余呉湖 2
※作品は左から右に並べて展示しておりますので、
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007 (51) 雪の朝 shiga Yogo
賎ヶ岳をひと山越えた所に小さい湖、余呉湖が有ります、
周囲6.4キロ,面積164平方キロ。最深部は13m・・・湖面の標高134メートル、琵琶湖より50m高い。
琵琶湖との距離は僅か1キロ、日本カメラに発表(1972年撮影)。
※ギャラリーの全作品は撮影年度と発表は異なります。
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007 (52) 雪の造形 shiga Yogo
羽衣伝説で有名、前方の一本の樹の下に伝説の碑がある、近年湖が前面凍る事が少なくなった。地球温暖化の影響が
もろに出ている。 写友「森成雄」氏と同行の時代(1972〜1982)、2人の先輩「西嶋保介」氏(1964〜1977)
年数は西嶋氏が長いが撮影回数は森さんとの方が多かった、日本カメラで1992年No96(風景を写す)で発表(1972年撮影)。
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007 (53) 静寂 shiga Yogo
撮影日と発表は異なります、評論家「田中雅男」氏から紹介して頂き、日本カメラ別冊・三上邦男編集長から余呉湖の撮影ガイドの
作品と記事の依頼を受けた、作品はアサヒペンタックス6×7使用、日本カメラで発表。マツシマススム写真集「琵琶湖逍遥」東方出版(1999年11月25日発行)。
学研「冬の漁」1984年発行、冬の淡水魚たちのコーナーに大きく採用された。コメントに(冬空を映す余呉湖、戦国の歴史を秘めた賎ヶ岳を遠望する。
破船がかえって湖の夏の賑わいを想い起される)と書いていた。
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007 (54) 湖と集落 shiga Yogo
写友、西嶋氏とは月に一度か・・・2ヶ月に一度、弟の様に可愛がって頂き感謝でいっぱいです。必ず昼の弁当を作って持って来ていた。
こちらから注文する訳でなく自然に弁当が出て来た、コンニャクの炒め物・うずらの卵が頭から消えない、西嶋さんと離れて・・・40年になるが
思い出が一杯ある、顔を合わすことが殆ど無いが心の中では感謝で一杯(1973年撮影)。
No.3と同じページのコメントに(冬の余呉湖、賎ヶ岳の中腹に層雲がかかり時折、小雪舞う、雪は薄く町をおおい、湖も今は静をもっている)と。
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007 (55) 山霧 shiga Yogo
余呉湖には毎年訪れている、毎年4〜5回と云う所、アマチュア時代からプロになって52年(2016現在)、多い年は年10回の年もあった。
1月と2月の冬だけで毎週の時も・・・現在プロになってツアーで冬には必ず2〜3回は行っている(1995年撮影)。
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007 (56) 朝 shiga Yogo
朝霧が湖面と賎ヶ岳に・・・美しい日本の風景と云う所、
私の絵葉書にも使用しているシーグ社の編集人「増田」氏は4〜5人の琵琶湖の写真家の編集をしたベテラン、
彼は私の作品をスケールの大きさと水のテーマを編集上考えていた、作品を選ぶ時に語っていた(1995年撮影)。
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007 (57) 白い湖面 shiga Yogo
早朝、冬の6時頃・・・上部にブルー(ハーフB)のフイルターを使用。
湖面からモヤが立ち昇りチャンスだった「琵琶湖逍遥」に発表(1995年撮影)。
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007 (58) 仲良し shiga Yogo
撮影に行くと必ず湖面を撮影した・・・しかし何もない時も?水鳥でもシャッターを押さないと仕方無い時もあった、
カメラマンはシャッター押すだけで!!満足する、
写真家APA会員「アンダ知宏」氏、彼とは1978年太陽賞受賞を認めて交友を深めた、
フォトコンテストの雑誌に私の事をスケールの大きい作家だと書いていた(1973年撮影)。
