二科展は私と同時に初めて連続6回入選しました、
マミヤでも金賞、1970年代 大活躍しました、私とウマが合って10年〜13年程、琵琶湖に2人で通いました。
森さんは白鷺に強く竹生島は彼の案内で行きました、特に鳥に強く今でも毎日大阪城に通っています。
私より14才上の88才だと聞く、以前は風呂屋さんでしたが今はマンション経営で気楽な生活をされています。
私にとって ?西嶋保介氏 ?森成雄氏が忘れられない大先輩、足を向けられない先輩です。
森成雄氏とは30年ぶりの撮影(2017年1月 撮影)。
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030 (23) 流氷の中 Hokkaidou
流氷の中のオオワシ、鳥が好きになったのは琵琶湖の風景を主に撮影していた中で白い鳥が目立ち、つい近づいて見ると大鷲でした。
当時は持っていたレンズで撮影したものの、レンズが短くて作品にならず、
レフレックス500ミリと1000ミリを手に入れてから鳥が主なテーマになりました。
同じ頃、森成雄氏と知り合い共通のテーマで仲良くなり今も尚、時々逢っては彼の作品を見せてもらっています。
作品は流氷が一番多かったころに撮影した(1993年 冬 撮影)。
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030 (24) オジロワシ Hokkaidou
山本久右衛門さんのグランド北海道写真集(フォトコンの日本写真企画から2017年10月発売)、流氷の頃、毎年同行しました。
現在97才ですが当時74才から80才まで流氷の冬を同行、80才過ぎてから春と秋の年2回、北海道を主に作品創りをされています。
北海道だけで33回、山本さんの撮影ツアーの中で一番回数が多いので写真集を北海道のテーマで行こうと提案しました。
約8万枚の中から2000枚を選び編集者に渡し写真集完成、大人気です、フォトコン3月号グラビアにも取り上げられました(1995年 撮影)。
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030 (25) オジロワシ Hokkaidou
餌を5羽で奪い合っていました、このシーンも流氷の上では良い方です。
カラスやオオワシが入り複雑になりますがオジロシだけだったので良いと思っています。
私にしたらここ数年流氷に出合っていないので満足しています。
このギャラリーを見てオオワシ又はオジロワシを見たいなら羅臼の宿、まるみさんに問い合わせください。
TEL 0153−88−1313 冬1月〜2月末迄なら必ず船に乗り撮影が可能です(1998年 冬 撮影)。
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030 (26) 冬の大雪 Hokkaidou
大雪山を上空からセスナ機より撮影、大阪のスクールアルバムで有名なダイコロが当時、愛別に飛行場を持っていました。
工場長は北海道で超有名な写真家、志賀芳彦さんです。
1973年出版した写真集、大雪で日本写真協会の年度賞を受賞。
1978年の白い太陽は学研から出版、私の太陽賞1978年の作品と同年だった。
1982年、学研の部長さん白木靖美氏が私の所に来て志賀さんの担当で編集されたとの事でした。
白木さんは私の作品に惚れ込み会社挙げて出版しようと努力されましたが、テーマが環境問題で少し難しい様でした。
写真集も8,000円と高く滋賀県の本屋さんをリサーチしたらあまり売れないと云うデータがあり、
渋々取りやめになりましたが、白木さんの奥さんは芥川賞作家の加藤幸子さんでした・・・
本の中とか学研から出版する本に私の作品を色々使用して頂きました、
そして志賀さんの写真集は2017年ダイコロから大作、大地の鼓動と云う豪華な写真集を出版され、出版と同時に天国へ、
私にとって志賀さんの大雪 ・ 白い太陽は出版されて良かったと思っています。
作品は永遠に残ると思っています(1996年 冬 撮影)。
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030 (27) 雪の羅臼岳 Hokkaidou
まるみさんの船(アルラン?号)から撮影、山の雪に風が舞い青空の中雪が強調されていい条件でした。
約30年の間80回に及ぶ北海道ツアーで半分は道東ばかり・・・何となく好きです、特に冬が好きです。
体力のある間とお客様の希望がある限り北海道に行きたいと思っています。
何時迄とかは決められないです、ここ数年、北海道ツアーに参加した皆さんが良く入選されているのは事実です。
アルランとは海の鷲だとか?(1991年 冬 撮影)。
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030 (28) 流氷 A Hokkaidou
白い流氷を見ると何となく安心します、北海道に来たんだなあーと云う思いです。
本州や関西では見れません、流氷を見たくて2018年3月に企画したのに残念ながら見れませんでした。