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007 (59) ファミリー shiga Yogo
3匹だから「ファミリー」としたが本当は鴨だと思うが聞かないと分からない、
水鳥の去った後には白い光が印象的だった。
背景が黒いので逆光線が出たと思う、
何時の時でもこの様になるとは限らない(1974年撮影)。
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007 (60) 雪の多い日 shiga Yogo
大雪で通行止めだった。
国民宿舎が余呉湖の奥に有り、余呉湖入口の右手湖畔は当時、雪の多い日は通行止めが多かった。
左側は道幅が広い為と国民宿舎への道として除雪は必ず行われていた(1984年撮影)。
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007 (61) 山霧 shiga Yogo
山霧を望遠レンズ300ミリで撮影、私は2010年迄アナログ(フイルム)を使用、
フジのフイルムが色合いも良く成り1990年の花博以後の使用比率は富士65%・コダック35%のだった。
教室の中村吉之介先生は絶対「富士フイルム」の製品しか使用しなかった、
主に富士フイルムの講師を中心にされていて、
コダックから仕事の注文はないから割り切っていたのでしょう・・・??(1996年撮影)。
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007 (62) 雪化粧 shiga Yogo
国民宿舎は賎ヶ岳の山中の麓にある。
作品は山中の大きな木に樹氷で覆われていた美しい風景だった、
私は個展、写真集、絵葉書でも使用、
人気の作品だった!!(1978年撮影)。
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007 (63) 夕暮れ shiga Yogo
京阪百貨店の個展等で親しくなった生徒さんで「堀岡洋子」さん、10年〜15年撮影ツアーに良く参加された。
海外も数多く参加し、良い作品を数多く「堀岡洋子世界の旅」の写真集を出版された、
その中で朝日新聞社の女性だけのコンテストで入選した。
私の車のライトを使用した夕暮れの作品、
私の写真集「琵琶湖逍遥」でも発表しフォトコン「四季の写真」でも発表(1998年撮影)。
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007 (64) 残月 shiga Yogo
滋賀県のポスターに採用された。
余呉湖の残月、冬の朝 賎ヶ岳の残月と朝靄の暗いイメージ「神秘的湖」がテーマだと思う。
この年の広告会社が倒産し私の作品400点余り行方不明になった、苦い思い出がこの作品を見る度に思い出す。
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007 (65) 朝 shiga Yogo
写友「森成雄」氏とは1972年〜1982年位で約10年、多い時は月4回同行、常に森さんが車を出した。
食事は割勘、食堂が主、今時のファミリーレストランは当時なかった。
時々「吉野家」に行ったが・・・大津にトラック運転手用の24時間の食堂が唯一、深夜に営業していた(1973年撮影)。
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007 (66) トビと樹 shiga Yogo
余呉湖の中でもこの樹は良く撮影した。
冬の日、余呉湖は伊吹山に近く日本の「ヘソ」と呼ばれる位、太平洋と日本海にぶつかり
昔から雪の多いので有名だった。
大阪で雪がチラホラしたら必ず余呉湖は積雪1mだった(1975年撮影)。
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007 (67) 冬陽 shiga Yogo
関西のカメラマンは必ず冬になると余呉湖が撮影地として人気があった。
それは雪が多いのと湖が凍り雪景色が素晴らしいからだと思う。
二科会会員「近藤龍夫」氏(湖北の写真集で有名)、私たちは彼の事を(近龍)と呼んでいた。
大先輩で素晴らしい作家なのに失礼な話だが秋山庄太郎氏の事を(秋庄)と呼び中村吉之介先生の事を(吉ちゃん)、
私の事をマッちゃんと呼び、不思議な呼び方だったが、近年使わなくなった(2000年撮影)。
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007 (68) ひと休み shiga Yogo
写友「森」さんは鳥が大好きで主に鳥が一番、風景と花二番・スナップは後回しだった。
困るのは私の方?風景、?スナップ、?鳥だった?・・・
影響は仲間または付き合ってる写友によって変化する(1989年撮影)。
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007 (69) 晩秋 shiga Yogo
余呉湖の周囲は柿の木が数少ない、冬場になると鳥が押し寄せて来る。
写友「西嶋保介」氏は大阪光芸クラブ(岩宮武二・青木君夫)両先生の大阪のクラブでは
私から見て一番の写真クラブだと思っている。
それだけに鋭い人、感性・感覚は一流だと思っていた、
撮影中は決して教える訳でなく夢中でシャッターを押している。
私も後に続けと西嶋さんより数多くシャッターを押す。
彼の30枚のシャッター音を聞くと、私は90枚のシャッターを押し、
焦点距離のレンズも20ミリ〜50ミリと小刻みで使用、
心の中で負けたくなかった(1976年撮影)。
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007 (70) 寒雀 shiga Yogo
寒雀は二科展でも他の人の入選作を見て(1968年)作品になるのは初期から知っていた、
雀は常にシャッターを押す様に心掛けていた。
私の写真集や写真展でも必ず発表している(1988年撮影)。
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007 (71) カラス shiga Yogo
湖が全面凍ると聞き行ってみたが雪が凍ると単なる雪一面のため単純で、この日は何にも無かった。
カラスが近くに慌ててシャッターを押したが上手く撮影出来た。
私にしたら影のあり方が地味だが小作品としていい方だと思う(2001年撮影)。
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007 (72) 湖畔A shiga Yogo
白鷺と猫は珍しい作品、
52年に於いても猫と鳥の出会いは10回も無い。
大チャンスだった。
余呉湖の集落の猫が湖畔に・・・
不思議な光景だった(1973年撮影)。
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007 (73) 湖畔B shiga Yogo
この日は写友「森」さんと一緒だった。
森さんは特に白鷺が好きで鳥なら何でもシャッターを押していた、
森さんから教えて貰う訳では全く無く、お互い気が合って、お互い琵琶湖が好きで
それぞれシャッターや構図は気ままの同行、
森さんはコンテストに入選すれば良い位なもので、私とは違っていた、
私は何が何でも入選し、年度賞を取りプロへ登ると云う希望と云うより、必ずなると決心していた。
写真に対する原点がお互いに違っていた・・・私はプロの道へ、
森さんは写真を楽しむ事を主にしていた(1973年撮影)。
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007 (74) アオサギ shiga Yogo
杭の上にアオサギがひっそりと休んでいる。
気ずかれない様に望遠300ミリレンズ手持ちで、
絞りは開放(F4.5)、シャッターは1/30
ややカメラブレ、10枚連写すればたまに止まる?
皆さんもシャッタースピードが遅い(1/30・1/60)時は連写モードにして、
数多く撮影すれば一枚は助かる時も?(1973年撮影)。
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007 (75) 湖面のサギ shiga Yogo
写友「森」さんは鳥が主だから望遠レンズも長い、
600ミリ・800ミリと大阪でも殆ど見かけない位良いレンズを使用、
ペンタックス6×7も一式、機材は一流だった。
日本カメラ1974 年度賞2位、当時は残念ながら私が負けていた。
私はカメラ誌全部に作品を送り数多く入選、
数では当時私の方が勝っていた(1975年撮影)。
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007 (76) 仲良く shiga Yogo
森さんはスナップは苦手の様で湖畔に人物がいても素通り、私は心の中で困っていた。
チャンスを逃がしたと!!