今年はと意気込んでいたのにがっかりです。
流氷だけなら網走 ・ 斜里 ・ 知床では見れますが・・・私は羅臼で見たいのです。
そしてオオワシやオジロワシが流氷に沢山集まっている鳥たちを撮影したいのです(1989年 冬 撮影)。
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030 (29) 流氷の残骸 Hokkaidou
流氷が多い時は野付半島でも見れました、初期の頃1988年から毎年冬に流氷が見られました。
よみうり文化センター時代、生徒の池下晴敏さんも良く北海道に参加され、富士フォトコンテストでも入選したりJPS展でも数多く入選されました。
30年も経つと生徒さん達も年齢には勝てず、池下晴敏さん、是永貴美子さんと北海道の好きな人達も今ではいなく寂しい限り、
その中、山本久右衛門さん97才で頑張っている姿はもはや人間ではない様に思える。
97才で写真撮影して発表されています、2018年大阪写真月間でも参加されています。
ニコンプラザ大阪のニコンサロンで、5/31〜6/6まで、テーマは北海道(1989年 冬 撮影)。
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030 (30) 飛翔 Hyugo Toyooka
2018年2月にレンズを手に入れました、100〜400のズームレンズです。
3月8日から北海道ツアーで羅臼や他で鳥や鹿等の遠い被写体を狙う為に手に入れました。
2月11日(日)コウノトリの里の豊岡にレンズのテストを兼ねて行きました。
雪が良く降り吹雪の中、手持ちでマニュアル撮影、自分でピントを合わせました。
私はいまだにオートフォーカス(AF)大嫌いで使用していません、雪の中ですが?マア満足しています。
当分はこのレンズを常用したいと思っています、最新作です(2018年2月11日 撮影)。
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030 (31) 虹と馬 Hokkaidou
スペイン旅行中、虹に出合い白い馬でしたので白い世界に入れました、馬と虹は写真人生の中で初めてでした。
海外も80回、北海道と同じ回数、海外ツアーは終わりだと思っていますが? これから北海道の方が少し増えて行くと思います。
海外は食べ物が私には合いません、水もそうです、他の病気も怖いですし近年日本国内で充分だと思っています(1998年6月 撮影)。
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030 (32) 白と黒 Hokkaidou
馬は大好きです、1975年頃二科展で川本武司さん、高橋一郎さんの作品は凄かった。
近年は内藤律子さんの馬の作品、北海道へ行くと馬を見る機会が多い、チャンスがあれば写真を撮りたいと思っています。
白い馬と黒い馬が並んで走っていた、テーマが白ですが対比して見せたいのでギャラリーに入れました。
2018年3月帯広のばんえいも行きました、古館さんに大変お世話になっています、かれこれ10年近くなりました。
二科展に4点、朝日写真展で武田さんが特別賞、その他12点が入選し、ばんえい競馬は大好きです。
山本久右衛門さんも2017年春に案内しました、広報の古館さんは車いす迄用意して頂き感謝します、ありがとう(2015年 秋 撮影)。
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030 (33) 白い波 Fukui Echizen coast
越前海岸も毎年1〜2回、50年以上撮影に出かけています、
目的の一番は波ですが? 波の荒い日とタイミングが合いません、台風の時が一番良いのですが?危険も伴います。
アサヒペンタックス6×7が波をかぶり台無しにしました。
足元も岩がひどく逃げるのも若さが現在たりません・・・若さが欲しい。
良い作品を創るのは大変な事です、若い方は是非どんどんチャレンジして下さい(1991年 冬 撮影)。
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030 (34) 白い家 Kyoto Miyama-cho
美山町かやぶきの里を訪れたら時々この西尾家住宅母屋を撮影する。
文化庁のデータで江戸登録文化財になっている。
かやぶきのお母さんが家の横で新鮮な野菜を作っている、私は20年前から野菜を少しだけ買って帰り奥さんから喜ばれている。
何より新鮮だから美味しい、そしてモデルになって頂いている。
息子さんは栗の研究者として有名、栗を買ったがその後、他と比べものにない位良かった(1997年 冬 撮影)。
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030 (35) 三角帽子 Ehime Prefecture
愛媛県内子町は3度目でした、以前より少なくなっていました。
タバコ畑も多分、後継者が少なくなているのとタバコも世間では風当たりが強くなっていますので残念ながらこの風景も消えて行くのでしょうか!