ところが森さんは全く人の気配など心中に無かった、
仲が良くても作品を創る上で考え方・思想が重要だと思う。
私は当時、森さんには言わなかったが、少し不満も時々あった(1972年撮影)。
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007 (77) カイツブリ shiga Yogo
「カイツブリ」は滋賀県の「県鳥」です。
私は必ずカイツブリを見たらシャッターを押していた、
全長26センチ、丸っこい体型をしている、
尻羽がない様に見える。
夏羽では頬の部分が赤褐色になるが冬羽では体全体が淡色になる、
くちばしの付け根が黄色い。
作品にはなりづらいが商売上必要だった(1973年撮影)。
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007 (78) 雪の日 shiga Yogo
ダイコロ、大阪の「スクールアルバム」の有名な印刷会社、企画室に「太田健嗣郎」編集人が居た
「PHOTO・JAPAN」日本商業写真家協会発行の19号、1980年発行で8ページ9点採用して頂いた。
「心象琵琶湖」と云うタイトル、作品は200点程自参した中でこの作品を取り上げて頂き感謝しています。
彼とはその後40年以上に渡って友人関係になっています、
私の生徒さんの写真集は決まって彼のプロデュースで成立しています、有難うございます。
フォトジャパン発表(1974年撮影)。
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007 (79) ベンチ shiga Yogo
或る日湖畔を回っているとベンチが・・・何と無く気ままにシャッターを押した・・・
そんな写真でも年月が来ると記録の作品となって、今では珍しい作品に変化する。
写真は記録、地形も変化し時代も変わる(1978年撮影)。
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007 (80) 雪形 shiga Yogo
写友「西嶋保介」氏は岩宮先生・青木先生の影響で心象作品も多かった、そして造形にも優れていた。
構図はうるさく神経も繊細、私の写真人生の中で一番は西嶋氏の影響だと思っている。
一番勉強させて貰ったと思う・・・後日クラブの例会で作品を発表して自分の思いを知らせる。
撮影の場では細かくは言わない、当時クラブのあり方はその様な事だと思っているが?(1971年撮影)。
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007 (81) 雪船 shiga Yogo
近年、この様な船が湖岸に少なく、いい場所に置いてなく!!作品に出来ない、
被写体として残念でならない。
この様に良い被写体に恵まれるには通う事です。
永年テーマで追い続けていると良い被写体に巡り合います、
日本カメラ「撮る風景」で発表(1983年撮影)。
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007 (82) 楽園 shiga Yogo
余呉湖はカイツブリ・鴨類・白鷺・アオサギ、湖の何処かで見れます、
鳥達の波状と集落、鳥達に取ってはまさに楽園の様に思えます(1983年撮影)。
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007 (83) 大雪のあと shiga Yogo
私が余呉湖に行った当初の14〜15年(1964〜1977年)頃は、雪の多い時は2m近くも有りました。
JRの線路を超えて進めなく帰った事も何度か有りました。
また無理して進みチェーンを切った思い出も・・・近年その後その様な事は一度も無い(1978年撮影)。
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007 (84) 生簀 shiga Yogo
余呉湖には民宿「文ェ門」さんが永年営業されて私が余呉湖に行った頃から、民宿とレストランを、必ずコーヒーを飲み一服した。
「古沢和子」さん(二科会女性会員)と出会い彼女はネガカラーで合成、多重をされていた。私がスライド(リバーサル)が合成に良いのを
教えたのは1972年の頃だった、私みたいに毎月琵琶湖を回って撮影するのでは無くお弟子さんに連れて来て貰って、年に1〜2度
3〜4日宿泊すると云うパターンだった。車の運転が出来ない人は写真に取って不利、運転する人を探さなくては自由が利かない。
電車を利用する場合は移動が限られている?。私は写真教室も近年車を利用している(2001年撮影)。
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007 (85) 鵜 shiga Yogo
余呉湖でも野鳥は相当数来ていると思う。
私が出会った鳥の数も20〜30種類は覚えています、
野鳥は好きだけど野鳥専門でも無いので・・・経験上の話です、
あくまで経験だけをお話しています(2002年撮影)。
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007 (86) 朝もや shiga Yogo
余呉湖は この作品の様な状態を求めてチャレンジしていました。
何時もこの様になる事は少なく、自然の現象とは余呉湖に通い続けて初めて体験するのです、
マツシマススム自費出版の「琵琶湖の自然」に発表(1979年撮影)。
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007 (87) 日の出の頃 shiga Yogo
雪の朝、自宅を真夜中1時半に出発、朝5時に余呉湖に着きたいと希望・・・
湖の中に杭が幾つかあったが? 近年見られない。
琵琶湖も同じだが杭は水中に有る為、数年後は消えている(1977年撮影)。
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007 (88) 湖上 shiga Yogo
河本美繪子さん、現在二科会会友(2016)、彼女は10年間私のツアーに参加されました、
海外12回、国内宿泊(全国)ツアー約20回?
写真集「モンゴル」(2011)・「気のむくままに」(2016)を2冊発行されました。
2作とも大評判でした。
個展も良いですが・・・写真集が一番良いと思います、
写真展は年月と共に印象が薄れるからです(2009年撮影)。
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007 (89) 全面凍結A shiga Yogo
私の経験で全面凍結に出会ったのは40回位記憶に有ります、
この日は鳥達が中央で安心して休んでいました。
500羽はいたと思う、
湖面でこんなに多くの鴨が休んでいる被写体は私にとって一度限りの経験だった(1975年撮影)。
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007 (90) 全面凍結B shiga Yogo
1960年〜1990年頃迄は温暖化の影響はあまり無かったと思う。
その後、徐々に雪の量が少なくなってきたと感じた。
右手の船の積雪でお分かりの通り、1m〜2m近く当時の余呉湖の冬は当り前の光景だった(1972年撮影)
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007 (91) 全面凍結C shiga Yogo
作品の通り湖は凍結し中央にある僅かな樹の周りが変化している。
当時、湖の中央に樹とか葦があった、最近は見られない(1972年撮影)。
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007 (92) 全面凍結D shiga Yogo
国民宿舎に向けて望遠レンズで撮影。私も何度か泊まったが、文ェ門さんと久しくしているので文ェ門さんの方がなじみが深い。
文ェ門のママさんは私の写真集を快く10冊買い取った、気前が良い、コーヒーも美味しい。また私の作品も文ェ門さんに展示している。
奥の方に古びた私のポスターもある。ネットを見ている方、是非訪ねて頂ければ嬉しいです(1979年撮影)。
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007 (93) 霧の湖面 shiga Yogo
全面凍結の朝、温度の関係でしょうか霧が湖上にあった。私にとって珍しい風景に思えた、
この様な作品を撮るには民宿「文ェ門」に宿泊するのをお勧めする(TEL 0749−86−2425)、
私の所からは高速を使って3時間、高速代を考えると泊まった方が楽である(1972年撮影)。
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007 (94) 湖面に向って shiga Yogo
湖岸から雪が降り注ぐ・・・だんだんと湖面が凍って行く・・・数時間後全面凍結、
自然現象とは見ているだけで感動する。
作家「中村直勝」氏は余呉の事を(余戸)・・・(余吾)・・・(余呉)へと変化したと書物に書いていた(1973年撮影)。
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007 (95) 冬の風物詩 shiga Yogo
余呉の冬の名物ワカサギ釣り、休日は多くの人で賑わう。
遠くは三重県・岐阜県・京都・奈良県・大阪からと沢山の釣人たち、
私の生徒さんで「森本正則」さんは高島市の職員、時々家族で行くと聞いた。
400匹位釣れたと聞き、びっくりした(2009年撮影)。
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007 (96) 雨日 shiga Yogo
桜の頃ツアーで賎ヶ岳を背景に、ISO800・F16・シャッターオート・絞り(F)も色々と変えてみる、
補正も色々と、この感じで30枚シャッターを押す。
アナログ時代は8枚位だった、ええ加減になった(2010年撮影)。
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007 (97) 菜の花と桜 shiga Yogo
余呉湖の桜の名木、桜の季節多くのカメラマンで賑わう、
その日は雨の日だった(2009年撮影)。
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007 (98) 一本桜 shiga Yogo
桜の季節が来ると、海津大崎の桜・余呉の桜・彦根城・今津と・・・それぞの桜の下を通過する。
桜は花の中でも好きな方、毎年何処かで桜の撮影を・・・2016年は信州・東北・北海道と広く撮影した。
岩手県の小岩井農場の一本桜も行ったが満開だと云うのに美しく無くて
殆どシャッターを押さなかった(2015年撮影)。
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007 (99) 母子モデルと桜 shiga Yogo
朝日カルチャー中之島教室に「上野能宏」君が生徒で来ていた。
大阪市役所に勤務、写真が上手な若手写真家、
教室やツアーで必ず、奥さんと子供を連れてくる。
今回も母子で桜と人物のモデルになってくれた。
桜だけも良いが?人物を配するとまた味が出る(2014年撮影)。
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007 (100) 雨と柿 shiga Yogo
滋賀銀行の広報誌「湖」の表紙に取り上げて頂いた作品。
余呉湖畔の柿の木を車の中から撮影、
窓に付いた雨粒でムードが出た、
雨男もたまにいい時も!!(1988年撮影)。
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