幾何学模様が美しく描いている。
2018年4月、岡山にも行って見た、新見市のカルスト台地です。
朝日新聞にトピックスとして数年前ニュース写真となっていたのでこれが最後のチャンスかも?と思っている(2002年4月 撮影)。
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030 (36) 沖縄にて Okinawa Prefecture
マイたうん撮影ツアーは2018年5月現在750回を超えています、
毎月日帰りから日本各地に2〜4日の宿泊ツアーを実施しています。
沖縄ツアーは過去6回です。 海辺の風景の中この花が印象に残っています。
白い世界の中、少し違う色ですが? 花の種類も初めてで分りません・・・
空と海の色が青いのが忘れられません(1994年 撮影)。
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030 (37) 山桜 Mie Prefecture
三重県の名所、屏風岩が有ります、高さ868m兜岳の西側にあり国の天然記念物に指定されています。
桜の頃が私は好きで過去10回は行きました、撮影ツアーや写真教室の実習にも利用しました。
約15、000年前、火山活動によって生み出されたのが屏風岩とか・・・。
日本の美しい村、曽爾高原が近くにあり秋のハイキング、関西のススキの名所になっている(2008年 春 撮影)。
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030 (38) 雪ん子 Fukui Prefecture
冬の風物詩、白峰地区の雪だるままつりは写真ファンで有名です。
毎年1月の末、村全体が可愛い雪だるまでいっぱい。
奈良の武田雅男さんと撮影、朝日カルチャーのブログによると2010年、二科展となら展に入選されました。
二科展は応募が約15、000点以上、日本の写真コンクールの中でもトップクラス、
JPS展 ・ 国際サロン ・ ニコン ・ キャノン 富士フォトコンテスト等に入選すれば
アマチュアとして平均以上の実力者として私の教室や、マイたうんでは日頃から皆さんに努力する様に指導しています(2010年 冬 撮影)。
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030 (39) キツネ祭り Gifu Prefecture Hida Furukawa-cho
幻想的な飛騨古川のきつねまつりは二度訪れました。
松明の灯を揺らしながら数十人にも及ぶ行列が静かに進む、まさしく夢の世界に包まれている様で大好きです。
主役の花嫁さん他、顔にキツネの化粧がされて・・・
提灯を持ち・・・私も幻想の世界に引き込まれまたイメージで私の得意のレンズに息で曇らせて撮影するテクニックです。
技法はピントをAFからMに切り替え、前もってマニュアルでピントを合わせてレンズに息をかけ素早く撮影する、
その繰り返しを4〜5回すれば必ず上手く行くと思います(1997年頃 撮影)。
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030 (40) 笑顔 Nara Prefecture
奈良県の中心地に奈良町があります京都、金沢と並び太平洋戦争の戦災を免れ、古き良き日本人の生活風景を残している。
全国的でも希少な町です、1980年代に当時20代の若者が中心になって「まちづくり」が始まったとか・・・
世界遺産の元興寺に近い交差点で車の窓から撮影。
東南アジアの女学生だとか?手を振ったら皆さん笑顔ででした、顔の回りの白い布は多分イスラムのベールを着用しているものと思う。
高等教育を受けている人が多いとも聞いたこともあり、日本に旅行する女学生ならかなり豊かな女学生達だと思った。
笑顔をありがとう(2018年2月15日 撮影)。
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030 (41) アオザイ Vietnam
ベトナムの民族伝統衣装です、アオザイとは長い衣と云う意味とか、白いので清潔感が有ります。
ベトナムツアーで共栄製鋼の高島成光さんが参加され、現地の女性2人をモデルとして紹介して頂きました。
ベトナムの民族衣装で一日市内で撮影、楽しい時間を作って頂き良き思い出として残っています、
白の衣装が忘れられない(1996年11月 撮影)。
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030 (42) スコールの中 Vietnam
東南アジアを旅行中、雨期ともなれば必ず1日の内にスコールがあります、
1〜2時間凄い雨になり数時間で雨は去り晴間も出たり、気候の変化が目まぐるしく日本と違って戸惑いを感じる事もしばしば!!
スコールの中、私のアイデアでモデルさんをバスの車外に出てもらって演出。
私達は車内から撮影、ただしストロボ光を使って車の窓の雨粒を利用するテクニックを教えました。
岡山から参加の大枝晟子さんがミノルタフォトコンテストで大賞を受賞、私のアイデアが的中し自信作になった。
ミノルタは当時、篠山紀信氏や高橋昇さん、荒木のぶよしさん等ミノルタ審査員は超一流だった(1996年1月 撮影)。
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030 (43) 仲良し Uzbekistan
マイたうん海外撮影ツアーは80回に及びます、その中でウズベキスタンは2回行きました。 2003年に2度、一回目が気に入り1ケ月後また直ぐに・・・旅行社は西遊旅行社、直行便があり4時間少々、飛行機の長旅は嫌でしたがモンゴル ・ ウズベキスタンは苦にならなかった。 タシケントからサマルカンド ・ ブハラ ・ ヒワと周遊しました。 バザールで見かけた可愛い女の子がアヒルを抱き良い思い出です、私は国を好きになりました、人々は優しかったです。 ツアー参加の山本璋子さんはJPS展で奨励賞を受賞した(2003年4月 撮影)。
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030 (44) ラ ・ マンチャ Spain
スペインの中部カンボ ・ デ ・ クリプターナの風車郡でした。
アラビア語で乾いた土地とか、ドンキホーテでも有名、旅行社は名鉄観光の岡下彰氏でした。
ポルトガル、スペイン(アンダルシア)の撮影ツアー10日間、岡下さんの大変すばらしい企画でした。
夕陽から夜景迄、光跡は岡下さんがガイドの専用車を指示して私のアイデアを受け入れて良い作品になりました。
辻本郁子さんはJPS展で入選され辻本さんも良く参加され素晴らしい作品を数多く残されています(1996年5月 撮影)。
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030 (45) カッパドキア Turkey
名鉄 岡下彰さん企画、トルコ撮影ツアーイスタンプール到着後、雪が積もっていました。
カッパドキアは美しい馬の地、アナトリア高原の火山によってできた大地、
岩の住居 ・ ラブバレー ・ 妖精の煙突 ・ ギョレメ ・ 寺院、大感動でした。
コンヤからパムッカレ ・ イズミール ・ トロイ、専用バスで観光しながら撮影、気に入り数年後トルコへ再度行きました。
作品は岩に数日前の雪で美しく私の頭の中からカッパドキアは消えることはありません(1995年11月22日〜12月2日)。
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030 (46) 羊の群れ NeW zealand
マイたうん撮影ツアーの海外での初期でした、
マイたうんは色々な旅行社や各ミニコミ新聞社のツアーを合算して約30年750回に及びます。
マツシマススムが講師にてツアーを実施、旅行の企画から現在は全部一人で考えています。
初期の10年は名鉄観光の岡下彰氏が提案して私が了承するシステムでしたが、ここ20年は私が全部考えて企画しています。
その目的は良い作品を撮るのが第一の目標です。
当時参加の有沢玲子さんが二科展に入選されました。
羊を逆光線で美しく表現、後方の砂煙がポイントになりました(1994年11月 撮影)。
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030 (47) 虹と滝 South Africa
名鉄の岡下さん企画、南アフリカ10日間。
ヨハネスブルグからビクトリアフォールズをヘリコプターから撮影、
ザンベシ川クルーズ他、野生動物の中でもペンギン ・ アザラシ最高だった。
風景ではケープタウンが最高の思い出に残りました。
その後ツアーは合わせて4回、アフリカ大好きになりました。
作品はワンゲ国立公園のビクトリアの滝です。
ジンバブエ共和国とザンビア共和国の国境の滝、ユネスコ世界遺産に登録されている。
近年TVではドローン撮影が多くなっていますが、当時は上空撮影はあまりなく経費が高過ぎて、
この様な画像は少なかった撮影はヘリから撮影(1998年3月 撮影)。
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030 (48) 氷河 Alaska
名鉄企画、岡下彰氏からアラスカはどうか?と云われて直ぐOKを出した。
アラスカと云えば写真家の星野道夫氏の作品群は最高でカメラアイは優れていましたので、それが頭から離れませんでした。
ツアーは早朝からキナイ ・ フィヨルドをチャーター船で鯨 ・ 鳥 ・ 氷河を船上から撮影、
船が揺れ長時間だったので殆どの参加者は船酔いしたのを記憶している。
氷河の氷を使用してワインをプレゼントされ美味しそうに笑顔で飲む参加者のニシムラユージさんが忘れられない。
ツアー参加者のコンテストでグランプリは川村登久子さん、日本写真企画の写真ライフに発表されました(1996年9月 撮影)。
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030 (49) 霧の風景 Alaska
アラスカはシアトル ・ アンカレッジ ・ キングサーモン ・ カトマイ ・ スクード ・ キナイフィールド ・ デナリ国立公園と
列車、バス、船を利用した素晴らしい旅行でした。 バスの中から霧の風景に出合う。
名鉄 岡下さんにバスを止めてもらい撮影、良い風景に出合いました。
以前、樹の上まで地震で津波が来たと聞きアラスカも地震があるのを知りました。
有名な写真家の星野さんが私達が訪れた年、事故に合いガイドが星野さんの知人だったので途中退席されたのを記憶している。
アラスカで星野さんは熊の寝息を聞き過ごしたと聞き私達は驚きでした。
信じられない話だった、熊の聖地キングサーモンでは熊がサーモンを捕るシーンを撮影。
その後、再度アラスカを訪れてサーモンを捕る熊を1、000枚アナログで撮影、充分満足した(1996年9月 撮影)。
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030 (50) 夢の中 Shiga Prefecture
作品は私のではなく藤原マサオ君です、私がまだアマチュアの頃、三和カラー現像所時代の部下でした。
私が先輩で彼はフイルム現像、ネガのスペシャリスト、当時、1日何百本も現像していました。
撮影も同行しテクニックも教えていました。
才能は充分有りましたが? 写真は当時お金が掛かり過ぎて・・・作品はニッコールコンテストで準特選になりました。
私がフイルムを持っているのは合成のデュープを余分に作っていたのです。
白い椅子は私のスタジオの椅子で赤いのは人形です。
オーバーだったので彼はマジックで塗り、難しいニコンのコンテストで入賞しました(1975年 夏 撮影)。
| 030 (51) 夏の宵 Nara Prefecture
作品は1998年、国際サロン入選作品です、作者は山本久右衛門さん、2018年で97才です、
作品を発表したのは20年前ですので77才の喜寿でした。
奈良の又兵衛桜撮影の帰り、夕暮れ時ツツジの花の前を畑仕事から帰る女性をスナップ、ストロボ撮影でした。
白い世界のテーマに合う思い、このネットに発表しています、フイルムはアナログスライドです。
後日、山本さんが80才で第1集の人生浪漫に掲載し、富士フォトサロンでも個展で発表しています。
私は今でもこの作品は凄い作品だと思っています(1998年 夏 撮影)。
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030 (52) 白の印象 Fukui Prefecture
私のアマチュア時代の作品、このギャラリーの白い世界のイメージに合うので入れています。 当時、休日を利用して各地に被写体を求めて飛び回っていました。 月の内3回は琵琶湖へ 1回は越前海岸 ・ 丹後半島 、ある時は和歌山有田の円田あらぎ島、コンテストに夢中、特に月例写真でカメラ誌に毎月30点〜50点を送っていました。 1975年にカメラ毎日年度賞、1975年日本カメラ4位、1977年フォトアート1位で年度賞でした。 アマチュアとして熟しいると思い太陽賞(平凡社)へ勝負の30枚の組み写真を琵琶湖のテーマにてチャレンジ、当時プロへの登竜門、写真界の芥川賞と謳っていた。 第1回1964年のアラーキのドキュメンタリーさっちんの太陽賞が写真学校で話題になっていた。 心密かに何時かチャレンジしようと思い、それから14年目の歳月が流れ、この時しかないと決心していました(1975年 夏 撮影)。
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030 (53) 娘 栄子 Neyagawashi Home before
娘も被写体にし時々作品を撮っていた。
月刊フォトコンで秋山庄太郎先生の審査で特選にて1ページになった事も・・・白い服が印象的です。
娘の年齢が今では50才近く、私も歳をとったんだなーとつくづく娘の写真を見ながらこのギャラリーにも父親も入れている。
残り少なくなった自分の人生を思いめぐらせている現状です(1973年 春 撮影)。
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030 (54) 佐渡の女 Niigata Prefecture Sado
撮影ツアーで日本の離れ島、私は佐渡は何となく好きで合わせて8回です。
それは大阪の大作家、岩宮武二氏の佐渡の作品を見てから憧れが出たのです。
あの大作家の佐渡へ行って見たいと・・・日本手拭いでほうかぶり姿は佐渡に合う・・・武田雅男氏 ・ 辻博明氏 ・ 小川勉氏 ・ 武藤三代子さん5人と冬の佐渡でしたが・・・
岩宮さんの大作、冬荒れの佐渡ではなかったが白い手拭いの女性が印象的でした。
デジタルで撮影(2016年 冬 撮影)。
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030 (55) 北陸の女 Niigata Prefecture
アナログフイルムで撮影、新潟県は白鳥の瓢湖や鳥の多い福島潟、棚田の松代、秘境の秋山郷と好きな被写体地が沢山有ります。
その間でふと知り合った女性を撮影しました、背景が黒くなって人物が浮き私は個人的に大好きな写真です。
然し、ギャラリー見ている方の思いは全く分かりません。
このギャラリーの作品に私の思い思いが入っていますが?自信作も有れば、そうでもない作品も沢山あります。
見てる方が自由に思って頂いて良いのです(1998年 冬 撮影)。
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030 (56) 祭りの日 Shiga Prefecture Omihachiman
近江八幡市内で撮影、祭りの日だったと思います。
アナログのフイルムで撮影、カメラを向けると優しい表情で見つめて頂きありがとうございます。
私は珍しい化粧と一風変わっていると思った、祭りの日はカメラマンにとって唯一心配なく撮影可能です。
現在個人情報以降、人物を自由に撮影するのがやりにくくなって来た。
人物撮影は特に子供の両親に了解をもらって撮影する事が今では基本です(2001年 撮影)。
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030 (57) のれんの向こう Shiga Prefecture Nagahama
長浜市の着物大園遊会の祭りだったと思う、のれん越しに撮影しているとわざわざ見える様にこちらに視線が来た。
シャッター2〜3枚アナログフイルムで撮影、私は何度も書いていますが・・・2008年迄フイルムでした、
デジタルに変わってようやく10年です。
デジタルに変わっても良いとも思っていない、この作品でもしデジタルだと人物の回りまでリアルに写ってしまう?
それが嫌なのです。
撮影後にパソコン上で更に現像し修正するのが一般的(1999年 秋 撮影)。
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030 (58) 父子 Wakayama Prefecture
和歌山の御燈祭、熊野三山の一つ熊野速玉大社の神倉神社は熊野の神々が降臨した巨岩、ごとびき岩を御神体とし、
538段の石段を上ると山頂から新宮の町並みが見える。
熊野川河口、太平洋が一望、その神社で毎年2月6日の夜、行われるのが御燈まつり、
この祭りは火の洗礼を受ける、全国の火祭りの中で最も古いとか、
夕刻、約2000人もの白装束の男性たちが松明を手に下るり降りる姿は男の祭りとして大迫力です。
父と子の愛情が伝わる(1997年 冬 撮影)。
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030 (59) 夜 Morocco
世界最大サハラ砂漠の夜です。
ストロボ光で休んでいるラクダを撮影、向こうの黄色いオレンジ色の光は私が車のライトで照らしました。
同じツアーで斉藤秦乃さんが国際サロンに入選、1998年の入選作品集を見ると山本久右衛門さんの夏の宵、
池下晴敏さんの峠の道、瀧洋子さんの夕陽の広場、寺田俊三さんの炭鉱夫と5点私のツアーから入選していました。
過去を調べて一番成績が良かったと思っている。
ツアーの皆さんは国際サロンの良さは最初は全く分かっていません。
初めて入選して他の作品を見比べてようやくその良さが皆さん分って来ます(1998年5月 撮影)。
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030 (60) 窓辺 Hawaii
この作品は奥さんとの旅行中ハワイで撮影した、対岸のホテルのバルコニーでした。
窓にハワイのワイキキの浜辺が反射していたのです。
奥さんも同様にシャッターを押し、創価学会のコンテストに応募し2等になりました。
賞品はニコンカメラ、聖教新聞で大きく取り上げられました。
審査員は当時JPS日本写真家協会の会長、更にニッコールクラブの会長をされていた三木淳先生でした。
私が1981年JPS金賞の時の会長でした。
写真家の巨匠、土門拳さんの弟子でも有名、タイムライフの吉田茂の表紙は歴史に残っています(1982年 撮影)。
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